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ひとつの終わり

それから、また十年ほどの月日が過ぎて行った。

その日の朝早く、維心は侍女の声で目を覚ました。

「王。」

維心は、すっと目を開いて、隣の維月を見た。維月は、まだよく寝ている。外を見ると、まだ夜が明ようとしているところだった。維心は、維月を起こさないように小声で答えた。

「何ぞ。」

侍女の声が言った。

「ただ今、鷹王様よりご連絡がありましてございます。謁見の間に使者を待たせておりまするが。」

維心は、鷹王と聞いて起き上がった。箔翔が、この時間に何を言って来たのか、だいたい察しがついたからだ。

「参る。」

維心は答えると、維月の額にそっと唇を寄せてから、寝台を降りて袿を羽織った。そうして、まだ静かな龍の宮の回廊を、謁見の間に向かって早足に歩いて行った。


その使者は、玖伊だった。鷹の宮筆頭重臣の玖伊が来るからには、やはり、あれか。

維心が思いながら玉座に就き、深々と頭を下げて膝間づいている玖伊に言った。

「玖伊か。何用ぞ。」

玖伊は、顔を上げた。

「このように朝早く、龍王様には大変に失礼を致しておりまする。我が王、箔翔様より、父君箔炎様のご様子から、こちらへお知らせするようにとの命を受け、こうして伺いましてございます。」

維心は、頷いた。そろそろだと思っていた。

「あれは、まだ息があるか?」

玖伊は、涙ぐみながら頷いた。

「はい。箔翔様へのご譲位の後から、ながらかに老いておられたのですが、最近では起き上がることも出来ずに居られ、地の宮を出られて鷹の宮へ戻っておられました。ですが、昨夜から気がかなり薄れて参り、もう時かとこうして王は方々へご連絡を。」

維心は、頷いて立ち上がった。

「参る。」

玖伊は、驚いた顔をした。地位から行って、龍王が他の宮へと願われて出て行くなど、出来ないからだ。

「しかし龍王様、ご身分柄、すぐにでもお出かけになる筋ではありませぬでしょう。我が王も、とにかくは知らせておくようにおっしゃっただけでございますので。」

しかし、維心は首を振った。

「良い。公式に参るのではないわ。あれには、前世から面倒を掛けられておったしの。文句も言わぬままに逝かせるなど出来るものか。」と、歩き出しながら言った。「帝羽!供をせよ!」

玖伊は、涙を浮かべた。そうか、もう一人のお子に、会わせてくださろうと。

玖伊は、それを知って、また深々と頭を下げると、維心について、龍の宮を後にした。


鷹の宮へ着くと、早朝にも関わらず、皆寝ていたような様子はなかった。嘉楠が控えているのを見た維心は、炎嘉も来ているのだと知った。そして、帝羽にはついて来るようにと身振りで示し、一緒に玖伊に案内されるまま、奥宮の隣りに位置する北の対へと入って行った。

そこにも、たくさんの臣下達がつめていた。奥へと進むと、その天蓋付きの寝台の回りに、箔翔と、陽華が居るのが見える。少し離れて、炎嘉も立っていた。維心は更に進んで、寝台の上に横たわる、老いて半分ぐらいの大きさになった、箔炎を覗き込んだ。今は、じっと眠っているようだった。

「…もう、時なのですわ。」陽華が、言った。「昨夜から、このようにまどろむような様を。もう、我にもどうしようもありませぬ。」

陽華は、涙を浮かべて箔炎のやせ衰えた手を握っていた。維心は、呟くように言った。

「楽になれるの。」維心は、前世の自分と箔炎を重ねて見ていた。「長き時を、友の死と転生を見ながら生きて来た。その生のほとんどを、世間を拒絶することに費やして来た、つらい時だった。」

