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気弱で、泣き虫な、愛しのエリザベス

全2話。1話目は兄視点、2話目は妹視点です。残酷描写は2話目に含まれます。

 私の妹のエリザベスは幼い頃、とても気弱で、そのうえ泣き虫だった。

 手を教鞭で叩かれれば泣く、きつい語調で叱責されても泣く。周りで物が割れた音にびっくりして泣く。庭で転んだから泣く。

 それはきっと両親や周りの使用人たちをとても困らせていたと思う。それでも彼らは愛情深くエリザベスを育てた。


 私も同じだ。いや、両親以上に私はエリザベスを大事にした。気弱で泣き虫な妹が心配で仕方なかった。

 泣いているエリザベスに「どうして泣くの?」と問いかけた。エリザベスは「怖い、怖いの」と漏らしたが、泣き止むことはなかった。私はどうやら、エリザベスをなだめるのが下手らしい。

 次に、泣く可能性があるものをエリザベスから遠ざけようとした。だが、両親に止められた。この時にはまだ私も幼かったし、エリザベスをすべてから守るなんて無理だと判断されたんだ。


 エリザベスは泣いた。

 私は彼女をどうにかして笑わせたかった。


 だから、エリザベスに友達を作らせてあげることにした。

 私たちの家柄よりかは幾分か低い、男爵の家からエリザベスと同い年の男の子を屋敷に連れてきた。

 名前はルーク。きっとエリザベスも友達ができれば、いっぱい笑ってくれるだろう。


 エリザベスとルークは婚約を結んだ。

 男爵の子供との結婚なんて、と両親は渋っていたが、私からも頼み込んで認めてもらった。ルークと楽しそうに笑うエリザベスを見て、あの子と彼を引き離したらあの子を悲しませてしまうと思ったからだ。


 それからどうしたわけか、エリザベスは泣かなくなった。

 泣き虫なエリザベスがいきなり涙の一つも流さなくなったので、私は驚き、一度「我慢してるんじゃないのか?」と尋ねた。だがエリザベスは幼いころの表情とは打って変わって、「我慢なんかしていません。私は平気ですので、心配しないでください」と気丈に答えた。

 きっとルークの存在がエリザベスを成長させたのだろう。


 ルークはエリザベスに必要な存在だ。

 彼がいれば、エリザベスは泣かない。




*  *  *




「君たちがエリザベスを泣かせたの?」



 エリザベスの頬を撫でながら、その身体を優しく抱き込む。16歳になったエリザベスは幼い頃よりさらに美しくなっていた。華奢な体は今にも壊れてしまいそうに儚い。

 こんなにも美しく憐れな妹を、侮辱したやつらがいる。私は怒りに震える声を押さえながら、彼らに向かって問いかけた。


 泣いている女を一人囲むようにして貴族の青年が5人。いずれも見目麗しく、将来が保障されている人間ばかりだった。

 女を囲む男の中に、ルークがいた。エリザベスの婚約者である彼が、どうしたことか全く別の女を背中にかばいエリザベスを睨み付けている。



「義兄さん。そいつは、」

「そいつ?」

「……エリザベスは、ティアナに悪質な嫌がらせをしていたんです。机に落書きをしたり、靴箱にごみを詰め込んだり、果ては階段から突き落としたり! 俺はもう見ていられません! こんなに心が綺麗なティアナを虐めるなんて絶対に許せない。エリザベスとの婚約解消に関して、義兄さんの許可を頂きたい!」



 ……幼いころからと同じ一人称「俺」を使っていることといい、いきなり婚約解消を切り出すことといい、ルークの貴族としての底の浅さが見て取れる。

 確かに両親が引退し、私が公爵の名を引き継いだから、エリザベスの婚約に関して私に申し立てるのは正しい。

 だが、どうして分からないのだろうか。ルークの実家が我が公爵家の存在によって存続し、公爵家の支援あってこそ栄えているということを。エリザベスと婚約解消なんかしたらルークの実家は没落の一途を辿るのは目に見えているのに。


