夢の続き6
維月は、しばらく言葉を失って、両側から引っ張られるままに手を預けていたが、表情を引き締めたと思うとその手をスッと抜いた。そして、言った。
「炎嘉様、維心様。私は人でありました。価値観は人のそれでまだ神世の事など。何も知りませぬ。なので、こうやって会っていきなり求婚されるなんて経験もなく、理解も出来ませぬ。普通の神であっても婚姻などどうかと思われる私ですのに、王の妃になどまず無理でありまする。常識も何も知らない私に、務まるはずなどないではありませぬか。それでなくても、まだ会ったばかりで私にはお二人に対する結婚するほどの愛情など無いのに、お受けできるはずなどありませんわ。申し訳ありませんが、このお話は無かった事に。今の私では、神との婚姻など出来ませぬ。」
あまりにはっきりと、凛として言う維月に、炎嘉も維心もただ茫然と聞いていた。神の女は、ここまで自分の意見を、王に向かって堂々と述べる事などない。なのに維月は、臆する事なくこちらの目をしっかり見て言い切った。
維心は、そんな維月に更に好感を持った。なんと分かりやすい女…物影から何か言いたげに見つめる女共とは、全く違う。やはり、我はこの性質さえ慕わしくてならぬ…。
炎嘉が、口を開いた。
「ならば、知り合えば良い。これよりお互いに行き来して、話して参れば良い。その後に妃に。必ずや我を想うようにさせてみせる。」
維月は、ため息をついた。
「また、自然にお話しすることもあるかと。そのように構えてらしては、私も重うございますから。友人のように過ごさせてくださいませ。」
維月は、そう言いながらも、すぐに忘れると思っていた。間違いなく、ただの気紛れなのだ。こんなに簡単に結婚を決めてしまえる事から、それが分かる。
維心が、頷いた。
「ならば、そのように。友から始めようぞ。」
しかし、炎嘉は首を振った。
「何を言うておるのだ。男女で友情など、聞いたこともないわ。我はあくまで維月を妃候補として扱おうぞ。」
維心は、炎嘉を睨んだ。
「そのように物を弁えぬようなことを。今、維月が申しておったのを聞いておらぬのか。」
炎嘉は、維心をにらみ返した。
「神が理解出来ぬと申して、もう神世に生きておるのだ。理解せねばならぬ。教えて参ると言うておるのだ。神として生きておれば自然慣れて来るわ。本来このまま奥へ連れ参るところを、こうして譲歩しただけでも良いではないか。主のように女に明るくない男に何が分かる。」
維心が言い返そうと口を開いたのに、維月が先に言った。
「勝手であられますわ!神の王になど、私は嫁ぎませぬ!」
維月は、くるりと二人に背を向けると、まだ明るい空に叫んだ。
「十六夜!もう、帰るわ!私には神世なんて無理よ!」
炎嘉も維心も、驚いて空を見上げた。すると、キラリと何かが光り、驚くほどの速さで何かが降りて来た。
結界が…?!
炎嘉は、自分の結界を破られる衝撃に備えた。だが、全くなんの抵抗もなく、それは結界を抜けて目の前に浮いた。
「遊びは終わりか?」
青銀の髪に金茶の瞳の、綺麗な顔立ちの男は言った。維月が答えた。
「十六夜、軍神達と侍女達と一緒に、連れて帰って。話しても分かってくれそうにないの。」
十六夜と呼ばれたその人型は、ちらと炎嘉と維心を見た。
「いいのか?お前の好きな綺麗な顔の男じゃねぇか。」
炎嘉が、慌てて足を踏み出した。
「ならぬ!ここで我の妃候補としてお互いを知るのだからの!」
維心は、炎嘉を見た。
「ここで?何を言うておる!一旦帰すのではないのか!」
炎嘉はまた維心を睨んだ。
「我の結界は出さぬわ!」
十六夜が、はいはいと手を振った。
「何を見てたんでぇ。月に結界など関係ない。月の光が結界に掛かった事があるか?オレ達は力の種類が違うんだ。それにしてもお前、馬鹿だなあ。無理矢理嫁になんて、無理に決まってるだろう。こいつは月なんだぞ?」と、維月に手を差し出した。「だから神ってやつは嫌いなんでぇ。来な、維月。まとめて連れて帰ってやろう。」
維心が、慌てて十六夜を見た。
「月よ、しかし交流はしても良いか?我は、維月に無理は言わぬゆえ。」
十六夜は、迷うように維月を見た。維月は、維心を振り返ってから、小さく頷いた。
「…いいってよ。オレは別に維月が誰を選んでも文句は言わねぇが、こいつが嫌がってるのに無理にって言うなら手を出すぞ。赤ん坊の時から面倒見て来た女なんだ。不幸にはしたくねぇからよ。」
炎嘉が、手を上げた。
「行かせぬ!」
侍女達も、気が付けば光の玉に包まれて浮いていた。炎嘉が気を発したが、十六夜は手をひと振りしてそれを押さえた。
「だ~か~ら~無理だっての。オレには敵わねぇよ。力ずくでと考えてるなら、諦めな。」
そうして、二人と侍女は見るまに結界を抜けて消えた。
炎嘉は、愕然と空を見上げた。我の力、我の結界をものともせぬ存在…月か!
