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第5話 死鎌アダマス 前編

 サミュール街道を北へ行くと深い谷がある。

 とても深く広大な谷には一本だけ橋が架かっている。

 術式固定された橋だ。渡れば、そこはもはや別世界に迷い込んだとでも言わんばかりの光景が広がっている。

 まず空から青が消える。

 見えていたはずの空が見えなくなり、雲が常時覆う黒い空が姿を現す。

 次に空気が変わる。

 澄んでいた空気は、おどろおどろしく重たいものへと転じているだろう。

 その空気に当てられたのか生息する生物も植物も変容している。

 わずかに整備された街道の両脇を覆うのは茨だ。漆黒に近い緑の鋭い棘を持つ茨が辺りを覆っている。

 それはどこまでもどこまでも続いている。

 かつては街があった場所ですら茨は覆い尽くして全てを呑み込んでいた。

 ここに住んでいる生物は黒の眷属と呼ばれるものだ。

 飛翔系の蝙蝠だとか、穴倉系の蟻であるとか。その手の魔物がここには住んでいるし住めない。

 通常の魔族ですらほとんど住めない極悪環境。

 なにせ、魔素濃度が異常だ。もはやそれは猛毒と変わらない濃度。

 魔素とは大気に存在する元素の一つだ。人間でいう酸素と似たようなものであり、魔力の源とも言われてている。

 それが魔心臓を通ることにより莫大な魔力となるわけだが、並みの術者であれば術式が乱され魔法が使えないほどの濃度にまで高まった魔素は逆に毒になるのだ。

 上位魔族であろうとも酔って中毒になるレベルの濃度とくれば立ち寄る者など誰もいない。

 そのせいか至る所に毒沼が点在し、川は紫の何かが流れている。少しでも触れてしまえば死ぬ。そんな場所。

 そんな極悪環境を過ぎると、見えてくるのは城だ。

 漆黒の城。茨が絡みつき、骨で出来てるかのような不気味な城だ。

 城下町に住むのは、不死系魔族。スケルトン、ゴースト、ゾンビ。

 魔族の中でも最も異形然とした種族たちが茨で覆われた街の中で暮らしている。

 大都市ではあるが、その大半が生存不能環境というそんなありえざる都市。

「ここが、ニブレム」

 確認するように呟くと同時に視線はやはり城へと吸い込まれる。

「悪趣味だなぁ」

 グッドマンがそう呟く。

 やろうと思えばこの環境の改善すらできるというのに、あの城の城主は変質するに任せている。

 猛毒ともいえる高濃度の魔素。それはあるだけで物質を変容させる。

 これだけの高濃度ともなれば物質へ与える影響は凄まじい。

 なにせ、グッドマンが昔、ここがそれほどでもなかった頃に訪れた際は普通の城だったのが今では不気味な骸骨で出来ているかのような有様だ。

「それだけ魔素が濃いってことは魔孔でもあるんですか?」

 ツァリーヌが聞く。

 これだけの魔素を自前でそろえるのは不可能。こうなったからにはこうなる理由が存在する。

 その理由として考えられるのが魔孔。

 界の狭間への孔。魔素が噴き出す間欠泉のようなものだ。

 魔族の出身地がその先にはあるという。

 ただし、魔族自体でそのことを知っているのは数千年を生きる魔王とグッドマンくらいのものだろう。

「んー、こうなったからにはあるかもしれないねー。というか、ないとこの濃度はちょっと異常かなー。それより、ヨウちゃん、さっきから静かだけど大丈夫?」

「……うぷ、な、なんで、あなたたちは平気そう、です、の」

 えずいて口を押えてふらふらなヨウヒメ。

 完全な魔素酔い状態だった。術式で軽減することも出来ず、アルスと共にツァリーヌに術式防御してもらっているがまだ良いが抜けず気分が相当に悪そうだった。

「えー、だってぼくってば君ら中界層のミズル出身じゃなくて、下界層のヘヴル出身だよ。このぐらいの魔素だと普通くらいだよ。へヴルはもっとすごいよ。魔族でも住めないくらいだし」

