嫉妬
明輪の屋敷では、まだ親族が騒いでいた。
明輪も、早く体を休めたいとお祭り騒ぎの親族から離れて、部屋で試しに甲冑を身につけてその動きやすさに満足してから、早々に床についていた。結奈は、結局言葉を交わす事もなかった明輪の部屋を訪ねた。
「結奈か。もう休むところであった。」
明輪は、寝台から身を起こして言った。結奈は、なんとか顔に笑顔を貼り付け、答えた。
「お邪魔をして申し訳ありませぬ。甲冑はいかがでありましたか?」
明輪は、頷いた。
「良い具合であった。」
結奈はそれを聞いて頷き、甲冑の入った厨子に歩み寄った。
「よろしゅうございました。そうしましたら、侍従達にも念のため点検をと申しておりますので、あちらへお持ち致しますわ。明日には、万全の準備をしておくとの事でございます。」
明輪は、頷いた。
「すまぬの。」そうして、厨子を持って出て行く結奈を見ながら、また言った。「主には、気苦労を掛けてすまないと思うておる。しかし、我にもどうしようもなく…この様な心持ちは、初めてのことで。」
明輪は、結奈がそうして責める事もなく世話をするのに、心から詫びていた。結奈は、少し振り返り、また笑顔を貼り付けて言った。
「仕方のないことでございます。力のあるかたに嫁いで、今まで何も無かったのが不思議なほど。どうか、我の事はお気になさらずにお出掛け下さいませ。」
明輪は、また頷いた。このように出来た妻が居るのに。我は、なんと心ないのか。
しかし、瑠維を想うと、どうしようもない想いがわき上がり、明輪は出て行く結奈に無理やり背を向けて眠りについたのだった。
結奈は、厨子を手に明輪の部屋を出ると、皆がまだ下の応接室で騒いでいるのを確認して、急いで厨子を手に自分の部屋へと向かった。結奈は、どうしても明輪が瑠維を娶ることが許せなかった。それなのに明輪の親族達は、結奈の気持ちなどそっちのけで、龍王の血を継いだ子が自分達に繋がることを望み、それが決して無謀なことではないことを知っていて、更に確実にしようと、こんなものを作らせてしまった。まだ筆頭と次席の軍神ぐらいしか支給が追いついていないというその甲冑は、動きの制限が少なく、更に技術の向上を望めるだという。
結奈は、部屋へと駆け込むと鍵を閉めて、そっと厨子を開いた。龍の青い甲冑…確かに、見慣れていた物とは違い、大変にシンプルで扱い易そうだ。こんなものをつけて明輪が立ち合ったなら、明日の立ち合いではきっと勝ち残ってしまう。
結奈は、側の引き出しを開いて、中から細い剃刀を出した。決して、そうはさせない。明輪様が勝ち残り、こちらへ瑠維様が来てしまうようなことがあっては、我の立場はどうなってしまうというの。
結奈は、迷いなくその甲冑の紐に手を掛けたのだった。
一方、帝羽は眠れなかった。宿舎ではなく、自分の屋敷へと戻った帝羽は、明輪のように親族も居らぬので、一人静かに庭で刀を振っていた。まだ、とても確実に勝てるとは思えない…訓練場では、維明も特定の軍神にだけ肩入れしてはいけないので、明輪とも慎也とも立ち合っていた。それでも、皆が居なくなった深夜などには、よく帝羽の相手をしてくれた。慎也も明輪も、確かにとても上達していた。特に明輪は、帝羽が以前見たよりも、更に技術が上がっていた。聞いたところによると、夜になると月の宮へと飛び、そちらで嘉韻や明人などに稽古をつけてもらっていたのだそうだ。
自分に何が足りないのか分からないまま、こうして立ち合い前夜を迎えてしまった。王からは、今夜は休むようにと訓練場の使用を禁じられ、他の宮へ行くことも許してはもらえなかった。それでも、帝羽は嫌な予感を消すことが出来なかった。どうしたのだろう、勝てる気がしない…。
帝羽が、じっと刀を握ったまま物思いに沈んで立ち尽くしていると、上から声が降って来た。
「なんだ、やはり眠れぬか。」
帝羽は、聞き慣れた声にそちらを見上げた。維明が、普段の着物姿でそこに浮いていた。
「維明…。」
帝羽が、力なく言うと、維明は降りて来て芝を踏んだ。
「どうした。主らしゅうないの。まるで自信が消失しておるように見える。」
帝羽は、頷いた。
