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第2.5話 出会い

 ――一目惚れした。

 ツァリーヌは、一目惚れした。

 正直な話、自分は一目惚れなど信じていなかったし、自分は性格上一目惚れではなく堅実に誰かを好きになるのだろうと思っていた。

 いや、実はそれどころか自分が恋愛するとか、誰かを好きになるなんて考えもしていなかった。魔法一筋で延々と生き続けるのだろうと思っていた。

 だと言うのに、胸が高揚する。魔心臓が跳ねる。魔力がたぎる。あふれ出る感情が、ただただ熱をもって心の中を吹き荒れる。

 湧き上がる意気の高揚に、全身が紅潮する。あまりの高揚に息苦しく、平静なはずが息が荒くなった。

 それは、苦しくもあり、同時に幸福も感じる。

 目の前に立つ御仁。それは綺麗な骨格をしていた。

 鍛え上げられた全身の筋肉を過不足なく支えて連動させるべき骨子には、ひずみも乱れも不揃いなこともない。

 全てが綺麗に整って、何よりも美しい。

 多くのつぎはぎが見て取れる。それは彼が過ごした年月の重さを物語る。

 決して軽いわけではなく、重い。何よりも重く、中身が詰まっている。

「おい娘、大丈夫か」

 ――ああ、低い声が骨に響く。

 低く、それでいて冷ややかで鋭い剣のような声が骨の髄にまで響くよう。

 それが耳に心地よく、鼓膜を揺らし脳にとろけるように染み込んでいく。

 それだけでくらくらと、視界が揺れる。

 体温が上がる。熱い。

「はあ……はぁ」

 吐息が熱い。ただ一息、吐くたびに自分の熱を自覚する。

 冷たく冷えた、身体に熱が通う。

 ――身体が、熱い。

 胸の奥底で心がうずく。

 一目で惚れた。

 その姿を見た瞬間から、魔心臓は高鳴りを止めない。

 高鳴る魔心臓は今も莫大な魔力を生み出し続けている。

「あ、あぁ」

 これが恋というものなのか。

 生まれて初めて理解する感情に、心が、身体が震える。

「おい、娘」

 声を聴くたびに、

「しっかりするのだ」

 身体に、ごつごつとした手が触れるたびに、魔心臓が跳ねる。心が、幸福を感じる。

 全身を快楽が襲う。相手の一挙手一投足に身体が反応して、熱を帯びる。

「あぁ」

 これが恋。

 生まれて初めて感じた感覚は、甘酸っぱいというには程遠く。ただただ灼熱のような劫火が身を焦がすよう。

 しかし、それは苦痛というほどではなく。

 ――とても気持ちがよく、幸福すら感じるもので。

 うるんだ瞳が、上気した頬が、愛を物語る。

「おい、しっかりするのだ」

「は、ぃ」

 辛うじて、絞り出した言葉。

 それすらももはや苦しくてただただ幸福で。

 気が狂いそうになるほどの法悦が襲う。

「大丈夫か」

「は、いぃ……」

 尻すぼみでしか答えられない憐れな女をどうかお許しください。気にしなくてよいのです。私は大丈夫ですから。

 そう言葉にできればどんなに良いだろう。

 心配もそうだが、迷惑もかけたくない。

 けれど、このままの態勢がとても心地が良くて、ずっとこのままがいいとツァリーヌは思ってしまう。

「立てるか、歩けるか。何があった」

 矢継ぎ早な質問。

 答えないのも悪いと思い、

「すこ、し、気分が悪く」

 そう答える。

 倒れていたのは間違いではない。少しだけ、ついつい研究に没頭しすぎた時に、人間がいるという知らせを聞いて、いても経ってもいられず飛び出して、その結果落下して倒れていた。

