王族と臣下
炎嘉は、酒も進んで陽気な様で言った。
「しかしこやつは維月維月と言う割には、時に仲たがいなどして大騒ぎをする。いっそ、我に預けてしまえば良いのだ。さすればその有り難味も少しは分かろうほどに。」
維心は、酒は進んでいるが不機嫌な様子で答えた。
「うるさい。有り難味など、嫌になるほど身に沁みたわ。我とて、転生していろいろと忘れておるのだ。主のように、いきなり転生して来たのではないからの。維月と十六夜と、転生のシステムに乗っ取って生まれ変わったのだ。前世の延長のような主とは違うわ。」
炎嘉は、気を悪くした風でもなく、笑って言った。
「ああ、そうよの。分かっておる。」と、維心の後ろであくびをかみ殺している維月を見て言った。「維月、またいつものように眠そうな。主はいつなり変わらぬのう。長く宴席に居るのは退屈か。そうだろうの、こんな堅物の後ろで黙っておらねばならぬのだから。よう分かるぞ。」
維月は、慌てて出かけたあくびを引っ込めた。維心は、そんな維月をちらと見てから言った。
「別に、我が退屈な男であるから維月が眠いのではないぞ。本日は朝早くから準備があって、夜明けには起きておったからだ。維月はいつも、日が昇るまで眠るからの。眠くなるのも道理であろうが。」
炎嘉は、維心を見て言った。
「わかったわかった、主もこんな冗談に生真面目に答えおってからに。のう維明よ。」と、炎嘉は維明の方を見て、少し眉を上げた。そして、じっと見てから、続けた。「…維明よな。主、何やら気が大きく変わったの。何があった…さては、女か?維明、女であろう。正直に申せ。」
維明は、炎嘉に話を振られて苦笑した。炎嘉…前世はあまり接した事は無かったが、維心に聞いておった通り、遠慮もないことよ。
「炎嘉殿。我には、そのような暇はありませぬ。毎日政務と軍務ばかりでありまするので。」
炎嘉は、酒が入っていて気が大きくなっていて、それでは納得しなかった。
「何を申す。暇などいくらでもあるわ。夜まで政務に携わっておるのであるまいが。」と、維斗を見た。「維斗、主、女の影を見ておらぬか?」
維斗は、戸惑いがちに首を振った。
「いえ…何しろ、兄上はそのようなものは絶対に側へ寄らせぬかたなので。」
維心と同じか。
炎嘉は、酔いながらもそれを聞いてそう思った。そして、維明をまた見た。
「その変わり様…何やら長い時を思わせる。とても、成人間もない男の気ではない。前世の維心を見るようよ。いや、前世の維心の方がまだ荒々しかったか。何やら穏やかで、やけに落ち着いておる。」
維心は、炎嘉の鋭い指摘に眉を寄せた。さすがに、鳥の王であったことはある。
「我が息子が、成長しておるのだ。頼もしい限りであろうが。その理由などどうでも良いわ。我は、我の跡を支障なく継げる皇子であれば、それで良いのだ。」
炎嘉は、維心を振り返って、じっとその目を見た。何かを探っているようでもある。しかし、炎嘉は、すんなりと頷いた。
「そうか。確かにの。龍族には繁栄してもらわねば、我も今生、龍であるしな。」と、視線を壇の下へと向けた。「そうそう、すっかり忘れておったが、瑠維の祝いの席であるのに、我はあやつに祝いを述べてもおらなんだ。ちょっと行って参るかの。」
炎嘉は、大儀そうに立ち上がる。維心は、炎嘉が維明のことに突っ込んで来なかったのでホッとしたが、黙っては居ても何を考えているのか分からない炎嘉に、警戒するような視線を向けてそれを見送ったのだった。
炎嘉が、こちらへ歩いて来る。
瑠維は、それに気付いて嬉しくなった。やはり、炎嘉様は我を忘れておるわけではなかったのだわ。
その席には、今は帝羽も居らず、義心も席を外していたが、それでも炎嘉は人当たりの良い笑顔を浮かべてその席へとやって来た。
「明輪。よう精進したゆえ、皇女を娶ることが出来たのであるの。祝いを申すぞ。」
明輪は、慌てて立ち上がって炎嘉に頭を下げた。
「炎嘉様。もったいないお言葉でございます。」
炎嘉は、笑って手を振った。
「そのようにかしこまるでないわ。」と、瑠維を見た。「瑠維よ。ついこの間まで赤子であったように思うのに、もう嫁ぐのか。寂しくなるの。」
瑠維は、立ち上がって頭を下げた。
「炎嘉様…炎嘉様には、大変にお世話をお掛けしました。まるで本当の親族のように、我を見てくださったこと、感謝しておりまする。」
炎嘉は、頷いた。