 そもそも、それが原因で魔族と呼ばれる種族は、このアズルに出てきたのだ。

 話題に上ったから思い出したように頭の後ろで腕を組んでグッドマンは懐かしそうに言う。

「いやー、本当、最初は大変だったなぁー。人間にも魔素が薄すぎて良いようにやられてさー。もう残ったの魔王とぼくとその他くらいだったし。そこから魔装とか作って魔素撒いたりして、よくもまぁ、勝てたよねぇー」

 昔を懐かしむグッドマン。

 最初期の激戦の話はアカデミーでも歴史の授業で教えているのでツァリーヌも聞いている。

 魔族としてその窮地での戦いに子供の頃は憧れたような記憶が微妙に残っていた。

「それは、わかりました、わ。じゃあ、ツァリうぷ、ツァリーヌ、うぷ、は――」

「あ、えっと、不死系種族(アンデット)なので。普通の魔族よりも魔素に対する耐性が強いんですよ。そもそも、私ここ出身ですし」

「あ、そうなんだ。道理で術式に対する適性が馬鹿高いと思った。やっぱりここ出身だったんだ」

「はい、正確に言えば第二の故郷ですけど」

 リッチとしての再誕場所がここということ。

「ふーん、そうなると結構いいところのお嬢様だったんじゃないの?」

「ほえ? どうしてです?」

「いや、だってさ――っと」

 グッドマンの言葉は最後まで続かなかった。

 漆黒の羽根が降ってきたと同時に、闇が渦巻き目の前に一人の女が現れたからだ。

 白銀の髪が魔素を受けて輝き、フードの下で血をこぼしたかのような赤い瞳と空を切り取ったかのような青い瞳が妖しく輝く女だ。

 漆黒の衣装はツァリーヌのものと似ているがあれよりももっと洗練されているというべきだ。

 裾や袖がゆったりとしているが、きちんと手足を出している。

 武器を振るうに引っかかることのないように調整された袖は彼女が戦闘者であることを告げていた。

 アルスが感じたのは圧倒的な死という感覚だった。

 意識を黒く塗りつぶして同化していく死の感覚。

 アルスが言葉にはせずとも先ほどから感じていた異常なまでに濃密な死の感覚の元凶がこれだった。

「……お前か、先ほどからこちらをうかがっていたのは」

「ほう。やはり気が付くか。流石は勇者と言っておこう」

 ――何を言うか。

 あれほどわかりやすい死の気配を撒き散らしておいて、流石とは笑わせる。

 未熟なアルスでもわかる程度の気配だ。誰でも気が付けるだろう。

「お前もどうやら難儀な性格をしているようだ」

「何の用だ」

「なに、あまりにも到着が遅くてな。迎えに来たのだ。最上のもてなしをと思っても、客が遅れてしまえばそれも駄目になってしまうからな。この土地はオマエにはキツかろう」

「問題ない」

 ツァリーヌの術式防御がなくとも、問題はない。

 勇者がこの程度で倒れてはならない。

 だからこそ、ツァリーヌがいなくとも彼はここに来ただろう。猛毒を身体に受けながら気合いと根性で挑むだろう。

 それ以外に自分にはできないとアルスは知っている。

「まっこと、良いオノコのようだ。名乗ろう。「メア」と『ナイト』だ、覚えておいてくれ」

「正面から来るんだ。メアがナイトじゃなくて」

 グッドマンがそう言う。

「フフ、そうだ。このワタシがだぞ。オレ(・・)ではなく、このワタシがだ。それにオマエに言われたからな。遺憾ではあるが、こうするのもやぶさかではないと、意見が一致した。ゆえに晩餐を用意して待てていたのだ。勇者よ、我が招待を受けよ。なに、とって食おうというわけではない。最後の晩餐を共に過ごし、存分に殺し合うとしようではないか。勝つのは、オレだ――」

