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明輪は、どうしても負けられないと克輝を睨んでいた。この立ち合いで自分が勝って、瑠維の夫と決まったならば、龍王に願い出て結奈の沙汰を少しでも軽くすることが可能かもしれぬ。そう思っていたのだ。

結奈は、瑠維に持っているような強く熱い愛情ではないものの、暖かい家族愛というものを持って共に暮らして来た、同志のような存在だった。出逢ったのは月の宮の治癒の対で、自分を治療してくれた結奈が何度も親しく話しかけて来たのが最初のきっかけだった。聞けば、辛い思いをしたのだと。龍の第三皇子であった、晃維に片思いして破れたのだと涙ながらに話していて、それが哀れでそれならば我が娶ろうと、申し出たのだ。

あれから、元々あまり女というものに必要も興味も感じなかった明輪は、軍務に明け暮れて結奈の他に妻も娶らずに来た。忙しくしている自分がほとんど屋敷へ帰らなかったにも関わらず、文句も言わず居てくれたのだ。

今更に、自分が初めて恋したばかりに、その妻を不幸に落としてしまうつもりもなかった。確かに、甲冑に細工する前に、自分にその気持ちを打ち明けて欲しかった。打ち明けてくれたからと退くつもりはなかったが、結奈が自分の信頼を裏切ったことは確か。そうして、恐らくは自分も結奈の信頼を裏切ったのだろう。お互いのせいでこうなったのだ…結奈だけが、その責を負わねばならぬ謂れはない。

明輪は、ぐっと刀の柄を握った。克輝がこちらへ向けて一気に切り込んで来たのだ。

克輝の動きは、思った以上に早かった。序列は上から二つ目、その王なのだ。やはり血は争えず、維心や義心から聞いていたよりずっと筋が良い。飛ぶのは気を使っているので、気が多く大きい王の血筋は、より早く飛ぶのは神世の常識だった。ただ、それを操る能力はというと、やはり鍛錬しなければ一朝一夕ではうまく行かなかった。なので、明輪と克輝の動きは、ほぼ互角の速さだった。

しかし、明輪の動きは克輝にとって追うのが難しい巧みなものだった。龍の型通りの動きと、鳥の動きが微妙に組み合わさっていて、実戦の経験もない若い王の克輝は翻弄された。明輪は、右に左に、それに上下の動きも早く視線が追いつかないほどだった。

「……。」

維心が、黙ってその様子を見上げている。義心が、言った。

「…よう鍛錬しておるようでございまするな。」

維心は、まだじっと立ち合う空を見上げて、言った。

「克輝か?確かにの。だが、明輪は何を戯れておるのだ。さっさと終わらせるよう申せ。」

義心は、空を見上げた。確かに、明輪は手を控えている。恐らくは、王である克輝に恥をかかせるわけにはいかないという、配慮からだろうと思われた。まだ始まって、数分しか経っていないのだ。確かに、あまりに早く終わらせるのも…。

「しかし王、克輝様との今後のお付き合いもございます。そのように早よう決してしまっては、恥をかかせて要らぬ恨みも買うこともあろうかと。明輪も、それを考えてあのように受けておるのだと思いまする。」

維心は、ふんと小さく鼻を鳴らした。

「見る者が見たら泳がされておるのは一目瞭然ぞ。下手に長く立ち合っておったら、相手にもそれがバレる。ここらで決した方が良いのだ。」

義心は、確かに、と思った。ここで、あの立ち合いが見えない軍神の方が少ない。皆、明輪が手を抜いているのは、とっくに気取っているだろう。義心は、スッと立ち上がった。そうして、何も言わずにそのまましばらく立っていて、また座った。


明輪は、思っていたより素早いが、太刀筋が拙い克輝にいつ引導を渡したものかと悩んでいるところだった。あちらは必死なようで、明輪が手を抜いているのはバレていないようだ。しかし、このままではそのうちにバレるだろう。

