夢の続き3
炎嘉も維心も疲れて来ていた。どんなに挨拶を受けても、なかなか月には出会わない。炎嘉も椅子から大きくずれたような形でだれて座ってしまっていた頃、侍従の声が言った。
「北東の月の降りる宮からお越しの、維月様でございます。」
炎嘉は、途端にパッと表情を変えた。慌てて椅子に座り直す。維心の方をちらと見ると、維心もこちらへ身を乗り出して、座り直したところだった。
戸が、左右に大きく開き、頭を下げていた三人の人影が、頭を上げて謁見の間の中へと足を踏み入れた。前の中央に居るのが、きっと月だ…。
炎嘉が思っていると、玉座の前まで来て、再び三人は頭を下げた。
「月の降りる宮から参りました、維月と申します。」
やはり、前に居る黒髪に鳶色の瞳の、なかなかに美しい女がそう言った。炎嘉は、頷いて言った。
「表を上げよ。」
維月は、恐る恐るといった風に、顔を上げた。その気を読もうとして、炎嘉は息を飲んだ…なんだこの気…癒しの気?いや、催淫の気か?いずれにしても、何と珍しい…。これが、月の気なのか。
維心も、同じように固唾を飲んでいた。感じたこともない気…なんだこれは?!
そのまま、しばらく黙ったまま維月を見つめていた炎嘉だったが、維月が戸惑い気味に下を向いたのを見て、我に返った。そして、何とか言葉を出した。
「その…月と聞いた。我は、月に初めて会うゆえ、驚いたのだ。主は、月なのか。」
維月は、炎嘉の驚くほどに華やかな美しさに戸惑っていたが、頷いた。
「はい。ですが、世間で言われておる月ではありません。それは、陽の月。私は、その陽の月から命を分けられた陰の月。月は、陰陽であるのです。私は月の裏側の方で、陽の月ほどの力はありません。まだ、人から月になったばかりで、飛ぶことすら出来ませぬの。」
では、まだ成長過程か…。
維心は、仕切り布の影で思っていた。これが月。何という珍しい気なのだ。まだ、あまり強い力は発していないが、これが成長したならば、どれほどの気を発するのだろう。気を探ろうと、まともにそれを受けてしまったせいか、維心はその気が心に染み付いて離れなかった。もっと、その気を感じていたい…。そう思わせるほどに、その気は珍しく、心地よかったのだ。
炎嘉が、言った。
「では、ここまで遠回りであったの。飛べることを前提で造った宮であるから、主には面倒やもな。しかし、本日は楽しんでもらえたらと思う。」
維月は、頭を下げた。
「はい。お招き、ありがとうございます。何事も弁えませぬので、よろしくお導きくださいませ。」
炎嘉は、頷いた。そして、出て行く維月を、ずっと目で追った…何と珍しい気なのだ。あんな気は、感じたことがない。こちらを癒すだけでなく、誘うような…。
すると、維心が仕切り布の影から出て来て、維月が去った戸の方を見た。炎嘉は、維心に言った。
「あれは…度肝を抜かれたわ。あのような気が、世に存在しようとは。飲まれるかと思うた…しかし、まだ成長過程であるそうな。助かったわ。」
維心は、頷きながらもまだ維月が去った後を見ていた。まるで、あの気の残照でも探しているようだ。
「維心?」炎嘉は、維心に怪訝な顔をした。「主…まさか、維月に興味を持ったのではあるまいの。茶会などには、来ぬとか言うておったよな。主の目的は、月の力を試すだけではないのか。」
維心は、我に返ったように炎嘉の方を見た。
「興味?いや…珍しい気で、あるなと思うただけぞ。」
炎嘉は、維心をじっとにらみつけた。
「維心。言うておかねばならぬ。我は、維月を妃に迎えるぞ。」
維心は、それを聞いて眉を寄せた。なぜだが、気に入らぬ。
