気付き
帝羽は、戸惑いながら瑠維の側に控えていた。
侍女達は王がお戻りになられたからと、帝羽によろしくと言い置いて、瑠維の衣装を取りに側を離れている。王の居間で皇女と二人きりという状況が、帝羽に緊張を強いた。
瑠維は、憔悴し切った様子で、そこに座っている。しかし帝羽とは話したことも無かったので、見苦しくあってはいけないとそれでも出来る限りきっちりと座り、下を向いていた。扇があれば顔を覆うことも出来るが、あれほど急いで出たので持って来れなかった。瑠維は、化粧もせず髪も結い上げていないような状態で、こうやって初対面の神の前に出たことなどなかった。最近では、父母ですらきっちりと装って会いに来ていた。なので恥ずかしいこともあり、ますます下を向いてじっと黙っていた。
帝羽は、何か話した方がいいのかと思いつつ、しかし今まで女などと話している暇もなかったので、何を話していいのか分からなかった。なので、同じようにじっと黙っていた。
瑠維は、下を向いたまま、考えていた。そういえば、この帝羽という軍神は、鷹王箔翔様の弟君なのだと母から聞いた。皇子であったので大変に気が大きく優秀で、他の宮では王のように扱われてしまうので、父王が見かねてここへ受け入れたのだと。軍では、義心の次に力を持っているのだと聞いていた。
そう思うと、瑠維は俄かに帝羽に興味が湧いて、ちらと帝羽を盗み見た。そして、ハッと息を飲んだ。帝羽は、こちらを見ることもなく、じっと前を向いて視線をやや下に向け、黙って側に控えている。黒髪に明るい青の瞳だったが、大変に美しい神だった。鷹王の血筋であるからか、その端整な顔立ちは、龍であるのにどこか華やかだった。炎嘉から受ける印象にも似ている、と瑠維は思った。
きっと、妻ももう何人も居るのだろうな…。
瑠維は、そう思ってため息をついた。美しい殿方は、それだけで女が寄って来て大変なのだという。なのに、この帝羽は王の血筋で、龍軍での序列も高い。父が連れて行くほどの軍神なのだから、つまらない軍神ではないことは、瑠維にも分かった。
瑠維は、一夫多妻の神世の王族の考え方を身につけて育った。しかし、自分の両親があれほどに仲睦まじく、その上父王は他の王の例に反し、母だけしか側に置いていない。なので、その姿に憧れた。出来れば、嫁いだ先ではお互いにただ一人として、大切に仲睦まじく暮らしたい。龍王の皇女であるからと、正妃になっても他の妃に心があるような王には、嫁ぎたくないと心底思っていた。
それでも、そんな我がままが通るとは思っても、またいなかった。軍神ですら、数人の妻を持つのに、自分の地位で王族や筆頭、次席の軍神以外と縁付くことを許されるとは思えない。そうして、そうした地位の男は、皆一様に他からの縁も多く、皆多妻が当たり前であったからだ。
義心殿は、お一人であられるのに。
瑠維は、そう思ってまたため息をついた。それは、義心があのような志で居たからだと知ったばかりだった。義心殿は、誰かを深く想っていらっしゃる。それゆえの独り身であられた。ご本人が、あれほど強く父王におっしゃっておった。もしかして、亡くなったかたなのかもしれない…。
瑠維は、そこまで考えてふと視線を感じて顔を上げた。すると、帝羽がこちらをじっと見ていた。瑠維は驚いて、慌てて袖で顔を隠すと、下を向いた。帝羽は、言った。
「ご無礼を。しかしながら瑠維様、お疲れでありましょうか。侍女を呼んで、お部屋へお連れさせましょうか?」
その声は、父ほどには低くないが、低く若い良い声だった。瑠維は、我知らずドキドキとする胸を押さえて、言った。
「いいえ。我は、大丈夫です。侍女達も、直に戻りましょうし、お父様をここでお待ちしてから戻った方が良いかと。」
帝羽は、頷いて頭を下げ、また横を向いた。瑠維は、またそっと帝羽を見た。帝羽は、小さく息をついていた。
帝羽は、瑠維を間近に見て、驚いて戸惑っていたのだ。皇女と言って、大したことはあるまいと思っていたのに、化粧もなく何の飾り気もない瑠維が、驚くほどに美しかったからだ。下を向いていて見えなかったが、顔を上げた瑠維を見た瞬間、その龍王そっくりでありながらも目が覚めるほどに美しい皇女である瑠維に、激しく動悸がしてためらった。絶世の美女と皆が誉めそやす、これが意味であったのか。
帝羽は、とにかく早く王に戻ってもらいたいと、心底思っていた。どうしたらいいのか、分からない。
