宴
維心の背を追って行くと、大広間へと大扉が左右へ大きく開かれて、そこへと足を進めて行ったのが見えた。瑠維と明輪もそれを追って入って行くと、そこには大勢の賓客達がひしめき合い、明輪は仰天した…これが、王族を妻にするということか。
戸惑う明輪を他所に、維心は維月を抱いたまま、一段高くなっている席へと向かって行く。瑠維も、大勢の客にもひるむ様子もなく、足を進めようとした…明輪は、慌てて遅れを取るわけには行かないと、瑠維に遅れることなく何気ない風を装って、維心の後ろへと付いて歩いた。
すると、侍女が進み出て明輪と瑠維に頭を下げた。
「明輪様と、瑠維様は、こちらへ。」
侍女は、横に設えられている軍神達の席を示した。そこには、義心や帝羽、それに慎也など序列の高い軍神数人が緊張気味に座っている。上座に近かったが、しかしそれがある壇上ではなくその下だった。
それでも、明輪にすればいつも壇上ではなく下の席だったので、ホッとした。臣下が、壇上へ座ることはないのだ。
しかし、逆に瑠維は戸惑ったようだ。常壇上に居て、下の席に座ったことのない瑠維にとって、そこは初めて座る席だったからだろう。
だが、軍神の妻として降嫁する瑠維は、もう臣下の扱いだった。なので、明輪の序列に従って、軍神達の席の上位の場所へ座った。そこは、明輪の席の斜め後ろに当たる場所で、他からは見えにくいように仕切り布が近くに掛かる場所だった。だが、維月も壇上で同じように維心の斜め後ろに座り、そんな仕切り布の間に収まっているので、瑠維は安堵した。全く見えないわけではなくて、明輪、つまりは夫からは見えるが、他の者からは見えにくい仕様になっているのを知っていたからだ。
そこへ収まって、ホッと息を付いた瑠維は、壇上に居る両親の方を見た。維心は、大事そうに維月を自分の斜め後ろの席へ下ろし、侍女達に指図してかんざしを抜かせたり着物を緩めたりとこちらを見る様子もない。そんな壇上の大騒ぎの様子に、兆加も開宴の挨拶を王に勧めるわけにも行かず、困っておろおろと維心の方を伺っている。いつもは頼りになる兄も、王である父がそんな様子なので口を出すわけにも行かず、苦笑して同じ壇上にある自分の席に座って、維斗とそちらを見ているだけだ。軍神達も臣下達も、近隣の宮から来た来客達も宴が始まらないので、酒を目の前にじっと待っている。瑠維は、それを見て思った…今まで、自分もあの場所に居たので、こちらのことが何も見えていなかったが、こうして下から見ると、父は結構回りに迷惑を掛けていて、皆我慢しているのだわ。
そうこうしている間に、維月が維心に何か言い、維心は何かに気付いたように固唾を飲んでじっと待つ賓客達を振り返った。そして、言った。
「本日は皆、我が娘の婚姻の祝いに、ご苦労であるの。酒を用意させてあるゆえ、遠慮なく飲むが良い。」と、横の兆加を見て、言った。「後は主が進めよ。」
そして、さっさと維月の世話に戻る。だが維月はもはや、すっかり身軽になってすっきりした顔をしていた。
兆加は、ホッとして進み出ると、酒を前に待っていた賓客達に言った。
「それでは、皆様ご自由にお楽しみくださいませ。酒は、侍女に申して頂ければすぐにお持ち致します。足りない場合は、いつなり申してくださいませ。」
そうして、やっと肩の力を抜いた賓客達は、各々の前の酒を手に、話し始めた。瑠維は、そんな皆を見て、臣下とはこうなのだと改めて思った。皆、王を中心に回っている…。
王族の瑠維には、目が開かれることばかりだった。
皆が酒に和んで来た頃、大扉が開き、炎嘉が入って来た。侍従が進み出て、行った。
「南の王、炎嘉様のお着きでございます。」
維心は、杯を手にそちらを見た。
「炎嘉。相変わらず遅れて来おって。」
すると、壇上へと歩きながら、炎嘉は答えた。
「どうせ時間通りに来ても待たされるだろうと思うての。酒はいくらでもあるだろうが。酒が尽きると言うなら話は別だがの。」
そして、維心の隣の席へと案内され、そこへ座る。瑠維はそれを見て、いつもは近かった炎嘉も、なぜだが遠く、寂しく感じた。まるで親族のように、可愛がられた炎嘉だったからだ。本当の叔父のように思っていた。
炎嘉はしかし、壇の下には視線を向けずに維心や維月、維明や維斗にひとあたり挨拶をして、杯を手にしている。確かに、王族はそうだった。王同士の横の繋がりは深いが、他の宮の臣下とまで宴席で目を向ける事はあまりないのだ。
瑠維は、急に孤独感に苛まれて、明輪に視線を向けた。明輪は、側の軍神仲間達にからかわれながら、酒を勧められている。今は、瑠維どころではないようだ。
ふと視線を感じてそちらを見ると、そこには帝羽がいた。久し振りに見る帝羽は、いくらかやつれた様で、瑠維は驚いた。帝羽も、自分を望んで明輪に敗れたのだと聞いている。瑠維は、慌てて視線を反らした…今は、帝羽を見てはいけない。
瑠維は、咄嗟にそう思った。自分は、明輪の妻となるのだ。それはそれを祝う席。いくら明輪がこちらに気付いていないからと、他の殿方と視線を交わすなど。
しかし、帝羽はじっと瑠維を見ていた。瑠維は、居たたまれない気持ちになりながら、下を向き続けた。
それからしばらく、帝羽は宴席を辞して自室へと向かっていた。
