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あくまでもプロローグ

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「ヤらせてあげようか?」

 好きにならなければならないという、ある種強迫的な感情に苛まれ始めたのは、彼女と出会ってから三度目の春の話であり、それはきっと彼女も同じだったのだと思う。




 甘い香りのリップクリームで艶めく唇を蠱惑的に動かした彼女――高橋アサミは、ふわりとしたセミロングの髪の毛を揺らしながら小首を傾げたのだった。




 俺にとっての高橋は、言ってしまえば同じ部活動に所属する女の子で、腐れ縁と呼ぶには些か以上に運命が欠如している相手だった。

 何せ俺と高橋の共通点は、部活のみであり、クラスも友人も異なっていた。そして多分、好みのタイプも。




 それでも自然と二人で過ごす時間が増えたのは、お互いにどこか浮いた存在だったからだと思う。

 つまるところそれは傷の舐め合いで、そんな自嘲めいた自覚を持ちながらも、俺たちはそのことに目を逸らしながら、向かい合って談笑を続けた。




 とはいえそこに恋愛感情が挟まる余地はなく、しかしそれでも周囲の目にはそういう関係に映るようで、それならいっそ高橋を好きになってしまったほうがいいのではないだろうか――なんて考えていた矢先の発言だった。








 高橋アサミが俺ではない他の男子と交際を始めたのは、その翌日のことである。

 俺の悩みは晴れて解消、進級と同時に俺たちの時間も減少の一途を辿り、いつの間にか俺と高橋は、廊下で挨拶を交わす程度の間柄になった。




 元々友人の少なかった俺の情報源は、休み時間に時折届くクラスメイトの会話くらいで、しかしそこから察するに高橋と件の男子生徒の交際は順調らしかった。




 部活も引退するといよいよもって俺と高橋の共通点は消滅し、廊下ですれ違っても会釈をする程度の関係になっていた。




「買い物に付き合ってよ」


 そんな風に高橋が話しかけてきたのは、四度目の春のことだった。

 以前よりも伸びた髪の毛と以前と変わらぬリップクリームの匂い。浮かべた笑みはどこか儚げで、俺は何となくこれが高橋との今生の別れになるのではないか、という気配を感じていた。




「キミとこうして話すのは久し振りかも。どう? ちゃんとご飯食べてる?」


「まあ、ぼちぼち」


 一年前までならばお前は俺の母ちゃんか、なんてツッコミを入れたのだろうけども、一年という時間が、俺の目の前に茫漠と立ちはだかり、高橋との距離感を掴みにくくさせていた。