ふと下を見ると、義心が立ち上がっている。そして、明輪がそれを確認したのを見てから、すっとまた座った。

もう、決せよということか。

明輪は、確かに良い頃合かと急に太刀を返した。克輝は、驚いたようにスッと身を退いてそれを受けたが、すぐに明輪は次の太刀を繰り出して来る。そのあまりの速さと見たこともないような角度から来ることに、克輝は混乱した。案外に軽く立ち合えると思うたのに…では、我は泳がされておったのか。

そう思うと、克輝は悔しくてその素早い動きで明輪へと太刀を繰り出した。しかし、明輪にはそのような力任せで速さに頼った太刀は通用しなかった。軽く二太刀ほどでそれを凌ぐと、すっと手首を返して刀の峰で力強く、克輝の刀を持つ手を打った。刀が、くるくると宙を舞って飛んで行く。それを急いで追おうとした克輝は、いつの間にかぴったりと背後に居た明輪に後ろから腕を回して、首元に太刀を突きつけられて、止まった。

「一本!」義心が、叫んだ。「勝敗は決しました。明輪の勝利です。」

二人は、訓練場の地上へと降りて来た。明輪は息も切らせてなかったが、克輝は、肩で息をしながら地上へ降りた。そして、軍神から刀を受け取りながら、明輪を睨んだ。

「主、手加減しておったな。」

明輪は、頭を下げながら答えた。

「いえ、様子を見ておりました。克輝様と立ち合うのは、初めてのことでございますので。」

それでも、克輝は苦々しい表情を崩さなかった。

「様子を見るとて、長すぎるわ。主の腕なら、簡単に決したであろう。」

義心は、そんな様子に割り込んだ。

「大きな立ち合いでは、いくら我ら龍軍の軍神でも警戒して長く様子を見ることもあるもの。克輝様にも、以前お見上げした時より、数段に上達しておられました。」

克輝は、ふんと横を向いた。

「己でもそのつもりであったが、まだまだよ。」

維心が、そこへゆっくりと歩み寄って来た。すると、維心が立ち上がったのを気取った観覧席の軍神や臣下達が、また一斉に立ち上がって膝を付くのが見えた。王の動きを、完璧に見ている臣下達に、克輝はまた驚いた。

「何をごねておるのだ、克輝よ。確かによう精進しておったのだの。前より良うなっておる。だが、まだまだよな。主はまだ若いのだ。これからいくらでも伸びようほどに。しかし、我は我が娘をそれまで待たせるわけには行かぬ。瑠維は、この明輪に嫁がせる。主は、もう諦めよ。」

明輪が、目の前で膝を付いて頭を下げている。克輝は、そちらを憎憎しげに見ていたが、ふっと肩の力を抜いた。

「…しようがないことよ。我の力、全く及ばなかった。維心殿にそのように言われても、諦めもつくというもの。しかし、長く執着しておっただけに、大変に心の重いことであるが。」

維心は、克輝が見るからに消沈しているのを見て、さすがに気の毒になったが、言った。

「見目だけで女は分からぬもの。主ならば、もっと良い相手が居るであろうぞ。この先誰か見つけたのなら、力になれるやもしれぬ。その時は、我に相談するが良い。主が推薦するにたる王へと成長しておったなら、我も口添えをしてやろうぞ。」

