第9話 神剣ノートゥング
人に逢うては人を斬る。
鬼に逢うては鬼を斬る。
仏に逢うては仏を斬る。
祖に逢うては祖を斬る。
神に逢うては神を斬る。
畜生に逢うては畜生を斬る。
魔物に逢うては魔物を斬る。
羅漢に逢うては羅漢を斬る。
父母に逢うては父母を斬る。
親眷に逢うては親眷を斬る。
剣士に逢うては剣士を斬る。
万象全てに逢うては万象全てを斬る。
これぞ剣士の本懐。
これぞ剣の理。
剣士には、何も要らずただ斬るのみ。
剣が舞う。
ただその一振りで数千が死ぬ。これが剣だった。そう剣だ。振るえば敵が死ぬ。それが剣だ。
超常の舞台にて、最強の剣士が二人舞い踊っている。
既に勇者アルスの旅は、終わりを迎えていた。たどり着いた魔王の居城。その城下町の前、巨大な門の前に、それはいた。
剣の守護者。十人の将軍の最後の一人。剣のダインスレイフ。剣の名を二つ持つ、まさしく正しく、剣の鬼が、今、剣の鬼と相対している。
「征くぞ」
「…………」
言葉を発するのは勇者ただ一人。ダインスレイフという剣の名を持つ魔族は無言。白磁の鎧に身を包み、全身を覆った姿に言葉は何一つない。
ただ斬ればいい。剣士としての究極系がそこにある。
ゆえに舞い踊る。
剣が、斬撃が、あらゆる閃光が煌きをあげる。相手を斬らんと猛る。
「すごい……」
既に戦闘が始まって幾ばくか。互いに傷一つなく、されど既に戦場は爆発でもあったかのような惨状が広がっていた。
斬撃による大地掘削。放つ剣技はすべてが絶技であり、ただ振るえばあらゆる全てが斬れてしまう。どの一撃も必殺だ。
「あーあ、ダインスレイフ、あんなに楽しそうにしてるのなんてはじめてみたよ」
グッドマンがそれを見ていう。反応するのはヨウヒメの仕事だった。
「わかるんですの?」
仮面に覆われた貌は見ることはできない。表情がわからない。感情を行動からさっすることすらも不可能。感じることはただ一つ、アルスと同じただ斬るという斬滅の意思のみ。
ほかの些事など必要なく、ただただ全てを斬り捨てるという破綻した正義と同じ意志だ。同じタイプなのは言うまでもなく、まるで鏡映しのように斬撃が殺戮機構として駆動する。
だからこそ、わからない。ヨウヒメにはグッドマンがいうようにダインスレイフが楽しそうにしているなどと思えない。
魔族だからこそ滾ることはわかるが、その感情すらも見えない。
「まー、ヨウちゃんは、そうだろうねーツァリちゃんは?」
「わかりません!」
「だよねー。まあ、簡単だよ。アレは笑っている」
なぜわかるかと言われれば、そんなものわかるから。付き合いが長いのだ。彼もまた、魔王とともに地上に這い出した第一世代。
魔王を守護する最後の砦。魔王と戦い、魔王の軍門に下った最初の一人。理解者。同質の男。だからこそ、わかる。
「アレは楽しんでるよ」
その言葉の通り、ダインスレイフは楽しんでいた。斬撃を放つのが楽しい。ただ斬ることが楽しい。勇者アルスは強敵だ。それがたまらなくうれしく思う。
魔王と同等の男。よくぞ出てきてくれた、ここまで来た、感謝するぞと言わんばかりに斬撃の礼が飛ぶ。彼の言葉は斬撃だ。
刃を振るう事こそが会話である。ゆえに、その思いをアルスは感じ取っている。
「無用だ」
なぜならば、彼もまた同じだから。
楽しい。そう、形容すればそうなるが、もっと複雑である。相手と斬撃を合わせるたびに、先が見えては遠ざかる。
さながら、鍛錬の如く二人は互いに斬撃を合せるたびに、研磨して言っていた。己の命を代価にして、剣戟を求道している。
こいつを斬れば、自分はどれほど高みに昇れるのだろうか。この斬撃ならばどうだ。防いだか、ならばこれはどうだ。
絶対致死の斬撃の追求。斬れないのは己の未熟。ゆえに、もっともっと。もっと先へ、もっと先へ。剣の極限。極点へと至るべく、二人は剣戟を振るう。
正道の振り下ろし。
