第6話
朝。
眠りと微睡の中、思うことがある。
そろそろあいつが起こしに来るだろうということ。
耳は良い方だ。ある程度という注釈はあるものの階段を上がってくる足音を聞きとるくらいは出来る。
トットットット、軽いながら確かなそれとふわりとしたものが混じった足音は良く知るあいつの足音だ。
すぐに扉を開いて部屋に入ってくるだろう。
ふと思うことがある。
なぜ起きているのにこうやって起こされるのを待っているのだろうか。
疑問は尽きない。そもそもどうしてこんな風に眠っているのかということもある。
仰向けに眠る。当たり前ではあるが、どうにも違和感がぬぐえない。
だが、そんなことはどうでもいい。重要な事じゃないだろう。
そんな誰かの声が聞こえたような気がして。
――まあ、そういうものか。
そのまま今日もまた待つのだ。
「アルスー! 起きなさいですわー!」
そうやって毛布をはぎ取って行く女。狐の耳と尻尾が見える獣人。
名前は――ヨウヒメ。幼馴染。
そこにも疑問を感じさせるが、
「わざわざ毎日ご苦労だな」
とりあえず、わざわざ起しに来た礼を言う。
「当たり前ですわよ。私はあなたの身柄保証人ですのよ」
「頼んでないのだがな」
最後の人間。その珍しさと有した戦闘能力を買われた。だから、ヨウヒメの家に住まわされている。
そんな必要もなかったはずなのにだ。
「私がしたいのですから良いじゃありませんか」
「…………」
「さあ、早く支度をしますわよ。今日は学園へ行くのですから」
「学園か」
戦う者を排出する学園。人間でありながら無類の強さを持つアルスはヨウヒメのおかげで通うことができる。
「そうですわ。さあ、早く支度を」
「わかった」
上等すぎる寝巻を脱ぐ。
「ちょっ、まだ私がいますわよ!」
「構わんだろう」
どうせ昔からの付き合いだ。
構わずに鏡の前に立っている自分を見た。
「……」
こんなにも自分の身体は綺麗だっただろうか。
こんなにも自分の身体は鍛えられていただろうか。
こんなにも自分の身体は動いただろうか。
「…………」
学園に行くからと緊張しているのだろうか。
――まあいいか。
用意された制服に袖を通す。
「さあ、行きますわよ」
「ああ」
ヨウヒメと二人で通りを歩く。
背の高い建物の多い街。
ここは学園都市。多くの学生が集まっている。
通りを歩くのはほとんどが学生だ。
「アルス、今日はあなたのためのテストですからね」
「…………」
「ちょっと聞いてますの?」
「ああ」
「もう、何を見てますの?」
何を見ているのか。そう問われたので視線の先を示す。
学生が歩いてる通りだ。
「? 何かおかしなところでもありますの?」
「いや」
何もおかしいところがないのがおかしいという。
だが、それをアルスは言葉にできない。
「まったく変なアルスですわね。それより見えてきましたわよ。あれが学園ですわ」
視界に入るのは城かと見まがうほどの建物だった。
学園。多くの武芸者を輩出してきたと呼ばれる名門だ。
「デカイな」
「ええ、この学園都市でもっとも大きな学園ですわ。あなたも今日からここに通うのですわよ」
「そうだったな。しかし、本当に良かったのか?」
「ん? なにがですの?」
「この俺を入学させてもだ」
人間であるために魔法が使えない。それはつまり魔族が使う魔装を使えないということだ。
学生は誰も武装していないのに、アルスだけが剣を腰に差しているのはそういうこと。
だから皆アルスに注目している。
なぜ人間が学園の制服を着て学園に向かって入るのかだとか。生徒会長と良い雰囲気なのはどういうことなのだとか。
噂好きの女子やらヨウヒメのファンの男子が色々と小声で予測を立てあっている。
針のむしろだ。このようなところに来なくてよいのなら来たくない。そう思うくらいだった。
「あなたの強さは私が一番良く知っていますわ。だから、ここに通っても問題ない。そう思ったそれだけですわ」
それでもそう言われてしまっては逃げるわけにもいかない。そもそもアルスに逃げるという選択肢はない。
やるからには全力を尽くすそれだけだ。
「さて、もうすぐ試験時間ですから第三修練場へ。私はいけませんが頑張って」
「ああ、お前の家の為に無様はさらさん」
それだけ言ってヨウヒメと別れ第三修練場へと走る。
その速度に違和感を感じた。
――俺の脚は、こんなにも動いたか?