 ルークの浅はかさに呆れ言葉も出せないでいると、女の周りに引っ付いていた男たちが口々に喚きだした。



「デイヴィッド公爵。貴方もその女の悪行は耳に聞いているでしょう? いくら妹だからといって、そんな悪徳女を庇いたてでもすれば貴方の名前にも傷がつくはず」

「その女は取り巻きを使ってティアナの大事なネックレスだって盗もうとしたんだ。そんな女、この国から追放すべきです」

「ふん、今更汚らしく泣いて、本当に醜い女だな。ティアナの涙の方がよっぽど綺麗だ。いや、比べるのもおこがましいか」

「公爵がその女に相応の罰を与えないのであれば、僕は王子としてその女の処刑を望みましょう。どうか賢明な判断を、公爵」



 4人が4人とも、私のエリザベスが悪いのだという。私のエリザベスが醜いのだという。

 立ちくらみが起きるほどの怒りを感じ、私はそっとエリザベスをはなした。エリザベスはショックを受けたかのように目を見開き、私の裾を皺が寄るほど握りしめる。



「に、兄様……っ、違う、違うの」

「何が違うというんだ、エリザベス」



 気弱で、泣き虫な、愛しのエリザベス。

 私の可愛い妹。君の涙を見たのは実に10年ぶりだ。



「分かった。婚約解消を認めよう、ルーク」

「兄様っ、やめて! お願い……っ」

「っありがとうございます! 分かって下さったんですね、義兄さ――」

「私を“義兄さん”と呼ぶ資格は君にはもうないよ」



 10年だ。人生の半分以上、ルークは私を“義兄さん”と呼んできたのだから、つい口をついてしまうはずだ。

 ルークは一瞬虚をつかれたような顔をした後、突き放したような口調で言われたのが気に食わなかったのか口を一文字に閉じて私を見据えた。

 私とルークの仲は良好だった。私も義弟として彼を大事にしたし、彼も私を慕っていた。だがそれはエリザベスの存在があったからだ。エリザベスと婚約を解消した今、私が彼を大事にする必要なんてありはしない。



「処分は、今すぐには決められない。――帰るよ、エリザベス」

「いやっ、兄様お願い待って!! 違う、違うの! お願いだから考え直してください!」



 エリザベスはもはやなりふり構っていられないのか、整えていた髪を振り乱して私の腕に縋りついた。

 涙でぬれた頬に髪が張り付き、淑女としてはとても見られないものになっている。

 私はエリザベスの後頭部に手を回し、先ほどよりも強く彼女を抱きしめた。


 彼女の身体は震えている。

 大丈夫。君を泣かせるものなんて、私が――。



「あっ、あの、デイヴィッド公爵……?」



 エリザベスのすすり泣きをかき消すようにしてかけられた声に、私は視線をそちらに向けた。

 ルークたちに囲まれていた女だ。パーティには積極的にはいかないのでこれが初対面だが、噂ぐらいは聞いたことがある。侯爵家の庶子、ティアナ=ハーキースだ。



「何ですか?」

「あのっ、エリザベスさんは悪くないんです! 私がルークと仲良くなっちゃったから、その、嫉妬してあんなことしたんだろうし……階段から突き飛ばされた時は本当にびっくりしたけど、でも結局軽いけがで済んだんです! だから、その、処分といっても追放ぐらいがいいと思います!」



 ……貴族にとっての追放がどれほどの危険を孕むのか知ってて行っているのか、この女は。

 貴族は大半の庶民から厭われる運命にある。その中に貴族の称号も奪われ、はした金を握らせただけの貴族をほうり込んだらどうなるか。女だったら慰めものに、男だったら嬲り殺しになるだろう。

 この国において追放は、事実上の死刑だ。私に、エリザベスを殺せと言っているのだ、この女は。



「――エリザベスが何をしようと、関係ない」

「え……?」

「私はただ、然るべき者に然るべき処分をするだけだ」



 糸が切れたかのようにエリザベスの身体が崩れ落ちた。私は慌ててそれを支える。

 意識はあるみたいだが、目は充血し、唇は紫色になっている。体調が悪そうなエリザベスにこれ以上歩かせるわけにはいかない。私は幼いころのように、エリザベスを抱き上げた。

 いつの間にかこんなに大きくなってしまって。私の可愛いエリザベス。



「デイヴィッド公爵! あの……エドワードさんとお呼びしてもよろしいですか?」

「ご冗談を」



 突然私を名前で呼び始めた女に、思わず吹き出してしまった。笑いを押さえるように口元に手を当てるが、一度来た笑いの発作はなかなか収まってはくれない。

 貴族なのに、会話して数言で名前を呼ぶ。噂通りのお嬢さんのようだ。まさか私にまでその天真爛漫さを向けてくるとは思わなかったが。



「呼びたいんです! エドワードさんは私を助けてくださいました。悪役令嬢……あっ、えっと、エリザベスさんを断罪する時の姿、すごくかっこよかったです!」

「……君は不思議な子だね」

「えへへっ、よく言われます。貴族なのに純粋だとか、親しみやすいとか、特別だとか……あっ、そうだ、よかったらエドワードさんも私と友達になって下さい! そうすれば私たちもっと、お互いのことをよく知れると思うんです! 私のこと、ティアナって呼んで――」