 妖しく輝く青の瞳がより一層輝きを増す。

「まあ、そういうわけで、食事をしよう」

 術式が起動し、転移が発動する。

 次の瞬間には、城の食堂だ。外装からは信じられないくらいまともな食堂には、既に食事が並べられている。

 上座にはメアが座り、逆に下座にはアルス。側面にツァリーヌ、ヨウヒメ、グッドマンが座る。

「さあ、食らうと良い。毒など入っていないし、最上の食材を使用している。味は、保証しよう」

「じゃ、遠慮なくー」

 まず口をつけるのはグッドマンだ。

 メアが食前酒に口をつけている間に、早々に食事に口をつけている。

「…………」

 ツァリーヌは、アルスが口をつけるのを待ち、ヨウヒメは城の中に来てようやく慣れて来たのか落ち着いてはいるが料理は食べられそうになく水を飲んでいた。

「…………」

 アルスは口をつけない。目の前の料理を見て、メアを見ている。

「どうした。食べないのか? 腹は減っていないか? それとも魔族が作ったものは食えぬか? 人間にも食べられるものを選んだつもりだが」

「俺は食事に来たのではない」

「ああ、そうだろうとも。オマエは殺し合いに来たのだ。だが、それでは味気ないだろう。共に語り合い、共に食事をして、共に殺し合う。それでこそワタシかオマエの最期に彩りを与えてくれる。ただ殺し合い、死ぬのでは味気ないだろう。だから、まずは食え。殺し合いは、その後。いや、語らいのあとだ」

「…………」

「オマエは勇者である前は騎士団長であったはず。その時にもさまざまなしがらみがあっただろう。面倒もあったはずだ。これもその一つと数えれば良い。なにより我が友ツァリーヌが男を連れてきたのだ。どのような者か話してみたいと思うのは当然だろう」

