気が重いこと
蒼は、驚いたように明維を見た。
「明維!結界を通ったのに気付かなかった。」
明維は、笑った。
「おお、我にも母上の力が使えたか。あまり使ったことがなかったが、陰の月の力を発してみると結界を難なく抜けた。主は、我が近付いておるのに気付いておらぬようであったし。」
蒼は、頷いた。
「全く。それにしても、急にどうしたんだ?」
明維は、蒼に歩み寄って側の椅子に座った。
「美加のことぞ。あれは、やはり母上の指輪も瑠維の腕輪も盗っておったか。」
蒼は、言いにくそうに言った。
「その…指輪はまだ分からない。だが、腕輪は間違いないだろうと。」
明維は、軽く息をついた。
「愚かなものよ。腕輪だけでも、ただでは済むまい。沙汰を下すつもりがなかったら、父上は事を公にはせなんだであろうしな。覚悟は出来ておる。」
蒼は、じっと明維を見た。
「明維…後悔しておるのではないのか。」
明維は、ちらと隣りの蒼を見た。
「後悔?何をぞ。」
蒼は、少しためらったが、言った。
「美羽だ。一時の勢いで連れて帰ったが。」
明維は、ためらいもせずに頷いた。
「後悔しておる。」それを見た蒼は、わかっていたがショックだった。明維は続けた。「ま、始めは思うておったのとは違うなと思う程度だったのだ。だが、段々にの。やはり、少しは神世の礼儀と理は知っておる女でないと、我には合わぬ。母上は、いくら快活でもああではない。似ておるとて、あそこまで何も知らぬ訳ではない。教えても覚える様子もないしの。なので、今では後悔しておる。だが、責任は取るつもりだ。なので、里へ帰さずあちらで面倒を見ておるだろうが。」
明維は、兄弟の中で誰よりもはっきりとしていた。物言いも、はっきりと相手を気遣う様子も全く無い。これは、本人に悪気があってやっているのではなく、いつでもこういう感じなのだ。しかし、蒼はここまではっきりと言い切られて、とてもショックだった。
嘉韻が、控えめに言った。
「ですが…此度の沙汰次第では、こちらへお返しになるよりなくなる可能性も。」
明維は、嘉韻を見た。
「それならそれで良い。蒼が決めることぞ。帰すなり、斬るなり、神世ではそのように定められておるからの。我の面子であろう?龍王の血筋に、犯罪人が混ざることは許されぬ。」
蒼は、ショックを受けている場合ではないと、頷いた。
「覚悟はしているよ。維心様は、こうならないようにと始めは黙ってらしたんだ。だが、瑠維にも関わっておったし…公にされた。もしも美加が有罪ならば、美加と明維との縁も切らねばならないし、母の美羽もここへ戻ってこなければならない…明維と縁続きのままではいけないから。オレも、あの二人を何の関係もない神として、ここへ迎えねば。」
明維は、頷いた。
「その通りよ。ここは母上の里。龍王妃の里が犯罪人を出すわけにはいかぬからの。」
蒼は、つくづく大事なのだと思った。美加は、きっと全くわかっていないのだろう。だが、そういうことなのだ。
明維は、立ち上がった。
「では、共に。美加に真実を問いただそうぞ。あれは、我の言うことしか聞くまい。心の底から我が怖いのであろうよ。幼い頃、結界外へ放り出して探しにも行かなんだ父であるしな。」
蒼も、気が進まなかったが、まずはそこからなので、仕方なく立ち上がった。嘉韻も帝羽も、それに倣って立ち上がる。明維が、先に立って出て行くのを、蒼が追うように歩き出すと、ついて歩いて来た嘉韻が、蒼に小さく言った。
「先に、我らの全てを話して王に謝罪してくださっておったのなら、大事にはならなかったかと思うのですが…。」
蒼は、頷いた。
「仕方がない。ここまで来てしまったのだ。」
そうして、美加の部屋へと向かったのだった。
維心は、険しい顔をして、じっと月の宮に設けられている自分の対で座っていた。維月は、今十六夜の所へ行っている。元は里帰りして来ているのだから、維心はここへ来てはいけないのだが、それでも寂しさに負けてこうして追って来てしまうので、十六夜がそれを多めに見てくれていて、時に維月と過ごさせてくれるだけなので、ここで維月が側に居なくても文句は言えなかった。
しかし、維心は今、維月のことを考えているのではなかった。今度の、二件の窃盗事件のことについてだった。
実は、維心はじっと警戒していたので、二件目の窃盗は気取っていた。瑠維を見張って念を飛ばして見ていたので、話していたことまで詳細に知っている。だが、前世のとはいえ自分の孫にあたる娘。己で立ち直るのを見守ろうと思ったのだ。