「君もいらないね?」



 え。

 女は笑顔のまま固まった。私はもう一度クスリと笑うと、エリザベスを抱きかかえたまま彼らに踵を返す。女とルークが私のことを呼んだ気がするが、振り返る気はなかった。

 エリザベスが私の肩口に顔を押し当て、静かに泣いている。追放されるといわれたのが怖かったのだろうか。そんなこと、この私がするはずないのに。



「いらない。……そうだろ? エリザベス」

「……わい、こわい……っ」

「うん、大丈夫、エリザベス。怖かったね。大丈夫だよ、エリザベス。君を泣かせるものは全部私が、消してあげるからね」



 今までそうしてきたように。

 私はエリザベスの背中を優しく撫でながら、そう囁いた。




*  *  *




「兄様っ」



 あれから妹は、底抜けに明るくなった。学園を退学し、外との接触を控え屋敷に閉じこもるようになった妹は、私が大事な仕事をしている時にさえ部屋に飛び込み、明るい声をかけてきた。

 元気になった、というよりも幼児退行のような症状だ。淑女としての教えなどすべて忘れてしまったかのように感情的に振る舞い、子供のように私に「遊ぼう」とねだる。


 きっとあの事件がエリザベスの心を壊してしまったのだろう。

 痛ましいと思う以上に、私はそのことを喜んでいた。そんな自分にびっくりする。

 私はエリザベスであればどんな振る舞いをしてもいいと思っていたが、どうやら本心のところは違うらしい。本当は、私は子供のように私と始終居たがるエリザベスが一番可愛かった。


 ルークが来る前ですら、エリザベスがこんなに私に素直になることはなかった。

 私は万年筆を置き、エリザベスの方へ手を伸ばす。



「どうしたんだい、エリザベス」

「兄様っ、あのね、お庭でお花が咲いたのよ。一緒に見に行きましょう!」

「それはいいね、エリザベス。でも今日は君にちょっと注意しなきゃいけないことがあるな。おいで」

「なぁに? 兄様」



 エリザベスは素直に私の膝に乗り、甘えるように首に腕を掛けた。

 こういうふうにされると私は強くは怒れない。まぁエリザベスに強く怒れた試しなんてないんだけど。



「庭師の剪定道具がしまってある小屋に入ったんだって? あそこは鋏とか危険なものがあるからダメだといっただろう」

「でも兄様、」

「でもはダメ。この間厨房に忍び込んで叱ったばかりなのに、どうしてまたするんだい? 私のいうことが聞けないの?」

「……ごめんなさい」

「エリザベス、ダメだよ勝手に変なところに入っちゃ。エリザベスのことを心配して言ってるんだからね?」

「もうわかったわよ! それより兄様、お庭に行きましょう、お庭!」



 露骨な話題逸らしだったが、エリザベスがにこにこと笑いかけてくるので、私は説教を中断せざるをえない。私はとことんエリザベスに弱いのだ。

 だけどまだ仕事が中途半端に残っている。私は名残惜しげに机の上を見、断腸の思いでエリザベスの誘いを断ることに決めた。



「エリザベス、ごめんね。もう少ししたら仕事も終わるから。先に……」

「やだ!!」



 あ、まずい。

 そう思うよりも先にエリザベスの両目から大粒の涙があふれていた。



「兄様、私とお仕事とどっちが大事なの!!」

「エリザベスに決まってるよ」

「じゃあ私と一緒に来て!! お仕事なんてもうしないで!!」

「でもエリザベス、私は君のために……」

「やだ!! 兄様が一緒じゃないとやだったらやだ!! うわぁぁぁん!」



 子供のように声をあげて泣き始めたエリザベスに、私は大いに焦った。持ちかけていた万年筆を床に放り出し、椅子から立ち上がる。

 嗚咽をあげるエリザベスを優しく抱きしめ、宥めるように背中を軽くたたいた。



「わかった。エリザベス、お庭に行こう? それからお庭で紅茶を飲もうか」

「ぐすっ……ケーキも?」

「ああ、エリザベスの好きなラズベリータルトを用意させるよ。ね、機嫌直して?」

「うん!」



 顔を上げたエリザベスは嬉しそうな笑みを浮かべていた。もしかしてウソ泣きだったんじゃないかな……と思わないこともないが、どんなエリザベスでも可愛いので仕方ない。

 私は仕事を中断するため、机の上の整理をしようと目を落とした。

 ふと、朝の新聞の記事が目に飛び込む。


『マーヴィン第三王子、王太子暗殺未遂の罪により、打首。早朝に執行』


 腕の中を見ると、エリザベスもその記事を見ていた。

 可愛い妹に残酷なものは見せたくない。私は新聞も折りたたみ、机の中にしまった。



「さぁ、行こうかエリザベス」

「うん!」



 腕を差し出せば、エリザベスが笑顔でその腕に抱き付いてきた。

 あの事件以来、心が壊れ感情の起伏が激しくなってしまったエリザベス。だけど私は最高に幸せだった。

 エリザベスが家にいてくれる。エリザベスが甘えてくれる。エリザベスが私のために泣いてくれる。


 気弱で、泣き虫な、愛しのエリザベス。


 震えるエリザベスの肩をそっと引き寄せ、形のいい耳にキスを落とす。

 あと二人だからね。

 そう囁いた。


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