第3話 発露
「リンナさ~ん、リンナさんや~」
リンナが落下した辺りで、呼びかけてみる。
「痛てて……」
「あ」
リンナを見つけた。枝に引っかかったのか所々服が破れ、煽情的な恰好になっている。元々彼女の着用していた服は、ホットパンツに黒タイツ、サイズの少し大きい長袖とラフな恰好であったため、肌の露出が激しい。
今まで気にも留めなかったが、俺は外出時に異世界転移されたことが要因で少し厚着をしているのに対し、リンナは心なしか薄着だ。部屋で暖房でもつけている時に異世界転移に巻き込まれたのだろうか。
多少肌寒い、程度の気温であったから何も考えていなかったがリンナは少し寒かったのかもしれない。
申し訳ないことをした。そんな謝意の意味も込めて、着ていたコートを手渡す。
「すみません、気付きませんで。寒かったですか?」
「いや……、悪い」
リンナはコートを受け取り羽織る。
「今って春か秋か、そんな季節なんですかね? 異世界に季節という概念があれば、の話ですが」
「そうだな、そうかもしれないな」
リンナはコートのボタンを掛け違える。
「何してるんですか、リンナはボタンもまともに掛けれないんですか」
「いや、女性用とボタンの位置が逆なんだよ!」
なるほど、そういうことか。
「イノシシは?」
リンナはきょろきょろとあたりを警戒し、尋ねてくる。
「取り敢えずぶっ飛ばしました、もうイノシシは倒したと思います」
「え、嘘。ミライすごい」
純粋な賛辞が飛んできた。リンナも俺も異世界に来て強靭な体を手に入れているから賛辞には値しないと思う。
「リンナさんでも余裕で出来ますよ」
「異世界転移の影響か?」
「そうだと思います。というか、リンナは凄い速さでしたよ。自分の速さに気付かなかったんですか? 熊とかでも余裕で蹂躙出来ると思いますよ」
「えぇ、すごいな私。確かにイノシシには全然追い付かれなかった気がする」
「多分僕も強くなってるはずです」
「確かにお前すごい高さまで私を放り投げてたな」
そこでふと思い出したかのように、リンナが俺に一瞥をくれる。
「そういえばお前私を蹴り飛ばしたよな? なんで蹴り飛ばす!? もっと他の方法があるだろうが!」
「いえ、もしあのまま受け止めでもしたらリンナの体が折れ曲がっていたかもしれません。こうポキっと」
と、俺は手で体が曲がる様子をジェスチャーし、リンナを諭す。
「だから柔らかな葉を実らせている木の上に落として、衝突を和らげようと思ってあんなことをしたんですよ」
「む……」
リンナは口をへの字に曲げ、訝しむような表情になりつつも一応理解はしてもらえたようだ。
「落下といえばリンナ、落ちてくるときに『にゃああああああああああああ!』みたいなこと言ってましたね。猫語はもう染み付いたんですか?」
俺は口角を上げにやにやとした笑みを作り、揶揄するようにリンナの落下時の金切り声を真似る。
「うっさい!」
当然リンナは沸騰させたかのように顔を赤くし、怒りの鉄拳を俺の頭頂部にお見舞いしてくる。この身体能力で殴られたらたまったものじゃなかった。
脳震盪の悲劇再び、って感じだが、幸いにも脳震盪は起きなかった。
怒りの鉄拳での制裁を終え、俺の体に大した問題がないことを確認したリンナは、二の句を継いだ。
「それにしても運が悪かった……まさか偶々イノシシに見つかって追いかけられるとは……」
が、とんでもない無責任発言をしたリンナに俺は一喝する。
「いやいや、何言ってるんですか! リンナが突然走り出したりするから目立って追いかけられたんですよ!」
「うっ……それは……」
リンナは言葉に詰まる。それをいいことに俺は早々とまくしたてる。
不満が口から自然とあふれ出た。
「大体リンナは余計なことし過ぎなんですよ。勝手に滝を見てくるとか言って個人行動するわ、イノシシ連れてくるわ、俺の枝に乗ってくるわ、俺を突き飛ばそうとしてくるわ。俺はあの時突き飛ばされなかったら木々の中に紛れ込んでイノシシを木にぶつけて気絶させようとしてたんですよ? なんで余計なことばっかりするんですか! 今後余計なことは一切しないで下さい!」
リンナが余計な事ばかりするからか、少し語調を強めてしまった。だが、言っておかないといけない気がした。
今言わなければ今後も同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。そして、もしかすると次は命がないかもしれない。俺は心を鬼にして厳然と言い張った。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