 ――何を考えている。

 アルスにはメアの考えていることがわからない。

 ただ殺し合うだけの関係で、食事に語り合い。それが何になるというのだ。

 死ぬ者に彩りなどいらないだろう。ただ死ぬ。それだけだ。そこに何も高尚なものなど必要ない。

 そも、何もできずに人間を絶滅に追い込んだ勇者などに彩りを与えてどうするというのだ。アルスは思う。

「死ねば終わりだ。無だ。漆黒だ。そこには何もない。ゆえに、死者には彩りを添えねばならない」

「そうか」

 アルスにはわからぬ概念だ。

「だが、お前の流儀には倣うとしよう」

 それでも流儀には倣おう。

 ようやくアルスは食事に口をつけた。

 笑顔を見せるメア。無機質なそれではあるが、彼女の本心からの笑みだろう。

「よかった。味はどうだ?」

「美味だ」

 そっけない一言であるが、無駄はいらないという彼らしい言葉でもある。

 どの料理も下拵えからしっかりと行われており、どれもこれも美味だ。最上の味であると言える。

 このような料理は王侯貴族のパーティーでも味わったことはない。

 しかも、どのようにこちらの好みを知ったのかは知らないが、味付けは好みのそれだ。

 濃すぎず、味されどしっかりと薄みの味が感じられる懐かしい味付けだった。

「ワタシの手足はそこら中にあるのでね」

 その答えは相手から提示される。

「なるほど」

 つまりは、間諜の類をそこら中に放っているということだ。

「君ってばまだあきらめてないんだ」

 それを聞いたグッドマンがそう言う。

「諦める? 魔族にとって辞書にない言葉を用るなグッドマン。魔族が諦めることがないことをお前自身が一番知っているであろう」

 魔族は諦めない。納得するまでどこまでも進む。それが魔族だ。

 たった一度で納得し満足する魔族もいれば、彼女のように数百年も諦めない魔族もいる。

「王の座、まだ狙ってたんだ」

「当たり前だ。狙わずして何が魔族だ。ワタシの事はどうでもいい。そんなことよりアルス、キミの事が知りたい。話してもらえるかな?」

「話すことはない」

「ふむ、それもまたキミという存在か。では、なぜ魔王様を倒そうとする。キミがそうする理由はとうにないというのに」

「勇者だからだ」

 勇者であるなら魔王を倒せ。

 必ず魔王を倒してくださいね勇者様。

 王の言葉も姫の言葉も。

 今もまだ、生き続けている。

「だから魔王を倒す」

 ただそれだけだ。

 勇者であるから魔王を倒す。

 ゆえに、アルスは旅をしている。

 老いた身体を魔王の下へと進めている。

 贖罪であり、未熟な己が唯一出来ることだ。

 ならばやるだけである。

「そのために、お前を斬りに来た」

「……では、その後は? 魔王様を首尾よく倒せたとしてその後、オマエはどうする」

「死ぬだろう」

 ――既に、この身は朽ちかけている。

 アルスは自らの寿命を悟ったからこそ秘境を出たのだ。

 剣の理に至れず、魔王を倒せる力がないというのに秘境を出たのだ。

 だが、勇者としての役割も果たせず死ぬことなど許されるはずがない。

 だからこそ、アルスは旅立った。

「そうか。オマエは、死にたいのだな」

 勇者として死ねなかった。

 仲間と共に死ねなかった。

 そんな自分が嫌いなのだろう。

 それ以上に、何もできずに朽ちるのが嫌なのだろう。

「だから、オマエは魔王様を倒しに来た」

 死ぬために。

 剣の理に至れず、魔王を倒す力がないと言いながらも秘境を出たのだ。

 魔王を倒す旅に出たという免罪符を手に入れるために。

「そうかもしれん」

 アルスはそれを否定しない。

 否定できる言葉も持たない。

 だから否定しない。

 そして、そのような言葉を受けようとも心に波風など立ちはしない。

 そんなことは先刻承知。

 自らのひずみも歪みも全て知っている。

 だからどうした。そんなものは捨てた。

 それでも己は勇者であるのだ。

 勇者であるならば、例え何があろうとも魔王を倒さなければならない。

 その決意に揺らぎなどあるはずがないのだ。

 未熟で非才な己は、それ以外の全てを捨てねば万に一つの勝ち目もないのだから。

「ふむ、揺らがんか」

「俺は勇者だ。何であろうと、何があろうとも揺るがん。魔王を倒すそれだけだ」

「ここで揺らいでくれるのであれば、楽であったが中々どうして。うまくはいかんものよな」

 そう既にこの場は戦場である。

 相手と相対したその瞬間から勝負は始まる。

 肉体をぶつけ、武をぶつけるだが戦いではない。

 舌戦も、諜報戦も、情報戦もまた等しく戦である。

