第5話 死鎌アダマス 後編
斬撃が大地を引き裂く。
振るわれた剣は、目の前の敵を斬り裂く。ただそれだけでは済まさない。
斬線は伸びて、斬撃は走る。
アルスは遠距離攻撃手段を持ちえない。彼が持ちえているのはただ剣だけ。
だが、それで十分。勇者には剣一本あればいい。
剣一本で飛ぶ鳥を落とせずして何が勇者か。
ゆえに、彼の斬撃は飛翔する。
普通に剣を振れば斬撃が飛ぶのだ。
近距離遠距離、彼が剣を振れば斬れる。
弓兵部隊も近接部隊ごと叩き斬る。それくらいの意気がなければ勇者ではない。
向かってくる者を最小の動作で最小の斬撃で斬って行く。
向かうは本丸。本陣にいるであろうメアただ一人。
それら以外向かってくる者全てを切り裂きながらアルスは行く。
スケルトン、ゾンビ。
歩兵を倒せば次に来るのは当然のように騎兵だ。
不死系の馬に乗って突撃してくる彼らが地響きとなって疾走する。
「…………」
斬撃を飛ばす余裕はない。疾走はアルスよりも速かった。
だから、迎撃に入る。先行するもっとも足の速い騎兵が突きだす鋼鉄の槍を剣で跳ね上げるように弾き、そのまま馬の足を斬る。
馬の乗り手は狙わない。落としてしまえばあとは後続の敵が勝手に踏んで殺してくれる。
アルス本人が手を下さなくても良い。アルスが踏みつぶされることはない。
なぜならば彼は一人だ。
馬と重装騎兵として当然のように生じる隙間へとその身体を巧妙に滑り込ませて騎兵の一団をやり過ごす。
無論、それで無傷で居られるほど相手は弱くはない。当然のように相手の槍は受けている。致命傷となるもの以外はすべて受けている。
体の左右に走る幾重もの赤い線。戦闘不能になるほど、剣を取り落とすほどの傷はないがいくらかの肉が抉られて持っていかれている。
――強いな。
傷は未熟の証だ。
「…………」
騎兵であろうとも突撃される前に倒すのが勇者だ。
それが出来ない時点で勇者失格であろう。
しかし、感傷に浸っている暇ではない。
騎兵は戻ってくる。次の突撃が来る。蹄の音が高まりが来る。
その時には既にアルスは動いていた。
引き倒した馬の影に入る。それにより、真正面から迫りくる敵を失くした。
馬は大きい。それだけ障害物になる。飛び越えることもできないとあれば、攻撃は必然左右に限定される。
あとは、左右の敵を順番に斬って行けばいい。
右から来た――斬る。
今度は左――斬る。
斬る、斬る、斬る。
たとえ腹が抉られようとも、脚に傷を負ってもアルスは止まらない。身体が動くのであればそのままに剣を振るう。
詰みあがって行く死体によって騎兵の動きは制限されていく。ここに完成するは迎撃陣。踏み込めば最後刃が走る。
「強い。だが、まだだ――!」
流石は勇者だという尊敬。そして、それに向かうという高揚が敵を強くする。
発動する術式。ただただ貫通力を高めるだけの術式と加速術式。
騎馬は加速し、槍は大気を抉り取って向ってくる。
「来い――」
勇者は逃げも隠れもしない。
向かってくる騎兵に対して、アルスはただ剣を構える。
一瞬の交錯。
吹き上がる血。
アルスの左肩を槍が抉りぬいて行った証と騎兵の上半身と下半身がお別れした証だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「歩兵と騎兵を倒すか」
――流石は勇者。
「いや、それ以上だな」
歴代のどれと比べても最強だろう。
如何に勇者といえども先代であれば、たった一人で騎兵と歩兵総数約五百になる兵を殺せるはずがない。先代も強いがそう言う問題ではないのだ。
数は力だ。
多ければ多いほど強い。例え力の弱い蟻であろうとも集団になれば象を殺せるという風に数は力だ。
だが、アルスはその全てを薙ぎ払って見せた。
長い年月の修行。老いて朽ちる直前まで磨き上げたその技量。彼に与えられていた天稟は計り知れない。
彼が長い年月をかけて積み上げてきたものの高さが透けてみるほどだった。
人間の寿命はこの時代長くとも六十がせいぜいだ。大抵三十を超えれば病気や戦などで死ぬ。
彼の今の年齢は五十代後半から六十代。
