最強
維心は、自分の宮へと戻って居間へと入った。ここで月の宮へ戻っている維月に思いを馳せている時に、十六夜から念の声が振って来たのはほんの一時ほど前。夕暮れの空が暗くなりつつあるのに、維月は居らずたった一人で夜を過ごさなければならない。
維心は少し気落ちしながらも、スッと自分の着物の袖を上げた。
そこは、着物こそは切れていなかったものの、少し出ていた中の襦袢のが、小さくほんの数ミリほど切れているのが見えた。維心は、それを見て苦笑した…油断した。今までたかが軍神に髪一本すら切らせなかったものを。さすがに箔炎の子でありながら龍。あやつは末、義心のように役に立つ軍神になるに違いない。
維心がそう思いながら、じっと居間に座って物思いにふけっていると、奥の間の戸が開いた。維心は驚いてそちらを見た…誰も、侍女でさえその戸を使うことは許されていないのに。
「あら、お戻りですか?」柔らかい声が維心の心を癒す。「十六夜から訳を聞いて。もう戻っておいてやれと言われて、こちらで待っておりましたの。」
維心は、思ってもいなかったことに、歓喜に声を震わせて思わず叫んだ。
「維月!」そして、すぐに立ち上がって駆け寄って抱きしめた。「おお維月、維月…会いたかった。」
維月は、苦笑した。
「まあ維心様…まだ、ほんの五日ほどでありまするのに、そのように。」
維心は、しっかりと維月を抱きしめたまま、首を振った。
「明日にでも、そちらへ参ろうかと思うておったところだ。もう我は、主に会いとうて仕方がなかった。」
維月は、そんな維心に抱きしめられながら、目ざとく袖の小さく切れたところを見つけて言った。
「維心様!また無茶なことをなさったのではありませぬか?!」
維心は、維月の形相に驚いて慌てて言った。
「帝羽のこと、十六夜に聞いておるだろう。我は、あれの力を見てやろうと少し立ち合っただけ。傷はないぞ。」
維月は、首を振った。
「常の維心様なら、このようなことあるはずはありませぬわ!帝羽が立ち合う様は見ておりましたけど、私にも追いつけぬ程度。手練れと申して、それほどのことではありませぬ!なのになぜ、少しでも傷が付くなどということがありますの?!」
維心は焦った。何しろ、維月は維心が少しでも危険な賭けをしたりとか、そういうことを極端に嫌がるのだ。心配過ぎて死にそうになるからだ、と本人は言うが、しかし維心は気が気でなかった。
「これはの、少し帝羽を甘く見たため。しかし負けることなどあり得ぬので、主はそのように案じることはないのだ。」
維月は、じっと恨めしそうに維心を見た。間違いなく、それだけではないはずだ。どうせ、相手に何かハンデを与えるとか、無茶な縛りを作って、立ち合ったのに決まっている。何しろ、維心には敵が居ないので、少しでも面白い立ち合いをしようとそんなことばかり気軽にやるのだ。
「維心様…相手に、どんなハンデを与えられましたの?」
維心は、それがバレているのに焦りながら言った。
「少しだけぞ。帝羽は気弾を撃つが、我は撃たない。気の防御膜は張ったぞ?僅かな時間で決したしの。」
維月は、首を振った。
「それだけではありませぬわね。」
維心は、維月は騙せないと頷いた。
「その、我はその場を動かなかった。本当にそれだけぞ。我の身に傷は付いておらぬ。」
維月は、呆れたように維心から身を退いた。
「またそのようなことを!帝羽は箔炎様のお子でありまするのよ?その辺の軍神とは違いまする!ちょっとでも危険なことは、せぬと約してくださっておりましたのに!」
維心は、慌てて維月の腕を掴んだ。
「維月、危険ではないではないか。我に敵はおらぬ。それぐらいの縛りで、あれが我に傷を付けられると思うてか。袖は、僅かなことぞ。何でもなかったのであるから、機嫌を直せ。」
維月は、ぶんぶんと首を振った。
「確かに維心様に敵はおりませぬけれど、ご油断はいけませぬわ!この先、これを許しておったら、何が起こるか恐ろしくて安心しておれませぬ!どれほどにこのお体が大切なことか。私がどれほどに案じるか、維心様には分かっていただけませぬのね。維心様は私の気持ちより、ご自分の遊戯のほうが大切だと思うておられるのですわ!」
維月は、維心の手を振り払って背を向けた。維心は、もはや必死だった。維月と約束したことを破ったのは悪かった。だが、あれぐらいの縛りがあってこそ、自分と帝羽の力の違いを見せ付けることになり、ここへ来て仕えようと思うと考えたのだ。
「維月、あれは必要なことであった。己が楽しむためだけではないぞ。それに、あれは楽しめるレベルには達しておらなんだしの。我の力を、よりはっきり見せ付けねばならなかったからの。分かってくれぬか、もうこのようなことはせぬゆえ。」
維月は、維心に背を向けていたが、ちらと維心の方を見た。
「…本当に、もうそのような賭けのような立ち合いはなさらぬと約してくださいまするか?」
維心は、首がもげるのではないかというほど縦に振った。