 如何に強靭な魔族でも、睡眠と食事はとらねばならない。かつての人間よりも遥かにもつとはいえど二ヶ月はやりすぎた。

 だが、それもこんな幸運に繋がるのなら悪くない。駄目なのに、そう思ってしまうのをやめることができない。

 知人に恋は理屈じゃないのと言われていたが、本当だった。体験して初めてわかる。

 馬鹿にした知人には謝らないといけないだろう。

 いや、謝らなくてもいいか。あまり謝りたいと思う相手ではない。

 ただ、もう少し色々と聞いておけばよかったと思わないでもない。思いを伝える方法だとか。自分を良く見せる方法だとか。

 そう考えると、今の自分の格好が酷くみすぼらしく感じられる。

 お洒落っけのない黒いローブ。長年着ているから裾の方はだいぶぼろぼろ。

 ――ううん、問題は中身。

 そう知人の言葉を思い出し、服の中身はどうだろうかと考える。

 研究ばかりでろくに風呂にも入っていない身体。ろくに手入れもされていないぼさぼさで癖もつよい髪。どう考えても人に見せられるものではない。

 ――で、でも、肉感的だし。

 胸はそれなりにある方だと自負している。一応、そのあたりは気を使っているので垂れていないはずである。

 運動はしていないが、あまり食事をしない方なので腰も細い。もとより、あまり体型は変わる方ではないので心配はいらない。

 客観的に視れば十分に人間の男受けする身体だと思われる。外見だけは人間に近いのもあるため、その点は大丈夫だろう。

 ただそれ以外の要素がマイナス過ぎる。ばっちい女だと思われないだろうか。流石にあか塗れというわけではないが、それなりに臭いのではないか。

 そんな風に心配していると、

「気分が悪い。そうか。ならば、しばし我慢せよ」

「え、ぁっ」

 突然、抱え上げられる。彼の体温を間近に感じて、胸がとくんといっそう高鳴る。聞かれてしまったと心配するほどに大きく高鳴る胸の鼓動を止められない。

 彼は気が付いた様子はなく、そのままお姫様のように抱き上げられて、街道を外れて道沿いに立つ木々の影へと連れて行かれる。

 彼が歩くたびに振動が彼の骨を伝って、ツァリーヌの骨にも伝わる。それはほんの少しの衝撃だというのに、それは爆裂魔法のような衝撃をツァリーヌに与えた。

 背中に回された手と、膝に通された腕の感覚が直接骨を揺らす。

「っぁ――」

 頭の中を電流が走って、真っ白になる。

 何も考えられない。彼の全てを全身に感じて、ただただ幸福だけを脳が出力する。

 抱えられて運ばれるだけでこれ。なら、これより先は? そう思うだけでもうだめだ。

 顔がよりいっそう赤くなることを止められない。朱ではなく、紅と言ってもいいかもしれないほどに真っ白だった頬は赤くなる。

 もっとこのままが良い。ずっとこのまま運ばれていたい。皮膚を越えて、肉を越えての骨のふれあいがただただ気持ちが良いのだ。

「ここで良いか」

「……ぁ……」

 しかし、そんな時間はいつまでも続かない。木の根もとについてしまった。木の根もとに降ろされてしまう。

 思わず切なげな声を出してしまった。はしたないと思われなかっただろうか。

 ちらりと彼をうかがうと、彼は特に気にした様子はなく自然な動作で隣に座る。そして、

「ぅぁぁ…………」

 そっとツァリーヌの肩を抱き寄せるように引き寄せて、胡坐を組んだその脚に頭を乗せさせた。

 ――なんだこれ、なんだこれなんだこれ!!

 俗に言う膝枕という奴の亜種だろうか。なんというかツァリーヌは知らないが、今自分の頭は、一目惚れした彼の脚の上にあるということは事実だ。

 あまりのことにもっと顔は赤くなって、耳まできっと赤くなっているに違いない。思わず身体を丸めて手を前に持って組んでしまう。

「あ、あの」

「気にするな。休め。枕代わりと思うが良い」

 ――無理、無理無理、無理ぃ!!

