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当日まで

維明は、毎日のように帝羽の訓練に付き合った。今では、技術だけを見れば格段に維明の方が上だったのだ。維明は、さすがに維心の直系であるだけあって、伸び始めてからの成長は物凄かった。あれよあれよというままに、ぐんぐんと技術を上げて、義心と対等には立ち合うほどに成長したのだ。しかし、やはり場数が違うので、まだ手を読み切れずに負けてしまうことが多かった。維心はいつもそれを見て、ここで手練れの軍との戦闘でも一度あれば一気に成長するのにの、と言った。しかし、それが起こることを望んでいるのではないようだった。

今日も、帝羽との訓練を終えて維明が自分の対へと向かっていると、その道筋の、横の仕切り布から、ちらと女物の着物の裾がはみ出ているのを見つけた。誰かが、そこで誰かを待って潜んでいるのようだ。侍女であろうと、皇女であろうと、女はこうして男を待ち伏せすることがあった。維明も、近隣の宮から客として来ていた皇女に、何度もこうして待ち伏せられたことがあった。しかも、相手は偶然であるとこちらが信じていると思っているらしい。しかし、偶然がそう何度も起こらないことを維明は知っていたので、いつも丁重に身を翻してその場を去っていた。

維明は、また面倒なことになりそうだと思ったが、あいにくそこを通らないと自分の対へは行けない。それに、ここで踵を返すと明らかに不自然だった。なので、仕方なく足を進めて、なるべくそちらを見ないようにさっさと進んだ。

すると、思った通り、その仕切り布が激しく揺れた。維明は、誰が出るかと構えた。

「お兄様。」

瑠維だった。維明は、気が抜けてふーっと大きく息をついた。

「瑠維か。何をしておる。驚くではないか。」

すると、瑠維は頭を下げた。

「申し訳ありませぬ。ですが、お兄様とお話をとこちらでお戻りをお待ちしておりましたの。よろしいでしょうか?」

維明は、頷いて歩き出した。

「良い。居間で待って居れば良いではないか。主は妹なのであるし、誰も何も言わぬ。」

瑠維は、維明に少し遅れて歩きながら、言った。

「ですが、先触れも出しておらなんだので。お兄様にも、失礼かと思いましてございます。」

確かにそうだった。だが、母などはいつもいきなり来て中で待っていたりする。なので、維明も身内相手にそこまで厳しくしようとは思っていなかったのだ。

「まあ良い。して、急ぎの用か?」

瑠維は、バツが悪そうに下を向いた。

「いえ…ですが気になってしまって。我が早くお兄様にお話せねばと思うただけでございます。」

維明は、自分の対へと入って、居間の椅子へと歩み寄り、座った。そして、瑠維にも椅子へ座るようにと促した。

「座るが良い。」

瑠維は、維明に頭を下げてから、目の前の椅子へと腰掛けた。それにしても、この妹は本当に美しくなった。父にそっくりのその顔立ちから、生まれた時から母も先を案じ、乳母や侍女はまだ赤子であるのに男を警戒したのだという。そして、案じた通りに年頃になって公に出るようになると、回りの宮からは縁談が引きも切らず、ついに父は、瑠維が公の場へ立つことを許さなくなった。

にべもなく断られて皆が諦める中で、ただ一人克輝だけは瑠維を望み続けているのだという。今度の騒ぎも、結局は克輝が起点になっているのだ。序列は上から二番目の宮、確かに身分ではつり合うだろう。だが、まだ若く落ち着きもなく、既に妃が二人居る克輝は、瑠維にとっても候補中ではかなり遠い状態のようだ。何しろ、何も言わないが、瑠維は幼い頃から、父母が二人きりで仲睦まじくしているのを、憧れの目で見ていた。あれを理想としているのなら、克輝はあり得ないのだ。

維明がそんなことを考えながらじっと瑠維が話し出すのを待っていると、瑠維は顔を上げて、口を開いた。

「お兄様、この度お母様が里へお帰りになっておられるのを、どのようにご覧になっておいでですか?」

維明は、驚いた。母上の里帰り?

「…いつもの里帰りではないのか。十六夜が迎えに来たのだと聞いておるがの。あれは、いつなり思いつきであるから、急であってもおかしくはあるまい。」

しかし瑠維は首を振った。

「いいえ。お父様は、あれから険しいお顔をなさって、居間で考え込んでばかりいらっしゃる。お兄様、我はお母様が里帰りなさる前日に、お母様から此度の立ち合いのことを聞きましてございます。お母様は、我が驚いてはいけないからと、先に話しに来てくださったのですわ。思えば、その時からご様子がおかしかった。どうやら、お母様は我を案じて、お父様のご命令に反対でいらっしゃるようでした。確かに我も、まるで勝利の品のように扱われるのは嫌でありましたけれど、それでもお父様が我のためと決められたこと。従おうと思うておりまする。しかし、お母様も確かに納得なさっておったはずなのに、とても複雑な表情をなさっておいででした。そして、その夜、月へと戻ってしまったのですわ。」