炎嘉は、憤って去って行った空を見上げていたが、維心はじっとそれを観察しながら考えていた。月に守られたもう一人の月…。炎嘉のお陰で維月の心は神の王全体から離れてしまっている。今の状態では、娶りたいような素振りを見せただけでもこちらを避けるだろう。これは、時がかかる…いや、もしかしたら、永久に維月を手にするのは叶わぬのやも…。
維心が険しい顔をして同じ空を見上げていると、炎嘉が振り返って維心に食って掛かった。
「維心!気紛れで割り込んで参ったな…どうせ維月に興味があるぐらいなのだろうが!すぐに面倒になるに決まっておるわ!そんな軽い主などに邪魔をされたなど…はらわたが煮えくり返るわ!」
維心は、炎嘉を鋭く見て言った。
「そのまま返そうぞ、炎嘉よ。妃が21人も居る主が今更に心底望んでおると申して誰が信じると申す。お陰で維月は、神の王全てを厭うてしもたではないか!強く出てものに出来るのは従順な女のみ。あれはひっくり返っても従順ではないわ。今度ばかりは、主の経験などないようなもの。人を相手にするのだからの!」
炎嘉は、ぐっと黙ったが、まだ維心を睨み付けている。維心は、踵を返した。
「もうここには用はない。我は去ぬ。せいぜい己の経験を振りかざしておれば良いわ。」
しかし、維心の心の中は怒りよりも悲しみのような感情の方が大きかった。世に敵う物がなく、手に入らないものなどないと言われている龍王である自分。今でもこの広い世を治めて責務を果たしている、それが代償だったはずだった。それが、やっと欲するものを見つけたというのに、それは唯一手の届かないところにあるというのか。
維心は、自分の宮へと飛びながら、その理不尽さに胸が締め付けられるようだった。
次の日から、蒼の屋敷には、次々に鳥の宮の炎嘉から書状が来るようになった。維月はそれを見ようとはしないので、いつも蒼がひとつずつ丁重に返事を返していた。龍の宮からは、維心からではなく、重臣筆頭である洪という龍から一度、蒼宛てに書状が来た。そこには、王からそちらの宮で困ったことなどがあれば、支援するので言って欲しい、といった内容だった。それは決して押し付けがましくなく、あくまで政治絡みの内容で、蒼も構えることはなかった。
蒼は、茶会当日のことは十六夜から聞いて知っていた。突然に十六夜に連れられて帰って来た維月は、それは怒っていて手が付けられなかった。十六夜は苦笑しながら、何があったのか詳細に話してくれた。十六夜は、その様子を上からずっと見ていたのだという。いつ維月が切れるのかと思っていたら、案外に早かったと言って笑っていた。
しかし、蒼は笑えなかった。せっかく真那にも協力してもらって、神世で穏やかに暮らそうと思っていたのに、そのために行かせた先で、神世を二分するような王に啖呵切って帰って来たなんて。
もしかして攻め込んで来るかも、とハラハラしていた蒼の元に来たのは、怒涛の書状攻撃だけで、相手は特に怒っているようではなかった。
「維月が怒るのが怖いんだろうよ。」不思議に思った蒼が相談すると、十六夜が言った。「それだけ、あっちは本気だってことだ。最初は月ってのを舐めてたんだろうが、オレもちょっと力を見せて来てやったからな。力ずくじゃあ駄目なのを悟ったんだ。ま、本当の馬鹿じゃねぇってことだな。」
蒼は、ぶんぶんと首を振った。
「あっちは神様の王なんだよ!それも、王達の中でも頂点に立つような王だ。そんな二人が馬鹿なわけないじゃないか!」
すると、十六夜は意外にも真面目な顔で頷いた。
「ああ。特に維心って龍は慎重で賢いヤツだ。調べてみたら、あいつの力は炎嘉よりもずっと強い。世を二分とかお前に聞いたが、実際はあいつ一人で押さえ付けてるんじゃねぇか?誰も歯向かえないだろう、あれじゃあ。オレでも、あいつを押さえようと思ったらかなりの力が要るだろうな。しかも、不意をつかなきゃ無理かもしれねぇ。」
蒼は、驚いたように十六夜を見た。
「え…でも、力の種類が違うんだろう?」
十六夜は、頷いた。
「ああ。だが、あいつは戦いってのを知ってる。昔、戦場で戦う龍を見て、何て容赦ないやつなんだろうってただ漠然思ってたんだが、今思うとあれはあいつだ。誰一人敵うやつなんて居なかった。見た目は綺麗だが、かなり長く生きてる修羅場をくぐった頭のいいやつだぞ。油断はしない方がいい。」
蒼は、不安になりながらも、頷いた。
「でも…その維心様が、オレが困ったら助けてくれるって言ってくれてるんだ。炎嘉様みたいに、母さんに会わせろなんて、一言も言わないよ。だから、助けてもらってもいいかなって。そうやって、仲良くして行けたら、これほど心強い味方は居ないだろう?」
十六夜は、蒼を見た。
「それはお前が決めることだ。何かあったら、オレが助けてやるが、それでも慎重にな。神ってのは、何を考えてるのかわからねぇ。嘘は滅多につかねぇが、その代わりあいつらは言わないんだ…事実を伏せるっていうのかな。とにかく、維心は諸刃の剣だ。頭がいい。それは念頭に置いておけ。」
蒼は、まだ不安だったが、頷いた。
「わかった。」
そうして、十六夜は月へと帰って行ったのだった。