長かった。リンナが言葉を継ぐのに長い時間がかかった。
また怒りの鉄拳がくるかもしれない、そう思った俺は即座に頭を庇い、来たる鉄拳に対し、臨戦防御態勢に入った。……が、いつまで経ってもそれはこなかった。
もしかしてリンナが怒りを収めたのだろうか、そう思い庇った腕から少し隙間を開け、恐る恐るリンナの方を見てみる。
「……え」
リンナは目尻に涙を浮かべ、俺を睨んでいた。
俺は訳も分からず、ただ思ったことを口にする。
「なんでそんな顔してるんですか……?」
分からなかった。分からないことが酷く怖かった。
だが、それは失言だった。
女の子が涙を浮かべてるにも関わらず、自分に関与しないものと決めつけたのが問題だったのかもしれない。
もしかすると相手の気持ちを考えなかったのが悪かったのかもしれない。
どちらにせよ、俺には配慮というものが足りなかった。
リンナは俺の言葉を受け、ついに崩壊した。
「なんで……」
リンナは失望を露わにした怨磋の声を漏らした。
俺はリンナが見れなかった。見ることが怖かった。
顔を俯かせ、意味もなく地面に目を落とす
そのまま数分が経過した。
依然、リンナに動きは見られない。俺もただ黙って地面を見ている。
お互いが膠着状態に陥った。
このままずっとこうしているわけにもいかず、俺は意を決してリンナをちらりと見てみた。
「……………………」
泣いていた。リンナが泣いていた。
声も上げず、涙も拭わず、ただ泣いていた。流した涙は頬を伝い顎先へと収束し、地面へと落下する。
目尻から水滴が溢れ出て、それは留まる所を知らない。
ポタポタと、涙が枯れ葉に当たる音だけが場を支配した。
涙は継続的に流れ続け、リンナはしゃくりあげることもせず真っすぐに俺を見据える。
その眼は深い悲しみに満ちており、体を小刻みに震わせながらしゃくりあげるまではいかないものの、小さく声を漏らしていた。
眉根を寄せ上げ、悲しみの表情をするも、口元はキッと締まり、何かを訴えかけているように見える。
俺がリンナの突然の落涙に困惑し目を丸くしておろおろとしていると、リンナは自らの気持ちを吐露した。
それは今までひた隠しにしていた感情の発露だった。
「ミライは私が嫌いなのか……?」
それだけで十分だった、彼女の状況を把握するには。何を考え、何を思い、何故泣いているのか、それを理解するのにはその言葉だけで十分だった。
俺が話を切り出す前に、リンナは二の句を継ぐ。
「私は悲しい……」
先程渡した俺のコートの裾をギュッと掴み、リンナは俯く。
「そりゃ、イノシシを連れてきたのは悪かった。勝手に個人行動したのも、ミライの横の枝に乗ったのも悪かった……、でも、ミライを突き飛ばしたのはミライを思ってやったことなのに……お前は私が嫌いなんだな……」
リンナは人の悪意に敏感な人間だと、そう思った。
突然の異世界転移に動転して、そこにいたのは俺一人。この異世界に俺とリンナしか現実世界の人間がいない可能性も十二分にある。
頼れるものもない、ここがどこかもわからない、そんなリンナは俺にしか頼ることが出来なかった。
幸いにも、俺は異世界のルールを知っていた人間であったから、心の安静を保つことが出来た。
一人じゃなかったこと、これもまたリンナの安静に寄与した。 俺も、一人でこんなところに放り出されたらどうにかしてしまっていたのかもしれないのだから。
そんな頼れる同郷の人間が自分のことを嫌っている、そう思えば、リンナの気持ちが痛いほど理解できた。
他人の悪意ではなく、頼れる人間の悪意。それはリンナの心に大きな傷をつけてしまったかもしれない。
俺は取りあえず、リンナの間違いを正そうとする。
「いや、俺はリンナのことが嫌いなんかじゃ……」
「嫌いに決まってるだろ!」
リンナは森全体に響くような大声を発した。
近くの鳥たちは突然の叫声に驚き、パタパタと何処かへ飛んでいった。
リンナの勘違いを正すため、俺は即座に言葉を付け足す。言葉足らずだった。
「すみません、確かに僕も軽率でした。リンナさんが僕のことを思って突き飛ばしてくれたのにも関わらず、僕は貴女の気持ちを考えることもなく、悪意ある暴言を吐いてしまいました。申し訳ありませんでした」
俺は精いっぱい、心から謝罪した。
現実世界でも女の人を泣かすなんて経験がなかった俺はこんな時どうすればいいのか分からなかった。