維明は、ただただ驚いて、瑠維を見た。

「つまり、母上は父上が強引に主の婚姻のための立ち合いと、決めてしもうたことを、納得しては居ても複雑であられたと。」

瑠意は、頷いた。

「はい。後から十六夜に聞いたところによりますると、お父様はいつもならば時間を掛けてお母様に納得させるように話されるのですが、その時はこう決める、と命じられたらしいのですわ。それは、王であられるので当然のことでありまするが、お母様はやはり、月でいらして。意識が父とは違うのだということでした。月の宮の方の常識では、夫婦で命じるなどおかしいことなのですね。」

維明は、確かに、と思い出して苦笑した。

「そうだな。しかし、月の宮は神世の考えで動いておる。違うのは、十六夜や蒼、母上や地の碧黎など、月の眷族と言われる者達だけぞ。神世の常識など関係なく生きておったので、皆考え方が人によう似ておるのだと聞いておるの。」

瑠維は、維明に頷き掛けた。

「はい。それは我も理解しておりまする。お母様は、お父様といろいろな感情的軋轢を乗り越えてここまで共に生きていらした。でも、お父様がそれを少し、お忘れてなってしもうたようなのですわ。お母様はそれが理解出来ても感情的に許す事が出来ず、それで十六夜と話し合って、一時離れておった方が良いということになったようでございます。」

維明は、顔をしかめた。では、これは夫婦喧嘩なのだ。母も父も頑固であるし、これはいつ、母上がここへ戻るか分からぬの。

「困ったことよ。だが、父母のことは我らにもどうしようもあるまい。主も、己のせいなどと思わぬことぞ。きっかけになっただけで、本来はご夫婦の問題。我らが口出しするとややこしゅうなるゆえ、主は何も言うでないぞ。」

瑠維は、真剣な表情で維明を見つめて、頷いた。

「はい、お兄様。」

維明は、ため息をついた。また厄介な。しばらくは父上のご機嫌もお悪いだろうし、困ったことになるかもしれぬ。

維明が考えに沈んでいると、瑠維が前で居心地悪げに体を動かした。維明は、ハッと気付いて瑠維に言った。

「ああ、下がって良いぞ。それとも、他に何か?」

瑠維は、少し驚いたように維明を見た。そして、下を向いて、扇で顔の半分を隠しながら、言った。

「お兄様、あの…して、あの立ち合いの準備は、どうなっておりまするでしょう。」

維明は、そうだったと瑠維を見た。当の本人が何も知らないというのがおかしいのだが、誰も瑠維には知らせていないのだ。自分が嫁ぐ先の軍神が決まるのに、気にならないはずはないだろう。維明は、言った。

「おお、明日克輝殿の相手をする軍神を決める試合を行なう予定ぞ。真実一番力のある者を選ぶため、総当りにしてその勝敗の数を競うことになった。」

瑠維は、頷いた。そこは聞いているらしい。

「はい。それで…誰が名乗りを上げてくださったのですか。」

とても恥ずかしかったらしく、小さな声で言った後、瑠維の耳が真っ赤になっているのが見えた。維明は、確かに誰かと気になるだろうと思い、視線を上に向けた。

「ああ、最初は大変な数であったが、将達が軒並み名乗りを上げたので、下位の者は退いた。勝てるはずがないからの。今は10名ほどが残っておる…皆優秀な将であるぞ。慎也…慎怜の孫の黒髪の美しい神。潜在能力はかなりあると我は思う。未だ独身であるな。それから、明輪。これも明蓮の孫でまだまだ伸びしろのあるヤツで、しかし月の宮から連れて参った妻が一人。だが、主は身分柄正妻になるだろうし、問題ないかの。それから、主もよう知っておる、帝羽。」

瑠維が、それを聞いてパッと瞳を明るく輝かせたのを、維明は気取った。瑠維…帝羽が?

「まあ、我が見たところ、この三人のうちの一人に落ち着くだろうと思われる。これらなら、克輝には負けることなど考えられぬ。なので、主の嫁ぎ先になるのも、これらのうちの誰かであろうの。」

瑠維は、帝羽が名乗りを上げてくれているのをやっと知った。そして、嬉しくて仕方がなくて、益々赤くなって来る頬に、隠そうと必死に扇を上げた。

そんな様子を見て、いくら維明でも、瑠維が帝羽をと思っているのを悟った。帝羽も、同じように瑠維のことを娶ろうと必死になっている。寝る間も惜しんでいるようだ。これは…なんとしても、帝羽を勝たせてやらねば。双方のためではないか。

「我は、帝羽の訓練に付き合っておっての。あれも、どうあっても勝ちたいようであった。何しろ、最近この三人は拮抗した力を示しておるから、あれも危機感を持っておるのだろうの。」

瑠維は、維明を目だけで見た。そして、言った。

「お兄様ならば、誰が敵うこともありませぬもの。どうか、良いように。」

維明は頷いて、言った。

「分かった。主も気がもめるであろうが、信じて待つが良いぞ。」

瑠維は、途端にまた顔から湯気が出るほど赤くなった。お兄様…バレてしまったのかしら。

「あの…ご、御前、失礼致しまする。」

維明は、頷いた。

「またの。」

そそくさと出て行く瑠維を見送りながら、維明はそんな妹が羨ましかった。恋うるとは、どういった感情であろうか。我は、まだ知らぬから…。

維明は、維心にそっくりになって来たその体でうーんと伸びをすると、休む支度に取り掛かった。

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