倹約
蒼は、何が何だか分からないまま、出発口で待つ明人と帝羽の元へ戻った。茫然としている蒼に、明人が話し掛けた。
「王?お戻りになられまするか。」
蒼は、ハッと我に返ったような顔をしたが、頷いた。
「ああ、戻る。」そして、帝羽を見た。「帝羽、維心様から、月の宮への支援を打ち切ると言われた。」
帝羽は、驚いたような顔をした。
「支援を?維月様の、ご実家であるのに?」
蒼は、また頷いた。
「オレが、あまりにも月の宮の財政を知らないと言って。だが、今まで翔馬が駄目だと言っても、結局どうにかなっていたのだ。なので、今回のことも、それぐらいのことだろうと…ただ、困っていて助けて欲しいと言って来ているのに、オレには見捨てられないと思ったからなんだが。」
帝羽は、その様子を見て、悟った。蒼は、王として君臨して来たといっても、世の王とはやはり違うのだ。人から月になり、仕方なく王座に就いたのだと聞いている。つまりは、王になろうとは、蒼自身あまり強く思ってはいないのだろう。宮の財政を、まさかこれほどに知らなかったとは。
「王、とにかくは、宮へ戻って臣下達にそれを伝えねばなりませぬ。これからのこともございます。月の宮の財政は、やはり龍王に守られておったことは確か。今ある物と、職人達の腕を考えて、これからの支出の見直しをせねばなりませぬから。」
蒼は、帝羽を見た。
「やはり、主は月の宮の財政も知っておったか。」
帝羽は、頷かなかった。しかし、首を振りもしなかった。
「職人の数と、進み具合でだいたいのことは予測出来るものでございまするから。詳しいことは、我も知りませぬ。ですが、此度はとにかく、臣下達と会合を。」
蒼は、頷いた。維心様が助けてくれないと言うのなら、どうにかしなければならないのだろう。とにかくは、早く宮へ戻って対策を練らなければ。
そうして、訳が分からずおろおろとする明人と、帝羽と共に、蒼は月の宮へと帰って行ったのだった。
「…帰ったの。」
維心が、維月に言った。維月は、蒼の気配が飛び立って行くのを感じながら、不安げに空を見上げた。仕方なく、王になった蒼。それなのに、こんな目に合って。
維月が下を向くのに、維心はその肩を抱いた。
「そのように案じるでない。いよいよとなったら、我が助けるゆえ困ったことにはならぬから。しかし、あれは知らねばならぬのだ。あのように大きくなってしまった宮の、王なのであるからの。それらを養って行く義務があるのだ。他の宮も気になるであろう。しかし、まずは己の宮。あっちもこっちも助けてやることが出来るほど、今の月の宮は成長しておらぬ。このままでは、いつまで経っても我の手から離れることは出来ぬ。それではならぬであろう?」
維月は、頷いた。仕方がないのだ。前世から今まで、維心の手を借りてここまでやって来れたのだ。しかし、そろそろ自立しなければならない。いつまでもどこかしら維心に助けてもらっているのでは、ならないのだ。
月の宮へ着くと、翔馬以下臣下達がわらわらと出て来て蒼を出迎えた。蒼は、それらに向けて言った。
「会合を開く。恒も呼べ。オレに、月の宮の財政状況を全て細かく知らせよ。」
翔馬は、何かあったのだと直感した。今まで、蒼が財政に興味を持つことはなかった。いくら説明しようとも、よく分からないから、主らで良いようにせよ、としか言わなかったのだ。
「は!すぐに重臣を集めまする!」
膝をついて任を解かれるのを待っている明人と帝羽に、蒼は振り返って言った。
「明人、主はもう戻れ。帝羽、主には聞かねばならない。オレより、恐らくこういうことには詳しいだろう。会合に出よ。」
帝羽は、驚いたように顔を上げた。そして、下を向いて言った。
「…我には、重い任であるかと。」
これ以上、何かに深く関わるのを避けようと思ったのだ。それでなくても、最近では政務のことを何某か振られることが多い。まるで、自分が王であるかのように…。そんなことは、帝羽が望んでいることではなかった。
しかし、蒼は首を振った。
「維心様について、ずっと政務を学んでいただろう。オレには、そんな機会はなかった。知らないことが多いのだ。主なら知っている。とにかく、会合には出よ。」
帝羽は、王の命なので仕方なく頭を下げた。