精々、母さんのお気に入りの茶碗を割ってしまって泣き笑いされたことくらいしか記憶になかった。
なので、精いっぱい謝罪することが、リンナに対する最大限の誠意であると考えた。
「ほら……やっぱりじゃん」
が、それは間違いだった。リンナは悲しみに諦観のような表情を貼り付け、俺を蔑んでくる。分からなかった、何が『やっぱり』なのか分からなかった。
俺は精いっぱい疑問を感じている表情を見せる。
「ミライ、ずっと私に対して敬語じゃん」
「……え?」
思わぬことを言い出された。
俺は常日頃目上の相手、また初めて会った人とは必ず敬語を使うようにしている。それがあだになった。
「でも、僕はいつでも初めて会った人には敬語で……」
「そうかもしれない! そうかもしれないけど! それはミライのルールじゃん……」
「……」
言いたいことが少しわかった気がする。確かに、それは俺のルールだ。自分のルールを大切にする人間は多くいるし、俺もその一人だ。
だが、状況が状況だった。こんな訳の分からない状況でも敬語を続ける必要はない、いや、正直リンナを完全に信用は出来ていなかった。
異世界で目覚めたからといって現実世界の人間が他にも転移しているかは分からない。もしかすると、リンナは異世界人で俺を騙しているのかもしれない。
そう考えてもいた。考えざるを得なかった。だから、俺は完全にはリンナに心を開ききれていなかったのかもしれない。
イノシシを連れてきた時も一瞬敵なのかもしれない、とそういった感情が脳裏を過ったりもした。
リンナはそんな俺の気持ちを察したのかもしれない。
「確かに私はあんまり信用されるようなことをしなかった……でも、そんなに私を拒絶しなくてもいいでしょ……、もうちょっと、もうちょっと信用してくれても……」
「すみません……」
「私だって、ミライに蹴られて、放り投げられて、怖かった……。コートを貸してくれて、私のことを嫌いじゃないんだ、って思えたのにすぐ後にそんなこと言われたら嫌われると思うよ……」
「……すみません」
お互いがお互いを信じ切れていなかった。俺は俺でリンナ自体を、リンナはリンナで俺の気持ちを、信じ切れていなかった。
不信が不信を生み、すれ違いがすれ違いを生んだ。人間関係が終わるときのの典型的な例だ。
だが、幸いにもここは異世界、俺たちは切っても切れない関係にある。関係を修復することが出来る。
俺は、俺自身の気持ちを吐露する。
「すいません、俺もリンナのことが完全には信用出来てませんでした。ごめんなさい」
「……うん」
俺は誠心誠意頭を下げた。
「……」
「……」
数秒、数十秒、と頭を下げ続け、漸く頭を上げる。リンナと目が合った。
「……」
「……」
静謐な空気が場を支配した。木漏れ日が俺とリンナを部分的に照らし、部分的に影を作る。それは俺とリンナに出来てしまった溝を明示し、同時にまだ関係の修復が出来ることをも明示していた。
俺の謝罪がリンナの心に響いたのか、リンナは軟化した。
「私もごめん、ちょっと怖くなって……ミライがこのままどこかに行っちゃって、この異世界に一人ぼっちで置いて行かれるんだって……」
「そんなことはしません」
「敬語止めてよ……」
「ごめん……」
「うん……」
名状し難い雰囲気が俺たちを支配した。どこかむず痒いような、そんな雰囲気であった。
リンナとの関係をここで終わらせる訳にはいかなかった。
俺はリンナへの誤解を解くために、またリンナとの関係を修復するために、心中を掛値なく吐露した。
「俺は、リンナを置いて行ったりはしない。冷静沈着な人間だと思われてるようだけど、冷静じゃないし、ましてや冷酷なんかじゃない。俺も現実世界の人間が、仲間がいることで心の安静を保てた。今までの行いはごめん、でもリンナを見捨てるようなことはしない、誓って。だからこれからも俺と仲間でいてくれ」
リンナは、俺の気持ちを察してか、涙をぬぐい、口角を少し緩める。表情が柔らかくなり、目の奥にも先程のような悲しさは見られない。
「うん、こっちこそごめん。突然ヒステリックに叫んじゃって。こんな知らない世界で一人にされることが怖かった。でも……ミライを、うんう、私が私を信じれなかった。ごめん、ミライ。その、これからも……よろしく」
「うん、ありがとう。ごめん。これから頼む」
そして俺とリンナは固く手を握った。ミライリンナ平和友好条約が結ばれた瞬間であった。