「我が子のように思うておったからの。あまりに維心にそっくりなので、時に複雑であったがな。だがそれだけ美しければ、子も麗しいであろう。幸福にの。」
瑠維は、少し赤くなりながら、頭を下げた。
「はい。ありがとうございます。」
そして、明輪を見て、言った。
「これを頼むぞ、明輪よ。皇女として育ったゆえ、臣下の生活を知らぬから。最初は大変であろう…己の両親や兄弟ですら、これからは主従関係になる。降嫁するとは、そういうことぞ。もはや王族ではないのだ。それが、王族であった身にはつらいもの。主、弁えて助けてやるが良い。」
瑠維は、驚いて炎嘉を見た。炎嘉は、それを知っている…両親ですら、そんなことには気が付かないようだったのに。
明輪は、そう炎嘉に言われて、やっとそれに思い当たったようだった。そして、表情を引き締めて、頭を下げた。
「は。肝に銘じておきまする。」
炎嘉は、満足そうに頷くと、また壇上へと戻って行った。
瑠維は、その背にいつまでも頭を下げていた。
一方、維月はそれを、壇上で耳を澄まして聞いていた。維心は、今は他の臣下達と何かを話している。そして、炎嘉の言葉に、目を開かれたようだった。
確かに、瑠維は王族としてこれまで育って来た。何よりも尊重される立場から、一気に臣下へと下り、尊重する立場へと変わるのだ。それが、孤独でなくてなんであろう。
炎嘉が、こちらへと戻って来て、維心の隣りの席へと座った。維心は、まだこちらの臣下と話しているところだった。維月は、そっと炎嘉に話し掛けた。
「炎嘉様。」
炎嘉は、一息ついて、物思いにふけっている様子だったが、維月に話しかけられて驚いたようにそちらを見た。まさか、維月が話しかけて来るとは思わなかったらしい。
「維月?維心が怒るぞ。」
維月は、それでも声を潜めて言った。
「それでも、お話を。あの、瑠維のこと…気遣ってくださり、ありがとうございまする。私や維心様では、思い当たりませんでした。ですが、炎嘉様にはお分かりになっておられたのですね。」
炎嘉は、苦笑して同じように声を潜めて言った。
「そうか。そうだろうの。我とて前世では気付かなんだやもしれぬ。だが、今生長く王ではなかった。その時に、それを知ったのだ。なので、言うておいてやらねばと思うた。瑠維は、全く違う世界に参るのであるからの。」
維月は、ため息をつきながら頷いた。
「はい。もはや臣下でありまするし…あの子は、生まれながらの王族で、そのようなことは知らぬでしょう。炎嘉様がおっしゃってくださったことで、明輪が少しでも気遣ってくれたのならば…。」
炎嘉は、微笑んで維月の手をそっと握った。
「そうよな。大丈夫、瑠維は幸福になれるだろうて。主は案じることはない。明輪は、良い軍神であるからの。」
維月は、炎嘉に微笑み返した。
「はい、炎嘉様。」
炎嘉は、維月の手にそっと唇を寄せた。維月は、驚いて赤くなった。
「まあ炎嘉様…このような所で。」
炎嘉は、くっくと笑った。
「どこでも同じよ。次はいつ南へ来れる?年に二回であるから、待ち遠しいことよ。」
「うるさいと申すに!」維心の声が、いきなり割り込んだ。「何をしておる!ちょっと目を離せば、主は!維月も維月ぞ!何をこそこそと炎嘉に話し掛けおってからに!」
維心は、維月の手を引っ張って自分の方へと引き寄せている。炎嘉は、ふーっと長い息を付いた。
「あのなあ維心。ちょっと話しておっただけではないか。ほんにもう、せっかく良い心地であったのに。」
維心は、ぶんぶんと首を振った。
「ならぬ!許した覚えはないぞ!」と、維月を見た。「維月、眠いのではないのか。奥へ戻る!」
維心は、完全に怒ってしまっていた。維月は、仕方なく立ち上がった。
「それでは、王がお戻りになるので、私もこれで。」
維心は、維月の肩を抱くと、奥へと足を向けた。すると、維明が急いで言った。
「父上、瑠維にお言葉を。」
維心は、ハッとして振り返った。そして、瑠維の方を見ると、言った。
「瑠維。我らは奥へ戻る。主も、明輪の教えを守り、よう仕えるようにの。」
その声に、明輪も瑠維も慌てて立ち上がった。そして、頭を下げた。
「はい、お父様。」
それを聞いた維心はひとつ、頷いて、維月を連れて奥へと入って行った。
それを見た明輪も、瑠維を見て言った。
「では、我らもそろそろ戻ろうぞ。召使達も、親族も待っておろう。」
瑠維は、やっとここから出れるのかと、頷いた。
「はい、明輪様。」
そうして、瑠維は明輪に連れられて、明輪の屋敷へと飛び立って行ったのだった。