「は。」
明人が、少しためらいがちにそこを立って戻って行くのを見ながら、帝羽は居心地悪さを感じていた。
会合には、珍しく十六夜も来て席についていた。帝羽は、言われるままに蒼の横に座る。蒼は、十六夜と帝羽に挟まれた状態で座っていた。翔馬が、頭を下げた。
「では、月の宮の財政についてお話しを致しまする。恒様から。」
恒は、頷いた。
「まず、蒼にも分かりやすいようにと、凄く簡単な数字にして説明することにしたよ。」恒は、そう言って大きな紙をテーブルの上に置いた。「まず、月の宮の職人達が年間に生み出すのを100として計算したものを聞いてくれ。月の宮が抱える臣下達に下賜するものは20。蒼の妃の実家のうち、支援を必要としている宮は一つ。そちらに必要なのが5。月の宮の王族に必要なのが5。」
蒼は、びっくりしたような顔をした。
「え、臣下全部で20なのに、オレ達王族には5?」
恒は、頷いた。
「質が違うんだ。ここは、Sランクの宮だからね。質のいいものをたくさん揃えないと、宮の沽券に関わるじゃないか。それから、宮の維持に5。鶴の宮へ5。輝重様の宮へ5。軍に10。学校に5。催しが行なわれる度に規模にもよるけど、だいたい5~10の支出。ここで分かると思うけど、宮の催しで年に何回ある?」
蒼は、眉を寄せた。
「決まっているのは春夏秋冬一度ずつだろう?」
恒は、頷いた。
「それだけだったら、全部で30から40ぐらいなんだけど、いきなりある祝い事とか、葬式とかで支出するから、実は交際費ってのが神世では一番掛かるんだ。対面を重んじるからなんだけど。」
蒼は、考え込むように腕を組んだ。
「年間、つまりはもっと掛かっているってことか?」
恒は、頷いた。
「そう。決まったものだけだったら、職人達が生み出す分でも、まだ少し残るんだよ。それを備蓄してあるんだけど。でも、そこに蒼があっちへ何か贈れだの、こっちへあれを贈れだの言って来るから、そのたびに2から5は出て行く。曲りなりにもSランクの宮から贈るのに、貧相なものなんて贈れないからね。年の初めに、維心様が前年の支出を見て、足りないと見たら多めにいろいろ送ってくれるから、何とかやってたって感じだな。今年も50の支援をもらったんだよ、蒼には言ってなかったけど。言っても分からないだろうし。」
蒼は、その数字に仰天した。月の宮の年間の稼ぎの半分ほどの物を、支援してくれていたのか。
恒は、蒼の表情を見て、苦笑した。
「あっちは桁が五つは違うから。維心様には何でもないことなんだと思うよ。それでも、最近ではまた今年も足らぬか、とおっしゃられて、なぜにその範囲で収まらぬのだと聞いては来られていたんだ。そろそろ安定させねばならぬと思っておられるようだった。確かに、もう宮が出来て数百年だもんね。」
蒼は、下を向いた。それは、確かに維心に叱責されてもおかしくはない。年収が500万だとして750万使ってしまっているということだからだ。
「…維心様から、その支援を凍結すると、今日言われたのだ。」
恒が、仰天して絶句した。それには、翔馬も他の重臣達も、言葉を失って蒼を見つめた。皆が黙って口をぱくぱくさせているので、十六夜が言った。
「つまりは、交際費とやらを押さえたらいいんだろうが。ここだけでやって行けるように、考えるんだよ。」
それを聞いて、恒が何とか立ち直って言った。
「た、確かにそうだけど、簡単には行かない。神世では、付き合いが大切なんだ。それに、人の生き死にはどうにも出来ないじゃないか。」
十六夜は、眉を寄せた。
「じゃあ、普段の決められた催しってのをなんとかしたらどうだ?」
恒は、顔をしかめた。
「桜の宴はいいんだよ、来る時に維心様が大量に物資を持って来てくださるから。でも、花火は?月見は?正月は?節分は?どれを削っても、不自然じゃないか。王の会合の場だって、持ち回りだから順番が回って来たら場を提供しなきゃならないし。」
翔馬が言った。
「間の悪いことに、今年は文月が月の宮の当番でありまして。」
蒼は、どうしたものかと帝羽を見た。帝羽は、黙って聞いていたが、蒼の視線を受けて、ハッとしたように顔を上げた。皆もそれに伴って帝羽に視線を向ける。帝羽は焦った…え、我っ?
