意地
明輪の屋敷では、明輪勝利の連絡が入り、そうして王からの結納の日取りを決めよという書状まで届き、分家の当主なども来て、大騒ぎになっていた。しかし、いつもは出て行って入り口で頭を下げて迎える結奈は、今日は侍従長などに部屋へと篭められて出て行くことが出来なかった。もう、屋敷の侍女侍従達は、既に結奈を女主人とは見ていないような扱いだった。
このままでは、自分は居なかったことになるのでは…。
結奈は、怖かった。明輪は、自分を斬って捨てたりするような夫ではない。しかし、王が何を言うだろうと思うと、気が気でなかったのだ。
先刻、宮から来たという結奈宛ての書状を、侍女の一人が戸の間から差し込んで、放り込んで行った。それには、治癒の任を外すということと、今後一切の宮への立ち入りを禁ずるということが記されてあった。
書状の折り目が乱れていたので、恐らくは先に侍従長などが読んでいて、家の者にはこれが知れ渡っているはず。結奈は、ただただ明輪が戻り、自分をどうにかしてここから連れ出してくれることを待ち望んでいた。
明輪が屋敷へ着くと、いつもの静かな屋敷は、大騒ぎになっていた。本家の当主である明輪が、大変に優れた軍神であることは、他の親族にも誇りで眩しいものを見るような目で明輪を見る。明輪は、皆を見て言った。
「王からは、婚姻の準備を進めるようにと言って頂いた。しかし、騒ぐのは許さぬ。我は、このように騒がしいのは好かぬからの。それは、我の侍従達なら知っておるであろうに。」
珍しく、咎めるように言う明輪に、さすがの侍従長も決まりが悪げに頭を下げた。
「申し訳ありませぬ。皆様がご来訪になられて、大変におめでたいことだからということで…。」
明輪は、首を振った。
「確かにそうではあるが、こちらの準備がまだ出来ておらぬ。王からは、さらに屋敷を大きくして瑠維様と我の対を作ることを提案していただいておるようだ。瑠維様には幼い頃よりついておる侍女達が居るし、数人は連れて参られるだろう。着物も大変に多いと聞いておる。お迎えするには、もっと準備が必要なのだ。これからぞ。羽目を外すのは、瑠維様をお迎えして落ち着いてからで良い。とにかくは、主らも気を引き締めよ。」
明輪にそう、叱責されて、分家の親族達も神妙に下を向いた。確かに、その通りだからだ。本来騒ぐようなことは絶対にない軍神の家系の者達なのだが、今回はよほど嬉しかったのだろう。明輪は、苦笑して続けた。
「とにかくは、皆は酒でも飲んで帰れば良い。せっかくに来てくれたのだしの。しかし、我にはまだやることがある。後は侍女達に任せて、摩耶は我について参れ。」
摩耶とは、侍従長の名だ。摩耶は、深々と頭を下げた。
「はい、明輪様。それでは、こちらのおもてなしは他のもの達に指示をしまする。」
摩耶は、側の侍従に頷き掛けた。その侍従は頭を下げて、皆にきびきびと采配をし始める。
明輪はやっと解放されて、摩耶と共に、自分の部屋ではなく真っ直ぐに結奈の部屋へと向かったのだった。
戸の、向こう側の掛け金が外れた音がした。
向こう側から厳重に呪で閉じられていた戸は、音を立てて開く。結奈は、誰が来たのかと恐る恐る見たが、そこに明輪が居るのを見て、ホッとして駆け寄った。
「ああ、明輪様!我はここに籠められて…お客様への対応も出来ずに。」
明輪は、黙って入って来た。そしてその後ろに摩耶が居るのを見た結奈は、慌てて明輪の脇に寄り添った。しかし明輪は、無表情に結奈を見た。
「話がある。少し良いか。」
結奈は、警戒気味に頷いた。
「はい…。」
明輪は、結奈の手を取ることもなく部屋を横切ると、側の椅子へと腰掛けた。いつもなら、神の他の夫婦と同じように、礼儀として結奈の手を取って椅子へといざなうのだが、それが無いので結奈は出遅れて、急いで明輪の後を追った。しかし、摩耶の方が歩くのが速く、さっと歩くと唯一明輪の座った椅子の隣りにある椅子に先に座ってしまった。これもいつもなら、結奈の座る場所は明輪の隣りなのだ。
「摩耶?」
結奈は、さすがに言った。使用人が、自分の場所を取って良いわけはない。しかし、摩耶は結奈を見ず、明輪を見た。
「明輪様、お席はどのように。」
明輪は、自分の前の椅子を指した。
「結奈。そこに座るが良い。」
結奈は、驚いた。しかし、何と言っても明輪がここの主人で、結奈も従わねばならない。
仕方なく、結奈は示された椅子へと座った。明輪は、真っ直ぐに結奈を見て言った。
