夢の続き7
維心は、龍の宮の王の居間から空を見上げた。そこには、月が出ている…気配を探ると、間違いなくあの時会った十六夜の気配があった。今は、月に戻っているようだ。つまりは、こちらも見ているかもしれない。
維心は、ただじっと待っていた。こちらから強く押しては、恐らく維月に会うことなど永遠に叶わないだろう。あちらから、どうにかしてこちらを必要としてくれぬだろうか。
炎嘉のことは、気になっていた。しかし、十六夜が居る限り、いくら炎嘉でも維月を手に入れることは出来ないだろう。それを知っているからか、炎嘉は書状を矢のように遣わせて、どうにかして維月に会う許しを得ようと必死のようだった。
それでも、維心は待っていた。十六夜が言った通り、維心は戦いに対して天性の勘を持っていた。これは、炎嘉との戦い。維月を得るための、戦いなのだ。そう思うと、自分の立ち位置は自ずと見えて来た…庇護する立場。相手が、必要とするものを、自分なら間違いなく全て与えることが出来るだろう。それは、知識から始まって軍神侍女、着物や生活用品に至るまで、全て求めるのならば、蒼に与える。そうすれば、こちらと月との繋がりは深くなり、維月も心を溶かすかもしれぬ…。
維心は、ただ堅実に、時期を待っていたのだ。
すると、見上げる月から、聞き覚えのある声が聴こえた。
《…お前、何を考えてる?》
維心は、驚いて瞬きした。これは、あの時聞いた十六夜の声…あちらから、話し掛けて来たのか。
しかし、維心はわざと落ち着いた声で答えた。
「何も。ただ、主らが神世に生きたいと申すなら、助けてやるのが我の役目。我は、神世を広く統べておる。これも責務よ。」
すると、十六夜の声が怪訝そうに答えた。
《確かにお前は皆の面倒を見ているが、自分から助けてやるなんて誰にも言わねぇだろうが。助けてくれと言って来たと臣下から聞いて、助けてやれと命じるだけなのは、オレは知ってるぞ。》
維心は、そんなことまで見ているのかと思ったが、何でもないように言った。
「蒼は、どうやって助けを求めたら良いのか知らぬだろうが。だから、こちらから知らせてやったのだ。神世は厳しい…例えば、主は結界の張り方を知っておるか?」
十六夜の声は、ためらったようだった。
《結界?お前ら神が軒並み張ってるそれか。》
維心は、頷いた。
「そうだ。蒼や維月をしっかりと守りたければ、月の宮に結界を張るが良い。己の守りの力を球状に放ってそこへ留めるのだ。出来るはずぞ。」
十六夜は、少し黙った。どうやら、考えているようだ。
《…簡単だな。やってみるよ。》それから、またしばらく黙って、続けた。《お前、人型になる方法を知ってるか?》
維心は、驚いた顔をした。
「何を言うておる…主、人型になっておったではないか。」
十六夜は、首を振ったようだった。
《あれは、蒼の力を勝手に借りてるんだ。あいつが、オレを初めて人型にしたからな。だが、オレはどうやったら地上に降りれるのか、それまで知らなかった。》
維心は、それで悟った。月は、自分の力の使い方を知らないのだ。大きな力を持ってはいるが、使っているのはほんの一部なのだろう。
「それは困ったの。主、宝の持ち腐れとはそのことぞ。もっといろいろ出来るはずなのだ。」と、居間の戸を開いて庭へ出た。「教えようぞ。我の言う通りにやってみよ。」
十六夜は、維心の言うことに意識を集中させた。
そうして、その夜維心と十六夜は、遅くまでいろいろな力のことを話し合ったのだった。
次の日の朝、蒼が何かの気配で目を開けると、目の前に十六夜の人型が立って自分を見下ろしていた。仰天した蒼は、思わず飛び起きた。
「い、十六夜!?何してるんだよ、オレ、力を使われた感じないのに!」
十六夜は、照れくさそうに頭をかいた。
「それがよう、昨日の夜、維心に教わったんだ。自分で人型になれたんだよ。」と、窓の方を指した。「結界ってのも、張ったぞ。あれがあったら、オレかお前か維月が許さなきゃ、ここへは誰も入れないんだそうだ。安心だろうが。」
