里への誘い
箔翔といくらか立ち合って、また語らい、そうして維明は夕方龍の宮へと帰って来た。鷹の宮に慣れてから戻ると、やはりここはかなり大きい。今さらながら、龍の力をそれで思い知った。
その大きく高い天井に解放感を感じながら、維明がホールを抜けて自分の対へと向かっていると、維月が突然に脇から出て来て維明の行く手を阻んだ。維明は、びっくりして立ち止まった。
「は、母上?いかがなされた。」
維月は、脇へぐいと維明を引っ張り込むと、言った。
「維明様、箔翔はいかがでしたか?」
維明は、苦笑して言った。
「維月、今まで通りに接するが良い。あの折維心もそう言うておったではないか。子として接しよ。」
維月は、ばつが悪そうに下を向いた。
「無理ですわ。中身がそうだと知っておるのに。将維とは訳が違いまする。それで、箔翔は?」
維明は、ため息をついて答えた。
「しばらく見ぬ間に、すっかりひねてしもうておって。本日は愚痴を聞きに参ったようなものだった。まあ、あれは人世に留学したり、箔炎が類い稀な女嫌いであったりしたゆえ、普通の神の王とは感覚が違う。なので、己の妃も己で決められぬと、鬱積を溜めておるようよ。」
維月は、心配そうに顔をしかめた。
「箔炎様が亡くなって、一人であられるのに宮に籠められて、案じておったのですわ。母が箔炎様の妃でありましたし、私も気にしておりますの。」
維明は、頷いた。
「そうよの。我ももう少し足蹴く通うてやろうと思うた。まだ若いのだ。あのようになるのもしようのないことぞ。」
維月は、頷いた。
「よろしくお願いいたしますわ。維明様なら、箔翔も気を許しておるでしょうし。」
すると、維月は突然にぐいと腕を引かれた。
「何をこそこそ言うておる!」
維月は、びっくりして振り返った。維心が、見るからに怒ってそこに立っていた。
「維心様!…あの、会合では?」
維心は、唸るように言った。
「終わった。留守にしておったから、安心しておれば主は!わざわざに待ち伏せて何を話しておった!」
維明が言った。
「箔翔のことでございます。母上には、お祖母様の夫の子ということで、案じておられたので。」
維心は、維明を睨んだ。
「…ならば、我が居る時に居間で聞けば良かろう。主ももう己の対へ戻れ。」
維明は、頭を下げて言った。
「は、父上。」
そして、そこを離れて行く。維心はそれを見送ってから、維月の手を引いて言った。
「さあ、戻る。維月、あれと二人で話す事を禁じたはずぞ。なぜに聞けぬ。」
維月は、維心を不満げに見上げた。
「維心様が、そうしてご機嫌悪くなさるからですわ。普通に話そうにも、ご機嫌悪く隣で座っていらっしゃるので、落ち着いて話が聞けませぬ。ならばと、戻って来るのを待っておったのでございます。」
維心は、維月を見て歩き始めていたのに立ち止まった。
「仕方がないであろう。主は取り決め通りにあれを子として扱わぬではないか。あくまで前世の叔父上として話す。不機嫌にもなろう。」
維月は、確かにそうだけどと思いながらも、言い訳がましく言った。
「そうはおっしゃられても…維明様だと思うと、とても今まで通りには出来ぬのでありまする。お分かりくださいませ。」
維心は、また歩き出した。
「とにかくは、主があれを今までのように子として扱えぬと言うのなら、その間は二人で会うことはならぬ。分かったの?」
維月は、ため息をついた。これ以上言っても維心の機嫌が悪くなるだけだ。
「分かりました。」
維心は、険しい顔のまま維月の手を取ってさくさくと歩いて行く。
維月は、どうしてこんなに維明様を警戒なさるのかしら…とただ不思議でならなかった。
それから数日して、謁見の時間なので維心が留守にしている居間で、維月は庭を眺めていた。見慣れた庭だが、維月が飽きないようにと、庭師達がいろいろと趣向を凝らして、その季節季節で違う美しさを楽しめるようにと作ってくれているので、維月もいつも庭を興味深く眺めることが出来た。そんな維月の前に、十六夜がすっと現れた。前は飛んで来たので心の構えも出来たが、最近の十六夜はこうしていきなり出て来ることが多い。なので、今日も維月はびっくりして飛び上がりそうになった。
「い、十六夜!お父様でも呼ばないとそんなに突然に出て来ないわよ!びっくりしたじゃないの!」
十六夜は、ははと笑って頭をかいた。
「ああ、すまない。つい出て来ちまった。これが出来るようになると、飛ぶのが面倒でよぉ。」
維月は、どきどきする胸を押さえて言った。
「もう!蒼だって、宮で突然に出て来るのは禁じたと聞いているわよ。ここでもパッと出るのはやめて。維心様だって、きっと同じことをおっしゃるわよ。」
十六夜は、ふっと息を付いて言った。
「わかったわかった。そんなことより、お前の里帰りの事を言いに来たんだ。維心は?」
維月は、まだ言い足りなかったが、十六夜が全然気にしていないのでふて腐れた感じて答えた。