 これで休めるわけがないと理性は叫び、本能はただただ幸福に荒れ狂う。

 ――もう死んでいいかも。

 この身は既に死んでいて、死することのない不死の身(アンデット)。浄化されるか、自らの楔を解かぬ限りは死ぬことのない者が死んでいいとすら思うほどの幸福。

「眠れぬか。ふむ……」

 そして、声が響く。

 思い出すようにたどたどしくあれど、それは子守唄。人間が子供に歌うという子守唄の類。

 ゆったりとした曲調で、音程が外れているのは彼が苦手だからだろう。

 くすりと、笑うくらいには落ち着くことが出来た。

 すると、途端に眠気がやってくる。子守唄の効果かもしれない。

 いつもであればそのまま寝るなんてことはしない。寝なくても良い身体であるし、何より研究したいから。

 けれど、今だけは良いのかもしれない。そう思って、久方ぶりに感じた眠気に身を任せる。

 熱い鼓動は今も胸にあって全身をめぐる。幸福だった。

 だから、もう一つ。これだけは言いたくて、もしくは聞いてみたくて。

「おや、すみ、なさい……」

 そう言葉にする。

「――ああ、おやすみ」

 人間が口にする就寝のあいさつ。魔族にはない言葉だ。特に不死種からすれば。

 それでも使った。それに対して返答があったことに心から感謝して、目を閉じる。

 暗闇。慣れ親しんだものとは違う温かな暗闇が広がって、まるでとけるように闇へと落ちていく。

 それは恐怖を感じるものでは全然なく、ただ聞こえる歌声だけがずっとずっと響いている温かな暗闇だった――。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「眠ったか」

