楽しみ
維心は、とっくに戻っていた。
だが、戻って来た時ふと見ると、帝羽と瑠維が話しているのが目に入った。思わず自分の居間であるのに、維心は気配を隠して横の入り口の、仕切り布の間から、二人をじっと見ていた。
すると、瑠維は楽しそうに帝羽に自分の気持ちを語り始めた。それは、常維心が見ているような瑠維ではなく、間違いなく維月に似ていた。そう、維月のようなものの考え方をしている。
維心は、初めてそれを知った。
それなのに、瑠維は躾けられた通りに過ごしていた。維月のように、外の世界に興味のある活発な性質である瑠維なのに、じっと幼い頃より教えられた通りに王族らしくしていたのだ。その生真面目さは、維心に似たようだった。
初めて見る娘の姿に、維心は着物を持って戻って来た瑠維の侍女達も追い返し、しばらくそこに立ってじっと二人を見ていた。帝羽は、皇女であるのにと呆れることもなく、黙って微笑みながらそれを聞いている。維心は、姿が自分にそっくりなので、すっかり自分と似た性質で、なので責務に忠実におとなしくしているのだと思い込んでいたことを後悔した。やはり、瑠維は維月に似ているのだ。我と、維月の、娘…。
そう思うと、維心は無償に瑠維がかわいく思えた。姿は自分だが、維月そっくりの考え方で、話し方も大変に快活だった。そんなものを押さえつけていた己に、罪悪感を覚えた。
そうして、しばらく瑠維の話を聞いていた維心だったが、あまりに遅いとおかしかろうと思い、不意に隠していた自分の気を元へと戻し、二人にわざと気取らせてから、そこへと入って行った。
帝羽が、既に居住まいを正してこちらを向いて膝をつき、頭を下げていた。
「王。こちらは問題もなく、瑠維様もご無事でございまする。」
維心は、何も知らないように頷いた。
「あれも、ようやっと帰ったわ。面倒よな、ああもしつこいと。我が出かけるのを気取って来たのであろうか。困ったことよ…維月が待っておるのに。」
瑠維が、申し訳なさげに維心を見上げた。
「お父様…我も、もう大丈夫でございます。どうぞ、お出かけになってくださいませ。」
維心は、じっと瑠維を見た。こうやってしおらしくしているが、これは維月が公の場で王妃らしくしている時の姿と同じなのだ。つまりは、中身は維月なのだ。
「そうよな。」維心は、わざと考え込むような顔をした。「では、参るか。しかし、今夜はもう遅いゆえ、明日の朝発つことにする。しかし、主を置いて行ったらまた案じられてならぬ。維月も大変に案じておったからの。では、主も連れて参るか。」
瑠維は、え、という顔をして維心を見上げた。連れて参る…つまりは、月の宮へ?
「それは…我も、お連れ頂けるということでございまするか?」
維心は、頷いた。
「母の里であるのだ。月の守りがあって、中は大変に自由で安全ぞ。主を共に連れて参ろう。」と、帝羽を見た。「左様手配を。輿の準備が要るが、軍神は主が居れば後は輿を運ぶ者達だけで充分ぞ。」
帝羽は、頭を下げた。
「は!」
瑠維は、嬉しくて天にも昇る心地だった。宮を出て、月の宮へ。生まれて初めて、ここを出て広い世界を見ることが出来るのだ!
その日は、朝から瑠維付きの侍女達まで大騒ぎだった。
何しろ、初めて宮を出るのだ。本当なら反対したい侍女や乳母も、王が決めたことには何もいえない。なので、皆が皆ついて行こうと必死に朝早くから準備をしていた。王に遅れてはと出発口に先に出て待っていると、輿がひとつ準備されて軍神二人、それに帝羽がやって来た。それを見た侍女が、驚いて言った。
「帝羽様…これでは瑠維様はご出発出来ませぬ。急ぎ、追加の輿を。」
帝羽は、しかしその侍女に首を振った。
「しかし、王からはこのように。勝手なことは出来ぬ。」
侍女達は、顔を見合わせる。たったひとつの輿で、この人数は無理なのに。
すると、維心が入って来て顔をしかめた。
「何ぞこの騒ぎは。公式に出るのではないぞ。」と、瑠維の手をとって、侍女達を見回した。「見送りか?もうよい、すぐに出るゆえ。下がれ。」
瑠維が、驚きながらも維心に手を引かれて輿へと乗せられる。乳母が、進み出て深く頭を上げて言った。
「王、瑠維様のお世話は、我らでないと務まらないのではないかと。これまで、お側を離れたことなどありませんでしたので。」
しかし、維心は首を振った。
「何を言うておる。月の宮にも侍女は居るわ。このように大勢でなど、あちらにも迷惑ぞ。案じずとも、あちらには維月も居る。静かで、こちらより神の出入りは少ないゆえの。」と、帝羽を見た。「では、参る。」
帝羽が、頭を下げた。
「は!」
そうして、軍神二人が輿を支え、帝羽が後ろを守り、維心が前を飛んで一行は飛び立った。
