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迷い

その日の作業は、終わろうとしていた。牢番が作業終了を告げ、こちらの作業場のもの達は皆、籠を手に岩場から引き揚げようとしていた。

『あ…、』

その時、一人の女が岩場に倒れて、動けなくなった。美加がそれに気付いてそちらへ向けて足を出した。籠はヴァシリーが運んでいたので、その場で唯一身軽だったのは美加だったのだ。しかし、牢番は、叫んだ。

『またお前か!昨日も倒れたではないか。役に立たぬ女ぞ!』

倒れた女が動かないので、立ち上がらせようとその牢番はわざと外してその脇に気弾を打つ。美加は、バラバラと飛ぶ細かい砂や石からその女を庇った。

『やめて、疲れて動けなくなったのよ!もう作業は終わったのでしょう。籠は我が運ぶわ!』

牢番は、忌々しげに美加を見た。

『役に立たぬ女など飼っておく必要はない!どけ、始末する!』

美加は首を振った。

『やめて!あなたにそんな権限はないはずよ!軍神にしかそんなことは出来ないわ!』

しかし、牢番は意地悪く笑った。

『作業途中で死んだと報告すれば良い。うるさい女、お前も同罪よ!』

気弾が降って来る。

美加は、急な事に思わず伏せた。もう駄目…!

しかし、気が付くと目の前にバラバラとダイヤモンドの原石が落ちて来た。見ると、籠も側に転がっている。顔を上げると、ヴァシリーが美加達の前に立って牢番を見上げていた。

『ヴィクトル!』

美加が叫ぶ。ヴァシリーは、それには構わず言った。

『何と、主こそ王にここへ籠められるべき神。ここの囚人を始末出来るのは、軍神だけと決まっておる。この女が言うた通りぞ。』

牢番は、思いもしなかった新入りの囚人に、やけに筋が通った事を言われたので、羞恥と、そのあとに沸き上がる怒りで顔を真っ赤にした。

『この…囚人が!ダイヤモンドを利用して気弾を遮るなど…!』

ヴァシリーは笑った。

『主ごときの力、この地上で一番硬いとか言う物があれば、簡単に抑えられるわ。愚かなやつよな。』

美加が、慌てて言った。

『ヴィクトル、そんなことを言っては、あなたまで…、』

ヴァシリーは、美加をちらと見下ろして小声で言った。

『そこにじっとしていよ。』

美加は、その時髪の間から見えたヴァシリーの美しい顔立ちに驚き、思わず黙った。

するとそこへ、騒ぎを聞き付けたダヴィートが慌てて飛んで来た。

『何事か!』

ヴァシリーが言った。

『こやつ、この女を始末しようとして気弾を放ちおったのだ。』

ダヴィートは、それを言ったのがヴァシリーだと知ると顔色を変えた。

『規則違反ぞ!捕らえよ、王のご処断を!』そして、去り際に言った。『皆、戻れ。』

両脇を他の牢番に抱えられたその牢番は、必死に叫んだ。

『ダヴィート様!我はただ言う事を聞かぬ女に制裁を加えようと…!』

その牢番を捕らえた両脇の牢番は、ためらうようにダヴィートを見る。しかし、振り返ったダヴィートは顎を降った。

『連れて行け。』

そうして、その牢番は引きずられて行った。

気が付くと、引き揚げて来ていた、新しい採掘場の方の男達もこちらを見ている。

その中には、キダも居た。


やっとのことで独房へ戻ると、キダが先に戻っていた。

牢番は、明らかに動揺した様子でヴァシリーと美加を独房へ戻して鍵を掛けると、緊張気味に戻って行った。目立ち過ぎたか、とヴァシリーは居心地悪げにキダと美加に背を向けて横になると、キダの声が行った。

『主…かなりの腕だろう。』

ヴァシリーは、やはり見られていたかと心の中で舌打ちしたが、答えた。

『…だったら何だ?』

本当にお前には関係ない、といった口調だ。キダは少し黙ったが、声を落として言った。

『ここから出ると大口を叩くはずよ。主なら可能なのやもしれぬ。何か策はあるのか?』

ヴァシリーは、何か引き出せるかもしれぬ、と思いながらも鬱陶しいと思っているような言い方をした。

『あっても主に答える筋ではない。それとも、何か我の力になれるとでも言うのか?』

キダは、ずいと格子に掴まって、それ以上こちらへ来れぬのに破るのではないかというほどの勢いで見た。

『ヴィクトル、我らに力を貸せ。主は、この城に詳しいか。』

ヴァシリーは、身を起こしてキダを見た。キダは、思ったより必死の表情でこちらを見ていた。

『それは、ここで仕えておったからな。誰より詳しいであろう。しかし、気も使えぬ主が、何をしようとしておるのだ。それに今、我らと申したの。ミカも何か企んでおるか。』

並んだ独房の向こう側で、美加は下を向いた。しかしそれが見えないキダは頷いた。

『聞いたことはないか。南に、大層に力の強い龍王が居る。その龍王の目は、美加と同じ色…龍王の血筋以外には現われない色ぞ。この美加の力を借りれば、ここを出ることは可能。だが、我には地の利がないゆえ、万が一ここの王に捕らえられてはと案じておったのだ。』