蒼は、慌てて寝台から飛び降りて窓際へ走った。そして、窓から空を見上げて驚いた…まるでカプセルのように、月の力がこの辺りの土地をすっぽり守っているのが見える。蒼は、歓声を上げた。
「わあ!十六夜、凄いよ!真那の宮にも領地全体にこういうのが張ってあって、安心んだなあって羨ましかったんだ。これで、母さんが誰かにさらわれる心配がなくなったじゃないか。外へ安心して出れる!」
十六夜は、頷いた。
「オレ、維心を疑って悪かったと思ってよ。あいつ、いろいろ教えてくれたんだ。神ってのが、どういう風に危ないとか。自分だって神だが、そういう危ない神を一人で押さえて来たやつだから、よく分かってるんだ。蒼も、いろいろ学ぶべきだって言ってた。神世ではお前がここの王だって思われてるから、それなりの知識は持ってないと騙されると心配してたぞ。」
蒼は、頷いた。確かにそうなのだ。真那も教えてはくれるが、忙しいのでその時々のことを教えてもらうのが精一杯で、一から教えてもらえるわけではなかった。一度きちんと習った方がいいとは思っていたのだ。
「じゃあ…維心様に、書状を書くよ。洪から書状は貰っているし、それに甘えていろいろ教えてもらおう。十六夜、いいだろう?」
十六夜は、頷いた。
「ああ、オレも上から見てるし、いいだろう。あいつだって、月を敵に回すつもりはないんだと言っていた。そんなことは、愚か者がすることだってな。確かに利口なあいつが、そんなことはしないだろうよ。」
蒼は、なんだか嬉しくなって、満面の笑みで頷いた。何だか、全てが上手く回って行きそうな、そんな気がしていた。
維心は、居間で洪から報告を受けた。
「王、月の宮の蒼様から、神世の事に関する指南を受けたいとの書状が参りましてございます。」
維心は、やっと蒼がと気が急いたが、表面上は落ち着いて頷いた。
「では、我が直接に指南しようぞ。あれは、月の王族なのだからの。その辺の神とは違う。左様返せ。」
洪は頭を下げたが、気遣わしげに維心を見上げた。
「王…ところで、維月様の件は?我ら、兆加より報告を受けており、王が維月様をお望みだと聞いて、人世のことに詳しい者も揃えておりまする。あちらへ、婚姻の打診は?」
維心は、洪を睨んだ。
「人世のことを、調べたのなら分かっておろう。人と神は考え方が違う。維月は、炎嘉が強く求め過ぎたために心を閉じてしもうた。神世の王全てを、今は厭うておる。今何を言うても首を縦に振らぬだろう。主らも、我が良しと申すまで、あちらに婚姻のこと、毛ほども申してはならぬ。違えれば、生涯維月は我の元には来ぬだろう。分かったの。」
洪は、王がそこまで思うておられるとは、と改めて頭を下げ直した。
「はは!我ら、決して王のお許しを得るまで、このこと月の宮にはお伝え致しませぬ!」
維心は、満足げに頷いた。これで、蒼と十六夜と繋がった。月の宮は、これより龍族と共に歩むのだ。こちらから全て支え、月の宮にとって無くてはならぬ存在となろう。そうすれば、維月と言葉を交わすことが、出来るようになるやもしれぬ…。
維心は、希望を抱いて、蒼の来訪を待ったのだった。
それから、蒼は毎日のように龍の宮へと訪れた。
そして、維心から神世の成り立ちや、そこへ至った過程などを聞いて、今の勢力図なども詳細に学んだ。維心が大きく神世を統べているが、それでも炎嘉につく神、維心につく神と分かれているのだという。今戦になれば、そうやって二つに分かれるので、維心と炎嘉は世を二分していると言われているのだそうだ。
だがしかし、維心の力は他を凌駕し、本当ならば炎嘉すら敵ではないのだという。
維心は、言った。
「それでも、これまで炎嘉と共に今の世を作り、守って来たのは確か。龍の中には鳥を攻め滅ぼせと申す者も居るが、我はそのようなことは思うておらぬ。我は、もう世を戦乱の世へと戻したくないからの。世を太平にするのに、どれほどの犠牲が必要であったか。それを、我も炎嘉も知っておるのだ。なので、いろいろと小競り合いはあっても、真実戦をしてどうにかしようとは思わぬのよ。」