 自らの足を枕に眠る若い女を見てアルスは特に何か思うことはなかった。

 茶色の髪はぼさぼさであるが肉感的であるし何より美しい娘ではある。男として思わないことがないわけではない。

 だが、倒れていた女に何かするほど落ちぶれてはいない。そもそもこの女もまた魔族なのだから何かしようという気も特にはない。

 ゆえに、考えることは、

 ――勝利について。

 ――人間について。

 勝利とは、この魔族の世界において全てにおいて優先されるもの。

 ならばその逆、敗北とは何か。それは何もない。無だ。

 勝てば全てを手に入れるし、負ければ全てを失う。

 だからこそ、誰もが勝利しようとする。負けたくないと誰もが思う。そして、負ければ潔く全てを失う。それが魔族の理。いや、世界の理。

 人間は負けた。だからこそ、絶滅した。至極当然であるが、本当に人間はいないのだなと、人間に似た女を見ながらアルスは思考する。

 サルファー、カルナルスを打倒したあと完全に傷を治すまでは、カルナルスの部下や街の住人達が世話を受けた。

 歓待が今以上になるという意味をアルスはようやくその時に理解した。

 魔族は勝者に従う。勝者こそが全てであり敬うべき尊いものである。カルナルスほどの実力者に勝てば、その下にいた者は全員がアルスに従うということ。

 それについてはどうでもよかったが、とりあえず人間について調べさせた。滅びがどうであったのかを知るために。

 そして、知った。

「負けたのだなぁ」

 負けた。負けた。負けた。

 完膚なきまでの敗北。言い訳すらない。

 全ての軍が倒されて、かつての仲間が全員死んで。もはや戦うだけの戦力もなくなって。

 それでも何とか戦おうとして、女子供も戦場にたち、そして死んでいったのだ。当然の結果として滅んだ。

 勇者がいればマシだっただろうか。

「それはないか」

 アルスは断言する。そんな結果はなかったと。

 たとえ、数年。他の仲間たちと一緒に修業から戻ったとして、今よりも遥かに未熟な己に何が出来たであろうか。

 何もできるはずがない。何もできず死ぬだけだ。

「それならば、良かったのかもしれんなぁ」

 今の自分はどうだ。何もできずに死ぬことすらできず、何もかもが終わった後に動き出した馬鹿者だ。弱く哀れで非才な未熟。

「まったくもって擁護できぬではないか」

 力がないから敵も神滅魔装(ラグナロク)も一刀両断出来ない。速度がないから、一瞬のうちに敵を斬り捨てられない。

 勇者は希望だ。敵を一撃で屠れない勇者など勇者ではないだろう。

 滅ぶべくして滅んだとは言わない。己が弱いから、未熟だから、才能がなかったから。こんな奴が勇者に選ばれてしまったから。

 全ては己が悪いのだとアルスは断言する。

 勇者を決める武闘大会で、運よく相手に恵まれたに過ぎない。それか未熟者だからと手加減されたのかもしれない。

 その隙をついて勝ったに過ぎない。そうでなければ、非才で未熟な己が勝てるはずがないとアルスは思う。

 それでも背負った期待に応えるべく、修業に明け暮れた。世界を救うために救うためにとただただ毎日秘境で剣を振るい、友たちと戦い続けた。

 その間に、人間は滅んでしまった。そのことにすら気が付けずに。

「なんとも阿呆なことだ」

 未熟な上に阿呆であるとは。まったくこの身は度し難いとアルスは思う。

「それでも、魔王を倒す」

 せめて、最後の人間として勇者として仕事をしなければならないだろう。そのために今まで生きてきたのだから。

 意志を固めるかのように拳を握り込む。

「ん……んん」

 ふと眠っている女が声を上げた。

「おっと」

 起こしてしまうのも忍びない。もう少しだけ眠らせることにしよう。

 穏やかな陽気が木漏れ日となっている。小鳥の声は澄んでいて、眠るには良い陽気だ。

 風が木々を揺らし、子守唄のように音が鳴る。

「ふむ、少し眠るとするか」

 気分が悪い女が起きるまで手持無沙汰だ。下手に動くことも出来ぬ以上自分も眠るのが良いだろう。

 何かが近くに来ても問題なく応戦できるように剣は常に手元においてアルスも目を閉じる。

 誰かを感じながら目を閉じたのはいつぶりであろうか、そんなことを思いながら。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ツァリーヌが目を覚ますと、すっかりと辺りは暗くなっていた。