受ける振り上げ。
大地が引き裂け、太陽が両断される。
右薙ぎ、左薙ぎ。
左右の山が消え、森が消えて、城下すらも切断されていく。
二人の剣士を中心に形成される阿鼻叫喚。しかし、魔族は熱狂していた。立ち上る魔力。駆動する魔心臓。
困難、苦難、辛苦。
ああ、いいぞ、素晴らしい。立ちふさがる壁が高ければ高いほど、魔族という種族はどうしようもなく熱狂する。
熱狂し、魔心臓が跳ねれば魔力が高まる。もはや毒と言えるほどまで高まり続ける魔力濃度。ただそれだけで、木々が枯れて鳥が堕ちる。水はどす黒く染まり果て、大地から生命が失われ灰となっていく。
世界の滅びがすぐそこまで来ていた。
――だから、どうした。
二人の剣士はそんなことに頓着しない。二人の戦いを城から睥睨する魔王ですらそんなことには頓着しない。
中界層ミズルが滅びるのならば、それでいい。それならそれで上を目指す大義が手に入る。大手を振って上を目指すことができる。
神々へと抱く、まさに最終戦争の幕開けだ。
勇者アルス、最後の人間が開戦の号砲。それはなんと素晴らしいことなのだろうか。
ゆえに、誰一人として止めるものはなく、剣と剣の戦いは更なる深度に深まっていく。
「――――!!」
振るった剣閃の数はいかほどだろうか。既にそのような考えなどどこぞへ吹き飛んだ。アルスにあるのは、剣の求道のみ。
相手を斬る、相手を斬る、相手を斬る。
目の前に立ちふさがる相手を斬る、ただそれだけ。
そして、それを成せぬ己への侮蔑だけだ。
――何たる未熟か。
相手を斬ると決めて、いったいどれだけの斬撃を放って居るのだ、この未熟者めと自らを叱責する。この程度で勇者と名乗るなどとおこがましい。
鍛錬をしたというのに、戦闘を初めて数時間も経って相手を両断できてすらいない。それどころか、傷一つつけることができていないではないか。
こんなもの勇者であるはずがない。こんなものは塵屑でしかない。こんな塵屑が勇者などとよくも名乗ったものだった。
アルスは許せない。自らの未熟が許せない。大地を斬れるから何なのだ。山を消し飛ばせるだけの斬撃が放てるからといってなんになるのだ。
蒼天に浮かぶ太陽を斬ったところで、相手を斬れてなければ意味がない。相手が斬れていないということは敵を倒せない弱者に他ならない。
相手がそれだけ強いのだから当然だろう?
馬鹿か、相手が強いから斬れなくて当然などと認めるのはどこの馬鹿だ。それでは、守るべき者たちが殺されることになるとなぜわからない。
守るために戦っているとして、勇者が相手を一撃で倒せなければ、守るための民草に類が及んでしまう。そうなってから、相手が強かったから仕方ないと誰が言える。
誰も言えるはずがないだろう。そんなこと言えるのは、ただの阿呆か、気狂いくらいのものだ。正気ならば、そのような戯言を言えるはずもない。
アルスは勇者なのだ。もはや守るべき民草はどこにもいない。全ては終末の向こう側に去ってしまっている。
「だから、斬るのだ」
それが自らにできる贖罪である。相手を一撃で屠ることができない、未熟、最弱極まりない人間が勇者になってしまったことへの贖罪だ。
魔王を倒すという義務を果たし、果てることこそが勇者アルスに残された最後の使命である。それすらもできない塵屑であるならばここで死ね。
自らの価値を盛大に斬り捨てた男が踏み込む。老境に入り、既に枯れかけた燃えカスの如き体を、己の魂を炎にくべて駆動させる。
振るう。
振るう。
振るう。
柄がへし折れるほどに強く、刃が悲鳴を上げるほどに鋭く、大気そのものを切り裂いて、音も光も、あらゆる全てを斬り捨てる斬撃として振るう。
縦横無尽。縦も横も、袈裟も関係などなく、数千を超える斬撃を繰り出して相手を斬らんと猛る猛る。蹴りも拳もなく、ただただ愚直なまでに剣戟を重ねていく。
「…………」