蒼は、感心してそれを聞いていた。維心は、神世では成人したばかりの200歳で王座に就き、それから1500年もの間戦って来たのだという。その頃から共に戦った神で残っているのは、もう炎嘉だけなのだと。皆老いて死んで逝ったのに、維心と炎嘉だけは老いもせずこうして残っているのだ。
「そんなにも長い間…維心様は、王であられたのですね。」
蒼が言うのに、維心はフッと笑った。
「王など、なるものではないの。だが、この力を持って生まれてしもうたのだから仕方がない。主も、そう思うて精進せよ。そのうちに、主を頼る者も出て来よう。さすればもっと、強くならねばならぬ。守るものが増えるというのは、そういうことぞ。」
蒼は、こうして毎日維心と接していて、維心が世に言われているほど、残虐な王ではないという事実を知った。普段はとても穏やかで、落ち着いた神だった。それに、今では慣れたがこの見たこともないほど端整で凛々しい顔立ち…。間違いなく、うちの母さんの好みだろうに。
一方、維心は蒼を毎日眺めていて、心が穏やかになっていた。蒼は、目元が維月にそっくりだったのだ。蒼の目に維月を見て、維心は心が沸き立つようだった。この維月の息子のためならば、何でも支援してやろう、と維心は思っていた。
ふと、蒼がため息を付いた。維心は、片眉を上げた。
「蒼?疲れたか。」
蒼は、首を振った。
「いいえ。申し訳ありません。あの、維心様があまりに凛々しいかたなので、うちの母さんが好みそうだなあと…不躾なんですが。」
維心は、急に心臓が速く拍動するのを感じた。維月…維月が、何と?
「維月が…主の母が、何ぞ。」
蒼は、苦笑した。
「昔から、維心様のような美しい容姿のかたが好きでした。といっても、見て喜んでいるだけでありましたが。」
美しい…我が、美しいと。そういえば、そんなことを臣下も炎嘉も言うておったような。だが、己の見た目になど興味はないゆえ、これまで考えたこともなかった。
「そうか…我は、己の容姿のことなど、よう分からぬゆえ。だが、好まれるというのなら、良かったことよ。」
維心は、やっとのことでそう答えた。維月は、容姿が美しいのを好むのか。ならば、もしも会えるようなことがあったなら、出来る限り身を整えて参らねば…。
蒼は、十六夜から維心も維月を望んでいると聞いていたのだが、維心はさらっとそう答えて気にしているようでもないのを見て、首をかしげた。やっぱり、何かの間違いなんじゃないだろうか。こんな立派な神の王が、よりによってあの母さんってのがおかしいと思ってたんだよな。
蒼は、笑って言った。
「母のことなど話して、申し訳ありません。でも、身内といったら母ぐらいなので。また、維心様も月の宮へお越しになってください。きっとお忙しいとは思うけれど。」
維心は、俄かに緊張したように身を強張らせた。月の宮へ…蒼は、今我を己から招いたのだ。
「…それは、楽しみなことよ。」維心は、逸る心を抑えて、言った。「いつなり我は、時を取るゆえ。主が良い日を申せば良い。」
蒼は、驚いた。宮から滅多に出ないと聞いている龍王なのに…月の宮へ来るって?
「あの…こちらこそ、いつでも良いです。」蒼は、緊張気味に言った。「でも…侍女も何も居りませんし、本当に二人きりで生活しているので、お茶だって母が淹れるだろうし、満足なお世話も出来ませんけど、よろしいでしょうか?」
維心は、自分の胸が苦しいほどどきどきと拍動しているのを感じながら、頷いた。
「良い。そのような生活も、静かで良いと羨ましく思うておったのだ。ならば、明日にでも。時を作ろうぞ。」
蒼は、幾分ホッとしたように頷いた。
「はい。静かなのは本当に静かなので、それをお好みなら、どうぞお越しください。」
維心は頷きながら、まだ収まらない胸の高鳴りに、戸惑っていた。もしかして、維月に会えるやもしれぬ。だが、気取られてはならぬ…我が、維月を望んでいると、気取られてはもう、維月に会うことは叶わぬやもしれぬのだから!




