夢の続き4
維月は、誰も居ない奥の滝の近くまで来て、やっとホッと息をついた。宮が遠くに見える…いくらなんでも、こんな所まで来る神は居ないはず。
そうして、侍女達と共に近くの石のベンチに腰掛けて、滝を見つめた。
それにしても、神は皆美しく、それは真那もそうで、最初に見た時は見とれたほどだったが、炎嘉の美しさはその比ではなかった。華やかに明るい顔立ちで、宮のイメージそのままだ。あまりに美しいので、長く見つめていることすら出来なかった。あの、金髪に近い髪に、赤いような茶色の瞳。侍女達も、さっきから口を開けば炎嘉の姿のことばかりを称賛していた。やはり、神世でも抜きん出て美しいのだろう。
しかし、侍女は言った。
「ですけれど、龍王様はそれは恐ろしいかたではあられまするが、その美しさは他に並ぶ者が居ないと言われておりまする。我らのような身分では、お見上げしたことなどありませぬけれど、王はいつもそのように。」
維月は、驚いて侍女を見た。
「え、龍王様も?」
侍女は何度も頷いた。
「はい。とても有名なお話ですわ。ですから、滅多に出て来られない龍王様が唯一皆の前に出ていらっしゃる七夕祭りの日には、女神達どころか男の神達まで大挙して龍の宮へ詰め掛けるのだとか。本当に、とても凛々しく美しいお姿なのですって。」
維月は、興味を持った。皆が恐ろしい恐ろしいと言うから、どんな気難しいおじさんかと思っていたのに、そんなに美しいかたなの…。
維月は、夢見るような目をした。
「本当に、神世に来てそれだけは幸せだと思うわ。皆、驚くほどに美しくて。私は人だったから、本当に目が覚めるようとはこのことだと思ったものよ。あなた達の王の真那も、それは美しいかたでしょう。私から見たら、あなた達も本当に美しくて愛らしいわ。こんなところに居る自分が、恥ずかしくなるぐらい。」
侍女達は、揃ってぽっと赤くなった。
「まあ維月様…我らなど、本当に格下の神でありまするのに。」
維月は、ぶんぶんと首を振った。
「何を言っているの?神は皆同じよ。気の多い少ないなんて、関係ないと思うわ。人はね、皆平等だと育てられるの…その実は、理想論でそうではないかもしれないけれど。でも、命ってそうだと思う。格なんて、誰が決めたのかしらね?もちろん、神世でそれがとても重要なのは知っているわよ?だから、それを学ぶし従うつもりだけれど、私の考え方はそうなの。今回こんなことがあったけれど、私はあなた達とお友達になれて、とても嬉しいしラッキーだったと思っているわ。」
侍女達は、維月の言うことに、ただ驚いていた。そんな考え方など、聞いたことがなかったからだ。だが、人はそうなのだろう。侍女達は、首をかしげながらも、言った。
「維月様は、月の宮の王族であられまするわ。我らとは、主従関係でありまする。ですから、お友達など、我らから見て身分が違い過ぎて、おこがましいのでございます。ですが、そのようにおっしゃってくださって、とても嬉しく思います。」
維月は、一生懸命理解しようとしてくれる侍女達に、微笑ましくてかわいくて仕方がなかった。
「ふふ、ありがとう。理解しようとしてくれているのね。うれしいわ。」
その時、背後の茂みが、がさがさと動いた。三人は、びくっとしてそちらを振り返った…まさか、こんな所まで誰かが来たというの?!
維心は、自分と戦っていた。自分の気持ちが、分からないのだ。ただ分かることは、維月と話してみたい。炎嘉が、維月を娶るのは腹が立つ。それだけだった。
維心が、何かを考えながらがんがん歩いて行くのに、心配でついて来ていた若い重臣の、兆加が必死について歩いていた。維心は一歩も大きく、こちらを気遣うことなどないので、兆加がそろそろ疲れたと思っても、維心の速さは変わらない。なので、息を切らせながら、とにかく王を見失ってはと、一生懸命だった。
維心が、ふと立ち止まった。
「…兆加。」
兆加は、突然だったので、前につんのめりそうになりながら、やっと止まって膝をついた。
「は、はい王よ。」
維心は、兆加を振り返らずに言った。
「主、我が妃を娶りたいと申したら、どうにか出来るか。」
兆加は、それこそ雷が落ちてもここまで驚かないだろうというほど驚いた。そして、口をパクパクさせていたが、必死に声を出した。なので、変な高い声が出てしまった。
「も、もちろんでございます!では、誰か見繕いまして、御前に揃え…」
「それは良い。」維心は、にべもなく言った。「我が、これを娶りたいと言うたら、宮へ連れて来れるのかと聞いておるのだ。」
兆加は、唖然とした。だが、何度も頷いた。
「はは!もちろんでございます!龍王の妃にと打診して、断る女など居りませぬから!」
維心は、しかし眉を寄せた。
「…もしかして、神の常識が通じぬかもしれぬのに?」
兆加は、目を丸くした。いったい、誰を連れて来いというのだろう。
「あ、あの、恐れながら王よ、いったいどなたをと思われておるのでしょうか。」