「結奈。宮からも知らせが来ておったであろう。主は、今後一切宮へ立ち入ることを禁じられた。しかし、本来は主は、王の結界を追放されるところであったのだ。我が王に願い出て、それは回避された。主の行いは、許される事ではないが、それでもそれが、我の行動ゆえであることも、我は分かっておったからだ。」
結奈は、袖で口を押さえた。やはり…王は我の行いを知られて、お怒りになられたのだわ。
「申し訳ありませぬ。我は、己の感情ばかりに気を取られて、王のお怒りに触れるような大変なことを…。」
しかし、それでも明輪が自分を庇ってくれた事実に、結奈は嬉しかった。しかし、明輪は険しい顔のまま、言った。
「もう、起こってしまったことぞ。主は、もうここでの使用人達の信頼を失ってしもうた。主の行いは、そういった大きな代償を伴っておる。つまりは…もう、ここでは主の命に従う者は一人も居らぬということぞ。」
結奈は、明輪を見上げた。
「はい。こちらへこめられてしまって、分かっておりました。信頼を取り戻すように、我は努力をしようと思うております。」
明輪は、そこでしばらく黙った。摩耶は、その間もじっと黙っていたが、その目は結奈を決して許すものかと言っているようだった。龍は、確かにどの種族より忠実に仕えてくれるが、一度信頼を失ってしまうと、もう取り戻すことは叶わないと言われていた。このまま結奈を庇い続けると、明輪までもこの龍達の信頼を失ってしまうかもしれない。それは、明輪には分かっていた。屋敷は、小さな国のようなもの。王が、龍族の領地全体を守っているのと同じように、自分はこの屋敷を守っている。自分に仕えているこの龍達の信頼の上に、自分の地位はある。この屋敷を守る決断をしなければ、自分の龍達は自分を認めてはくれず、そっぽを向いてしまうだろう。王が、領地を守り、民を守る決断をし続けることで信頼を得て王であるように、その家の当主も同じなのだ。
明輪は、結奈を見た。
「結奈。我は、この家の当主として判断せねばならぬ。王から沙汰が降りるほどのことをして、侍従達の信頼を失った主を今までと同じようにこの屋敷に住まわせる事は出来ぬ。だが、我も責任を取ろうと思うておるゆえ…里へ帰れなどとは言わぬ。主の世話はするつもりでおるが、しかしここでは無理だ。主も、侍女や侍従に厭われて居づらいであろうしの。」と、懐から紙を出した。そして、それを開いて中を見た。「ここより、北へ少しの所へ、小さな房を戴いた。そこに住むと良い。王の結界内であるし、安全で静かに暮らして行ける。何に気負うこともない。そこで終生暮らすが良い。」
結奈は、呆然と明輪に差し出された紙を手にした。そこには、絵図が書かれてあり、その房が近くの林の近くにある、小さな房がたくさんある区域の一つであることがわかる。その場所のことは知っていたが、そこは夫に死に別れたり、離縁されても戻る実家の無い女や、家を出された女が住む場所として有名なところだった。王は、身寄りのない女が路頭に迷うことがないように、こうやって小さな房をたくさん一箇所に集めて建ててあるのだ。
結奈は、明輪を見た。
「ここは…身寄りの無い女が住まう場所では?!」
明輪は、小さく息をついて、頷いた。
「王の結界内を許されておるだけでも、幸運なのだ。本来追放にされてしまうところであったのに、こうして房まで与えて頂いた。大変に恵まれておるのだぞ。」
結奈は、キッと明輪を見た。
「我には、身寄りがないのではありませぬわ!では、弟の屋敷に置いてもらうよう、頼んでみまするから!」
明輪は、それには悲しげに視線を落とした。
「…それは、先に我が考えたことぞ。結奈、もう諦めよ。あちらは、前筆頭軍神慎怜様の家系。慎也は、此度のことを聞いて、我の所へはもう置けぬだろうと姉を預かることを考えたようだったが、あちらの侍従達に反対されたのだ。なので、我はこのように王から房を授かるしか仕方がなかった。神世は、誠実に生きておるうちは大変に親切であるが、罪を犯した途端、手の平を返したように冷たくなる…皆、己の血を守ろうと必死なのだ。それが、王に関わって来ることとなれば、尚更。」
結奈は、とっくにそれを知っていた。知っていたはずなのに、己の家の中のことだけと、甘く見ていた…あの時は、本当に何も考えられず、ただ明輪を勝たせたくないだけだったのだ。
「…父と、母に連絡をさせてくださいませ。」
最もなことだった。明輪は、頷いた。
「では、書をしたためて文箱に納め、部屋の外へ出して置くが良い。月の宮へ送らせよう。」
明輪は、立ち上がった。そうして、まだショックを受けたままの結奈を置いて、摩耶と共にそこを出て行ったのだった。