「我が…申し上げることはないかと思いまするが。」
帝羽がためらいがちに言うと、蒼は首を振った。
「自分が王になったつもりで、考えてみてくれないか。主なら、どうする?」
恒も翔馬も、他の重臣達もそれは真剣な目で、帝羽を固唾を飲んで見つめている。帝羽は、仕方なく口を開いた。
「では…我なら、とにかくは数を減らすことを考えまする。」
恒が、ため息をついた。
「減らせないんだよ。」
帝羽は、頷いた。
「ならば、会合は文月と言ったか?」翔馬が頷く。帝羽は、続けた。「花火の宴を、会合の時に合わせれば良い。普段は出席出来ぬ王も見ることが出来、蔵を開くのも一度でいい。酒が減らぬ。」
翔馬が、おお、と恒と顔を見合わせた。
「確かにそのように。」
帝羽は、頷くと続けた。
「桜の宴は開くが良い。龍王からの物資を受けられる、唯一の機会となろうからの。しかし人数が増えるとそれだけ支出が増えるゆえ、他に招く必要はない。月見は此度から宮にて儀式的なことをすると申して、来客は受けぬ。ここは月の宮であるから、月は己らで愛でることに。正月は常、こちらは挨拶を受け付けぬではないか。他のSランクの宮へ出掛けて、そちらで会った神達と、王が交流して参れば済むこと。その代わり節分は、残った物資を使って盛大に行なって、他の宮との交流と、臣下の労いをかねて行なうが良い。」
神世は、節分で一回り。年度の初めになるのだ。恒が、感心したように頷いた。
「それなら、少し余裕が出来る。後は、蒼があまりたくさんの支援の話を持って帰らないことかな。ここまで絞ったら、何回かぐらいなら全然大丈夫だけど、今までみたいに頻繁だと、維心様からの支援がないと、とても無理だよ。」
蒼は、頷いた。やはり、これぐらいのことなら、帝羽は簡単に解決してしまえるのか。
「では、オレもざっと財政を知ったところで、烙真の宮への支援なんだが。」皆が、急にシンとなった。蒼は続けた。「此度は、見送らせてもらう。しかし、一時的な何かは贈ってやってくれないか。それで、ひと月でも過ごせれば、その間に皇女の嫁ぎ先も決まるやもしれぬから。いけるか?」
翔馬が、ホッとしたように頷いた。
「はい。それぐらいならば何とか。とにかくは、解決してよかったことでございます。これからは、王も財政のことに目を配っていただけるのでございまするな。」
蒼は、ため息をついた。
「仕方がない。恒について、とにかくは学ぶようにする。」と、帝羽を見た。「すまないな、帝羽。主の本分ではないであろうに。だが、助かった。主は頼りになるの。」
帝羽は、ためらった。何と素直な。王であるのに、この方はこういうことが言えるのか。求められたので仕方なく話したが、気を悪くするとばかり思っていた…。
月の宮では、どうにかこうにか、対面は保てそうだと倹約の方向へと舵を切っていた。