彼が勇者に任命されたのは二十代の頃。人生の半分以上を修練に捧げた男の技量とはかくも素晴らしい。
鍛えている為、そこまで衰えてはいないだろうがそれでも無理がきかぬ年齢のはずだ。
それでもこれほどの戦闘力を発揮している。いや、むしろ老境に入りよりいっそう研ぎ澄まされているのが良くわかる。
その全てを支えているのが、勇者として自らが信ずる理想と矜持。
そして、魔王を倒すという信念だけだ。
「その信念感服である」
だが、メアは同時に悲しいとも思うのだ。
「人間が滅びたと知ったのならば、もっと楽な生き方もあったであろう」
もはや守る者も救うべき国も仕えるべき王もいないのだ。勇者アルスにはなにもない。
だからこそ、残りの人生を自由に好き勝手に生きても良かったのではないか。
死人に生者を責めることはできない。死んでも魂が根源の渦に帰り、再び別の存在に生まれ変わるだけだ。
死後の世界などありはしない。死んだメアが言うのだから事実である。
「ダレもオマエを責めないのだぞ」
責める者も恨み言を言う者も、怒りをぶつける者もとっくの昔に死んでいる。
ただ一人の人間として生きるには今の世は生きにくいか。
いいや、そんなことはない。
彼が人間が滅びたと知ったのはサルファーを倒した後だ。その後、カルナルスと戦ったがそこで勝利した彼は街を得ている。
そこを安住の地として暮らせばよかったのだ。
勝利したアルスには全てが与えられる。寿命で死ぬまでそこで贅沢に暮らせばよかったのだ。
「こんなところまで来て、傷つく必要などなかったのだぞ」
魔族からしたら楽しい喧嘩相手がやってきて大歓迎だが、そこには何もない。
得するのは魔族だけで、アルスがまったく得をしない。
「損得で動くのが人間であろう」
――今やっていることは損でしかないではないか。
死は恐ろしいものではないか。傷つくのは苦しいことではないか。
そうやって勇者としてのその先に幸せなどあるのか。
ないだろうとメアは断ずる。
「まあ、こうやって殺し合いをしているワタシも人の事は言えないか」
既に問答で解決する時分は過ぎている。
「考えても、オマエが安穏と寿命を迎える姿など想像できんしな」
――だからせめて満足してから逝けるようにしてやろう。
「手加減などせん。術式部隊放て」
ここに来るまでに削らせてもらう――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
まず爆炎が飛来した。広大な戦域に並ぶ戦列の一列目から放たれたのは炎だった。続けて二列目と連続で放たれる。
後退しての連続魔法発射。都合三人の魔法兵による魔法の三段撃ち。隙間なく連射される魔法の嵐は暴虐の限りを尽くす。
防ぐ手段をアルスは持っていない。炎を打ち払っても打ち払っても放たれる爆炎はとどまるところを知らない。
まず焼けるのは掌だった。
炎を切り払うと当然のように剣に熱が伝播する。それが一定を超えて柄まで届けばもう肉が焼ける。
炎に触れずとも肌が焼けるもはやその熱量自体が致死の猛毒。
斬り払い、拡散する熱量だけで戦場の温度が急激に上がって行く。石は溶け水のように流れていく。
じりじりと肌が焼けていく。熱は皮膚を侵食して、重度のやけどを形成していく。
更に追い打ちをかけるように風が吹きすさぶ。
魔法の種類が変わり、炎ではなく風が吹く。暴風が吹き荒れ火炎を巻き上げて火炎を成長させて範囲を広げる。
それだけでなく風の刃は鋭くすっぱりとアルスの肉体を斬って行く。
血が噴きだし、竜巻に赤い色が混じる。
「まだだ――」
それでもアルスは前に進んでいた。
人間であれば莫大な熱量に突っ込むことすら無謀。ましてや風の刃が立ちふさがる竜巻の壁がある。
それでもアルスは進む。
肌が黒く焦げても、すっぱりと腕や脚、腹が切り裂かれようとも。
剣を振るい道を切り開いて前へと進む。
そのあり方に魔族は高揚し、術式を起動させ魔法を発動させる。
結果として発動した魔法は苛烈さを増す。
前に進むというのか。ならばこれはどうだ? これでも前に進めるのか?