 どのくらい眠ったのか。それはもう一杯眠ったらしい。

「起きたか」

「あっ、あ、あっ! え、えっと、す、すみません!!」

 男の声に自分がどういう状況であったのかを思い出してすぐに身体を起こす。

 膝枕に対して未練がなかったわけではないが、流石にこれ以上は迷惑女であろう。今の時点でも相当な迷惑女だ。

「良い。気分はどうだ娘」

「あ、えっと、はい、おかげさまで」

 調子は良いどころではない。絶好調だ。魔力は滾り、過去最高と言ってよいほど気分は高揚している。

 魔族にとっての体調は魔力に左右されると言っても過言ではなく、魔力が充実している今の状態は、まさに絶好調。

「それならば良い。さて、すっかり暗くなってしまった。火を起こさねばな」

「あ、それなら私が」

 立ち上がろうとした彼を制し、ツァリーヌは手ごろな枝などを集めてくる。そして集めたそれに手をかざし、呪文を唱えた。

 簡単な呪文。この身に充実した魔力を小指の先の爪ほども使わずに火を起こす。

 ボゥという音とともに明るく温かな火が灯る。

「ほう、魔法というのはやはり便利であるなぁ」

「そうですね。魔族の今の生活は魔法が使えなければ成り立ちませんから」

 自然に会話できることにツァリーヌは神様に感謝する。

 相変わらず魔心臓は早鐘を打っているし、顔も変わらず赤いのだろう。それでもなんとか上ずらずに会話できた。

 それに内心でガッツポーズを取りながら、自然を心掛けながら自己紹介をする。

「私はツァリーヌ。介抱していただきありがとうございます」

「私はアルスだ」

「はい、存じています」

 勇者アルス。サルファーとカルナルスを破った男。その噂はもう世界中に広まっている。

 十人将軍のうち二人も破ったとあれば、その実力は証明されている。

 強いものを求める魔族の女たちが、彼に求婚しようかと言っていたのをツァリーヌは今更ながらに思い出した。

 強い雄というのはそれだけでひかれるものなのだ。

 ――ライバルは、なんだか多そうな気がしますね。

 魔族全体の未婚の女がそんな強い男に興味津々である。ならば、この機会を大いに利用しようとツァリーヌは決めた。

「そうか」

「ええと、こんな時間まで付き合わせてしまいましたし、お礼がしたいのですが何が良いでしょうか? 私にできることならなんでもやりますよ」

「別に良い。勇者であるからな。人助けは基本だ。まあ、誰も助けられなかった勇者がいうことではないが」

 ――ああ、なんてこの人は、もう。

 ただの一言一言が胸を打つ。胸がきゅうきゅうと締め付けられきゅんとする。

「だが、そうだな。誰かとゆっくり話すというのは久しぶりだ。話し相手になってもらおう。こんな老骨の相手で申し訳ないがね。街ではまるで部下のような感じで気楽ということがなかったからな。この世界のことを教えてくれると助かる」

「老骨など、まだまだお若いですよ。むしろお話をさせていただけるのであれば喜んで」

 だらしなく喜びが顔にでないように努めて表情を引き締める。気を抜いてしまえば、きっとだらしない顔を晒してしまうだろう。

 こんな風になってしまう自分がいたなど驚きではあるが、恋とは人を本当に変えるのだなと冷静な部分で思いながら、アルスに話をする。

 この世界がいまどんな状況なのか。彼が知りたいであろう人間が支配していた時代との違いを、きちんと伝えながら。そういうことがわかる女だと言うように。

 アルスはお世辞にも聞き上手とは言えなかった。時々そうか、と言うだけであとは黙って聞いている。

 ただ、それも気にならないのは恋する乙女だからだろうか。そうか、と言われた時は天に昇りそうになるくらいに嬉しい。

 だらしない顔になってないかくにくにと頬を思わず確認してしまうほどだ。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「――というわけです」