 この歓待もまた彼女が打った一手。

 勇者アルスを倒すというそのための一手。

 倒すということは何も命を奪う事ではないのだ。

 正面から戦う。

 彼女はそう言った。

 だからこの場を設けた。

 舌戦、諜報戦。

 そう言った机上での戦いを挑み。

「通用せぬ、であるか」

 その戦いは相手が舞台に上がることすらしなかった。

「やれやれ、まったく。ワタシも堕ちたものよな」

「いやー、君は十分だと思うけどね」

「そう、ですわね。あの人がそういうことにまったく関心がないだけで」

 いわば武に己の全てを掲げているのだ。

 それ以外にはまったく振っていない。全力で武に邁進した結果が勇者アルスという存在だ。

「そういうところが良いんですよね」

 ツァリーヌが頬を染めながら言う。

 その光景を見てメアは肩を下げる。

「やれやれ。命を取らないで済むのならそれで良かったのであるがな。友の大事な夫になる男。であるなら、殺さずにいられればよかったのだがな」

 命は大切だ。取らないで済むのであればそれに越したことはない。

 だからこそ、メアは情報戦を、諜報戦を、舌戦を、弁論を、論争を好む。

 血で血を洗う戦を否定はせぬが、相手が死んでは楽しみは一度だけだ。

 相手が生きていれば何度でも戦える。

 魔族というのはどうしようもなく手加減が出来ぬ生き物だ。だからこそ、武で以て戦えばどちらかが死ぬことになる。

 例外は正妻と妾の戦くらい。互いを認める為の戦だけだ。

 だが、アルスにそれは通用しない。彼にあるのは斬るか斬られるかのみ。

 それ以外の選択肢などないのだ。全てを捨てているから。

「よかろう。もとよりそれ以外にないことはわかりきっていた。食事も終わり、語らいも終わり。ならばあとは殺し合うしかあるまい」

 メアが指を鳴らす。

 戦場へと移動した。そこは、魔素濃度が通常通りの平原だった。メアとアルスたちは離れて相対する。

 その間には骸骨の軍隊がいた。

「さあ、ならば殺し合いをしよう。ワタシはワタシの流儀で相手をさせてもらう」

 なぜならば、メアは王だから。

「進軍せよ。蹂躙し、勇者の首をワタシの前に晒すが良い!」

 からからとスケルトンの鬨の声が響き渡る。

「うわー、本気だわー。全軍もってくるとか、本気過ぎでしょ」

「四千ですわね。彼女が持つ私兵の総軍ですわね」

「私たちも頭数に入ってますよね」

「良し、んじゃーノルマは一人一千ずつね。それでいい?」

「斬るだけだ」

 どれほどの大軍であろうとも、全員斬ってしまえば関係ない。

 アルスは剣を抜いた。近づいてきた者から順に斬って行く。

 放たれる矢の雨を急所に当たる以外を斬ってその身に受けながら彼は前進していく。立ちふさがる全てを斬ってメアを殺すと言っている。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「さぁーってと、んじゃぁ、行きますかー」

 グッドマンは魔装を展開する。

 先ほどまで魔素が濃い場所にいたために魔力は十分。むしろ調子がいい。

 放たれる矢の雨。スケルトンの軍隊であるため、仲間の矢を気にする必要がない。それが不死種系魔族軍の戦い方。

 同士討ちを気にしない敵というのは恐ろしいという言葉では足りないだろう。

 だが、グッドマンは引かない。

 拳を握り降ってくる矢や術式を全て殴り消していく。

 口角をあげて槍を躱し拳を叩き込みスケルトンを砕く。

「ああ、良いね、良いね!」

 久しぶりの戦。アルスとの戦いほどではないが高揚する。

 打突術式を展開し、両の拳を握り構える。

 姿勢を低く相手の懐へと飛び込んで打撃をお見舞いしてやる。

 スケルトンには打撃が良く効く。骨粉が舞う。

 突きだされる槍をステップで躱しカウンターを叩き込む。

「せーの!」

 飛んで地面へと叩き付けた拳。

 打突術式の術式陣が回転し収束と同時に打撃の威力は大地へと伝播し隆起させる。

 隆起した大地の牙に引き裂かれるように軍勢が呑みこまれていく。

 要所要所で発動する熟練の身体強化、身体加速、打撃貫通、衝撃波伝播。

 煌めく緑色の魔力光の軌跡が走れば、一つの部隊が壊滅している。

 これがグッドマン。かつて単騎で人類総軍と渡り合った魔族の実力である――。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 超広範囲に広がった戦域をグッドマンは縦横無尽に駆け回る。その小柄な体躯と凄まじいまでの膂力は小回りの利く戦車と言っていい。

