恋心
それから、表面上は何事もなく日常は過ぎて行った。
義心も全く変わらず絶対的に維心に従い、維月に近寄ろうとするような素振りも無く、ただ任務だけを黙々とこなしていたし、維心も態度を変えることはなかった。
それでも、維心と維月が知ってしまった義心の心の事実が、消えてしまうことはなかった。維月は、今生あまり気にしなくなっていた義心のことを、まだ辛い気持ちでいるのかと気になって仕方がなくなり、維心は、義心と維月が二人きりで会ったりなど決してあることがないよう、そんな偶然が起こらないように絶対的に宮を見張って軍神の任務の配置を決めて指示を出していた。
瑠維はといえば、淡く義心に恋心らしきものを持ったのは確かなようだったが、それでも絶対的にと言うわけではなかったようで、恋とは簡単にはうまく行かぬもの、と変に悟っている感じだった。どうやら、宮にたくさんある書物から、恋愛物を読んで得た知識のようだった。
なので今は、あの催しで見た何人もの、軍で精進する若者達を思い出し、心を暖かくしている程度だった。まだまだ、どこへ嫁ぐつもりもなかったからだった。
そんな中、十六夜が維月を迎えに龍の宮へやって来た。
「さ、里帰りだぞ。昨日、連絡したろうが。」
十六夜は、維月を抱え込むように座っている維心に言った。維心は、首を振った。
「それは我の居らぬ時だった。我は後から維月に聞いたのだ。此度はならぬ。時を改めよ。」
駄々っ子のような言い方だ。維心にも、自分が無理を言っている自覚があるからだろう。十六夜は、最近ではついぞ見なかった様子に、怒るより不思議そうに維心を見た。
「どうした、維心?何かあるのか?」
維心は、じっと黙った。維月が、維心の袖の中からくぐもった声で言った。
「少し、気になる事があって。でも、大丈夫よ?今回は、行くのは私だけで、誰もついては行かないのだもの。」
すると、維心が維月を見て言った。
「確かにそうなのだが…万が一と思うと。」
維月は、首を振った。
「ありませぬ。こちらで維心様について軍務についておるのに、どうやってあちらまで?維心様は、ご心配が過ぎるのです。」
十六夜は、怪訝な顔をした。
「なんだって、軍務?」そして、表情を変えると冗談っぽく笑った。「なんだよ、また義心か?」
維心と維月が、仰天したように同時にこちらを向いた。十六夜は、その反応にびっくりして不必要に小さな声で続けた。
「なんだ…真面目にそうなのか?あいつがまた維月に庭で口付けたりそんなんで維心は神経質になってるのか?」
維月は、維心の袖を避けてぶんぶんと首を振った。
「違うわよ!何もしてないわ!むしろ、私はもう、義心はすっかり吹っ切ったのかと…その、忘れたのかと思っていたの。本当に、何もないから。」
維心は、真剣な顔で言った。
「そう、我も少し前まではそうかもしれぬと思うてはいたが、軍務に復帰してこのかた、そのような素振りは微塵もないゆえ、何もないと思うておった。それが…」維心は、下を向いた。「甘かった。」
維月も、袖で口を押さえて下を向いた。十六夜は、暗く考え込む二人に言った。
「何もないのに、なんで義心がまだ維月を思ってるとわかったんでぇ。」
維心が、顔を上げて十六夜を見た。
「瑠維を、娶らせようと。」維心は、その時を思い出して険しい顔をした。「あれなら、瑠維を任せられるかと思うて。宴の席で側に呼んだのだ。そうしたら、自分は己をただ一人に捧げておると申した…永久に、との。」
維月が、またフラと維心に倒れ掛かった。維心は慌てて維月を支えた。十六夜も、急いで維月に手を差し出す。
「…そうか、あいつは頑固だもんな…維心ばりに。だが、お前は気にする事はねぇ。出来る限りの事はして来たじゃねぇか。」
しかし、維月は目に涙を溜めて首を振った。
「私が、何も知らない前世の私が、義心に顔を上げろとあの時言ったばかりに!」維月は、涙をこぼした。「神様のことなど、何も知らなかった私が、維心様の教えを守らなかったばかりに…!」
そう、あの時維月はまだ人だった。身は人から月になっても、龍王の妃になっても、考え方はまだ完全に人だった。神世の理など、知る由もなかったし、その意味さえわからずにいた。そんな維月が、顔を見ることもなく、自分に話す義心に、目を見て話せと命じたのだ。ためらいながら目を上げた、義心と目が合ったその時に、何もかもが変わってしまった。そう、優秀な軍神の、その先の生までそれで変えてしまった…。