ダインスレイフも同様に、剣戟を重ねる。重層の剣戟が絨毯爆裂のように爆ぜる。重なり合った斬撃はもはや一撃であって一撃ではなく、数百の斬撃が一つに内包されて放たれているかのように。
ただの一撃が、一撃からは遠く、もはや何が起きているのか当事者以外にはわからない。だが、わかるのは、ダインスレイフも、アルスもまた、傷一つ追っていないという事。
余波もなにもかもを斬って、嵐の如き剣戟がもはやただの凪ぎの如く安らいでいる。
「――――」
「オオオオォオ!」
裂帛で放たれた斬撃。互いに重なる一撃。こんな斬撃、まともに受ければ獲物が砕け散るのを、互いの妙技で回避する。
重なった刃の硬質な甲高い悲鳴が響き渡る。持ち主の技量がなければすでに何度折れてもおかしくない。そんな現界すらも突破して剣は悲鳴を上げていた。
剣戟鳴奏は、最上の音楽としてあらゆる武人たちの耳に届いている。それゆえに疼きが止まらない。魔心臓は何よりも早く、駆動している。
「ああ、イイナァ」
もはやグッドマンですら自らが抑えきれない。
「これが、私が認めた、雄」
ヨウヒメは、もはや今にも飛び出していきかねない。
「あ、ぁ――」
ツァリーヌは、もはや言葉すら紡げない。
あらゆる魔族の脳は考えるということを忘れていた。この瞬間、この最高の瞬間に参戦する。もはや思考はそれ一つ。
負けたから? 最高の一騎打ちだから?
どうしてそんなことで、胸の高まりを抑えて我慢しなければならない。そんな必要はない。行けばいい。望むままに行けばいい。
――良い、行け。
魔王の名において全てが許されているのだから。
魔心臓が高鳴る。
胸の高鳴りは魔力の高鳴りだ。吹き荒れる暴風の如く身体の中に生まれるものがある。
それは、圧倒的な爆発のような奔流。魔力が生み出され、荒ぶる。
そして、初めてダインスレイフがその口を開いた。
「――来たれ神滅魔装、魔剣ノートゥング。闘争は我が心を燃焼させ、魔装は駆動する――」
かつての戦乱においても最終局面においてのみ使用された真なる魔の武装がその姿を現す。
超常の力が彼方の空より現出する。これが魔族が畏れられ、この大地を制覇するに至った理由。上位魔族しか扱えぬ魔装の次なる段階。
数十メートル、あるいは数百メートルにも及ぶ超巨大武装。
それは、超巨大な剣だ。大地を、世界を割断せんとばかりに巨大な得物が現出する。
「アハハハハハハハハハハハハハ!!!! ついに、ついにやるんだ!! いいんだね! もはやだれも止められない!! 此処から先は、ボクらが望んだ黄昏の闘争だ――!!!」
意気高揚。魔力を発生させる魔心臓は、何よりも強くその高揚に合わせて速く、速く鼓動を刻んでいる。
生成される魔力は既に、通常時の数十倍以上。
「――来たれ神滅魔装、我が半身ポリュデウケース!! 我が心を燃焼させ、我が魔装は駆動する――!!」
数十メートルの人型。武器ではない最初から人の姿。全てを打ち崩す拳打の形。
数千年も待ち望んだ時がついに来たのだ。
黄昏の闘争。幾星霜を待ち望んだ、悲願の時がここに顕現する。
魔族すべてを巻き込んだ、滅びがついにやってきた。
「ああ――」
もはや我慢不能。これより先の超常の戦いに、参戦できぬなど考えられない。ここに今、全ての優先順位は滑り落ちた。
生成される魔力は、既に常識の圏外を突破している。
ゆえに、必定。これより先は、初めから終わりである。
女が柏手を打ち鳴らした。
その瞬間、ヨウヒメの身体を魔装が包み込む。
現出した莫大な魔力が部品となって彼女の周りを包み込む。纏っていた衣装が消えて、鳥居のような術式陣が広がりを見せて彼女の姿を隠した。
高速回転する術式に合わせて部品が組みあがって行く。
それは極東における巫女服にも似た物。しかし、それは戦装束である。左右非対称の軽武装。その左腕の篭手には弓が接続され、腰には矢筒が組みあがる。
そして、高らかに宣誓を告げるのだ。