 彼が腕を振るえばそれだけで部隊が吹き飛んで行くのだ。軽い竜巻と言ってもいいかもしれない。

 ――まったくいつの時代だ。

「だからワタシはオマエが嫌いなんだよ、グッドマン」

 単騎駆け実に結構であるが、時と場合。それから被害の規模を考えろと常々言っているのに誰も聞かない。

 昔からそうだ。誰も彼もがヒャッハーしたくて我彼さきに自分の部下をほっぽって突っ込んでいく。

 ――だから、ワタシが苦労するんだ。

 その後始末をメアなどの理性的な奴らがやる羽目になる。その苦労は並大抵のものではなかった。総大将が前線でヒャッハーするのだ。

 被害を考えて、負傷した際の対処。間違って戦死した際の対応なんかを考えさせられていがきりきりする思いだったのをメアは覚えている。

 魔族は基本的に言ってしまえば脳筋だ。とにかく突っ込んで後先など考えない。

 その事後処理を誰がするのか。誰もしないからメアがしていた。そのため今もそんな立場だ。

 十将軍の中でも比較的理性的で、後方支援とかその手のことができる女。魔族の中でも比較的脳筋度の薄い魔族の屑にして臆病者。

 そんなことを言われ続ける立場だったはずが、いないと困るからといわれた時は喜んでいいのか泣いていいのかわからなかったほどだ。

「大変なんだぞ、まったく」

 そう呟きながらメアは軍を動かす。

「さて、まずはそのちょこまかと動くのをやめてもらおう」

 グッドマンを止めるのであればまずはその足をどうにかする必要がある。彼の戦闘スタイルも足が要。

 左陣。グッドマンが戦う戦場にて術式光が切らめく。

「わわっと――」

 グッドマンが踏もうとした地面が急激に粘性を強める。それは泥土となる。

「さて、それでは満足に踏み込めまい」

 まず一手――。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「やってくれるなー」

 グッドマンは、ゆるゆるになった地面を踏みながらつぶやく。

 少しでも力を込めて踏み込めば途端に沈み込む。走ろうとするだけで足がとられ打撃を放とうとすれば沈み込んでしまう。

 グッドマンなどの高速機動近接打撃戦闘を得手とする者にとって足、足場というのは非常に重要だ。

 なにせ走るという移動行為は、地面を蹴ること。速く走る為にはそれだけ強く地面を蹴る必要がある。一種の反作用を利用するのだ。

 その反作用を大きくするには強く蹴ることも肝要であるが、地面の硬さもまた重要である。

 たとえば、良く舗装された硬い地面で走るのと、泥の地面で走るのはどちらが走りやすく、速く走れるだろうか。

 答えは当然前者であろう。

 歩く、走るという移動行為は地面を蹴った際に生じる反作用を利用することで加速を生み出し前へ進む。

 地面が硬ければそれだけ強い反作用が生じそれを前へ進む力に変えることができる。

 だが、地面が柔らかければ反作用は弱くなるし滑ることによって力が逃げる。

 つまり速く走れないということだ。

 更に、

「ああ、打ち難い」

 打った打撃に威力が乗らずスケルトンが砕けない。

 強い打撃を打つには足場が肝要だ。移動と同じで、殴りつけるという行為を行えばそこにも必ず反作用が生まれる。

 足場がしっかりしていればそれをこらえて強く相手に打撃の威力を与えることができるわけだ。

 しかし、その足場が今は弱い。泥土。柔らかく滑りやすい。

 ご丁寧に膝までつかりそうな程に盛られている。

 それでいて相手は、その泥土をものともしない。

 スケルトンは軽い。それに加えて、足に加工がしてある。それによって泥土を通常の地面と同じように踏めるようにしている。

「ああしまったな。こういうことならその手の術式、くんどきゃ良かった」

 近接系の魔族は戦闘中に術式を組み上げるなんて荒業は出来ない。高速移動しながら壊れやすい術式を組むなど不可能だからだ。

 だからこそ、最初にある程度の術式を組んでおく。

 グッドマンならば身体強化、身体加速、打撃貫通、衝撃波伝播。

「神滅魔装なら関係ないけど」

 高揚が足りない。アルスとの戦いという最上級の高揚を感じてしまった為に、この程度では高揚しない。魔心臓は通常通り、多少は跳ねるが、神滅魔装を出せるほどの魔力は生み出せないのだ。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「だが、そんな状況でもオマエは戦うだろう」

 スケルトンの部隊は盛況であるし死も恐れない。同士討ちも関係なく攻められるがグッドマン相手には荷が重い。

 悪い足場であっても、時折大気を足場にしながら打撃を放ち的確に砕いてくる。速度は落ちても損害は増えていく。

「流石はグッドマン。けどな。グッドマン。それでも、オマエは負ける」

 なぜならば、

「こちらの軍はな、オマエという相手にとても高揚しているのだからな」

 次なる一手。

「行け、オマエの望む展開だ。伝説に挑んでくるが良い」

 グッドマンに向かうのは筋骨隆々の男だった。仮面をつけた男は、ただ無言で拳を握っている。

 そして、莫大な魔力がはじけた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 グッドマンの前に現れたのは仮面をつけた筋骨隆々の怪物のような男ラシャール。千人長であり、一軍を預かる将兵。

