異質な世界
維心は、険しい顔をして前を行くヴァルラムについて歩きながら、言った。
『…案じておるのではないのか。』ヴァルラムが、背を向けたまま立ち止まった。維心は続けた。『いくら王座を継ぐには経験が必要と言うても、これはあまりにも危険が大きすぎる。』
ヴァルラムは、維心を振り返った。
『わかっておる。我とて、己の中に始めからあったものであれば消せるやもしれぬが、あれを取り込んで更にそれを身の中で消すなど、かなりの力が要ろう。それでなくとも、仙術は我らにとって未知の力であるのに。』
維心は、ヴァルラムに追いついて、頷いた。
『解く時に何があるのか分からぬ。仙術はこれまで、予想も付かない事態を引き起こして来た。まるで、術自体が意思を持っているかのような動きをする…まさに、試練であるの。』
ヴァルラムは、視線を下へ落とした。精神的な試練もあるかもしれぬのか…あれは、そんなにも成長しておっただろうか。
『…だが、あれはミカを望んでおるのだろう。ならば、立ち向かわねばならぬの。主ならば少々のことであれば命を懸けるまでもなくやり遂げるのだろうが、それでも命を懸ける必要があれば、維月のためにそうするのではないか?』
維心は、間をおかずに頷いた。
『当然ぞ。維月は我が命。我自身より大切なもの。他は知らぬがな。』
十六夜が追いついて来て、維心を小突いた。
『こーら維心。それじゃいけないって親父に言われただろうが。思ってても、口に出すんじゃねぇよ。』
維心は、ふんと横を向いた。
『うるさいわ。』
だが、聞かれたのはバツが悪かったようで、それ以上は言わなかった。十六夜は、ヴァルラムに言った。
『どうなるかはオレにもわからねぇ。だが、仙術の厄介さは教えて来た。あとは、ヴァシリー次第だな。美加のこと、あいつ一人に押し付ける形になっちまってすまねぇな。』
ヴァルラムは、十六夜に首を振った。
『何事も、あれの将来のため。そちらはどうか知らぬが、こちらは王といえども素直に従う訳ではない。そこそこ力のある神は、王座を狙って隙を伺っておる…我が非情の王と言われるのはそのためぞ。そんな輩を察知して消して行かねばならぬ。自分が絶対だと知らしめねばならぬ。これは、あやつにとって、良い精神的鍛練になろう。無事成し遂げると、我は信じる。』
十六夜は、維心を見て肩をすくめた。
『だってよ。あっちの王達に聞かせてやりてぇな。』
維心は、真面目に頷いた。
『誠に。あちらでは臣下は余程でなければ王に従うもの。力が全く違うしな。血で力に恵まれて安穏としておる宮の王に、同じようにしてみるよう進言しとうなるわ。本来神は、こうでなければならぬのよ。王座に当然のようにふんぞり返る王達に聞かせてやりたいもの。』
そこへ、己多が歩み寄って来た。
『何を立ち話しておる?とにかくは我が、術の様子を見て知らせようぞ。共にどこかの部屋へ。』
十六夜が、己多を見た。
『そんなことが出来るのか?』
己多は頷いた。
『何を今さら。我が作った玉だと申した。見る事は可能よ。だがしかし、集中させてくれぬか。』
ヴァルラムが、歩き出した。
『我の居間へ。皆、参れ。』
そうして、四人はヴァルラムの居間へと急いだのだった。
ヴァシリーは、まさかこんな形で美加を娶ることになるとは、思ってもみなかった。目の前の美加は、最早死んでいるのではないかというほど青白い顔をして横たわっている。それでも美しいその顔にそっと触れながら、ヴァシリーは美加を抱きしめて、聴こえないのを承知で耳元に言った。
『ミカ…我は主を真実想うておる。このような形になってすまぬ…だが、我は主を救いたい。勝手だと言われるやもしれぬが、我は我のために主に戻って欲しいのだ。』
そうして、美加に口付けた。最早冷たくなって来ていたその唇に触れた時、ヴァシリーは閉じた瞼の裏にそれを見た。
広い、荒れ果てた荒野のような場所だった。ヴァシリーは、何が起こっているのか分からず、ただその空間を、美加の気配を探って歩いた。ずっと向こう…正面の方向に、美加の気が感じられる。
ヴァシリーは、そちらへ向けて走った。どういうわけか、ここでは飛べない。走るしかない。
逸る心に押され、ヴァシリーは一気に駆け抜けて行った。