「約す!もう二度とせぬ!必要な時は、主に話す!」
維月は、ゆっくりと維心の方を向いた。維心は、まだハラハラと維月を見つめていた。維月は、仕方なく薄く微笑むと、ため息を付いた。
「仕方のないかた。ですが、これが最後でございまするわよ?本当に、少しでも危険なことは絶対になさらないで。」と、維心の首に、腕を回して唇を寄せた。「全く私がどれほどに大切に思うておるのか、分かってもくださらないのだから…。」
維心は、ホッとして維月の背を抱いて引き寄せた。
「主こそ、我がどれほどに主を失いとうないのか、分かってくれぬのだからの。」
そうして、二人は唇を重ねた。
神世最強とは、維月やもしれぬ。
維心は、そう思った。
それから、帝羽は月の宮から龍の宮へと移り、そこで無事序列二位、つまりは次席軍神として仕えることとなった。総当たりで全勝で勝ち残ったのは義心と帝羽で、しかし、義心には帝羽は全く敵わず、結局かなりの差を遺しての次席だった。
帝羽が驚いたのは、維明がこの20年ほどの間に驚くほど実力を伸ばして、帝羽にも勝てなくなってしまっていたことだった。維心が言った通り、もしかして実戦では帝羽が上なのかもしれないが、間違いなく技術では維明に敵わなくなってしまっていたのだった。
維明が、言った。
「主のお蔭で、我も慢心しておってはならぬと思うたからの。」今日も立ち合いを終え、自分が一本取った維明は言った。「炎嘉様の宮へ行って、南東の賊を討つのに同行させてもろうたり、西の砦の叔父上達(明維と晃維)のところへ行って、北西の小競り合いを抑えに行ったりと、いろいろやったのだ。ほれ、主を父上の結界から、黙って出してしもうたことがあったであろう?あれの沙汰だと言われ、我も実戦の場に修行に出されておったのだ。あれで、かなり学んだ。」
帝羽は、苦笑した。
「我は、月の宮で安穏としておったからの。やはり、油断は禁物ということか。王には、全くもって歯が立たず、立ち合いにもならなかった。軽く手の上で転がされたような状態であったわ。」
それには維明も、渋い顔をした。
「父上は滅多に立ち合っては頂けぬが、たまに気が向いた時にここへ降りて来てくださる。その時は、酷い状態ぞ。我と義心が何とかサシで対峙して頂けるぐらい、他はまとめて掛かっても敵わぬ。我と義心ですら、父上はその場をあまり動かれぬ。しかも、甲冑など身につけておられるのは、見たことがないの。ああ、蛇との戦の時には、父上の気が一気に放たれてそれが通る場所に居た軍神は一瞬で滅しられ、その数3万とも。父上は、その気になればたったお一人で一つの宮を一瞬で消してしまわれるほどの力を持っておられるのだ。」
帝羽は、想像もつかないことに呆気に取られた。それならば、敵わなくても仕方がない。全く、立ち合いのレベルではないのだ。
すると、まだ人で言うところの小学生高学年ほどの大きさの、維明に良く似た龍が目の前に現われ、頭を下げた。維明は、軽く会釈をした。
「維斗。」
維斗は、顔を上げた。
「兄上。訓練であられましたか?」
維明は、頷いた。
「主は、今日は非番であったよの。」と、隣りの帝羽を見た。「帝羽、主は初めてよな。我の弟、維斗ぞ。」
ならば、嘉翔と同じぐらいの歳。
帝羽は、維斗が神世のそれにならって、まだ幼い姿であるのに、自分もこれぐらいの時はこうだった、と思いつつ、維斗に会釈した。
「第二皇子か。維斗様、初めてお目通り致す。」
維斗は、軽く返礼した。
「帝羽。我のことも、維斗と呼んでよい。」帝羽は、鷹の皇子とはいえ龍の宮の軍神なので、維斗の方が地位は上になるのだ。「我は、まだ軍を許されておらぬので、兄上や主と共には訓練出来ぬのだ。会いたいと思うておったので、良かったことよ。」
維明が、驚いたように維斗を見た。
「ほう?なぜに帝羽に会いたかったのだ。」
維斗は、維明を見た。
「はい。母上から、大変に筋の良い軍神が入ったと聞いておったのでございます。先々共に任務に着くようになるが、とても頼りになるからと。どんな軍神であるのか、興味があった。」
維月様が?
帝羽は、思ったが、しかし月の宮でのこともある。十六夜にでも聞いたのだろうと勝手に納得した。すると、維明が言った。
「そうか。母上は、箔炎殿のお子であるからと、大変に気になさっておいでだったようだしの。して、主は母上の所からここへ?」
維斗は、頷いた。
「はい、兄上。兄上にも、菓子を作ったので後で侍女に部屋へ運ばせておくとおっしゃっておりました。なので、もうお部屋にあるかと。」
維明は、目を輝かせた。
「おお、そうか。ならば、急ごうほどに。ではの、維斗。」と、帝羽を見た。「主も参れ、帝羽。」
帝羽は、維明がすっかり落ち着いたと思って焦っていたのに、やはり全く変わっていない所もあるのだと驚いていた。前も、こうして母の作った菓子があるとはしゃいでいた時があった。そこのところは、全然変わっていないのだ。
帝羽は維明に引きずられるようにして、維明の対へと向かったのだった。