維月は、それが居た堪れなかったのだ。罪の意識が、義心の真剣な心を知るたびに、そうして、忍びながらもじっと耐えている姿を見るたびに、維月の心を締め付けていた。それが、ようやく終わったのかと思っていたが、まだ老いもせず、義心はじっと維月を想っていたのだ。
十六夜は、ため息をついた。
「そうか。事情は分かったが、それなら尚更維月は帰って来るべきだ。あまりに落ち込みすぎると、今度は維月が病んできちまう。とにかく維心、今回はオレに任せな。こっちに義心が居るんだから、お前の心配するようなことは起こらねぇよ。お前も、追いかけて来る時は、帝羽を連れて来い。あいつは、月の宮に居たんだから、義心じゃなくて帝羽でも、誰もおかしくは思わねぇだろう。」
維心は、腕の中の維月を見た。そうして、しばらく見詰め合ってから、頷いた。
「では頼む、十六夜。我も、数日で月の宮へ行く。」
十六夜は、苦笑した。
「一週間は待てよ?いろいろあっちも忙しいんだからよ。」
維心は、渋い顔をしたが、頷いた。
「分かった。」
そうして、維月は維心を振り返り振り返り、十六夜に抱かれて龍の宮を飛び立ったのだった。
月の宮では、事情を知っている蒼が、十六夜から話を聞いて神妙な顔をしていた。
「知ってるよ。」蒼は、暗い表情で言った。「オレ、その時そこに居たんだ。母さんが青い顔をして退席して行った。義心は、その後そこを辞したから、オレもそれからのことは知らないんだけど。」
十六夜は、頷いた。
「最近じゃあ聞かねぇし、あいつも落ち着いたんだとばかり思っていたんだ。前世はあれほど何とか維月と話したいと、控えめだが話しかけていただろう。それが、今生軍に戻ってからは全くだった。維心について月の宮へ来ても、コロシアムばかりで滅多に宮の方へは来なかったしな。だから、オレもすっかり忘れてた。まさか、まだ維月を想ってたなんてな。」
蒼は、深刻な顔で十六夜を見た。
「困ったな。義心は優秀な軍神だし、オレだって何とかしてやりたいけど、母さんとなると話は別だろう。今生、成り行きで維心様も嘉韻だけは里帰りの時の三日だけ黙認してるけど、義心までとなると絶対に首を縦に振らないだろうし。母さんだって、これ以上無理だ。何しろ、隠してるつもりかもしれないけど、将維だって亮維だって母さんだろう。ここで密かに会ってるのは、オレの宮なんだし嫌でも分かるから。」
十六夜は、そこは困ったように笑った。
「維心のコピー達だろう?あいつらは、分かってるし。維心だって、自分の血のせいでああなんだって分かってるから、知ってても何も言わないんだ。だがなあ。義心は、前世からいろいろ確執があるから。無理だろうな、絶対。何より維月が、良心の呵責に苛まれて大変なんでぇ。今、嘉韻の所へ行ってるが、暗い顔をしてた。嘉韻も、何事かと驚いてたよ。維月が、嘉韻に事の次第を話すかは分からないがな。」
蒼は、長いため息をついた。話したところで、嘉韻だって、絶対に許さないだろう。出来ることなら維月を自分だけのものにしたい男ばかりの中で、嘉韻の位置は低い。力の差を考えても、月の宮筆頭軍神でありながら、維心や十六夜、将維、亮維という絶対的な力を持つ神に囲まれては、抗うことが出来ないために黙っているのだ。それに義心まで加わるとなると、更に下へと下ってしまう…嘉韻より、義心の方が気が強いからだ。
蒼は、十六夜を見た。
「でも、義心は何も言わないんだろう?こっちも、そのつもりで居た方が気が楽でいいんじゃないのか。あまりあっちもこっちも良いように考えない方がいいぞ。確かに義心は気の毒だが、これ以上は本当に無理なんだからさ。嘉韻だって、ああやって老いが止まってるんだし…皆普通の神とは違うんだ。寿命が尽きるのを待って次なんてことも、無理なんだよ。」
十六夜は、ふーっと長いため息をついた。
「困ったもんだ。維月がたった一人の月の女のせいで、こんなことになっちまって。だがなあ、義心はオレと維心の次に維月を見初めてたんだぞ?なのに、後から割り込んだ嘉韻や将維、亮維に先を越されちまって。想っている長さだけなら、義心はあの三人に負けねぇのになあ。」
そう言われればそうなんだけど。
蒼は、どうにかしてやりたいが、どうにも出来ないことにただただため息をつくしか出来なかった。




