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外の世界

美加は、その眩しさに思わず目を瞬かせた。

外はとっくに日も落ちて、暗くなっているにも関わらず、城の中は昼のように明るく、そして敷き詰められている赤い毛氈がそれは鮮やかな色彩を放って美しかった。

ヴァシリーは慣れたように別の道で違う方向へと歩いて行ってしまい、美加はどうやって会うのかも何も話せないままに別れてしまっていた。しかし、ヴァシリーは間違ってあの地下へと来ていたのだ…ならば、きっと今頃は自分の部屋か屋敷へと戻ってしまっているのだろう。

美加は、侍女について歩きながらため息をついた。あんな地下で会ったから、きっと自分のことも良く見えたに違いないのだ。そこから出たら、こんなに美しい世界で、美しい女神達が居る。自分のような前科のある女を、幾ら改心して許されたからと、妻になど思ったことを、後悔しているのだろう。

美加は、そう思うと悲しかったが、それでも僅かな間だけでも、生きていて良かったと思えた。今の美加には、妬む気持ちや、恨む気持ちというものが、全く湧いては来なかったのだ。

侍女が、客間らしい部屋の前で立ち止まって、こちらを向いて頭を下げた。

『こちらでございます。湯殿もございまするし、お洋服もご準備致しておりまするので、どうぞ中へ。』

美加は、遠慮がちに頷くと、その戸を開けて中へと足を踏み入れた。

中は、何もかもがぴかぴかに磨き上げられた、最上級ではないものの、それは綺麗な部屋だった。もっと広い王宮の部屋しか見たことのなかった美加だったが、あんな場所に居た後なので、それがどんなに恵まれた場所であるのが身に沁みて分かった。

南に居た時とは、丁度の様子が違ったが、美加は汚れた服で辺りを汚してしまわないように気を遣いながら、すぐに湯を使った。真っ黒いお湯が流れて行くのを見て、やっと美加は生まれ変わったような気がしたのだった。


ヴァルラムが、己多を連れて上階へと上がって来ると、思った通り何の連絡もしていないのに、維心と十六夜がその、審議の間と言われる部屋へと入って来た。ヴァルラムは、ふっと笑った。

『やはり我の目を使っておったか。初めは気付かなんだが、途中で主らの意識が微かに自分の中にあることに気付いたわ。なので、使いをやるまでもないと思うて。』

維心が、頷いた。

『気取られたのは、気付いておった。それで』と、己多を見た。『久しいの、己多。我に何の挨拶もなく、水臭いではないか、のう?』

己多は、維心を睨んだ。しかし、その目からは、思ったような怨嗟の念は全く感じ取れなかった。逆に拍子抜けした維心は、眉を上げて十六夜を見た。十六夜は、言った。

『…やっぱりか。お前、龍軍を出て失踪する時にも、誰一人殺さずひっそりと消えただろう。維心も、それをいぶかしんでいた。前までの記憶が戻ったのなら、宮へ潜んで来て軍神や維心を斬ろうとしたはずだと言って。』

己多は、ただ黙っていたが、言った。

『…無駄なことはせぬ。我は愚かではない。』

維心は、じっと己多を見つめた。何かを探ろうとしている目だということは、十六夜にもわかった。

『なぜに、また仙術を?あれを使って、美加を殺して我に仇なそうとか、そんな思惑か。』

己多は、それを聞いて全て知られている上で、自分はこうして連れて来られたのだと知った。そして、キッと顔を上げると、言った。

『ああ!あの主の血筋の娘を殺せば、さぞ胸がすくだろうと思うての!あの深い青い瞳、見ておると虫唾が走ったわ!』

じっと己多を見ていたヴァルラムと十六夜が、同時に口を開いた。

『本心ではない。』

己多は、驚いて二人を見た。維心は、頷いた。

『我らに偽りを申しても無駄ぞ。主はまだ我を恨んでおるふりをしておる。しかし、その実主の中にはそんな激しい感情などない。今の激しい言葉の最中であっても、主の気は平常なままぞ。我は、主を罰する理由がもう無いのだ。というのも、もう罰は与えてあの戦の罪はもう無い。今あるのは、龍軍を脱走したという罪のみ。これは大したことはないからの。なので、主に聞く。主は何を思うておる。』