ヴァシリーは、興味を示したふりをして、身を乗り出した。

『だが…龍王の血筋と言うて、今は気を封じられておるではないか。それに、女ではそう気も強くはあるまい。そんな力で、ここから出たとしても階上の城の中にいる軍神達には太刀打ち出来まい。』

しかし、キダはふっと笑った。

『それが…違うのだ、ヴィクトルよ。我は、術を知っておる。』

ヴァシリーは、じっとキダを見た。術?

『術を掛けるにも、気が要るのではないのか。』

キダは、ニッと笑った。ヴァシリーは、その顔に驚いた…もしや、気が無くても扱える術があるのか。

『主らは知るまい。我はあちらの地から来た。あちらには、人の仙人が考えた術がある。龍王のこの血の持つ力…それを、最大限に引き出す術があるのだ。その力を操ることも出来る。美加の力で、ここを出る。主は上階へ出た後の案内を頼む。そのまま、南へ逃げればこちらの軍神には地の利があるまい。しばらくあちらで潜めば、逃げおおせる。』

ヴァシリーは、無表情でそれを聞いていた。しかし心の中では、龍王が感じた違和感とはこれだったのかと思っていた。美加に視線を移すと、キダとは違って、じっと下を向いて、まるで聞いていないようだ。

ヴァシリーは、この脱獄計画が、キダが主導で行なわれようとしていること、そして、美加がまだ迷っているらしいことをそれで知った。

しかし、ヴァシリーは先を促すように言った。

『…いつ実行するつもりだ。』

キダは、ヴァシリーがすっかり興味を持ったものと思ったのか、興奮気味に格子に抱きついて言った。

『もうすぐ、古い採掘場から新しい採掘場に変わる。そうすると、美加と我が同じ場所で作業することになる。もちろん主もな、ヴィクトル。そこで、術を発動するのだ。』

ならば、数日中か。

ヴァシリーは、軽く頷くと、またキダと美加に背を向けて横になった。

『…ま、頭に留めておこう。その術とやらが成功したなら、手を貸してやっても良い。』

美加は、何かを言いたげな目でヴァシリーを見たが、それはヴァシリーにもキダにも見えなかった。キダは、本当にここを出ることが出来るのだと、気分を高揚させていた。



ヴァルラムは、ダヴィートより報告を受けていた。維心も、前に座ってそれを聞いていた。

『ふーん…それは主の管理不行き届きぞ。まさかこれまでも、そのような横暴な振る舞いの牢番が居ったのではあるまいな。』

ダヴィートは、深々と頭を下げた。

『そのような!牢番達には、重々申し渡しておりまする。』

ヴァルラムは、怪訝な表情をしたが、言った。

『まあ良い。そやつもそこへ放り込め。他の囚人からいろいろと洗礼を受けるであろうが、それが罰よ。我はあれらの命をどうこうする権限まで主らに与えたつもりはない。それは、よう分かっておるであろうな。』

ダヴィートは、ひれ伏したまま言った。

『は!王の命は、全て守って行きまする!』

ヴァルラムは、それを聞いて面倒そうに手を振った。

『下がれ。引き続き見張れ。まあ、ヴァシリーならば気など使わぬでも牢番ごときにやられることは無いであろうがな。』

ダヴィートは、深々と頭を下げたままじりじりと後退して、そうして部屋から出て行った。それを見送ってから、ヴァルラムは維心を見て言った。

『恥ずかしい事よな。臣下の不行き届きを目の当たりにしてしもうて。主も呆れたことであろう。』

維心は、首を振った。

『どこなりとあること。一人や二人ぐらいはそんな輩も混じっておるものぞ。まして我は主にそんなうちの一人を預けておるのだし、気にすることはない。』

しかしヴァルラムは、ため息をついた。

『ヴァシリーがおらなんだら、その預かりものを失っておったやもしれぬぞ?良い時にあれを潜入させておったことだ。』

維心は、頷いた。この様子だと、ヴァシリーからの報告はまだまだ受けられそうにない。もうしばらくここに滞在することになるか…。

維心は、空に十六夜の気配を探った。

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