龍の宮
維月を自分の奥の間の寝台へ寝かせた維心は、しばらくその横に寄り添って寝顔を見ていたが、侍女が呼ぶ声に顔を上げた。
「王。」
維心は、答えた。
「何ぞ。」
侍女は小声で言った。維月が休んでいることは、知っていたからだ。
「はい。十六夜様が居間にお越しになられておりまする。」
維心は、もう維月が出産したのを気取ったのかと思ったが、言った。
「参る。」
そうして、眠る維月の額にそっと口づけると、起こさないように起き上がって寝台を出た。そうして側の衣桁に掛けてある袿を自分で羽織ると、居間へと出て行った。
すると、そこには十六夜が、何の遠慮もなく椅子へ座っていた。
「何だよ維心、まだ寝てたのか。もう昼だぞ。維月は?」
維心は、憮然として自分の椅子へと座った。
「何を言うておる。明け方から維月は大変だったのだぞ。」
十六夜は、きょとんとした顔をした。
「大変?お前が大変な目に合わせたのか。もう産み月なんだろうが。ちょっとは慎め。」
維心は、驚いた。出産したから来たのではないのか。
「主、知らぬのか?」
同じ月で波動が伝わるのではないのか。
維心はそう思った。しかし、十六夜は身を乗り出した。
「何をだ?何かあったのか。」
維心は、本当に知らないのだと思って、言った。
「昨夜から産気づいて、今朝皇女を産んだ。名を瑠維とした。我はてっきり、月同士の波動で知ったから来たのだと思うておったのに。」
十六夜は、本当に驚いた顔をした。
「何だって、もう産んだのか?!全く知らなかった…というか、あいつから何かの波動の乱れは伝わって来てたけどよ、お前、いつも夜は欠かさずアレをするだろうが。その時の波動もそんな感じだから、もう慣れちまって見分けが付かなかったんだよ。気にしてたらきりがねぇだろうが。」
維心は少し、バツが悪そうな顔をした。そんな時も伝わっていたとは知らなかった。しかし、十六夜は気にしていないように目を輝かせた。
「で、やっぱり女だったんだな?会わせてくれよ、また維月に似てかわいいんだろう?」
維心は、顔をしかめた。やはり、そう思うわな。
「…ま、見てみれば良いわ。」と、声を上げた。「侍女!乳母に瑠維を連れて参れと伝えよ。」
十六夜は、そわそわとした。
「新しい子ってのはいつも嬉しいもんだよな。また紫月みたいに困ったことにならねぇように、オレも気を付けて育てないと。」
維心は、苦笑した。
「前世より、我も少しは学んでおるわ。此度はきちんと皇女らしゅう育てようと維月とも話した。案ずることはない。」
すると、乳母が赤子が入っているらしい包みを抱いて頭を下げて入って来た。維心は、頷いた。
「これへ。」
乳母が進み出て、維心に恭しくその包みを差し出す。維心はそれを受け取って、布を開いてじっと顔を見た。
…やはり、何度見ても我に似ておる。
維心はそう思いながら、十六夜に頷き掛けた。
「瑠維ぞ。」
十六夜は、嬉々として瑠維を抱き取った。そしてその顔を見て、びっくりしたように目を丸くしたが、すぐに表情を緩めた。
「なんだ、お前そっくりじゃねぇか。だが目の色は、今度は維月だ。」
維心が、驚いて瑠維を覗き込んだ。自分が見た時は、目を閉じていたのに。
すると、瑠維はぱっちりと瞳を開いて、じっと維心を見返した。その瞳の色は、鳶色だがほんのり赤かった。陰の月の瞳の色…これは、維月の色だ。
維心は、そう思うと無償に瑠維をかわいく感じた。
「おお瑠維。父ぞ。わかるか?」
瑠維は、まだじっと維心を見つめている。十六夜は、そんな維心に笑った。
「なんでぇ、親バカだな。まだ生まれたてで湯気が出てるような状態で、分かるはずないじゃねぇか。」
しかし瑠維は、ほんのり笑うと維心の頬に握ったままの拳で触れた。触れたというより、突付いたような感じだ。維心は、十六夜から瑠維を抱き取ると、微笑んだ。
「分かっておるのだ。我が父だとの。維月に似ておらぬので、少し失望しておったのだが、何と嬉しいことよ。」
十六夜は、苦笑した。
「はいはい。女は維月しか興味のないお前だもんな。だが、維月とお前の子なんだから、どっちにもどこかしら似てるもんだろうよ。」
維心は頷いて、乳母に瑠維を渡した。乳母は、また恭しく受け取ると、そこを出て行った。それから、ほっこりした気分になった維心は、穏やかな表情で椅子へと腰掛けた。
「で、維月の出産を知らなかった主が、なぜにここへ来たのだ。主はいつなり面倒がって維月以外ではここへ来ぬのに。」
十六夜は、乳母を見送って瑠維に思いを馳せていたが、我に返って維心を見た。そうだった。
「そうだった。維心、今ちょっと困ったことになってるような気がする。」
維心は、眉を寄せた。
「ような気がする?どういうことぞ。」
十六夜は、真剣な顔で維心を見た。
「あのな、今月の宮に、烙真の所から支援の依頼が来てるんだ。自分の娘を蒼に嫁がせるからと。」
維心は、頷いた。
「兆加から聞いておる。妹が離縁されたので支援が途絶えたのだろう。下々の宮では、ようあることぞ。」
十六夜は続けた。
「だが蒼は、今居る妃達に気苦労を掛けたくないんだ。皆似たり寄ったりの歳だから上手く行ってたが、若い皇女が来たらややこしいだろう。それで、新しく妃を娶る気は、今は全くないから、それなら支援だけ、と返せと翔馬に言った。」