勇者という男が見せる輝きに魔族たちは期待するのだ。もしかしたらこれすらも乗り越えるのではないかと強く期待する。
大岩が降り注ぎ、雷が槍となってアルスを貫く。
それでも進む。
大水が全てを洗い流せば、一瞬にして凍りつき全てを壊死させる結晶と化す。
それでも進む。
アルスの頭に止まるという選択肢はない。
ただ前にただ前に。前に前に前に。
真っ直ぐに魔王へと至る道を見据えている。即ちメアを。
「行くぞ――」
そうこの上なく勇者とはそういうものだ。
古今東西。これこそが勇者の仕事。
その背に輝きを魅せて、人類を導くこと。
もはやその人類がいないとしても前に進む。それが勇者である。
ゆえにどのような障害があろうともアルスは前に進む。
自らは未熟だ。血反吐などいくらでも吐く。情けない限りである。
だからこそ、自らにできることをやるのだ。
前に進む。
それだけが勇者アルスが出来る唯一の事だ。
止まることなどありはしない。
身体が焦げた。だからどうした。
雷に貫かれた。だからどうした。
風に切り裂かれた。だからどうした。
足が凍りついた。だからどうした。
そんな生涯乗り越えなくて何が勇者だ。
先代たちならば、この程度笑って即座に越えていくに決まっている。
未だ本陣にまで辿り着けぬ未熟な己に恥じ入るばかりだ。
だが、どんなに恥じてもアルスは勇者なのだ。
ゆえに、負ける道理などなくありとあらゆる壁を越えていく。
しかも、今だに成長しているというおまけつきで。
剣閃が鋭くなっていく。研ぎ澄まされていた一撃一撃。無駄のない剣閃の流れが更に無駄を排してさらに成長していく。
技量、判断能力。戦闘において必要なものを全て備え極限まで研ぎ澄ましてきた男がは、未だに成長している。
困難にぶつかるたびに加速度的に次の段階へと踏み込んでいく。
そして、魔法兵団へと肉薄する。
「―――――!!」
踏み込んだ。
剣閃が走り、斬撃が飛翔する。
肉薄された魔法兵に勝ち目などありはしない。同士討ちを気にしない弓兵部隊が掩護に入るが、
「無駄だ――」
死体を盾に、急所だけを守り身体に刺さるのをそのままにアルスは接近し切り殺す。
まったくの無駄なく遊びなく最短を全力で走り抜ける。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「魔法兵も弓兵も倒すには至らぬか」
それもまた当然であろう。勇者なのだから。
「だが、疲弊はしたな」
もう目視できる距離だ。見るからにアルスは疲弊している。
身体の至る所は焼け焦げぱっくりと斬り裂かれているし、脚など凍りついている始末だ。どこも無事なところなどありはしない。
それでも剣はまだ握れるし、その眼は未だに前を見据えて輝いている。
「本当に老いた人間か」
――何度も言おう、流石は勇者である。
おそらくはその賞賛も受け取らないのだとわかっていてもメアは賞賛せずにはいられない。
どれほどの偉業をアルスは成していると思っているのだ。人間がついぞできなかったことだ。
メアの軍勢を打ち破るという偉業を達成しようとしている。
「まだだ――」
だが、まだだ。
「まだ削らせてもらう」
――卑怯とは言わないだろう。
メアは己の出来る全てのことをやっている。だからこそ、あと一手だ。
「もしオマエがワタシの盾を超えられたのなら、その時はワタシが、いいえ、オレが相手になりますよ」
妖しく輝く青の瞳がアルスを見据える。
盾との勝負の結果を見る為に――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
盾を構えたミイラが現れた。
彼こそがメアの盾にしてこの軍勢の最後の将。
「…………」
包帯に包まれたその肉体。怪しく輝く黄色の瞳が真っ直ぐにアルスを見据える。