「なるほど…………」

 ツァリーヌの話を聞き終えて、本当に魔王の治世とは素晴らしいものだと実感した。事細かく人間時代との違いなどを彼女が言ってくれるおかげで理解もしやすかった。

 ありがたいことだ。

「助かった」

「いえ、この程度は」

「さて、そろそろ良い時間だ。食事にするか」

 持ってきていた秘境の魔物たちの肉を焼く。簡単な食事だが、秘境の魔物たちの肉はとにかく栄養価が高い。

 これだけでいくらでも生活できるほどのものだ。もう手に入らないのだから節約すべきであるが、ツァリーヌもいるのだから少しくらいは良いだろう。

 串焼きにして、しっかりと焼いたものを手渡す。

「食え」

「良いのですか?」

「ああ」

「……では、遠慮なくいただきます」

 食べなくても良い彼女らにとって食事とは娯楽であるらしい。

「おいしいです」

 そんな彼女が串焼きの肉を頬張る。それから驚いたようにこういった。

「そうか」

 どうせお世辞であろう。がさつでただ焼いただけの肉だ。香辛料もない。確かにうまいと言えるが、そこまでのものでもなし。

 アルス自身が食えばいつも通りの味だ。うまいわけでもなく、まずいわけでもない。可。普通。

 いや、魔族の食事は香辛料が山ほど使われているらしいため、こんなものよりはるかにおいしいことを考えれば普通どころではないだろう。

 マズイとかそのあたりかもしれない。

「おいしかったです。ありがとうございました」

「そうか……」

 お世辞など言わないで良いものをと思うが、人から貰った物だ、マズイとも言えぬだろう。

 そんなものを食わせてしまったことを詫びながら自分の分を食べてしまう。

「そうだ、あの温かいお風呂などいかがですか? もう少しお礼がしたいですし」

 食べ終わったところで、ツァリーヌがそう提案してくる。

「風呂か」

 風呂は王都にいた頃に大衆浴場で入ったきりだ。あとは秘境での水浴びばかり。温かい風呂というのは非常に懐かしい。

 この年になって水浴びは少々きついと思っていたのだ。温かい風呂に入れるというのであれば断る理由はない。

「うむ、出来るのであればお願いしよう」

「はい、任されました!」

 そういって川の方へ向かうツァリーヌ。再び魔法を行使して、組みあがる大きな桶ともいえるような石の風呂。

 川から水をひっぱてきて、火の魔法にて熱する。その温度はちょうどよいものだった。

「では、どうぞ」

「ありがたくいただくとしよう」

 火の番として戻って行った彼女を確認してアルスは風呂に浸かる。

「ふぅ」

 久方ぶりの熱い湯。全身に染みるようであった。

 満天の星空の下、湯につかるというのは中々に風情がある。

「酒があれば良さそうだのう」

 多くを望むことはないが、こうやっていると魔族の世なのだとは思えないものだった。

 川のせせらぎだけが聞こえる。光は月明かりと星明りのみ。時折吹く風が森の言葉を伝える。

 魔王を倒せばどうなるだろうか。この平穏がなくなるのだろうか。

 だが、魔王を倒すことを止める気はない。それだけがアルスの存在理由である。

 もはや守る者などいない憐れな勇者失格の男の最後の存在理由だ。

 その後のことなど考えたことはない。どうせ、魔王を倒すにはこの命をかけても足りないのだ。生きて帰れる保証などないだろう。

「地獄に落ちるだろう。できればそこで再び彼の者らと再会したくはあるが」

 その前に、この身にある罪を清算せねば。そのために魔王を倒す。

 目的は変わらず。その為に十人の将軍。残りの八人を倒す。

 困難な道のりであるが、やるのだ。それが勇者として生き残ってしまったアルスの役目である。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「良い湯であった」

 湯上りの彼を迎えるとそう言ってもらえた。

「そう言ってもらえると助かります」

 それだけで幸せを感じられる。

 濡れた白髪。いつもは結んだその長い髪が今は結ばれていない。印象が随分と変わる。

 鋭利な剣から今は、ただの老人のようでもある。ただ鋭さは失われてはいない。印象だけが変わった感じか。

 どちらも好印象だった。恋しているからだろうか。それもあるが、そうでなくとも好印象なのは変わらないだろう。

「お前も入るが良い」

「……そう、ですね。はい」

 言われた通り自分も入ることにして、服を脱ぐ。

「はふ」

 火照った体が夜風に気持ちが良い。そっと胸に手を当てる。やっぱり魔心臓はずっと早鐘を打ったままだ。

 それから川に映る自らの身体を見る。

 不死種特有の紋様が走る身体。掌から身体の中心へ、脚先から身体の中心へと延びる黒い紋様は白い肌では酷く目立つ。

 こういうのは嫌われないだろうか。体型の方は問題ないだろう。知人よりは大きな胸もある、腰は細い。良い体型だとツァリーヌは思う。

「だから綺麗にしないと」

 それでも不安だから綺麗にする。

 どれほど洗っていなかったのだろう。流した水はどす黒い。女が出し良い類の流した水の色ではない。そそくさとそれらを浄化して流しながら流した水が綺麗な色になるまで洗い流す。