帝羽が、じっとそれを背後で聞いている。すると、箔炎がぴくっと反応した。箔翔と陽華が、途端に側へ寄って顔を覗き込んだ。

「父上?」

「箔炎様?!」

すると、箔炎は大儀そうに目を開いた。そして、言った。

「…父と語らっておったのに、聞き慣れた男の声で起こされたわ。つらい時とな?」

維心は、頷いた。

「長かったのであろうが。最後には死ぬ事ばかり考えておったくせに。」

箔炎は、ゆっくりとこちらを向く。そして、維心と帝羽、炎嘉を一人一人見ると、表情を緩めた。

「皆、居る。我は、満足ぞ。維心…我はの、幸福だった。最後に、そう思うことが出来た。この、陽華のお蔭で…」と、愛おしそうに陽華を見た。陽華も、涙目のまま微笑み返した。「それで初めて、生きたいと願った。生きることの素晴らしさを、我はそれで知った。与えられた時間、我は幸福であった。何も、思い残すことはない。」

維心は、頷いた。自分とて、維月を手にした時から、自分の生が初めて美しく感じた。生まれて初めて、死ぬことが怖くなった…全ては、維月ゆえ。それまでの不遇など、全て吹き飛んでしまったのだ。なので、箔炎の気持ちはわかった。

箔炎は、息をついてから、言った。

「もう、時ぞ。父が迎えに来ておるのだ。」そして、枕元の箔翔を見た。「よう王らしゅうなってくれた。箔翔よ、鷹を頼んだ。帝羽は龍だが、それでもあれほどに優秀な弟が居るのは、主の心の支えになろう。何かの折には、頼り合うが良い。」

箔翔は、頭を下げた。

「は、父上。」

箔炎は、帝羽を見た。

「帝羽。主には父らしいことは何もしてやれなかった。その身にそのように難しい力を与えられ、居場所を探すのに苦労しておったのは知っている。だが、維心は主には敵わぬ絶対の王。終生仕えて参るが良い。」

帝羽は、頷いた。

「は、父上。仰せの通りに。」

次に、箔炎は維心と炎嘉を代わる代わる見た。

「維心、炎嘉。主らが一度逝って戻って参ったと聞いた時、我がどれほどに嬉しかったか分かるか。主らは、我が唯一対等に話し、接する事が出来た神。主らと友であることが出来て、我は良かった。この長い生も、主らの転生を見るためならば良かったのかもしれぬ。」

炎嘉は、ぐっと眉を寄せた。どうやら、涙を堪えているようだ。維心が、言った。

「また、主にも似ずそのようなことを。今度は、我らの番よな。」

と、炎嘉を見ると、炎嘉は、頷いた。

「そうよ。どうせ、我らはまたしばらく死ねぬ。主が転生して来るのを、見てやろうぞ。待っておる。」

箔炎は、ふっと笑った。

「確かにのう。だが、我は恐らく何も覚えては居まい。」と、陽華を見た。「陽華…しかし、我はまた主に会うために、必ず戻って参ろうぞ。黄泉の浄化にさらされようと、我は主のことを忘れはせぬ。待っておってくれるか。」

陽華は、何度も頷いた。

「はい…はい。箔炎様。」

箔炎は、ふーっと長い息をついて、天井を向いた。そして、そこを見つめて言った。

「残しておった、責務はこなせておったのか…?」

すると、声が聴こえた。

《もう、とうにの。》それが、碧黎の声だと維心には分かった。《帝羽を己の子と世間に認めること。それが、主の最後の責務であった。とっくに果たされておったわ。安心するが良い。》

箔炎は、まだじっと天井を見ている。箔翔もそこを見上げたが、何も見えなかった。しかし、陽華には見えるようで、それに向かって言った。

「碧黎、もう時なの?」

碧黎の声は、頷いたようだった。

《昨夜からずっと、これの父が来て待っておるわ。ぐずぐずしおって…早よう参るが良い。》

箔炎は、笑った。そして、弱々しい声で言った。

「往生際が悪いのだ。」そして、皆を一渡り見渡した。「ではの。我は逝く。願わくば、また…」

その言葉は、最後まで続けられなかった。

陽華が、涙を流して箔炎の手に頬を摺り寄せた。維心は、箔炎から気が抜け去って行くのを確かに見た。

箔翔が、さすがに涙を堪えるように、言った。

「葬儀の、準備を。」

玖伊が、傍目も気にせず涙を流しながら、箔翔に頭を下げた。

そうして、箔炎は旅立って逝った。

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