克輝は、維心を見た。根性はまだ若い維心。前世、1700年も君臨したのに、今生またこうして王として君臨している。とても敵う王ではない。

克輝は、軽く会釈をした。

「その時は、お頼みするやもしれぬ。だが、次こそ己の力で勝ち取りたいものだと思う。」

維心は、頷いて薄っすらと微笑んだ。

「良い心がけぞ。」

克輝は、また軽く頭を下げると、その場を辞して行った。観覧席に居た龍の軍神達は、その克輝を拍手で送ったのだった。


克輝が戻り、訓練場も綺麗に舗装された後、明輪は宿舎の部屋で着替え、屋敷へ事の次第を伝えねばと準備をしていた。すると、軍神の一人が入って来て膝を付いた。

「明輪殿。王より、居間でお待ちなので参るようにとの命でございまする。」

明輪は驚いた。しかし、よく考えると、まだ結奈の沙汰が下っていない。自分は、その沙汰について王に願わねばならないのだ。

明輪は、頷いた。

「すぐに参る。」

そうして、明輪は急いで王の居間へと向かった…そして、そこへ呼ばれるような身分になったということを、その道すがら実感して気を引き締めていた。

いつもなら、奥宮へ向かう長い通路の入り口で、簡単に弾かれるはずの明輪が、今日はすんなりと足を踏み入れた。奥宮は、王の居住空間で、プライベート空間なのだ。王が許さない神は、指先さえも入ることは出来なかった。

長い回廊を、美しい南の庭を横目に見ながら進んで行くと、正面の突き当たりに大きな扉が現われた。

それが、龍王の居間への入り口だと明輪は思った。

「王、明輪でございます。」

明輪は、その戸の前で言った。すると、その戸がスッと両側に開いた。

明輪が呆然としていると、広い居間が目に入った。そして、正面の大きなソファのような天蓋付きの椅子には、維心がこちらを向いて一人で座っていた。その横には、義心が膝を付いている。明輪は、その側まで進むと、膝を付いた。

「王。お呼びにより、参りました。」

維心は、頷いた。

「そこへ座るが良い。」

明輪は、まだ膝をついている義心を気遣わしげに見ながら、そこへ座った。すると、維心は苦笑した。

「主は、瑠維の婚約者となる。結納の日取りなどは追って臣下達に決めさせようが、ここでは義心を気にすることはない。上司は義心だが、私的な場での立場が違うのだ。」

明輪は、ためらいながらも頭を下げた。義心は、特に気にしてもいないように言った。

「このたびは、主の報告を受けて、王が沙汰を申し渡されようと呼ばれたのだ。」

明輪は、それを聞いて慌てて維心を見た。

「王、そのことでございまするが…我も悪いのでございます。あれの気持ちなど思いやることもなく、己の望みを押し進めたばかりにあのようなことを。どうか、温情を。」

維心は、義心を顔を見合わせたが、また明輪を見て、頷いた。

「主がそう言うのならば、我はあれを我が結界から追放することはせずに置こうぞ。しかし、瑠維をやる屋敷にそのように瑠維を不快に思う者が住んでおるとなると、我も案じられる。まあ、今すぐにあれをそちらへやる必要もないし、そちらのことは主が我の納得するように処理せよ。その後、瑠維を娶れば良かろう。急ぐことはない。ゆっくり考えれば良い。しかし、もう宮へ出入りを許すわけには行かぬ。我が宮に仕える龍達は、皆我に忠実に仕えてくれておるのだ。もちろん、神世の理を曲げる者など居らぬ。つまりは、主の妻は我が宮の治癒の任を解く。これ以後、宮へ近付くことは許さぬと伝えよ。我が結界内は、主に免じて許してやろうぞ。」

明輪は、深々と維心に頭を下げた。結界内は許されたが、それでは屋敷に缶詰状態になるだろう。それに、月の宮の父などはお前達のことだと恐らく何も言わぬだろうが、こちらの祖父明蓮から続く軍神家系の親族達は、それは大変だろう。まさに真面目で謹厳な龍を体現したような彼らは、王が(いのち)で、王に死ねと命じられたら一瞬の迷いもなく死ぬような者達なのだ。そんな親族だからこそ、瑠維の降嫁には涙を流して喜んだし、結奈がしたことにあれほどに一族挙げて怒り狂っているのだ。ただ甲冑に傷を付けただけであれほどに怒り狂っていた親族が、王に宮を追放された女をそのままに妻として置くことを許すとは思えなかった。今ですら針のむしろであるだろう結奈を、無理に屋敷へ置くことには明輪も悩んでいた。

やはり、月の宮へ帰すよりないのか…。

明輪は、悩んでいた。

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