すると、そこに一本の木が立っていた。樹齢200年ほどのそこそこ大きな木だったが、ヴァシリーがそこへ歩み寄って見上げると、その上の方に、美加がじっと眠っているのが見えた。まるで、木に一体化しているように、木を背にして浮かぶようにしている。
『ミカ!目覚めよ、我を見よ!』
すると、横から声がした。
「おやおや…主は異国の神か?」その言葉は、南の言葉。日本語だった。「まさか、そんな神まで仙術を使うようになったとは。」
ヴァシリーは、その男を見た。己多に、驚くほど似ていた。
「己多か?」
ヴァシリーが言うと、相手は首を振った。
「誰ぞ?知らぬな。見えておる姿が、全てではないぞ。ただこの術を掛けた主が、この姿であったからだろう。どちらにしろ、姿など関係ない。そう、我が何者かも関係ない。全ては主次第。」
ヴァシリーは、相手を睨んだ。
「何を言うておる…美加を返してもらうぞ。」
その男は、ふふんと笑った。
「否と言うたらどうする?」ヴァシリーがぐっと眉を寄せると、相手は続けた。「別に良いぞ。我は主であろうとあの女であろうと、どちらでも良いのだ。我を簡単に消せると力とは、その気の力だと思うておらぬか?」
ヴァシリーは、その言葉に驚いて目を見張った。相手は、ふふんと笑って続けた。
「そんなものではないわ。意思の力。その心の力。主の心の力が、自ら我を身の内へ取り込んだこの娘とそう変わらぬだろうことは我にはお見通しぞ。」
ヴァシリーは、自分の未熟さを言い当てられたような気がして押し黙った。確かに自分は、立ち合いの技術の向上や体力の強化には自信があるが、精神的鍛錬などどうしたら良いのか分からずして来なかった。そんなものは、経験でしか無理だと思っていたので、いろいろな現場などへ積極的に出掛けて、その対応をするよりなかったのだ。だが、確かに戦乱の世を生きて正した父に比べたら、自分はずっと未熟であろう。
その男は、ヴァシリーの様子に、不快な笑顔で言った。
「そうか。自信がないのなら、このままこの女の中へ置いておいたら良い。誰もそれに気付かぬ…主はその命を危機に晒して救おうとしたのだ。責められることもないであろう。」
ヴァシリーは、顔を上げた。
「何を言う!ミカと失うなど…」
己多に似たその男は、目を細めた。
「その想う女は、主のことなど信じなかったではないか。これはその結果ぞ。主より黄泉を選んだ女を、主は命を懸けて助けるというのか?」
ヴァシリーは男を睨みつけて怒鳴るように言った。
「我が詳しく話さなかったからぞ!後回しにした…我のせいで誤解していただけだ!」
男は、声を立てて笑った。
「笑止よのう。そこまでこの女に肩入れせねばならぬほど、共に居ったわけではあるまい?これとて誰も相手にしてくれぬから、主で良いかと思うた程度ではないのか。主だってそうだろう。興味を持った程度で、あっさり決めたのではないのか。どうせ大勢娶る妻の一人、こんな女も居ても良いか、ぐらいでは?」
ヴァシリーは、首を振った。
「あり得ぬ!我は…我はそんな簡単な気持ちでは…」
相手の声は、薄気味悪いほど優しい声音になった。
「見捨てるが良い。女などいくらでも居る。まして主は次代の王と言われておる神。世界は広い。もっといい女が主の回りを囲むであろう。早まるでない。」
ヴァシリーは、頭を抱えた。確かに、自分の命が散れば父が今まで自分のためと努力してくれていたことが、全て徒労に終わる。美加は、自分を信じなかった。聞く耳を持たなかった。命を懸けて助けたとしても、自分の妻にはならぬと言うやもしれぬ。また命を捨てようとするやもしれぬ…。
男は、言った。
「そうだ。こやつからは頑固な意思を感じる。助けても主を信じず、また命を捨てるぞ。」
ヴァシリーは、顔を上げた。今、声を出しては居ないのに。これは、自分の心を読んでいるのか。そんなことで、自分を混乱させようと…。
「そうはさせぬ!」ヴァシリーは、相手に掴みかかった。「取り込んでくれるわ!」
相手は、表情を険しくすると、ぐっと眉を寄せた。
ヴァシリーがその男の腕を掴むと、相手は霧散して吸い込まれるようにヴァシリーの口から胸の方へと流れて行った。大きな木の上に張り付くように囚われていた美加が、ふらりと剥がれて堕ちて来るのを見たヴァシリーは、必死に美加を受け止めた。
そして、そのまま意識が遠のくのを感じた。