「――来たれ神滅魔装、我が天弓アマノカゴユミよ!! 我が心を燃焼させ、我が魔装は駆動する――!!」
超常の力が彼方の空より現出する。これが魔族が畏れられ、この大地を制覇するに至った理由。上位魔族しか扱えぬ魔装の次なる段階。
数十メートル、あるいは数百メートルにも及ぶ超巨大武装。
それは、超巨大な弓だ。大地を、世界を穿たんとばかりに巨大な得物が現出する。
高揚が更なる力を呼ぶ。意気高揚。魔力を発生させる魔心臓は高揚にて拍動する。もはや恋だとかいう感情すらも滑り落ちて滅びへと向かう意気がないよりも何よりも強く駆動する。
激昂が力となり、高揚が強く、何よりも強く力になる。
冷めた身は既に燃えている。何よりも強く、熱く、燃えている。
魔心臓は何よりも強くその高揚に合わせて速く、速く鼓動を刻んでいる。
生成される魔力は既に、通常時の数十倍以上。
彼女が持つ杖が回転する。彼女の広げた腕の間で、それは速くまるで鼓動がもっと速くなれと言わんばかりに回転する。
衣装がはじけ、魔法言語が円陣となって彼女の身体を覆う。
現出するは彼女の魔装。戦装束にして、花嫁衣装。
漆黒に包まれていた彼女の衣装は、弾け今や純白のそれに変わった。
鎧もなく、重武装もない。拡張された魔法杖と伝統的な魔法衣装。例えるならば、白い死神。
純白に走る死の紋様が何よりも強く彼女が死の眷属であることを告げている。
「――来たれ神滅魔装、我が魔杖ケリュケイオン!! 我が心を燃焼させ、我が魔装は駆動する――!!」
高らかに、あらゆる全てを滅殺せんと、死者の王が猛っている。
「ああ、そうだとも、我らの魔心臓が駆動している――」
ついに待ち望んだ時だ。最終戦争がついに始まる。これをどれほど待ち望んだだろうか。勇者アルスよ感謝する。
魔王が、玉座を立つ。ダインスレイフによる試しは既に終わった。
ならばこそ、始めるのだ。
「征くぞ――」
魔心臓は既に、何よりも強く鼓動していた。数千年前から、その駆動をやめていたモノが今、ここに駆動を再開する。
高鳴ったのだ。誰よりも強く、閾値が最高まで高まっていた魔王が、二人の戦いを見て高鳴った。ゆえに、もはやだれにもとまらぬ。
この気持ちは、まさしく好敵手に向ける愛であるが、ゆえに、魔王は止まれない。元より魔族は止まらない。
「――来たれ、来たれ、来たれェい!! 我が神滅の魔装よ、我が全て、我がヴェンディダートよ!! 我が心を燃焼させ、我が魔装よ駆動しろ――!!」
超常の力が彼方の空より現出する。これが魔族が畏れられ、この大地を制覇するに至った理由。上位魔族しか扱えぬ魔装の次なる段階。
数十メートル、あるいは数百メートルにも及ぶ超巨大武装。
強大な力そのものが、ここに現出した。
これより先は神滅巨人闘争――。
真なる闘争が始まる。
そうだ、誰もが望んだ黄昏の闘争が幕を開ける。
終末のその先で、今、あらたな終末が幕を開いた。
いや、幕を下ろし始めた。
「斬る――」
神滅魔装が展開された。
だからどうした。
敵の数が多い?
だからどうした。
――全て斬る。
もはや最初からやることなど決まっている。斬るのだ、斬らねばならぬ。
「征くぞ、ああ――果てまで征くのだ」
老いて、枯れた枝の如き肉体にかつてないほどの活力がみなぎっている。さながら燃え尽きようとする蝋燭の炎がひときわ強く燃えるかの如し。
だが、それで問題などありはしない。
「斬るのだ――斬らねばならぬのだ」
なぜならば、アルスは勇者だから。
何があろうとも、斬らねばならぬ。
だからこそ――何があろうとも、勇者は止まらない。己の未熟を嘆きながら、あらゆる全てを斬り捨てるために止まらない。
今ここに、最後の決戦が幕を開いた。
終滅は、すぐそこだ――。
遅くなりましたが、次回は、最終決戦です。
全員を巻き込んで、斬滅闘争が始まります。