そんな風に考え事をしていたからだろう。
「んしょ、出たぁ――――わわ」
突如として茂みから出てきた女への反応が遅れた。だがそれでも避けるくらいは出来る。
制動をかけつつ彼女にぶつからないように避ける。だが、学生服の女の方も避けようとしたのだろう。
同様に避けようとして結果ぶつかってしまった。
「あいたたた」
「すまない、大丈夫か」
男と女だ。如何に人間と魔族であろうともその関係は変わらない。
だから倒れたのは女だ。鍛えていたアルスは少し胸の辺りにぶつかられて多少痛みがある程度で無事だ。
「立てるか?」
手を差し出す。
「は、はい」
引っ張って立たせる。
ぼさぼさの髪をした女だった。茂みを通ってきたからだろうが、髪には葉っぱを絡み付けていた。
「あの、すみません」
「すこしじっとしていろ」
「は、はひっ!?」
それがあまりにも哀れであったから、葉を払ってやる。
「そらいいぞ」
「あ、ありがひょう、ございましゅ」
「ん、どうした顔が赤いが。どこかぶつけたか」
「い、いえ!!」
突然の大声にアルスは首をかしげる。女の顔は真っ赤だ。耳まで赤い。
どこか悪いのか。医務室に連れていく必要があるか。そう考えていると、学園の鐘がなる。
まだ予鈴であるが、本鈴が成る前には修練場についていなければならない。
「む、すまない。俺はこれから第三修練場に行かなければならない」
「そうなんですか? 偶然ってあるものですね。実は私もなんです。そうだ! 一緒に行きませんか?」
「別にかまわんが大丈夫か」
「ええ、大丈夫です。行きましょう」
顔には朱がさしているが大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。何かあれば抱えていけばいいか。
そう思って彼女と共に第三修練場へと走る。
「あなたも学園に入学したてなんですか?」
「そうだ」
第三修練場に向かうということはそういうことだ。
学園に入学した最初のいわば実力を示す為の試験。これによってクラスを決めるのだ。一番上のAから一番下のFクラスまで。
どこになるかは試験の結果次第だ。
「私もなんです。あ、私ツァリーヌって言います」
「アルスだ」
「アルスさん、良いお名前ですね」
「そうか」
そんな他愛もない会話をしながら時間内に第三修練場へと辿り着くことが出来た。
「はーい、待ってたよー」
そこにいたのは少年のような外見をした男だった。背が低いが学生服にある紋章は上級生であることを示している。
先輩だった。彼が案内役だろうか。
「ぼくはグッドマン。そっちのアルス君の試験監督。ツァリーヌは、中に入って術式室にね」
「あ、はい。それじゃアルスさんまた会いましょう」
「ああ」
「同じクラスになれると良いですね」
「そうだな」
ツァリーヌは頭を下げて修練場の中へ入って行く。
「さて、君がアルスだねー。よろしく」
「ああよろしく先輩?」
「(あはは、慣れねー。てか、若っ、面白ー)」
ふとグッドマンが声量を落として何事かを呟いた。その言葉は小さすぎてアルスには聞こえなかったが、何事かを呟いたことはわかった。
「なにか?」
「んん、いやなんでもないよー。さあ、行こうか。君の実力を見る試験を始めよう」
第三修練場中央へと案内される。
「さて、それじゃやろうか」
試験内容。
グッドマンとの勝負。
これよりクラス分けの試験を開始する。
ルール無用。グッドマンを相手にただ勝負をすればいい。
武器は何を使ってもいい。何をしても良い。例え相手を殺したとしても、その程度であったという事。
「んじゃー、やるよー」
「応」
ゴングと共に試合が開始された。
飛び出したのは、アルスだった。
「ああ――」
飛び出したことに知らず身体が歓喜を覚えていた。自らの身体が思い望んだとおりに動く。
何より充実した体力。これならばついぞ至れなかった理に至れるやもしれぬ。
そんな思考が浮かんで、一瞬で消えた。
雑念はいらない。必要なのは相手を斬るという意思だけ。