「進学でしょ? キミってそんなに頭が良かったっけ?」


「俺の頭がいいんじゃなくて周りが馬鹿なだけだろ」


 俺たちが通う県立高校は名前さえ漢字で書ければ受かると言われているような底辺高校であり、俺と高橋はそんな学校の園芸科に在籍していた。

 進学率は二割を切り、大半の生徒が卒業と同時に社会人として歩み始める。高橋もそのうちのひとりだった。高橋は数学と英語が壊滅的にダメなのだ。




「羨ましいな、トーキョー」


「別に。電車で一時間だろ」


 定期券の値段と家賃とその他諸々を鑑みてひとり暮らしが決定していたが、東京に対する憧れは皆無だった。

 程よくなんでも揃っているこの町のほうが人が少ない分、快適だと思う。




 高橋が向かったのは、国道から一本逸れたところに建つ四階建てのデパートだった。

 回の字型をした建物で、中央が吹き抜けになっている。


 スプリングセールと書かれたピンク色のポスターをあちらこちらのお店が貼っていた。

 まだ余寒が厳しいが、空気の中には僅かに、しかし確かに花の香りが混じりはじめていた。




「コートを買ったのに、結局あまり着る機会がなかったなぁ。彼氏も受験でさ」


 高橋は口を尖らせながらそんなことをいうと店の軒先で、春物のスカートを手に取り眺めはじめる。




「受かったの?」


「うん、受かったみたい。トーキョーの大学じゃないけど」


「ふーん。というかいいの? 浮気とかどうとかいわれない?」


「キミは彼女が友達と買い物に行くと浮気だって喚くの?」


「喚かないけど」


「浮気じゃないし」


 ちょっと暗いかな、と言ってスカートをカゴに戻した高橋は「行こ」と次の店に足を勧めてしまう。




「それに私とキミは友達でもないし」


「まあな」


 適当な言葉が見つからず、俺はスマホを弄る。

 特に時間を決めているわけではないけど、このあと東京で借りた部屋に電車で向かう予定だった。


 大きな荷物はもう業者に頼んで運んであったので、あとは手荷物を持っていくだけである。




「大きなカバンだね」


「当面の着替えとか入ってるから」


 とはいっても、数着なのだけども。お洒落には疎かった。




「で、買い物ってなに?」


 手荷物が重かったので、正直早めに済ませて欲しかった。

 本当は断るつもりだったのだ。でも高橋の微笑みを見た瞬間に、俺は反射的に頷いていた。




「なんにしよう?」


「いや、俺に聞かれても困るんだけど……」


「わかりかめる」


「わかりかめるってなんだよ。わかりかねるだろ。無理して堅苦しい言葉を使うなよ」


「噛んだだけだし」


「あ、そ」


「うん」


 会話はそこで途切れて、しばらく無言のまま店を回った。

 こうして歩いていると、沈黙を気まずいと思うような関係になったことを改めて実感させられる。


 居心地が悪かった。俺は必死に話題を探した。そして結局本題に戻った。




「買い物の目的はなに?」


「好きな人にプレゼントを買おうと思ったんだけど。何がいいのか皆目見当もつかないよ」


「だったら身に着けるモノはやめといたほうがいいと思うけど」


「どうして?」


「相手が気に入らなかったら困るだろ。つけなくちゃいけなくなるし、そういうのは相手が欲しいモノじゃないと――」


「じゃあ、身に着けるモノにしよう」


「おいおい」


「だって肌身離さず持ってくれるようなモノなら、きっと私のことを忘れないじゃない」


「そいつのセンスと合ってなかったら最悪だけどな」


「そうだ、時計とかどうかな? 大学生って腕時計をつけてるイメージなんだけど。両腕に」


「明らかに間違ったイメージだろ、それ」


「キミは時計持ってる人?」


「持ってない。スマホで充分だろ」


「そっか。で、どれがいいかな?」


 腕時計の専門店に入ると高橋は、無数の腕時計が飾られたウインドウディスプレイに顔を近づけて首を傾げた。



「俺に聞くなよ。俺が妹になんて呼ばれてるか知ってるか?」


「ダサ男」


「あ、話したことあったっけ」


「勘だけど」


「……酷いなオマエ」


「だって眉毛を整えるようにアドバイスをしたのも、整髪剤で寝癖を直すように助言したのも、私だもの」


「そうだっけか」


「そうだったよ、たぶん」


「相変わらず適当だなぁ……」


 高橋はカニのように横に移動し、一つ一つ腕時計を眺めていた。

 俺はスマホに視線を向けながらそれについて歩く。




「ベルトは金属のがカッコイイ?」


「革のが俺は好きだけど」


「これなんてどう?」


「俺に聞かれてもなぁ。俺が持ってる腕時計って、小学生のときに買ってもらったポケモンのだけだぜ」


「ポケモンのにする? それとも妖怪ウォッチ? 時計だけに」


 ふふふ、とひとりで笑う高橋に、苦笑を返した。

 スプリングセールのスプリングが何のことかわからなかった高橋も、ウォッチが時計という意味だということはわかったらしい。




「これは?」


 そんな問い掛けが十数回続いて、カバンを持つ俺の腕の痺れも強くなってきていた。面倒くさいなー、という気持ちが溢れて、適当に「いいんじゃない?」と答えた腕時計に高橋は決めたらしい。

 店員がウインドウから品物を取り出したのを見て、俺は言った。




「ちょっとカバン見てて。便所に行ってくる」


 まあどのみち俺のアドバイスなんて聞かないような人だから別にこれでいいだろう。

 彼氏にも高橋にも俺は興味がないのだ。手を洗いながらそう自己弁護した。

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