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それでも

明輪は、自分でも驚いていた。

まさか、この歳になって、といってもまだ神の中年でしかないが、本当に欲しいと思うものが出来るとは、思ってもみなかったからだ。

しかし、それはどうあっても手が届かないものだった。なので、密かに忍んで垣間見るしかなかった。

それなのに、まるで振って湧いたかのように、自分に機が訪れた。あの、ただじっと遠くから見つめるしかなかった皇女、瑠維を、娶ることが出来るというのだ…しかも、自分のこの、能力次第で。

明輪は、迷わず義心に名乗り出た。しかし、その時同じ、父を月の宮の将に持つ、慎也も義心の部屋を訪れていたのと鉢合わせた。慎也は、明輪を見て、言った。

「明輪?…主も、出るのか。」

明輪は、慎也から視線を反らして、頷いた。

「主の姉の、結奈を娶っておりながら、なぜにと思うであろうの。だが、我はずっと瑠維様を見ておった…主と同じぞ。」

慎也は、驚いた顔のまま、しばらく黙ったが、息をついた。

「想いとは、どうにもならぬもの。我は、それを学んでおる。だがしかし、姉上には申したのか。」

明輪は、渋々ながら、頷いた。

「ここへ、来る前に。黙ったまま、こちらを見てもくれなんだ。」

慎也は、眉を寄せて、しかし悲しげな顔をした。

「瑠維様をとなると、必ず正妻にとなる。姉上は、主の妻であっても正妻だと告示されたわけでもなかったし、しかしただ一人なのでいつかはそうしてもらえるだろうという思いもあったゆえ。もしも主が瑠維様を娶れば、それは永久に叶わなくなるのだからな。」

明輪にも、それはわかっていた。だが、自分に湧き上がったこの想いは、どうしようもなかった。それでも、諦めていたのに、こうして目の前に機会をぶら下げられたら、希望を持ってしまった。

「我は…もう、後には退けぬ。慎也、結奈には悪いと思うておるのだ。だが、瑠維様には我も、思いもしなかったほど焦がれてならなくて…。」

慎也は、じっと黙って明輪を見つめていたが、ふっと息をついて天井を仰ぐと、頷いた。

「しようがないことよ。我とて、しかし譲るつもりもないゆえな。まあ、我は主ほど想うても居らぬのやもしれぬ。ただ、回りがあまりに婚姻を婚姻をとうるさいので、ならば皇女であれば誰も文句は言わぬだろうと、そんな気持ちであるのだ。だが、我はどんな勝負でも勝つつもりでおる。覚悟しておけ。」

そう言って、ふふんと笑う慎也に、明輪も険しかった表情を緩めた。

「何を言うておる。最近では、我の方が取るではないか。よう言うたものよ。」

慎也は、笑ってから、また真剣な顔をした。

「しかし、油断はならぬ。帝羽殿が名乗り出ておるらしい…最近では、我らも勝てる試合も増えて参ったが、今大変な努力をして、更に技術を磨いておるそうよ。帝羽殿も本気ぞ。主、勝てるか。」

明輪は、薄っすらと目を光らせた。

「誰に言うておる。最初は勝てぬと思うたが、最近では負ける気もせぬ。」

慎也は、また笑った。

「そうか!では、我らで帝羽殿から一本取るぞ。確かに負ける気がせぬの。」

二人は、肩を組んで訓練場へと歩いて行った。しかし、結奈のことは、明輪も気にするところだった。


結奈は、まさかここまで来て明輪が、他の女神を娶ると言い出すとは思ってもいなかった。

明輪は真面目で任務一途で、自分の屋敷へ帰って来ることは少なかったが、それでも女の影など少しもなかった。なので、正妻にと正式に据えられているわけではなかったが、それでも明輪がそんなことに思い当たらないだけで、そのうちにと思っていた。

しかし、思えばここ数年は違っていた。

二人の間には子供も無いこともあったし、結奈も屋敷で少し肩身が狭くなって来ていた。夫の明輪は、月の宮の明人の一人息子で、こちらの序列5位だった明蓮の曾孫に当たる。どうしてこちらに明輪が来たのかというと、跡取りであった明蓮の子信明が月の宮で仕え、その子明人も月の宮に仕え、こちらに跡取りが居なかったせいだった。つまりは、明輪は大変に期待された跡取りで、どうしても、その後を継ぐ子が欲しかったのだ。