「……シロウ」
短く名を告げて、ただ盾を構える。
言葉はいらない。黙して戦うのみ。
「そうか」
アルスもまたそれに応じる。言葉など最初からいらぬ。立ちふさがるのなら斬るのみ。
まず動いたのはシロウ。両の手で保持した巨大な盾を構えて突っ込む。
盾は攻撃用の武装ではない。
だが、攻撃に使えないわけではない。
攻撃に転用した瞬間、盾は凶悪な武器と化す。
巨大な盾はシロウの身体を完全に隠している。どこを攻撃しようともシロウに傷を与えることはできない。
また巨大であるがゆえにその質量はそれだけで力となるのだ。
盾を全面にした突撃。
斬撃を飛ばすが、防御術式は堅牢であり、まさしく突撃してくる城壁と言っても差し支えない。
受けることはできない。吹き飛ばされる。
ならば躱す。
「…………喰らえ」
その瞬間、急制動からシロウが盾を振るう。
薙ぎ。水平の盾は刃が付けられておりそれだけで斬れる。
剣を叩き付けて地面へと落とすことで躱す。
しかし、膂力に任せてそのまま地面を抉りながら盾の斬り上げが来る。
受ければ凄まじいまでの力で吹き飛ばされる。
休む暇などない。
吹き飛ばされるに合わせて既にシロウは目の前に追随していた。
振るわれる盾。
剣を叩き付けその反動を利用して盾の上へと躍り出る。そのままアルスは剣を振るった。
肩から入って半ばで止まる。
良くは出さないすぐに引き抜き距離を取る。
「……うん、良い」
シロウは歓喜する、勇者アルスの強さに。
だから、叫んだ。包帯で塞いでいた口元を開いて叫んだ。
「――来たれ神滅魔装、我が盾アイギス!! 我が心を燃焼させ、我が魔装は駆動する――!!」
高揚は力を呼ぶ。意気が高揚すれば魔心臓は跳ね速く、速く鼓動刻む。
生成される魔力は通常時の数十倍以上。
ゆえにこれは当然の結果。かつての戦乱においても最終局面においてのみ使用された真なる魔の武装がその姿を現す。
超常の力が彼方の空より現出する。
これが魔族が畏れられ、この大地を制覇するに至った理由。上位魔族しか扱えぬ魔装の次なる段階。
神を滅ぼす数十メートル、あるいは数百メートルにも及ぶ超巨大最終武装。
それは、巨大な盾だ。大地を、世界のあらゆる厄災から主を守らんと巨大な盾が現出する。
それは見る見るうちに人の形へと変わって行く。
巨大な盾を持つ人型へと変わり、機関部たる心臓にはシロウがある。
「…………行く」
巨大な盾を振るう。
避けることなどできはしない。
それは巨大な面攻撃。逃げるのならば盾の範囲から逃れるしかない。
それをするには超スピード以外になく、そんなスピード、アルスにはありはしない。
「斬る――」
ならば斬る以外に方法はない。
落ちてくる盾に向けて剣を振るった。
だが、斬れない。防ぐことに特化した盾。その神滅魔装だ。
たとえアルスと言えども簡単に斬れるわけがない。
ゆえに、潰される。一緒に落ちてきた大気がアルスの身体を殴打する。
訪れる気圧の変化。急激すぎる変化に、耳で何かが爆ぜた。
「まだ、だ――!!」
圧倒的な加重に足が砕ける音が響いた。大気との摩擦によって生じた熱に再び腕が手が焼ける。
だが、まだだ。
柄を握る。折れそうな程に剣の柄を握り込む。あまりの力に剣が悲鳴を上げる。それでもまだ力を込める。
斬線が伸びていく。ここを斬れと告げる。
ぎちぎちと全身の筋肉が悲鳴を上げながら、ただ自らにある有りっ丈を込めてアルスは剣を斬線に当てて振りぬいた。
漆黒の軌跡を描き、刃は走る。
何の音もない。ただするりと感慨もなく刃は入る。
鈴のような音色が鳴り響き、剣の言葉が響く。
斬れぬはずの盾が切れた。表面を斬り裂き、盾の裏側へとアルスの身体は抜ける。
そこに左の拳が伸びてきた。
巨大な拳が動くことによる暴風と熱がアルスの肉体を削って行く。