「謁見に出ていらっしゃるわ。もう二時間ほどだし、そろそろなんじゃない?」
十六夜は、ふーんと側の椅子へどっかり座った。
「そうか。あいつはいちいち前日までに維月の里帰りの件は言えと念を押すから、待たせてもらうよ。」
維月は、仕方なく息をついて十六夜の横へ座った。
「いいけど。この時期に里帰りって、何かあった?」
十六夜は、ちらと維月を見た。特に何かあった訳でも無さそうだが、いつもは維心が戻るのが面倒だから出直すとか言う十六夜が、こうして待っているのでどうしたのだろうと、維月は思ったのだ。十六夜は、維月をしばらく見つめていたが、言った。
「お前って、勘が鋭いよな。ここで何もないって言ったら、嘘だと言うだろう。」十六夜は、維月の肩を抱いた。「今、晃維が月の宮へ来ててな。明日まで居る。その、娘を連れて来てるんだが。」
維月は、ぱっと明るい顔をした。前世の息子の晃維は、兄弟の中でも姿は維心に似ているが、どちらかというと維月に気質が似ている人っぽい息子だったからだ。
「まあ。最近会っていなかったから。娘って奏でしょう?幼い頃に一度見たきりなのよ。」
十六夜は、頷いた。
「ああ。晃維は、西の砦しか知らない奏を、どこかの宮で世間ってのを見せてやりたいって言って、蒼に預けようとしている。龍の宮へ預けることも考えたらしいが、ここは厳しいからさ。萎縮したら不憫だと言って、最初は月の宮で、次は龍の宮って感じに段階上げてくつもりらしいぞ。」
維月は、苦笑した。
「晃維らしいこと。確かに世間知らずになってしまったら、奏も嫁ぐ時大変ですものね。蒼にとっても孫なのだし、喜んでるんじゃない?」
十六夜は、それを聞いて少し困ったように笑ったが、頷いた。
「半々かな。あいつは前に結構懲りてるから。だが、奏は素直でかわいらしいぞ。お前も一度話してみるといいと思って、里帰りさせようと思ったんだよ。」
維月は、何度も頷いた。
「ええ!それなら話は別。楽しみよ。」
すると、居間の戸が突然に開いた。そして、維心が大股に、しかしゆっくりとした足取りで入って来た。
「なんだ、主、来ておったのか。」維心は、十六夜に気付いて言った。「また里帰りか?」
維月が、慌てて立ち上がって維心へと近寄った。維心は、手を差し出して維月の手を取った。
「はい。此度は、晃維が明日まで居るからと、私に会わせてくれようと思うてくれたのですわ。」
維月が言うのに、維心は驚いたように維月を見た。
「晃維?またなぜにあれが月の宮へ参ったのだ。」
それには、十六夜が答えた。
「奏を預けるつもりで来たんだ。」維心が眉を上げたのに、十六夜は続けた。「別に問題があるからじゃねぇぞ?ただ、社会勉強させたいだけだ。」
維心は、自分の椅子へと腰掛ながら言った。
「確かに長く砦に住んでおる娘ではなかなかに嫁ぎ先も決まらぬであろうからの。あれも子を持つ親の悩みを抱えておるか。」
維月は、維心を見た。
「維心様も、晃維に会いに共にいらっしゃいますか?」
維心は、目を丸くした。
「我が?里帰りについて参るのか?」
十六夜が、余計なことを、といった風に顔をしかめたが、維月は頷いた。
「はい。維心様にも、晃維には最近会っていらっしゃらぬでしょう。顔を見ておいてもよろしいのではないかと思って。」
十六夜が何かを言おうと口を開いたが、維心が先に言った。
「おお、良い考えよ。共に参ろうの。」
嬉しそうに微笑んでいる。十六夜は、言った。
「何が良い考えだ。それでなくても一週間ほどで来るくせに、最初から付いて来るってどういうことだよ。」
維心は、睨むように鋭く十六夜を見た。少し拗ねているような感じだ。
「たまには良いではないか。あちらへ行っても、里帰りならば我は主らの部屋が一緒でも文句は言わぬだろうが。我は我で、あちらへ行けば我慢しておるのだ。維月もこう申しておるのだから、此度は我も共に行く。」
十六夜は、呆れたように肩で息を付いて視線を天井へとくるりと向けたが、頷いた。
「仕方がねぇな。好きにしな。じゃ、明日はあっちで待ってる。」と、維月を見た。「じゃあな、維月。明日は維心に連れて来てもらえよ。」
維月は、微笑んで頷いた。
「ええ、待っててね。」
そうして、十六夜はまた出た時と同じに、ぱっと消えた。
それを見た維心は、盛大に顔をしかめた。
「あれは、止めさせねばならぬな。消える時は良いが、来る時は心の臓に悪いわ。」
それには、維月も大賛成で頷いた。
「その通りですわ!蒼も、宮でぱっと出るのは禁じておりまする。心が持たないと申して。」
維心は、あくまで真剣な顔で、頷いて言った。
「我が宮でも、あれを禁じることにしようぞ。兆加に申し渡す。と申して、あんなことをして訪ねて来るのは十六夜と碧黎ぐらいであるがな。」
そうして、果たして守られるか分からないが、龍の宮でも瞬間的に現われるのは禁じられたのだった。