なので、親戚内では明輪に新しい妻を、という話が頻繁に出るようになっていた。しかし、明輪自体は全く興味を示さず、その話は親戚止まりでまた済んでいた。

だが、無理にでも縁付けられるだろうと結奈は思っていた。なので、その前に正妻に据えて欲しいと思い、明輪にさりげなく聞いてみた。

その時、明輪は遠くを見て、正妻か…。と呟いた。そして、そのままうやむやになってしまった…明輪は、結奈を正妻にするつもりはないのだと、その時やっと気が付いた。

ショックを受けて塞ぎこんでいたその時、今度の話が舞い込んだ。瑠維様を巡っての立ち合い。

だが、そんな大それたことと、結奈もまさか明輪が名乗りを上げるとは思わなかった。だが、明輪は久しぶりに屋敷へ戻って来たと思ったら、結奈に言った…我は、瑠維様を娶るための立ち合いに出る。

結奈は、目の前が真っ暗になった。側に居た侍女達が、ホッとしたように微笑み合い、親戚達に知らせようとさっさと部屋を出て行く。反対しようにも、出来る状態ではなかった。明輪は、しばらく結奈の背後で立っていたが、結奈が混乱して何も返せずに居ると、そのまま踵を返して、戻ったばかりだったのに、また宮へと飛び立って行った。

結奈は、どうしようもない気持ちに押しつぶされそうだった。


だが、準備は着々と進んで行った。さすがに、立ち合いの日の前日は屋敷へ戻って来て、召使や親戚に今度のことを正式に伝え、ここから出て行くという。縁戚の者達は、明蓮の時から仕立てを頼んでいる仕立ての龍に特別に甲冑を作らせ、明輪の勝利に貢献しようと必死だ。結奈は、自分そっちのけで進んで行く、屋敷の中の浮き足立った様子に、ただ苦しく、嫉妬のような怒りのような、悲しいような気持ちに苛まれながら、その時を迎えたのだった。

明輪は、屋敷へと降り立った。いつもよりも早く、召使達も親戚も、総出で出迎えた。そして、明輪は、言った。

「これよりは、訓練場を使うことを許されぬので、戻って参った。同じように立ち合いをする軍神達も、皆もう屋敷や宿舎へと戻っておるだろう。我は、前々より瑠維様を望んではおったが、あまりに遠いことに、口に出すことも出来なかった。しかし、此度王がこのような機会を下さり、確かに王の御ために仕えて来た我ら軍神は、報われたような心地でおる。我は、この千載一遇の機会を、己の力で掴み取るつもりぞ。主らも、我の勝利を願って欲しい。」

すると、侍従長が進み出て頭を下げた。

「我ら、明輪様が無事に勝利されて、瑠維様がご降嫁されることを心よりお待ち申し上げておりまする。つきまして、分家の皆様より、軽く常より動きやすいと評判の、新しい甲冑が届けられました。大変に稀少なものであるので、まだお持ちのかたも少ないと聞いておりまする。」

明輪は、侍従達が運んで来た厨子を、開いて中を見た。

「これは…確かにそうよ。義心殿などはもう身につけておられるが、生産が追いついておらぬとかで、まだ我らまで行き渡っておらぬのに。」

侍従長は、頷いた。

「そこは、明蓮様の筋でございます。良い仕立ての龍との交流がおありでしたので、特別に先に仕立ててもらえたとのこと。これをお付けにになられて、明日は是非に、勝利を。」

分家としては、龍王の血が自分達の家系に入ることで、更に強い軍神を生み出し、序列が上がることを期待しているのだ。維心は、特別に強い血筋であるからだ。

明輪は、頷いた。

「必ずや、勝利しようぞ。後で一度、身につけておくとしよう。」

明輪は満足げに言うと、その厨子を閉じた。そうして、まだ挨拶にといろいろな分家の神が出入りする中、その厨子は明輪の部屋へと運ばれたのだった。

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