それだけあれば十分。腰の剣を抜き放ち、踏み込む。
数十メートルの距離をたったの数歩でゼロにする。
意識の死角。無意識の死角。視界の死角を突いて、まるで消えたかのように目の前に現れる神速の踏み込み。
裏霞だ。
だが、そのキレと速度は、思っていた以上のそれ。まさしく正しく霞のように揺らめいて相手の裏を取る神速の歩法。
グッドマンにはまさに一瞬にして空間を切りとって移動したかのように、アルスの姿が霞のように消えて再度現れたように感じられただろう。
そのまま剣を振るう。
「おお!」
されどその一撃をグッドマンは受け止める。
――構わん。
そのまま押し込む。そういう戦法をとるたびに、歓喜の感情が浮かんでくる。これを望んでいたとでも言わんばかりに。
「なるほど、凄いややっぱ――」
言葉は最後まで続かない。
アルスが刃を滑らせてグッドマンの腕を軸に剣を回す。白刃がとぐろを巻くかのような軌跡を描き、刃がグッドマンの首へと迫る。
「なんの!」
それをグッドマンは頭突きで受ける。部分展開された魔装のハチマキは見事にアルスの剣を受け止めることに成功した。
そのまま裏拳。グッドマンの右腕はアルスの顎を狙える位置。
飛びずさりアルスはそれを躱す。
「うんうん、やっぱりすごいや――」
グッドマンは滾っていた。
「だから、ぼくも行くよー」
魔装を展開する。身体の上に円を描く。そこから魔装が召喚される。
篭手と脚鎧。たったそれのみ。緑色の燐光を放つそれが装着される。
それ以外いらぬとばかりの戦装束に身を包みアルスの前へと立つ。
両腕を少し広げた独特のファイティングポーズで笑みを浮かべるグッドマン。
――来る。
準備が出来ると同時に彼の姿は砂煙をあげて消え失せた。縮地だ。
アルスは即座に背後へと斬撃を放った。
「うおっと」
まるでそこに現れると知っていたように、背後へと現れたグッドマンへと振るわれた刃が襲う。
左腕で払うように刃を弾く。
次の瞬間には彼の掌が視界を塞いでいた。
掌底が叩き込まれたと脳が理解するより早くグッドマンの身体は動いている。地面を蹴って距離を取る。
その瞬間、アルスの身体が異様な加速を見せる。
「これは――」
叩き込まれる掌底。吹き飛ぶグッドマン。
そこにアルスは追随する。異様な加速。
アルスは逆手に剣を持ち替えて剣閃を殴りつけるように叩き込む。
「がはっ――」
グッドマンの腹へと剣が突き刺さる。魔装の防御を一瞬に凝縮した結果斬られるということはなかったが、それは強い殴打となってグッドマンを襲った。
地面へと叩き付けられる。
そして、それでは終わらない。
アルスの動きが次の動きに接続される。攻撃は接続され次なる一撃がグッドマンを襲うのだ。
足の一撃が来る。踏みつけ。そのまま踏みつけられ、潰れろというように。
全体重を乗せて更に攻撃が繋がる。首へと向かう一撃。
それをグッドマンは地面に拳を叩き付けることで躱した。
威力が伝播する。魔法により強化された衝撃による反作用がグッドマンとその上にいるアルスを打ち上げる。
「おいしょっとお――」
空中。そこで体勢を立て直そうとして、
「まじかー」
空中を走るアルスの姿を見た。
空中に舞った塵を足場にして彼は天高く空中で体勢を整えようとしているグッドマンへと向かう。
「これが、万全な勇者」
「勇者?」
グッドマンの言葉がアルスの耳に届いた。
勇者とはなんだ。
聞き覚えるのある言葉だった。
「はは、なんでもないよ」
「そうか」
ならば斬る。
断頭の一撃がグッドマンへと迫る。
「来い――」
その一瞬、空中から現出した巨大な腕がアルスの斬撃を弾く。
それにアルスの目の色が変わった瞬間。
「はい、おーわり」
着地してぱんぱんとグッドマンが手を叩き、勝負の終わりを宣言する。
「おい、まだ――」
「終わりったら終わり。ぼくはこれ以上やらない。何があっても」
「ならば――」
本気にさせて――。
「ヨウちゃんに言いつけるよー」
「む……」