それでもアルスはただ前だけ見据えていた。
斬線が走る。
アルスは再び、刃を振るった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
金属の鳴りをメアは聞いた。その瞬間、消える神滅魔装。
神滅魔装の半ばまで走った剣閃をメアの赤い瞳は確かに見ていた。
「見事」
――ああ、実に見事だ。
人間が神滅魔装を倒す。その瞬間を目の当たりにしてみて浮かぶのはやはり賞賛しかない。
見事、実に見事。
アルス以上の勇者などいないと断言できる。
「ゆえに、オレの出番ですね」
青い瞳が輝く。
ここから先は王としてではなく一人の武人として相手をする。
メアではなく彼女の中にいるナイトとして。
「魔装、展開」
生じる魔装。死神の装束。洗練された戦闘用のそれ。
形成される武装は鎌だ。大鎌。深く深く湾曲したそれ。
「さあ、行きますよ」
未だ彼我の距離はある。だが、
「――――」
たったの二歩だ。
一歩で音を越えて、二歩で距離を越えて、たったの二歩で彼我の距離をゼロにする。
振るわれる大鎌。
それと同時に下がる。振るいながら下がる。
鎌で相手を殺傷するには、一度振ってから引き抜くという二つの動作が必要であり振り抜くだけでよい刀や斧、突くだけでよい槍や棒に比べダメージを与えにくい。
だが、それは考えようによっては振るってから引き抜くという動作は、下がるという結果をもたらすことができる。
動作を連続させることによって距離を取りながら戦えるということ。
それはつまり、
「あなたのような剣士にとっては天敵ということ」
機動力は先ほど見た通り。普通ならばほとんど一瞬で全てを刈り取ることができる。
「そうか」
引き抜かれる直前で大鎌は止まる。
「名乗りの前に倒す趣味はございませんので。ですが、こうやって力を見せました。あなたはもう満身創痍。降伏しても良いのですよ?」
返答の代わりにアルスは剣を構える。
「そうですか。では、名乗らせていただきましょう。オレは十将軍が一人メアのナイト。メアではなく今のオレのことはナイトとお呼び下さい」
距離を取って仕切り直しとばかりに名乗りを上げる。
「……勇者アルス」
何も聞かずアルスも名乗る。興味すらないという事だ。
「――では、始めましょう」
その命を刈り取る為に、メア、いやナイトが踏み込む。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「…………」
再び開いた距離はしかして、たった一歩で詰められる。普通ならば数歩の距離が開いているというのに、ナイトの踏み込みは一歩で距離をゼロにする。
振るわれる大鎌。身体を回転させて振るうことによって引くという工程を失くす。
厄介なのはリーチ差とそれによって振るわれる鎌の攻撃方向。
通常、剣や槍は前から来る。振るう武器である以上どしても攻撃は前からなのだ。
だが、鎌は違う。その刃は自らの方向を向いている。それはつまり、攻撃はどうやっても横か後ろから来るということ。
敵を前にして後ろ向きで戦えないようにその鎌を迎撃するには前を向いたまま行う必要がある。
――ならば。
狙うは刃ではなく柄だ。自らの横を伸びる柄へ向けて剣を打ち止める。
その瞬間、がちりと何かの音が響く。
刹那、鎌の刃が鋏のように閉じた。
「――ぐ」
左腕で受ける。閉じる刃は左腕の骨で止まった。
「それに反応したのアナタが初めてです。流石ですね」
ぎちりと閉まる刃。
アルスは身体を下へと滑り込ませる。
そこに振り下ろされる上段からの大鎌の一撃。
四肢を駆使して躱すと同時にカウンターで斬撃を叩き込む。
大鎌を振り下ろした両の手を返す刃で断ち切る。
そのまま剣閃を接続。流れるようにその胴を真っ二つにした。
「…………」