維心は、両眉を上げた。
「…それは思い切ったことを申したの。」
「やっぱりお前はそう思うか?」十六夜は言った。「翔馬も、同じように思ったんだろうな。反対してるんだ。だが、蒼は烙真の宮ぐらい面倒見れるという。確かに、翔馬もそれは烙真だけならと言った。だが、それだけでは済まないと。帝羽は、それは筋ではないと言っている。」
維心は、ますます眉を寄せた。
「なぜにそこに帝羽が出て参る。確かにそれは、筋ではないが。」
十六夜は、ため息をついた。
「翔馬が、帝羽に相談したからだ。蒼が、こんな風に言うと。しかし、帝羽は王の判断の通りにと言っていて、自分が判断することではないと言ったらしい。」
維心は、険しい顔のまま、じっと十六夜を見た。
「その通りよ。何よりなぜに翔馬は帝羽に相談するのだ。あれは、あちらの次席軍神ではないのか。月の宮では次席軍神が政務にまで携わっておるか。」
十六夜は、首を振った。
「いいや。軍神は軍務だけ。蒼もそれには怒って、聞く前に自分に言えと言っていたよ。」
維心は、息をついて背を椅子に預けた。
「して?主は我に何を聞きたい。」
十六夜は、本題に入ろうと身を乗り出した。
「維心、帝羽はものすごく出来た神だ。オレも、最近あいつと立ち合うことが多いが、炎嘉ぐらいには立ち合うぞ。それに、控えめだし知識をひけらかすこともない。真面目で嘉韻の命令にも、蒼のいうことにも、絶対に逆らわないしな。臣下が聞くことにも、律儀にいちいち答えてやるし、それがいちいちきっちりしてるものだから、今では宮で、まずは帝羽に聞く、というのが普通になっちまってるんでぇ。だが、あいつは何事も王のいいように、と言って蒼のことは立てる。蒼が既に決定を下したことに関しては、意見を言うことはねぇ。今回のことも、翔馬が無理に泣きついてって感じだったしな。だがな、オレが見ていても分かる。帝羽は、まるでお前のようだ。お前みたいに判断出来る帝羽が居て、蒼が王として居る。しかし蒼は、未だにスカッと神世の常識が抜けてる所がいっぱいあって、とんでもない判断をしたりする。オレは、心配なんでぇ。今はまだ、誰も何も言わない。だが、このままじゃ蒼の至らなさがはっきりしちまって、臣下達が不満を募らせるんじゃねぇかって。」
維心は、じっと黙って十六夜の話しを聞いていたが、フッと息をついて視線を下げた。そうして、しばらく考えていたが、視線を上げた。
「…危惧していたことよ。やはり、月の宮でもそうなるか。」維心は、顎に手をやって考えながら言った。「確かに、蒼は我について学んだ訳ではない。それに、あれは王の器ではない。それなのに、月の子であるから王として君臨しておるだけ。なのだから、判断の基準が王のそれではないのだ。しかし帝羽は王の器。あれは我についてほんの数年学んだだけで、王らしゅう成長した。それに引っ張られて、維明も落ち着いて王に相応しく成長した。良いことだと思うておったが、他の宮では務まらぬ。何しろ、そこの王よりも王らしく、いくら臣下として真面目に仕えようとも、回りが王のように扱うゆえ、本当の王がやりづらくなるのだ。十六夜、王とはの、臣下に王と認められて初めて君臨出来るのだ。我とてそうよ。このように絶対的な力を持っておるのもあるが、これでも我は王としてかなりの判断をしておるのだぞ?」
十六夜は、頷いた。
「分かってるよ。お前は他の誰よりも王だろう。親父が地上の王だと言うじゃねぇか。だが、蒼はなあ…どうしたらいいんだろうな。このままじゃ、重臣筆頭の翔馬も、皆帝羽の言うことしか聞かなくなる。蒼が、王らしいことを言えばいいんだが、あいつは情で物を考えるから、困ってるなら、助けてやらなきゃって思うんだ。先のことも、分かってない。臣下達は、それを言ってるのにな。今度の烙真のことも、最後にはお前に聞くって言ってたんだ。お前、うまいこと説得してくれねぇか。」
維心は、仕方なく頷いたが、それでも言った。
「言うてはみるが、あやつは聞かぬからの。公青の時もそうであったではないか。主まで一緒になって、我と炎嘉が反対するのに聞かなんだ。」維心は、ふーっと息を吐いた。「少し荒療治やもしれぬが、言うてみる。しかしあまり期待せぬことだ。それから帝羽のことであるが、これはあやつのせいではない。蒼が帝羽より王らしゅうあれば、問題のないことぞ。蒼がもっと我の言うことを素直に聞いて学んでおれば、このようなことにはならぬのに。帝羽は、我から学んだゆえ、神世で厚遇されるのだ。主も、そのこと重々肝に銘じることぞ。神世に住むのならの。己らだけで生きるというなら、この限りではないが。」
十六夜は、今度ばかりは言い返す言葉がなかった。いくら臣下達と情で繋がっていても、本当の敬意を持ってもらえなければ、他の神へと心が移るのだ。よりしっかりとした王に、しっかりと守ってもらうために…。
「分かったよ。オレも、ちょっと蒼には言うようにする。じゃあ、頼んだぞ。」
維心は、頷いた。
「気が進まぬがの。」
そうして、十六夜はまた、月の宮へと飛び立ったのだった。