そう言われると弱い。世話になっている以上迷惑をかけることをアルスは望まない。
「さあ、それならさっさと教室に行った行った。君は文句なくAクラスだよ」
「そうか」
「あれ不服そうだね。嫌かい?」
「いや」
あの程度の戦いで何がわかったというのだろうか。
「わかるんだよ。ぼくだから」
「そうか」
ならばそうなのだろう。所在のなくなった剣を鞘へと収めてアルスはグッドマンに背を向けて修練場を出る。
不完全燃焼だが、心地は良い。縦横無尽に動き回れたことがどうしようもなく歓喜を感じさせた。
「あ、アルスさん! どうでしたか?」
入口に行くと先ほど別れたツァリーヌがいた。どうやらアルスを待っていたようだ。
「Aクラスだそうだ」
「凄いじゃないですか!」
「お前は?」
「Aクラスです。一緒ですね」
「そうか」
そのまま二人、教室のある校舎へと向かうと入口でヨウヒメが待っていた。
「待っていましたわ。あら、あなた――」
「ツァリーヌです」
「ええ、聞いていますわ。相当な魔法の使い手だとか。私はヨウヒメ、生徒会長をやらせてもらっていますわ。よろしく」
「はい!」
「で、何をしている」
握手を終えたところでアルスが切りだす。
わざわざ待っている理由。別段アルスなど待つこともないというのにだ。
「あら、あなたの案内をしてあげようと思っただけですわよ」
「お前は忙しいだろうに」
「あなたとの時間も作れないほど忙しくはありませんわよ」
ツァリーヌは二人のやり取りを見て、
「仲がよろしいんですね……」
「ええ、幼馴染ですから」
「一応な」
余計なひと言ですわ、とチョップされるアルス。
ひょいと躱せばムキになるとわかっているので甘んじて受けるアルス。どうせじゃれつく程度である。
「ツァリーヌも一緒に来ます?」
「良いんですか?」
「あなたも初めてでしょう? さあ、行きますわよ」
有無を言わせぬヨウヒメに押されてツァリーヌも案内へと向かう。
校舎は巨大な一棟のみだ。一階が職員が使う教室で二階が生徒の教室。そんなに生徒数は多くない為に二階建て。
あとには修練場が三つに多目的ホールにもなる講堂が一つ。それから裏手に旧校舎が存在している。
「今は使われておりませんが、魔物が良く出るので修業の場所として使われていますわ」
「へぇ、そうなんですか!」
「…………」
アルスは目を細めていた。修業に使える。その言葉に疼く。
「少し行くか」
ヨウヒメに許可も取らない。修業。それはやらなければならないことだ。
何よりも深く。アルスの根幹に根差している感情。
自分は極めなければならない。剣の理というものを。
そうだ、何をしている。
ここで立ち止まっている暇などないのだ。
「ちょっ」
ヨウヒメの静止の言葉は意味を成さずアルスは旧校舎の中へと入っていく。
「まったくもう!」
慌てて追うヨウヒメとツァリーヌ。
アルスは旧校舎の扉をあけて止まっていた。
「どうしましたの?」
中を見ると、そこには不良共が屯していた。
「ふむ、この場合、斬っていいのか」
「この手の事は風紀委員に任せるのが筋でしょうけど、私がいますしやっても良いですわよ。ただし生かす方向で」
「まあいいだろう」
そんな会話していると流石に不良共は気が付いてアルスたちのところに集まってくる。
「なんじゃ、お前ら」
「見てくださいよこいつら上玉だぜ」
不良共はヨウヒメとツァリーヌを見て下卑た笑みを浮かべている。想像するのは彼女らを組み敷いた己だ。
その視線にヨウヒメは呆れていた。こいつらは生徒会長の姿も知らないのだろうか。
この学園の生徒会長は、伊達や酔狂でなれるものではない。純然たる実力が全てなのだ。
それがわからない相手ではないだろうに。舐めているのか、それとも馬鹿なのか。
ヨウヒメが量りかねていると、奴らの視線はツァリーヌへと向く。
「ふぇぇ」
無遠慮な視線を向けられて怯え気味のツァリーヌ。それがまた奴らを増長させるのだ。
「――おい、なんだよ」
その前に立ちふさがったアルス。