「髪、切れば楽でしょうか?」

 量が多く長い髪は綺麗にしようと思うと時間がかかる。

「でも、長い方が好みだったらいけませんし」

 切ってしまいたいがそう思うと切るに切れないから必死に髪を洗う。

「ふぅ」

 時間をかけて綺麗にして、ようやく湯につかる。

 そこでふと、思い至った。

「あ、このお湯に」

 あの人も使ったのだということを。

「あ、あうぅ」

 そう思うことは止められず、湯気を発しそうになるくらいに身体が赤くなる。

 ぶんぶんと顔を振ってその考えを打ち払う。務めて考えないようにしつつさっきよりも深く湯につかる。

「あ、そうです」

 そこで気が付いた。服も洗わないといけない。

 魔法を使い、洗ってみると案の定であった。どす黒い廃液が出た。というか黒い服だと思っていたのだが、実際は濃紺であったことが判明したりした。

 ずっと着続けていたが、どれほど着ていたのだろうか。そう思うほどだ。

「今度から、気を付けましょう。ええ、絶対です」

 清潔な女の子と不衛生な女の子なら絶対に清潔な女の子の方がいいに決まっている。

 魔法で服と自分の身体を乾かす。髪は特に丁寧に。臭いは大丈夫か確認して、湯船を崩してアルスの下へと戻る。

「上がりました」

「うむ」

 彼は変わらずそこにいた。湯上りの上気したツァリーヌを見ても彼は特に何の反応もしない。

 女として見られていないのだろうか。そう落ち込みそうになるがまだ出会って数時間。そういうことを意識する間柄でもない。

 何より人間である彼はもう枯れていると言ってもおかしくない年齢だ。

 男の獣性は永遠に残るものの、次第に理性に勝てなくなる。そんな獣性たる本能をむき出しにさせる。それが一応の目標だろう。

「眠ると良い」

「あ、いえ、大丈夫です。不死種アンデットですから。私は夜の方がむしろ気分が良いくらいですから。アルスさんこそどうぞゆっくりお休みになってください。あ、わ、私の膝をお使いになっても構いません、よ?」

「良い。こうでないと眠れないのでな。では、見張りは任せるとしよう」

 勇気を振り絞って提案してみたが、断られアルスは木を背にして剣を抱えて目を閉じる。すぐに静かな寝息が聞こえてきた。

 だが、気を抜いてはいないだろう。何かあればすぐに彼の剣が翻る。本職ではないツァリーヌにもそれはわかった。

 本当なら近づいてその寝顔を見たい。

「でも、そうすると私殺されそうですし」

 今は遠くで見ることにする。いつか間近で見られることを夢見て。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 朝、日の出とともにアルスは起き出す。

「あ、おはようございます。良く眠れましたか?」

「…………ああ」

 目の前の女が誰であったかを思い出すのに少しだけかかった。誰かと過ごしたのは本当に久しぶりであったから。

「いつごろ起き出すかわからなかったのですが、間に合ってよかったです。僭越ながらお食事の準備をさせていただきました」

「そうか」

 確かにツァリーヌの言うとおり、そこには野宿とは思えないほど上等な料理が並んでいる。

 毒を警戒するが、こんな未熟者に策を弄する必要などないだろう。それにそんな匂いもしない。

 だから、安心して食す。

「ああ、うまいな」

 カルナルスの治めていた街でも食べたが、魔族の食事は味が濃く美味い。ただ、街で出された贅沢料理よりもこの料理の方が好みであった。

 もともと平民であった為に贅沢料理よりも、ツァリーヌが作った素朴な料理の方がうまいとかんじるのだ。

「それは良かったです」

 魔族とはいえ、笑顔を浮かべる女がいるというのは食卓として最上の効果をもたらす。

 それもあってこの日の朝食はとてもうまかった。

「さて、では行くか。お前はどうする」

「そうですね。しばらくお供させていただいても構わないでしょうか? あなたを探していたので」

「好きにしろ」

 どうせ拒否したところで勝手についてくるだろう。どのみち全てが敵なのだから気にするだけ無駄だ。

「では、よろしくお願いします」

 こうして同行者が一人増えたのであった。


予定変更して第2.5話出会いをお送りしました。

気が付いていたら書いていたお話です。よく乙女なことをあれだけかけたなと思います。

それはともかくヒロインのツァリーヌ登場。

不死種族でリッチという魔法特化型種族です。大元がスケルトンだったりするので、骨に対して色々とあるわけですね。

私の年上好きな性癖をモロに受けているのでアルスよりも遥かに年上です。外見は若いですが。


次回こそは弓との対決にしたいです。

では、また次回。

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