この宴席に呼ばれた時は、一度は辞退した。しかし、序列上位の者は皆出席するのだという。これからの軍神達との関係のためにも、出た方が良いとの義心の言葉で、渋々出ることにした席だった。
考えてみると、もう瑠維に会うことも出来なくなるだろう。王と共に、催しの席に出る瑠維を垣間見ることも出来なくなるのだから、これが最後とその姿を見ておこうと気持ちを奮い立たせて出席していたのだ。
しかし、明輪に連れられて入って来た瑠維は、想像以上に美しかった。ベールを通しても、その美しさは賓客達のため息を誘っていた。何より、帝羽はその見目も、その性質も慕わしいと思っていたので、その姿だけでなく、その姿から思い出させるいろいろな事に、胸が苦しくなった。
やはり、出席するのではなかった…。
帝羽は、未だ燻る自分の中の瑠維への想いを突きつけられたような気がして、ただ苦しかったのだ。
それでも、瑠維はもう明輪の妻となる。いつまでも、想っている訳には行かなかった。
帝羽が、割り当てられている軍宿舎の戸を開いて中へ入ろうとすると、自分を呼ぶ声があった。
「帝羽。」
帝羽は、驚いて振り返った。そこには、まだ宴席に居るはずの、義心が立っていたからだった。
「義心殿…まだ、宴席に居られたのでは?」
義心は、首を振って歩み寄って来た。
「また戻らねばならぬかもしれぬが、とにかくは抜けて参った。少し、良いか?」
帝羽は、一人になりたい気分ではあったが、頷いて自分の部屋の戸を大きく開いた。
「どうぞ。」
義心は、頷いてそこへ足を踏み入れる。帝羽は、後に続きながら、戸を閉めて椅子を示した。
「お座りください。それで、何か?」
帝羽は、少し性急かと思ったが、早く用件を聞いて一人になりたい気持ちの方が勝って、そう言った。義心は、言われた椅子へと座り、帝羽が座るのを待って、口を開いた。
「長居するつもりはない。主の心持ちを聞きたいと思うてな。」
帝羽は、視線を下へ向けた。知っておるはずなのに。
「…いつまでも尾を引くつもりはありませぬし。己の能力が及ばなかったのでありまするから、此度のことは仕方がないことだと思うておりまする。」
義心は、頷いた。
「そうよな。だがしかし、無理に思いきらずとも良いと、我は思うぞ。」
帝羽は、驚いたように義心を見た。もう忘れろと、言いに来たのではないのか。
「それは…しかし、もう手の届かぬ枝でありましょう。」
義心は、頷いた。
「確かにそうよ。だが、想いとは、そう簡単に捨て去ることなど出来ぬもの。主の想いがもしも深く、思いきることが容易ではないのなら、想い続けておっても良いのではないか。我は、そう思う。」
帝羽は、思いも寄らない言葉に、ためらった。
「確かに…今は、思い切るのは困難やもしれませぬ。しかし、時が解決してくれるかと、思うてもおりまする。」
義心は、じっと帝羽を見た。そして、言った。
「時が解決してくれるのなら、良い。だが、そうはならぬこともある。その時のことを、我は言うておるのだ。」
帝羽は、まるで己のことのように言う義心に、思わず言った。
「それは…義心殿も、我と同じく叶わぬ女に想いを寄せておると?」
意外なことに、義心はすんなり頷いた。
「そう。我にとり、最初から手の届かない枝だった。なのに、我はそれに囚われ、時すらそれを解決することもなく、それは無理に妻を娶っても変わることなく…」義心は、小さくため息を付いた。「未だ、それに囚われたまま。ゆえに、我は抗うのをやめた。無駄であるからだ。今では、ただ見ているだけで良いと思うまでになった。それが、我の幸福でもあるからだ。心の底から命を懸けて想うことが出来るという幸福…。そんなものがあるのだと、長い年月、我は知った。」
帝羽は、びっくりして義心を見つめた。この、神世最大の宮の筆頭軍神であり、龍王の覚えもめでたく、その名を知らぬ者など居ないほどの地位に付いている軍神の義心が、それほどに想うとは、いったい誰なのだろう。及ばぬ枝…。
「…義心殿。」帝羽は、義心を見つめた。「それが誰であるか、我は問いませぬ。しかし、義心殿はそうやって長い時を耐えていらした。ですが、我には無理だ。きっと、そのような心境まで落ち着くには、義心殿よりもっと時間が掛かるでしょう。ですので、瑠維様のことは、忘れると誓いまする。幸い、我は生粋の龍ではない。鷹の王族の血が流れておるせいで、龍ほどただ一人を思い続ける性質ではありませぬ。なので、大丈夫です。」
義心は、少し安心したように薄く笑うと、頷いた。
「そうか。ならば良かった。ただ、案じただけぞ。もしやと思うて…部下が苦しむ姿を見るのは、我も心苦しいからの。」
義心は、立ち上がった。本当に長居するつもりはないらしい。帝羽は、同じように立ち上がると、言った。
「わざわざに、ありがとうございまする。このようにつらい思いをするのは、己だけであるかという心持ちで塞いでおりました。ですが、思い切る良いきっかけになりそうです。」
義心は、微笑んだまま言った。
「優秀な軍神が、つまらない心労などでその能力を落として、序列を下げる様を見るのは忍びないからの。」
義心はそう言うと、さっと帝羽の部屋を出て行った。
帝羽は、自分は一人ではないのだと思った。