「アルスさん!」
「女を見るより先に、俺とやろうか」
剣を抜いているアルス。それを見て不良共は笑った。武器を持つのは魔族ではないものと自分で告げているからだ。
つまり自らよりはるかに下であると彼ら判断したようだった。
それを見てヨウヒメは馬鹿の方と断じる。
「来いよ、遊んでやるぜ人間」
魔装も展開せず余裕の構え。人間如きの攻撃など当たらないと思っているのだろう。
だが、次の瞬間には男たちは凍りつくことになる。
「ふむ、では行くとしよう」
刹那、アルスが消え失せる。気が付けばリーダーの男以外全員が壁に叩き付けられていた。
裏霞、それと縮地を重ね合わせた独自の歩法。超高速の移動術。
ヨウヒメですらとらえきれなかったほどの速度だ。不良共が捉えられるはずもなく、ただの一撃でリーダーを除いて全員が壁にめり込んだ。
音が後で追ってくる。
「な、に……」
不良のリーダーにはそれが信じられない。ただの人間だ。魔力を持たない劣等種。とっくの昔に絶滅したその最後の生き残り。
少しくらい力があるだろうと思っていた。だが、これほど? 何の冗談だと言わざるを得なかった。
だが、
「く、くくく、やっちまったな」
「ん?」
不良のリーダーは不敵に笑う。
「俺らを倒しちまったら、あのお方が来る」
その瞬間、旧校舎のエントランスを重圧がかかる。魔力の重圧。空間が軋む。旧校舎が軋む。
それほどまでに圧倒的な覇気を身に纏いそいつはやってきた。
覇者の冠を担う者。
世界観を超越してそうある者。
最強の名を持つ王。
魔を統べし覇道の主。
その名は、
「魔王」
アルスを歓喜が支配する。
このような場所で、このような時に出会えるとは。
ただただ歓喜する。ずっとこの瞬間を待っていたとでも言わんばかりに。
「あの、アルスさん?」
「アルス?!」
口角を吊りあげてアルスは笑う。違和感などどうでも良い。とにかく目の前の相手を斬るのだ。
魔王が一歩歩く。
たったそれだけの動作で風は吹き荒れ、魔力は高鳴りを見せつけ、轟雷が鳴り響く。
世界全体が振るえているかのようであった。
「行くぞ魔王!」
アルスは恐れない。これを斬るのだ。
「来るが良い」
魔王はそれに応じた。
「では、小手調べだ」
まず、口火をきったのは魔王。
圧縮言語による魔法詠唱により、彼の周囲に輝く魔法言語が浮かぶ。
「――ファイアーボール――」
刹那、魔王の左手に魔法言語が圧縮され、火の球が生じる。
火属性魔法初級攻撃呪文『ファイアーボール』。
もっとも普遍的な魔法であり、人の頭ほどの火球を生み出し打ち出す魔法である。
だが、魔王が生み出した火球は、人ほどの大きさがあった。
それが放たれる。爆裂したかの如き衝撃と共に火球がアルスを襲う。
もし直撃したのであれば勇者は炭すら残らずに消滅するだろう。
ただの初級攻撃呪文と言えども魔王が放った火球にはそれだけの威力があった。
だが、伊達にアルスもこの場に立っているわけではない。
恐れることなく魔王が放った火球へと向かって行く。
そして、ただの剣にて迫り来る火球を切り裂いた。
もう一発放つも、同じように切り裂かれて勇者には当たらない。
「ほう」
そんな勇者の技に魔王が感心の声をあげる。
勇者がやったのは、術式破壊と呼ばれる技術であった。
術式を正確に切り裂き魔法を無効化するのである。
無論、簡単ではない。術式は圧縮されているためかなり小さく、更に動く魔法の中から正確に核を探して当てる必要があるため、難易度はかなりどころか相当高い。
それを二回連続成功させた。
「流石だ」
「世辞は良いと言った」
この程度など誰にでもできるとアルスは内心で掃き捨てる。
「フッ、ならばこれはどうだ?」
魔王が天に向けて手を掲げる。
魔力が猛り、術式が掲げられた手の先へと円列を成して浮かぶ。
それを魔王は都合五つもの浮かび上がらせ、瞬時に複雑な魔法陣を編み上げる。
「――アイスレイン――」
魔法の名を結ぶ。
それと共に極寒の冷気となした魔力が鋭い氷柱を作り上げアルスへと降り注ぐ。