 左陣を預かる最強の武者が今、グッドマンへと挑む声を上げる。

「グッドマン殿。あなたと戦えることに敬意を払いましょう。我が全霊を受けていただきたい」

 伝説と戦える。既に意気高揚。

 魔力を発生させる魔心臓は、何よりも強く鼓動している。

 伝説を目の前にして更に高揚は高まり。魔心臓は高揚に合わせて速く、速く鼓動を刻んでいる。 

 生成される魔力は既に、通常時の数十倍以上。

 仮面と肉体を包む衣装の魔装は既に展開されている。ならばこそ、此れより先は決まっていた。

「――来たれ神滅魔装ラグナロク、我が鎧パライストラ!! 我が心を燃焼させ、我が魔装は駆動する――!!」

 かつての戦乱においても最終局面においてのみ使用された真なる魔の武装がその姿を現す。

 これより先は神滅巨人闘争ティタノマキア

 超常の力が彼方の空より現出する。これが魔族が畏れられ、この大地を制覇するに至った理由。上位魔族しか扱えぬ魔装の次なる段階。

 数十メートル、あるいは数百メートルにも及ぶ超巨大武装。

 それは、超巨大な鎧だ。大地を、世界を抉り潰さんとばかりに巨大な得物が現出する。

 如何な上位魔族であろうとも、これを戦いの場で出すことなど稀だ。そこまで魔心臓は加熱せず、意気は燃焼しない。

 だが、この場においての相手は十将軍グッドマン。強敵だった。

 同じ武人として何度も戦うことを夢見た相手と戦える。滾ったのだ。

 血沸き肉躍る戦い。これこそが、魔族としての本能。神々に挑み、全てを崩壊させる黄昏の種族の在り方。

 伝説を今こそ天墜させる。そのために、ラシャールは全霊を持って挑む。

 拳を握ったラシャールをそのまま巨大にしたかのような武者巨人がグッドマンの前に現出する。

「おいおい、本気過ぎでしょ」

 流石のグッドマンもいつもの余裕を保つわけにはいかなかった。

「こっちは出せないってのにさあ!」

 アルスとの戦いが甘美すぎた。究極過ぎた。神滅魔装を正面から挑むその姿を見たあの高揚に勝る高揚などありはしない。

 ゆえに、この程度では高揚しない。

 窮地、不可能の壁。それらを前にして燃える魔族。

 確かにグッドマンは燃えている。

 だが、閾値が高くなってしまっているのだ。アルスとの戦いを経て神滅魔装を出すまでに至る魔力を生み出す為の閾値が非常に高くなっている。

 ある程度までならば上がった。だが、まだ足りない。

 これが神滅魔装が戦いの場で出されることのない理由だ。

「参る――」

 そして、だからといって相手が待つはずもない。

 相手に全力でかかる。卑怯と誰が言うだろうか。その全力の輝きはとても美しいのだから。

 振るわれるパライストラの剛腕。天上からふるい落とされる拳は超巨大。

 大気との摩擦で赤熱し、暴風の刃と共にグッドマンへと一瞬にして到達する。

「ぐ――――」

 躱すことは不可能。巨大すぎる拳を躱すには一瞬にして戦場の外へと移動するだけの機動力がいる。

 そして、その機動力を生み出すには足場が不可欠。泥土の足場では足りない。

 ゆえに躱すことなどできずグッドマンへと赤熱した拳が振り下ろされた。

 腰を落として両の手を掲げて受ける体勢。しかし、滑り片膝をついて耐える。

「ぐ――」

 腕が粉々に砕けそうだった。いや、それどころか全身が砕けるだろう。術式による防御、魔装による強化。どれか一つでもなくなればグッドマンは砕け散る。

 だというのに、グッドマンは笑っていた。口角をあげて心底楽しそうに笑みを作っていた。

 窮地こそ望む。

 魔族の本能が叫ぶのだ。窮地、窮地、窮地! この窮地が楽しいと叫ぶのだ。

「ガ――」

 無論、受けただけでは戦闘は止まらない。相手には二つの拳があるのだからもう一つの拳がグッドマンへ直撃する。

 吹き飛ぶグッドマン。防いだ左腕が引き千切れ砕け散った。

 それでもパライストラの止まらない。寧ろ、その速度が上がりパライストラの両の手が赤熱して竜巻が巻き起こり衝撃波で大地が抉れ、熱で蒸発する。

 踏み込みだけでありとあらゆるものがひっくり返るほどの衝撃を発しながら拳打は繋がる。

 接続された拳打がまた次の拳打を呼び、繋がる、繋がる、繋がる!