瑠維は、帝羽が横を向いて固まったようにじっとしているのをいいことに、袖で口元を隠してじっと帝羽を見ていた。帝羽殿…本当に凛々しいかた。義心殿も大変にご立派であられたけれど、帝羽殿もこれほどに。なぜか、義心殿より近しい気がするのは、なぜかしら。
じっと固まっている帝羽に、自分は今守ってもらいながら、居心地の悪い思いをさせているのではないかと気になって、瑠維は話し掛けた。
「あの…」帝羽は、ぴくっと反応した。瑠維は続けた。「このようなことになって、あなたにも面倒を掛けておりまするわね。大変に申し訳ないことと思います。」
帝羽は、瑠維を見た。王族は、そのようなことは気にも留めないのではないのか。しかし、確かにここの王妃はこんな風だった。
「そのように案じて頂かずとも良いのです。これは、我の責務。王からの命でありまするから。」
瑠維は、頷いた。だが、他に何を話していいのか分からない。何しろ、今まで男と二人きりでじっと座っているなど、なかったのだ。しかし、何か話したい。なので、瑠維は素直に言った。
「我は、あなたと話したいと思うておりまする。」帝羽が、驚いた顔をした。しかし、瑠維は言った。「ですが、我は殿方と二人きりで話したことなど無いのです。なので、何を話して良いのかわからぬので、居心地の悪い思いをおさせしておるのではと案じております。」
帝羽は、他の宮の王族のようにつんと取り澄ましたことのない瑠維に、ただ驚いていた。さぞ、気高い気位の高いかただと思うて居たのに。
「…我も、これまで軍務にばかり明け暮れて、そのような暇は無かったゆえに、皇女と何を話して良いのかなど分からず、大変に失礼を致しておるかと存知ます。」
瑠維は、驚いた。
「え、ではあなたはお独りであられるのですか?」
帝羽は、頷いた。
「は。そのような甲斐性もなく、お恥ずかしい限りでございます。しかし、我はまだ成人まで少し。それから考えれば良いかと。」
瑠維は、まじまじと帝羽を見つめた。これほどに、お美しく凛々しい殿方であられるのに。
「まあ…そのようにお美しいので、我はてっきりもう…」
帝羽が、また驚いて目を丸くした。瑠維は、ハッとして口を押さえた。いけない!これは無作法であるのに。侍女達とばかり話すので、帝羽が話しやすくて、ついそのような感覚で話してしまっていた。
瑠維は、慌てて下を向いて頭を下げた。
「申し訳ありませぬ。何と不躾なことを…。」
恥ずかしくて、顔が熱い。帝羽は、瑠維が耳まで真っ赤になって、本当に恥ずかしいと思っているのを知った。涙目になって恥ずかしがっている瑠維に、帝羽はなぜか微笑ましい気持ちになって、フッと笑った。
「いや、良いのです。我が皇女にとって見苦しくないのなら、良かったことと。」
穏やかに微笑む帝羽に、瑠維はまた胸がドキドキするのを感じた。笑うと、本当に優しげであられる。
「あの…不躾だとは、思われませぬか?」
帝羽は、首を振った。
「そのように堅苦しくなさるご必要はありませぬ。我は臣下であるのです。思うことを思うようにおっしゃられて良い。」
瑠維は、途端に嬉しくなった。父も、兄でさえ、話す言葉には気をつけて話していた。思っていることも、言葉が見つからなくて黙っていることも多かった。だが、このかたはいいとおっしゃるのだ。
「なぜか、とてもうれしいですわ。」
瑠維が言うのに、帝羽は不思議そうに言った。
「うれしい?」
瑠維は、微笑んで頷いた。
「はい、とても。だって、父にも兄にもそのようにおっしゃって頂いたことがありませぬもの。我は、とてもうれしく思いまする。」
家族の中でも言葉を選ばねばならぬのか。確かに、王族はそうやもしれぬ。
帝羽はそう思うと、少し瑠維が不憫になった。話すたびにそれはいけないなどと言われていたら、思っていることの半分も口に出来ないだろう。王族の女がただ笑っているだけであるのは、そういうことにあるのかもしれない。だが、ここの王妃はその限りではないが。
帝羽は、それは美しく心から微笑んでいる瑠維に、微笑み返しながら言った。
「ならば、僅かな時間でありまするが、我がお話をお聞きしましょうほどに。何なりと申されるが良い。」
瑠維は、嬉々として帝羽と向かい合った。そうして、思うまま帝羽に話した。自分が、本当は王などに嫁ぎたくないこと、父と母のように二人だけで年を取って仲睦まじくして生きて行きたいこと。宮の外の世界も知りたい、月の宮にも行ってみたい…。
そうやって、時が過ぎるのを忘れて、瑠維は話し続けた。