「どうしたことか、勝てる気がしないのだ。あれほど主に立ち合ってもろうたのに。」
維明は、スッと片眉を上げたが、言った。
「うむ。」そして、帝羽の持つ刀を見ながら言った。「確かに、我も皆と立ち合ってみて思うたことであるが、あれらは強敵よな。我は、技術だけは伸びておるし、あれらに負ける気がせぬのだが、嘉韻には、たまに負けるような気がする時があるのだ。あれは、龍とは少し違った立ち合いをするであろう?聞けば、最初に仕えたのは、父が所属しておった鳥の宮であったという。鳥の宮の軍神は、世話好きの炎嘉様が育てた最強の軍だったと聞く。その頃の龍軍では、あの鳥の最強軍団と戦うのはつらかったのだそうだ。ひとえに父上がいらしたゆえ、龍が最強と言われておるのみであったと、当時を知る義心は話しておったの。」
帝羽は、顔を上げてそれを真剣に聞いた。歴史は学んだ…しかし、そんなことは知らなかった。
維明は、続けた。
「その鳥の軍に居った嘉韻は、そこで基礎を叩き込まれ、そしてかなりの力を持っていたらしい。しかし龍であるから、風当たりは強く、序列もつかなかった。それを不憫に思うた父の嘉楠が、嘉韻を月の宮へ行かせたのだという。なので、今の月の宮の軍があるのだ。嘉韻が入った頃、あちらは龍軍が駐屯しておったので、龍が圧倒的に多かった。嘉韻は、なのでそれに合わせて龍の戦い方まで身につけた。ゆえ、嘉韻は大層技術に優れており、立ち合いで圧倒的に勝つのだ。主とて、気が嘉韻より強いのにも関わらず、なかなか嘉韻には勝てなかったと聞いておるぞ。主、あれに鳥の戦術は習わなんだか。」
帝羽は、首を振った。
「嘉韻殿と立ち合う機会は何度かあったが、指南してもらえるほど暇がなかった。下位の軍神達を育てることだけに必死になっておったし、それに我は、宮での政務を言いつけられる方が多くなっておったので…。」
帝羽は、それを悔やんだ。せっかく、嘉韻と身近くに過ごすことが出来ていたのに。まさか嘉韻が、そんな能力を持っているとは気付きもせず、あまり同席することもなく月の宮を去ってしまっていたのだ。
維明は、苦笑した。
「明輪の父は、嘉韻の親友である明人。あれが、必死に明輪に指南しても、おかしくはない。最近の明輪の目覚しい上達は、恐らく嘉韻の力であろうな。主もゆめ、油断するでないぞ。ここまで来てしもうたからには、運も味方につけるよりあるまい。此度は総当りの勝ち星数の勝負。明輪と当たるまで、決して黒星をつけるでないぞ。あるいは、明輪に負けたとしても、主には機があるやもしれぬからの。」
帝羽は、そんな他人頼りの立ち合いなどしたくはなかった。真実、自分の力で立ち合って、勝ち取りたい。だが、その力が自分にはないと言うのか。
「我には、勝ち目がないと申すか。」
維明は、首を振った。
「いいや。ただ、確実ではないと言うておる。五分五分かの。」
帝羽は、息を飲んだ。五分五分か。
「…では、余計に寝てなど居られぬの。」
帝羽は、刀を手に、宙を睨んだ。そうして、また型を練習し始めたのを見て、維明は、ふっと息を付いた。
「しようのない。では、我がしばらく相手してやるゆえ。しばらくしたら、休むのだぞ。」
と、宙へと手を出した。するとすっと刀が現われた。これは見たことがある…龍王がしていたのと、同じ術だ。
「それは、どうやっておる。我にも出来るのか。」
維明は、きょとんとした。そして、刀を見た。
「ああ、呼び出し方であるか?そうよな、主の気であるなら、出来ようか。我も物心ついた時には、こうやって刀を呼び出しておったゆえ…何と説明したら良いかの。」
維明は、首をかしげている。つまりは、龍王ほどの気であれば、幼い頃でも刀を呼び出してしまうのだ。しかも、呼吸でもするように。
帝羽は、そこで夢中になって、立ち合いをそっちのけで維明から刀を呼び出す方法を教えてもらった。最初はなかなかうまく行かなかったのだが、何時間も繰り返しているうちに、帝羽も刀を呼び出すことが出来るようになった…なぜか、維明や維心と同じことが出来るようになった自分に、帝羽は次の日の立ち合いに向かう自信になり、気持ちが少し楽になったのだった。