 止まらない。パライストラの拳打が止まらない。止まらず加速を続ける。

「高揚する。滾るぞ! 偉大なりし(グレート)グッドマン。我が魔力は噴出し、我が技は接続され、我が拳は加速する――!」

 魔力の奔流と共に技が放たれパライストラの拳は加速する。

 何よりも早く。摩擦により赤熱し輝くパライストラの拳。

 輝く拳。それこそが、ラシャールの銘。

 メア軍四将軍の一人、輝く拳のラシャールの高速の拳がグッドマンの伝説を喰らう。

「我が輝く拳にて、お前の伝説はここで終わるのだ――!」

「まだ、だよ――」

 接続される拳の一撃のわずかな隙間。グッドマンの声が響く。

 騒がしい戦場。超高速の拳打による暴風により声など届かないはずが、その声は異様にラシャールの耳へと届いた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 瀕死。窮地。腕は吹き飛び、脚は片方どっかいった。胴体の何割かなくなっているし、頭など半分くらいの大きさになってしまっている。

 そんな絶体絶命の高揚ピンチの中で、グッドマンの魔力を発生させる魔心臓は、強く速くその鼓動を刻むに至る。 

 生成される魔力はついに通常時の数十倍以上へと至った。

 これより真実、真なる闘争(ラグナロク)が始まる。

 わずかに残った声帯機能が闘争の開始を告げる。

「――来たれ神滅魔装ラグナロク、我が半身ポリュデウケース!! 我が心を燃焼させ、我が魔装は駆動する――!!」

 彼の真なる魔の武装がその姿を現す。

 超常の力が彼方の空より数十メートルの人型が現出する。全てを打ち崩す拳打(グッドマン)の形が今ここに出現した。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「神滅魔装を出したか」

 メアは盤面に置いた駒の1つを倒す。それが示す駒はラシャール。

「まずは一手、これで終わりだ」

 ラシャールは強い。だが、あの状態のグッドマンを良く知るメアは、冷徹に盤面の終了を決定する。

「左陣は終わり。次は、左第二陣」

 終わった盤面はもう見ない。

 ゆえに次の盤面へとメアは駒を進める。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ポリュデウケースが拳を握る。

 揺らめく緑の燐光を放ちながら、パライストラと拳打を合わせる。

 赤熱する互いの拳。超常の術式が駆動しその威力に大地が引き裂け、山が崩れ落ち川が蒸発する。

 接続する高速の輝く拳と燐光を放ち一撃一撃の威力が際限なく上がる拳。

 互いに互いの意地をかけて拳を振るう。

 一秒ごとに神滅魔装は原型を残さないほどに損壊していく。左腕がもげる。頭部が吹き飛ぶ。足が半分に割れた。

 だが、それでも彼らは拳を振るう。

「これで、最後!」

「応――」

 そして、ポリュデウケースの拳がパライストラを貫いた。

 互いの魔装が砕け、あとに残ったのは潰れた肉塊とボロボロのグッドマン。

「はー、アルスってこんな無茶してたのね。本当、頭おかしいわ」

 ――それは自分にも言えることか。

「でもま、楽しかったなー」

 神滅魔装の戦いによって引き千切れた雲間に広がる青空を見ながらグッドマンは楽しそうに笑った。


鎌編。予想外に長くなったので前中後編にわけることにしました。

チーム戦とか言いながらチーム戦にならなかったですけど軍団戦にはなりました。


彼女は将軍の中でも結構特殊なタイプです。死霊系ですけど、ヒャッハー脳筋が多い魔族で珍しく後方支援とか頭使えるタイプ。

その分苦労が多い苦労人なのですが。


次はヨウヒメとツァリーヌのターン。

ではまた次回。

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