己多は、じっと黙って下を向いた。話したくはないようだ。しかしヴァルラムが、横から言った。

『うーむ、ならばどうする?主は記憶とやらをまた除くことが出来るのだろう?それを取って見てみれば良いのではないのか。何を考えておるのかわかるしな。』

己多は、ぎょっとした顔をした。記憶を奪われる…あの経験は、もう二度としたくなかった。何より、己が己でなくなる感覚は、想像を絶する苦しみと恐怖だった。

『…我はどこで、生きれば良いのだ!』維心とヴァルラム、それに十六夜が同時に己多を見た。己多は続けた。『記憶が戻った今、あの龍軍で龍王に仕えるなど出来ぬ。だが仲間はいい奴らだった…我一人が蛇なのに、龍であるあやつらは仲間として同じように扱ってくれた。誰も、我の罪など問わぬ。知っておる者も居ったであろうに、記憶がない我を責めることなど一切なかった。それなりに充実した日々を送っていたのに…立ち合いでもろに頭に気を食らって、意識を失った後、記憶を戻してしもうた。最初は恨む我も居た…それなのに、仲間達の様子に、とても恨めなかった。記憶が戻ったことは誰にも言えず、ただ仕えようとも思うたが…この記憶が、それを許さなかった。なのである日、皆が寝静まったのを見て、あの地を出たのだ。誰を恨めると申す。我は殺されず、生き直すことを許されて、あの時点まで確かに幸福に生きていたのだ。こうして記憶を戻してしもうたのは、我の責。どうにもならぬ。こちらへ来てひっそり暮らそうとして、捕らえられた。住処を略奪するのに失敗したからだ。そして地下へ入れられて、毎日を過ごしておるうちに、そこで騒ぎを起こせば、始末されるのだと知った。しかし、誰かを殺すほどのことをしなければ、軍神達は我の命を奪ってはくれぬ。ならば得意の仙術で、南を思い出される瞳を持った、美加を殺して己も討たれることを望んだのだ。我には生きる場などない。南の仲間の下へ戻れぬのに、どこに生きて行く道があるというか!』

己多は、言い切ってからぜいぜいと息を荒げた。十六夜は、じっと黙っていたが維心を見る。維心は、意外だったのか、しばらく黙って考え込んでから、言った。

『困ったことよ…放り出すわけにもいかぬ。』

ヴァルラムが、頷いて維心を見た。

『こやつが何をして何を恨んでおったのか知らぬが、それがまだ心のどこかに残っておって、主に仕えるには抵抗がある。それなのに龍の仲間には信頼と愛着がある。その板挟みで、苦しんでおるのだ。』

維心は、頷いた。

『それは我にも分かる。だが、我は退位したくても出来ぬしな。ほんに今すぐにでもこんな面倒な地位は捨て去りたいが、許されぬから。』

十六夜が、維心を見た。

『じゃあ、肝心な所だけ消しちまったらどうだ?蛇の王であったって箇所だよ。玉にして、今度は砕いちまおう。そうしたら、二度と戻らねぇし。』

己多は、顔をしかめた。また、記憶を抜かれるか。

『確かに…我は全ての記憶を取られても、手厚く言葉から教えられて普通に生きることが可能になってはおったが、それでも己というものをまた失うのは…。』

維心は、己多を見つめた。

『だが、全て主の方の問題よ。我は別に、主に記憶が戻ろうが何だろうが、主を使うことに異存はない。真面目な仕事ぶりであったしな。』

己多は、考え込むような顔をして、視線を落とした。龍王が、まさか記憶の戻った自分を使うというとは思わなかった。

すると、ヴァルラムが言った

『では、ここで我に仕えてはどうか?優秀な軍神は幾人でも欲しいゆえ。我は別に構わぬがの。』

己多は驚いた顔をしたが、しかし、首を振った。

『我はそこまで厚かましくはなれぬ。それに、やはり南で生まれたのだから、あの地に骨を埋めたい。勝手を言うておるのは、重々承知であるがの。』

十六夜が、言った。

『それなら、月の宮がいい。いろんな神の寄せ集めだし、お前が蛇でも誰も気にしねぇよ。それに、あそこには龍の軍神がよく出入りする。お前の仲間にも、月の宮なら会える機会があるぞ。』

己多は、その話に思わず身を乗り出した。

『月の宮…月の宮に、仕える事が出来るか。』

十六夜は、頷いた。

『ああ。蒼には、オレから話そう。あいつだって手練れの軍神を増やしたいんだ。喜ぶだろう。』

維心も、頷いた。

『そうなれば我も安堵するの。では、蒼にそのように。』と、己多の格好を今気付いたようにとっくりと見た。『とにかくは、その身なりをなんとかせよ。それではいくら蒼でも首を縦に振らぬぞ。』

ヴァルラムが、笑った。

『おお、確かに酷い有り様よな。侍女!』すると、横からスッと一人の侍女が出て来た。『客間へ案内してやるように。』

そうして、ヴァルラムが歩き出すのに、維心も十六夜もついて歩き出した。

己多は、少し目を潤ませたが、侍女についてそこを出て行った。

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