維心は、そこで初めて兆加を振り返った。
「月が降りる宮の、維月。」
兆加は、自分の頭の中のリストを総動員した。月が降りる宮…最近出来た、あの宮の、月の君か。
「最近出来た宮でありまするね。王の、蒼様は隣の宮の真那様と懇意であられるとかで、真那様からいくらかお話は聞いておりまするが。」
維心は、驚くほどその言葉に反応した。
「何と申した?!主、蒼を知っておるのか?!」
兆加は、慌てて言った。
「いえ!あくまでご本人にはお会いしたことはありませぬ!真那様からお聞きしておるだけで…」
「それでも良い!」維心は、ずいと兆加ににじり寄った。「主が知ることを話せ!」
兆加は、今にも掴み掛からんばかりの様子の王に、慌てて答えた。
「は、はい。何でも蒼様は、大変に穏やかな気質の王でいらして、王であられるのに未だ王のご自覚はありませぬ。ご本人も、ご自分が王だとは思うておられぬご様子。何しろ、あちらには侍女すら居らず、何かの折には真那様から借りておる状態であるとか。着物なども、人であった頃に持っておった金を使って、人が作ったものを買っておるのだとか。未だ、生活は人のそれと変わらぬのだと聞いております。ただ、気は本人は自覚がないのに大変に大きく、やはり月であるなとそれで認識するのだとか。」
維心は、せっついた。
「それで、維月のことは?」
兆加は、思い出そうと必死に眉を寄せた。
「はい。蒼様の人の頃の母でいらして、大変利口で動きも素早く、気が強く快活でじっとしているのを嫌うかただとか。おおよそ、神の女とは違う性質なので、神との交流は控えておられるのだと聞いておりまする。」
維心は、それを聞いて考え込んだ。気が強いと。確かに、快活そうな顔立ちではあった。動きが素早い…だから、炎嘉が急いで追ったにも関わらず、もう茶会の席には居なかったのか。
維心は、また考え込みながら歩き出した。あの珍しい気は、女神とは違う気質のせいなのか。だが、炎嘉に娶られるのが嫌な以上、自分が娶るしかない。しかし、この気持ちが何なのか分からぬのに、安易に娶ってしまって良いのだろうか。炎嘉など、あれほどたくさんの妃が居るのに、皆気に入っておるようではない。誰一人正妃にしていないことから、それが分かる。自分など、今まで心が全く動かなかった上に、女など面倒でしかないと思って来たのに、この1700年のこの揺るがぬ気持ちが、そんなに簡単に崩れてしまうものだろうか。
兆加は、維心を追いながらおずおずと言った。
「あの…王。では、維月様を妃にと、蒼様に打診を?」
維心は、兆加を振り返った。
「…分からぬ。」維心は、真剣な顔をして、本当に困っているような表情だった。「我にも、分からぬのだ。ただ、炎嘉が維月を望んでおって、炎嘉に娶られたくないと思う。それに、今まで面倒でしかなかった女なのに、維月とは話してみたいと思うた。ならば、手遅れにならぬ間に、自分で娶る他ないかと思うただけなのだ。」
兆加は、唖然とした。王が、分からぬと。今まで何をおいても否だった王が、分からぬと言った。ならば、可能性は限りなくある。
「王。」兆加は、表情を引き締めて言った。「ならば、維月様をお迎えになるべきでございます。炎嘉様のお手がついてからでは、遅いのでありまするから。何としても、維月様には宮へ来て頂き、王の妃に。」
維心は、しかし迷うような素振りをした。
「しかし…今まで妃など考えたこともなかったし…。そもそも、維月はどう考えるのだ。元は人であったと聞いておる。考え方が、限りなく違うのではないのか。」
兆加は、確かにそうだと思った。人は、一夫多妻ではないし、もしかして王になど嫁ぐ気持ちはないのかもしれない。王だというだけで、断られてしまう可能性もある。
「とにかくは、我ら総力を上げて人について調べて参りまする。」兆加は、言った。「ですので王、王は維月様とご交流を。確か、人はよく知り合った相手を吟味し、その中から相手をたった一人選ぶと聞いておりまするから。まずは、気安くなれるよう、ご尽力くださいませ。神世でよくある見合いで、相手を簡単に選ぶとは思えませぬから。」
維心は、頷いた。兆加の言うことは、いちいち尤もだったからだ。
「では、大至急調べるようにの。炎嘉も狙っておる。炎嘉なら、強引に決めてしまうやもしれぬ。」
兆加は、力強く頷いた。
「は!お任せを!」
兆加は、そこをさっと去って行った。維心は、それを見てから、また歩き出した。とにかくは、維月を探さねば。しかし、あの珍しい気がどこへ行ったのか分からぬ…。
維心が闇雲に考えながら歩いていると、前に滝の落ちる音が聞こえて来た。鳥の宮の庭の地理がしっかり頭に入っている維心は、いつの間にかこんな所まで来てしまって居ったかと、滝の方へ向けて茂みを分け入って行った。
「!!」
目の前に、維月と侍女二人が、こちらを驚いたように見て固まっていた。