明維が、美加の扱いに困っているのは知っていた。維月は自分に似ているというが、維心は似ていないと思っていた。維月は、確かに気は強いが、あそこまで己のことを重要視しない。むしろ他人のことばかり考えるので、維心が案じるほどだった。
しかし、美加は異常に自我が強く、己の望みのためなら、他を貶めたり戯言を言うことも厭わなかった。つまりは、おおよそ神には相応しくない性質であったのだ。
考えねばならぬ。
維心は、これ以上のことが起こる前に、手を打たねばならないと思った。なので、事を公にすることにしたのだ。しかし、その先にあるのは、大変に過酷な道だった。明維の夫婦仲のことは、もうとっくに晃維から聞いて知っていた。ならば、深刻なことになると、考えることはないだろう。
維心が、考えながらそこにじっと座っていると、声がした。
「維心様?やはり物思いがおありでしょうか。」
維心は、その声に思わず微笑んで顔を上げた。
「維月。」そして、手を差し出した。「どうした?十六夜はこちらへ来るのを許したのか。」
維月は、その手を取りながら頷いた。
「はい。維心様が、そのように何かを考え込んでいらっしゃると。」
維心は、ため息をついた。
「そうか、あれには見えるの。あれの結界内でこのように考え込んでおったら。」と、維月を見た。「此度は、我も非情な決断をせねばならぬやもしれぬぞ。事を公にしたのは、何も気まぐれではない。龍族の威信に関わって来ることであるからだ。一度は、我も見逃した…瑠維の過失で抑えられるのならその方が良いだろうと思うたからだ。だが、二度はない。」
維月は、自分の指輪に触れた。
「やはり…気付いておられましたか。」
維心は、頷いた。
「物に触れたら、直後はその者の波動が残る。主も、これに触れて気取ったであろう…美加の気の波動を。」
維月は、頷いた。
「はい。あの時、これを洗っておって気付いたのでございます。ですが、維心様も何もおっしゃらなかったので…口にするべきではないと思いました。」
維心は、また息をついた。
「しようのないことぞ。我は、世を治める龍族の王として、他を乱さぬためには己の血族から犯罪人を出すわけには行かぬ。ただ魔が差しただけであるなら、と思うたゆえ、一度は見逃した。しかし、二度目を見てそれがあれの気質であることを知った。もう、あれを我の血族として認めておくわけには行かぬのだ。放って置いては、後にもっと大きなことをするやもしれぬ。それは分かるの、維月。此度は反対しても無駄ぞ。聞き分けよ。」
維月は、悲しげに下を向いた。
「…はい。蒼から聞いて、美加と断定された後のことは知っておりまする。ですが、気が重いこと…なぜに、このようなことになってしもうたのか。」
維心は、少し考えるような顔をして、窓の外へと視線を移した。
「…明維よな。維月、やはり無理であったのだ。あれも、強く主を望んでおった。だが、主が策して美羽が己に似ておるからと明維と近付け、婚姻するよう仕向け、成功した。だがの、あれが我の分身のようであると知っておるから言うが、やはり無理だったのだ。己の愛情がない女が産んだ子を、我にも愛せたかどうか分からぬ。蒼は主の子であるから、我は世話をする。それに、わが子達も主が産んだ子ばかりであるから、かわいく感じ、世話をする。しかし、他の女であったなら、我は無理だ。一時の気の迷いで子をなして、そうして出来たのがわが子達であったなら、我はここまで世話をせなんだであろう。放り出しはせぬが、目に掛ける事もなかっただろう思う。主には、無責任だと言われるやもな。だが、それが正直な気持ちぞ。明維は…恐らく、そう言った気持ちで美加を見ておるのだ。愛情など欠片もないであろう。そして、それは子を上手くは育てぬだろうの。こうなったのは、何も美加のせいだけではないと我は思う。」
維月は、維心を見上げた。思いつめたような顔だ。
「維心様…それならば、私にも責任がございます。命までは、取らぬのでしょう?」
維心は、苦笑しながらも頷いた。
「たかが窃盗であるし。物は戻っておるのだ。そこまでする必要はない。だが、他人として接するしか無かろうの。今までのようにはならぬ。世の中には、もっと父に冷たく接しられる子とて居るのだ。それでも、健気に生きておるではないか。まして、美加が冷たく接しられておったのは明維だけ。主も十六夜も、困った娘と言いながらもかわいがっておったではないか。生まれ持った性質ぞ。あれ自身の問題だ。何より、やったことの責は負わねばならぬ。主も、龍王妃としての責務を思い出せ。龍族を地に落としてはならぬ。美加は他人。親しく接することは禁じる。」
維月は、目に涙を溜めて頷き、下を向いた。維心は、そんな維月を抱きしめて、また庭へと視線を向けたのだった。