終わったか。いいや、まだだ。
立ち去ろうとしたアルスの背後から大鎌が振るわれる。躱して斬りつけた。
そこにいたのは胴を真っ二つにされたはずのナイト。
しかし、傷はない。残っている傷は左腕だけ。いや、それもまた違う。
「一人殺されましたか」
ナイトの左腕が落ちている。だがそれはアルスが斬ったからではない。
「死なんか」
「いいえ、死にました」
先ほど斬られて確かに死んだ。一人。だから左腕が落ちている。
「オレたちは、つぎはぎで作られた魔族ですから」
戦乱の最初期。死に過ぎた魔族を憂いた錬金術師が作り上げた怪物。それがメア。それがナイト。
名も知らぬ複数の魔族を継ぎ合せて作られた彼らは、それゆえに複数の命を持っている。
「ですので、一人死にました」
「そうか」
ならば、全て殺し尽くせばいいのだなとアルスは剣を構える。
事実を聞いたところで何も変わらない。やることはなにも死ぬまで殺せばいい。
振るわれる大鎌。右腕一本になった。
それは大きな弱体化だ。
「いえ、どうでしょう」
斬ろうとした右腕が別たれる。
いやナイトの身体がばらけて飛翔した。
それら一つ一つが意思を持つように戦闘を開始する。
斬ろうとすれば別の部分が魔法を放ち妨害してくるというただ一人によるアルス包囲網。
だが、着実にアルスは削って行く。自らの肉体に刻まれる傷と引き換えに、一人、また一人とアルスは殺していく。
その血に濡れた姿は酷く痛々しいとナイトは思う。
だが、同時にその不屈の姿に惹かれ、燃えるのだ。
ならば、これより先は神滅巨人闘争だ――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――来たれ神滅魔装、我が死鎌アダマスよ!! 我が心を燃焼させ、我が魔装は駆動する――!!」
超常の力が彼方の空より現出する。数十メートル、あるいは数百メートルにも及ぶ超巨大武装。
それは、巨大な鎌だ。大地を、世界を刈り取らんとばかりに巨大な得物が現出する
この場においての相手は勇者アルス。強敵だった。
軍団を食い破り目の前に現れた姿はまさしく勇者。満身創痍で今にも死にそうな男はそれでもなおナイトに追いすがってくる。
滾ったのだ、血沸き肉躍る戦いに。
これこそが魔族としての本能。神々に挑み、全てを崩壊させる黄昏の種族の在り方。
「行きますよ」
神滅魔装は死神だった。現出した漆黒の死神がその大鎌を振るう。
ありとあらゆる全てを斬り裂き刈り取る大鎌の一撃は、ただのそれだけでアルスを抉り飛ばす。
彼の四肢が未だに満足なのが信じられないほどだ。
一撃を見切り、剣を振るい攻撃を受け流している。だからこそ未だにその四肢はちぎれかけだろうが潰れていようが無事なのだ。
その技量に、その凄まじさにアダマスの攻撃は鋭さを増し、速度は音を越えていく。
もはや動いただけで全てが攻撃となり、一撃必殺を体現する。もはや動くことこそが致死の断頭の一撃。
振るわれる大鎌の一撃は山塊を刈り、大地に深い谷を刻んでいる。
「さあ、見せてください」
まだ終わらないでしょう。
魔王を倒すと言った男の力の全てをここに晒してくれ。
それが見たいのだ。その先が見たいのだ。
ここで死ぬことも厭わない。お前の本気が見たい。
「さあ――!!」
それすらもないのならここで死ぬがよい。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
振るわれる大鎌を受ける。
身体がバラバラになりそうになるのを気合いでつなぎとめる。
「まだだ――」
人の身で神滅魔装に抗うことなどできないだろう。これが、魔王に、魔族に勝てない理由。
だが、世界を滅ぼす力を前にしてアルスは引かない。引けない。
何度も言う。これを斬る。