降り注ぐ氷柱の大きさは人一人ほどはある。当たれば致命傷は確実だった。
それが雨のように降り注ぐ。避けることは不可能。
だが、
「舐めるな!」
アルスは、構えた剣を腰溜めから振り抜く。
鋭すぎる剣閃は、大気を引き裂き飛翔する。
引き裂かれた大気は衝撃波となり氷柱を薙払い、飛翔した剣閃は展開された魔法陣を斬り抜いた。
「素晴らしい。素晴らしい力だ人間。よくぞここまで練り上げた」
「世辞はいい、と言った!」
「だから世辞ではないと言っているだろうに。賞賛は素直に受け取りたまえ。だが、そうだな今より本気で行こう」
魔王の魔力が吹き荒れる。魔心臓は無限の魔力を放出し空間を変質させるが如く暴れ狂う。
「――来たれ神滅魔装、我が神滅の魔装よ!! 我が心を燃焼させ、我が魔装は駆動する――!!」
かつての戦乱においても最終局面においてのみ使用された真なる魔の武装がその姿を現す。
これより先は神滅巨人闘争。
超常の力が彼方の空より現出する。これが魔族が畏れられ、この大地を制覇するに至った理由。上位魔族しか扱えぬ魔装の次なる段階。
数十メートル、あるいは数百メートルにも及ぶ超巨大武装。
それは、超巨大武装。世界を破壊し支配せんとばかりに巨大な得物が現出する
如何な上位魔族であろうとも、これを戦いの場で出すことなど稀だ。そこまで魔心臓は加熱せず、意気は燃焼しない。
だが、ここにいるのは魔王。全ての魔族の頂点に立つ存在。
魔王に不可能などない。それが例え条理に反していようとも成し遂げる不条理。それこそが魔王という存在。
それこそが、神々に挑み、全てを崩壊させる黄昏の種族の王。
そして、全てを破壊が襲った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「カットだ、カット!!」
肉体が砕け散った辺りで、全てが現実に引き戻される。
目の前の椅子に座っているのは本とペンを持った眼鏡の男だった。
「はあああああ、寿命が縮む思いでしたわーー」
隣のベッドからヨウヒメの声が響く。
「うぅぅ、アレで十分の一以下とかやっぱり魔王様って、うぅ」
ツァリーヌが嘆きの声をあげて、
「あははははー、おもしろかったー」
グッドマンがわらう。
「…………」
アルスはただ己の手を見ていた。
衰えた身体だ。いつもの己の身体だ。
「どうだった勇者」
そんなアルスに十将軍であるインキュバスのユーリがそう聞いてくる。
「良く分かった」
「何が良く分かったのか具体的に言え、と言いたいがこちらもだ。貴様を題材にした本は売れん。せっかく若返らせてラブコメにしてやろうとしていたというのに、何を殺伐とした戦闘を行おうとしている」
ユーリは十将軍の一人で本を持つ淫魔だ。その魔法は相手の精神に作用させ催眠すら起こす。
そこに魔装の力が加わるとまるで物語の登場人物のように人間を好きに動かせるのだ。
そう先ほどまでアルスは、自分と勝負して負けたユーリが作った空間にいたのである。理由は単純、魔王の力を体験するためだ。
再現度は十分の一以下で、正確なところは不明だがその圧倒的な力はわかった。
若返っていたのは、ユーリの趣味というか彼が今回のことを行うために設定した条件だ。
そのおかげでヨウヒメがアルスの幼馴染とかいう荒唐無稽な設定がまかり通っていた。アルスも若返っていたわけである。
「あー、そうです! なんでヨウヒメさんが幼馴染だったんです!」
「はっ、お前が幼馴染? 自分を見つめ直せこの駄目女が!」
「ひぐっ」
抗議したツァリーヌが泣く。ユーリの口撃は鋭利だ。
「はいはい、泣かない。良い思いしましたでしょ」
「うー確かにそうですけどー」
「ま、面白かったからいいけどねー」
「…………」
やはり自分はまだまだ魔王に及ばない。アルスはそう思う。
「鍛錬がいるな」
強くなるために。
アルスはそう決意した。
六話です。おそくなりましたー。次回もまた一週間後くらいに。