「王!」
侍女も、乳母も必死に叫ぶ。
それでも、維心は振り返りもせずにそのまま月の宮へと向かったのだった。
月の宮では、維月が維心から聞いて、瑠維の到着を待っていた。初めて宮を出る瑠維。今まで神の王族と同じようにと、決して奥から出さずに来たのに、維心様にもどういった心境の変化でいらっしゃるのか。
すると、十六夜が横から言った。
「親らしいことも出来るんだな、維心はよ。」維月は、十六夜を見た。十六夜は維月に微笑みかけた。「瑠維は、小さい頃から奥へ押し込められて、かわいそうだなと思ってたんでぇ。」
維月は、首をかしげた。
「でも、あの子は不満も言わない子で、特に問題なくここまで来たのよ?何しろ、乳母達が王族らしくと教育したし、私も不幸にしたくないからと、それを黙って見ていたから。維心様も、これで良いとおっしゃっておったの。なのに、急にどうしたのかしら。それほど、克輝様は面倒なかただったのかしらね。」
十六夜は、笑った。
「面倒ったって維心ほどじゃねぇだろうよ。あいつは自分がこっちへ来たいから、また呼び戻されるのが嫌で連れて来ることにしたんじゃねぇのか。」
維月は、ふーっと息をついた。
「そんなことではないと思うのよ。だって、私に早く帰って来るように言ってらして、ご自分は側で瑠維を守ってくださるはずだったのだもの。」
そんなことを言っている間に、輿が一つだけぽつんと見えた。そうして、維心を先頭に、その小さな一団はこちらへ下りて来た。
「ほんとに来たぞ。しかも、かなりコンパクトだ。維心と瑠維と軍神三人。うち、後ろを守ってるのは帝羽だ。」
維月は、それを見上げて待った。維心が、いち早く維月の姿を見つけて一目散に飛んで来た。もう、背後の輿のことは忘れてしまっているような感じだ。
「維月!」
維月は、満面の笑みで維心に手を差し出した。
「維心様!」
維心は、維月の腕に飛び込むようにして降りて来て抱きつき、反動で後ろへ飛ばされそうになるのを、自分の気で抑えて、着地した。
「維月…昨夜は一緒に過ごせるはずであったのに。思わぬ邪魔が入ってしもうて。」
維月は、維心を抱きしめながら言った。
「ですが、瑠維を助けてくださったのでしょう?維心様が夫で、私も心強いですわ。」
維心は、嬉しそうに維月を見たが、そこでやっと瑠維を思い出して輿を振り返った。後ろでは、到着した輿が置かれてあり、帝羽がその前で膝を付いて、維心を待っていた。
「忘れておった。瑠維を連れて参ったのだ。帝羽、瑠維を下ろしてこちらへ。」
帝羽は、驚いたが頭を下げて輿へと近付き、手を差し出した。中から、瑠維の手がすっと伸びて帝羽の手を取り、輿を降りて来た。それを見た維月は、微笑んで瑠維を迎えた。
「まあ瑠維!うれしいこと、ここにあなたを迎えることが出来るなんて。」
十六夜も、進み出て言った。
「ほんとにな。よく来たな、瑠維。小さい頃、ここへ連れて来てやるって約束したのに、なかなか許されずによお。」
瑠維は、嬉しそうに維月と十六夜を見た。
「本当に嬉しいですわ。ここまで来る間、輿から見た景色はとても美しくて。何て世界は広いのかと思いましたわ。お父様がこちらへ連れて来てくださるとおっしゃってくださって、昨日は嬉しくって眠れなかったぐらいですの。」
維月は、笑った。
「まあ瑠維ったら。宮の中を案内しなければね。でも、お父様も来ていらっしゃるし…。」
維心は、維月の肩を抱いた。
「そうよな。いろいろ話したいこともあるし。誰か居らぬか。」
維心の目は、十六夜を見た。十六夜は、反対側の維月の手を握った。
「オレだって話とやらを聞きたいよ。維月と一緒に居る。」
維心は、眉をひそめた。
「我ら夫婦の会話であるぞ?主、聞いておもしろいか。」
十六夜は、ふんと鼻を鳴らした。
「オレも維月と夫婦の会話をするからいい。」
維月は、困って視線を動かした。すると、帝羽と目が合った。そうだ、帝羽なら長く月の宮に居た。
「維心様、帝羽に頼みましょう。月の宮のことは、よう知っておりまするし。」
帝羽は、仰天したように一歩退いた。
「我が?ですが、皇女であられるのに…」
「ここではそのような柵はないのだ。」維心が、乗り気なようで横から口を挟んだ。「これも、やっと自由というものを満喫出来るのであるから。主、いろいろと案内しておいてくれ。明日には、我も出れるようにするゆえな。」
帝羽は、慌てて言った。
「ですが、王…、」
しかし、維心は十六夜と何やら言い合うのに必死になりながら、もうあちらを向いて歩き出している。
帝羽は、瑠維と二人、そこへ置き去りにされたのだった。