そうでなければ勇者ではない。勇者は誰よりも輝き、鮮烈な希望でなければならないのだ。その背にて希望を示す。それこそが勇者。
ならばこそ、やるのだ。
「勝つ。勝つのは――俺だ」
勇者としての矜持をもって叫ぶ。
剣の柄を更に強く握る。悲鳴をあげるかのように剣が軋んだ。
少しでも間違えれば受け流すことに失敗すればアルスは死ぬだろう。
しかし、極限の中でこそ集中力は高まって行く。余波で身体が傷ついていこうともアルスは引かぬ。
「斬る――」
斬線が静かに走ったのをアルスは見た。長く伸びた斬線。
ここを斬れと斬線が言う。
その一撃を届かせるには酷く遠い。
だが、やるのだ。
折れて、砕けて潰れた足は動かせばその度に形が変形する。
歯が折れそうになるまで歯を食いしばり、ただ前へ。
斬線を辿り、勝利へと向かう。
振るわれる大鎌を前に、自らの身体を引き絞る。
身体が切れていくのを自覚しながらアルスはただ身体を引き絞る。引き絞り、ただ引き絞る。ぎちぎちと全身の筋肉が悲鳴を上げてもただ引き絞るのだ。
伸びた斬線が敵に届いた時、アルスは剣を振るった。漆黒の軌跡を描き、刃は走る。
何の音もない。ただするりと感慨もなく剣は入った。
斬線は斬って斬れるという意思だ。辿れば全てはするりと斬れてしまう。
剣の言葉が響き、深く深く斬撃は昇って行く。
「流石だよ――」
青の瞳を斬り裂いて斬撃は空へと昇った。
空を覆う黒い雲を斬り裂いて青の空が除く。青の瞳が見た、自らの色に満足げに微笑んで死んだ。
魔装が砕け、戦いは終わりを告げた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それから数日、傷が癒えるまでアルスたちはメアの城で過ごした。
特に酷かったのはアルスとヨウヒメで魔法で治療しても元通りになるまで数日かかってしまった。
目を放すとすぐに鍛錬をしようとするアルスを止めるのが大変だったほどだ。
「うぅ、きもちわるい」
ヨウヒメの場合は、どちらかというと高濃度の魔素の方が堪えたようであるが。
「吐いちゃえば楽ですよ、ほら」
「いやです、わ、うぷ」
「あははー、いつも通りだねー」
ツァリーヌもそうだが、グッドマンは当初かなりやられていたはずなのだが、どうしてもういつも通りなのやら。
「交代した」
損傷が激しかったので交代したらしい。つくづく便利な奴だと思わないでもない。
アルスはそれを見て関係ないとばかりに先を歩く。既にこの地に用はない。メアは倒した。ならば次の場所へ向かうだけだ。
ツァリーヌ、グッドマン、ヨウヒメが勝手についてくる。
全て関心などなくアルスはただ前へと進むのだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「悲しいな」
それを城の一室からメアは見ていた。
自分以外を殺されてもはやただの一人のメアになったからこそ生きている。
片目を失い、身体の大半を失い残っているのは頭と城の中央にある魔心臓だけ。
それでも自らはマシだろう。最善と全力の結果こうなった。そこに後悔などありはしない。
「心残りと言えば、キミだよアルス」
ここで止まれば良いと思っていた。友であるツァリーヌが好いた男だから、最後の時まで長く生きていて欲しいと思った。
余計なお世話だろうが、それでもあの在り様は悲しすぎる。
「キミの旅の終わりが、せめて幸福であること願っているよ」
魔王を討伐し、寿命で死ぬか、あるいはどこかで死ぬのかはわからないが。
メアは願う。
勇者アルスの旅が、どうか幸福のまま終わることを――。
なんとか更新できました。これにて死鎌アダマス編を終了します。
次回は未定。戦闘ばかりだったのでほのぼの話を書きたいと思いますがこれも未定。
見たい話などあれば言ってもらえると嬉しいです。
ではまた次回。