「何を言うておる。あれは月であろう。主とて話しがしたいだけではなかったか。」
炎嘉は、頷いた。
「確かに、始めはそうよ。だがの、あの珍しい気に一目で惹かれた。これから、我の手元でどれほどに見事な女神に育つことか。我とて、一人ぐらい己が望んだ妃が欲しい。これは譲るつもりはないぞ。」
維心は、声を荒げた。
「何を言うておる!なぜに主の手元でなければならぬのだ!我とて…。」
維心は、言いかけて、黙った。我とて、何を言いたいのだ。疎ましいと思っていた女を、側に置く?自分は、そんなことを望んでおるのか。
炎嘉は、維心を睨んだまま言った。
「主などに、取られはせぬわ!女のことに関しては、我の方が長けておる。取れるものなら、取ってみるが良い。今まで何の経験もない主などに、我は負けぬ。」と、立ち上がった。「ここから後の挨拶は受けぬ!直接に茶会の席へ参れと申せ!我は、茶会の席へ移動する!」
そうして、歩き出しながら言った。
「維心、帰るのだろう?我は茶会に出るからの。」
維心は、そこで呆然と立ち尽くした…そう、月さえ見たら、帰るつもりだった。だが、このままでは炎嘉があの維月を娶るだろう。自分はどうしたらいい。いったい、どうしたいと思うておるのだ…!
一方、維月は謁見の間から出てすぐに、侍女達に言った。
「さあ、私はお庭へ出るわ。ここでは、何やら神が多いしボロが出てしまうもの。どこか、お庭の端の方へ行かない?そうしたら、誰にも会わずに時間まで過ごせるでしょう。夕刻までの辛抱よ。あなた達にも面倒を掛けるけど、付き合ってね。」
侍女達は、しっかりと一つ、頷いた。
「はい!王からは、くれぐれも維月様を頼むと言いつかっておりまする。我ら、お供致しまするから。」
何やら、どうあっても維月を守るという決意を感じる。維月は、そんな様子に苦笑した。本当に、女神達は素直でかわいいのだから…私とは、えらい違いよ。蒼があんな風に言うのもわかるわ。
維月は、足を庭へ向けた。
「ありがとう。じゃあ、とにかくあちらへ。」
維月は、誰にも見つからないためにと蒼から持たされた、真那にもらったという気を遮断するベールをまとうと、早足でこっそりと庭へ抜けて行った。神でごった返したそこで、誰もそれに気付かなかった。
炎嘉は、急いで謁見の間から出て維月を探したが、今ここを出たはずの維月の姿はそこには無かった。あの珍しい気なのだから、探ればすぐに居場所は分かるだろうと思っていたのに、その気は全く感じられ無かった。炎嘉が出てきたのを気取った女神達が、一斉に寄って来て口々に炎嘉に話し掛けて来る。
炎嘉は、探しに行くにも身動き取れない状態で、歯噛みしながら視線だけをあちらこちらへ向けて、必死に維月を探していた。
一方維心は、ソッと炎嘉の様子を伺った。炎嘉は、相変わらずたくさんの女神達に囲まれて身動き取れずにいる。まだここに残っているのかと罵られるのは目に見えているので、維心は自分の気を極限まで抑え、気配を消して茶会の場へと足を踏み入れた。
いつもなら、この強大な気を感じ取って皆、頭を下げてこちらが去るまでじっとしているのに、今日は気付かない。維心は、維月を探して辺りを見回した…しかし、維月の姿はなく、その気も感じ取れ無かった。
…どこへ行った?まさか、帰ったのでは。
維心は、そう思いながらも、神でごった返した中にまで足を踏み入れる勇気は無かった。何しろ、普段は皆が避けてくれるのだ。誰かと袖が触れるのも鬱陶しくて嫌な維心は、混み合う場所は苦手だった。
そして、何より炎嘉に見つかるとうるさいだろう。
維心は、仕方なく炎嘉の向いていない戸口から、庭へ足を踏み出して身を隠そうと歩き去って行った。




