悩み
嘉翔は維月のタルトを食べて、共に話したりして思う存分甘えた後、すっきりしたような暖かい気持ちになって宮を出て飛んでいた。母が、龍王妃なのは知っていた。しかも、十六夜という月の片割れまで居る。だが、嘉翔は母がとても好きだった。十六夜も、なさぬ仲の自分を気遣っていつも相手をしてくれる。父の居ない所で困った事があっても、空に向かって呼べば十六夜が助けてくれるので、嘉翔は悲しい思いもしないで済んでいた。友というなら、十六夜ではないかと時に思うほどだった。
それに、十六夜と維月の間の子である、維織という異父姉も、小さい時から自分の面倒を見てくれていたので、とても好きだった。まるで母のように優しく、十六夜と良く似た顔の、美しい女神だった。
なので、嘉翔は今更友など欲しいと思った事も無かった。寂しいと思う間もなく、誰かしらが寄って来ていて、放って置いて欲しい時まであるほどだったからだ。
宮を出て結界を抜け、気が付くと結構遠くまで飛んでいた。嘉翔は父譲りの大きな気を持っていたので、危険な事など何も無かったが、結界外で他の神に会うとややこしい事もあると聞いている。
何と言っても、まだ神世では子供の年齢である嘉翔は、空中で踵を返そうとして、ふと下を見た。
すると、そこにあるそこそこの大きさの屋敷の庭に、見覚えのある姿があった。
それは、月の宮では知らない者など居ない軍神、帝羽だった。
帝羽は、月の宮の会合の間から出て、何も考えずにとにかく離れたいと飛んでいたら、こうして母と過ごした屋敷へと来てしまっていた。
そこには、古い墓石と、真新しい墓石が二つ並んで建っている。一つは母の、もう一つは最近に帝羽が作った、桐の墓だった。こうして並べたが、この二人は何の関係もなかった。それでも帝羽にとっては育ての父と、産みの母であったからだ。
その墓の前に立って、帝羽は考えていた。自分は、月の宮の王のためと、自分の知識を使って出来る限りのことをした。それが臣下としての義務であり、精一杯仕えることで、そこへ置いてくれている蒼に報いようと思ったからだった。
しかし、やればやるほど他の臣下達は、帝羽を頼るようになった。時には蒼に聞くこともなく、自分に聞いただけで物事を処理してしまったりして、焦った帝羽は王にそのことを報告したが、王は帝羽が確認したことだから、それで良いと言う。そんなことを繰り返している内に、臣下達は蒼の言うことを段々に聞かなくなっているように、帝羽には見えていた。このままでは、いけない。しかし、蒼の期待には応えなければならない…。
帝羽は、悩んでいた。そこへ、今度の会合の有様。さすがに、もうこのまま見過ごす訳にはいかないと帝羽は思ったのだ。
一生懸命仕えることで、こんなことになるのだとは思わなかった…。
帝羽は、どうしたらいいのかと、ひたすらにその対策を考えた。軍務だけに集中したいと蒼に申し出て、一切の政務のことは聞かぬと宣言すればいいのかもしれない。しかし、そんなことをしたら、蒼の命を無視して己がしたいことをしているだけの、わがままに臣下になるではないか。軍務といって、月の宮には後進を育てる他大した任務もない。ただ楽をしたいだけの怠惰な臣下だと思われるのではないか…。
ひたすらに帝羽が考え込んでいると、側の草を踏みしめる音がした後、声がした。
「帝羽殿。このような所でお会いするとは、思ってもおりませず。」
帝羽が振り返ると、そこには若い嘉翔が膝を付いていた。帝羽は、今は誰にこのように頭を下げられるのも面倒に感じていた。なので、手を振った。
「良い。主はまだ軍神ではないではないか。そのように、膝を付く必要などない。立つが良い。」
嘉翔は、戸惑いがちに立ち上がった。父にでも、コロシアムで会うと膝を付く嘉翔が、このように上位の軍神相手に立ち話をしてもいいのかと思ったのだ。
しかし、帝羽は苦笑して言った。
「…何を戸惑っておる?我はの、主と同じでまだ成人もしておらぬのだ。そのように扱われるいわれは無い。構える必要などないのだ。」
嘉翔は、驚いて帝羽を見た。このように落ち着いていて、技にも優れておるのに、まだ成人もしておられぬと言うのか。
「存じませんでした。軍神の将達と、同じぐらいの年頃であられるかと。」
帝羽は、首を振った。
「長くさすらったゆえ、少し荒んでおるのやもしれぬの。」
嘉翔は、あまり聞いてはいけない気がしたので、話題を変えた。
「なぜに、こちらへ?ここは、通われる場所であられるか。」
男が通う場所というのは、女が居るからという意味がある。帝羽は、ませた口を聞く嘉翔にまた苦笑しながらも、答えた。
「いいや。我にはそのような場はない。ここは、今は無人。我が育った屋敷であるのだ。こちらは、我の親の墓。気が向いたので、訪ねただけよ。」
嘉翔は、神妙に頷いた。
「左様でございまするか。」
しばし沈黙。元々、共通の話題などない。何しろ、二人ともあまりプライベートで神に接するタイプではないのだ。嘉翔が困っていると、帝羽が口を開いた。
「…もう、戻るがよい。主はまだ宮の結界を出るには若い。一人歩きは、もう少し経ってからにするが良いぞ。」
嘉翔は、頭を下げたが、子供扱いされたのは面白くなかった。しかし、言った。
「はい。では、先に戻っておりまする。」
そうして、嘉翔は飛び立って行った。帝羽は、それを見送りながら思っていた。自分にも、あんな頃があった。100年ほど前のこと。居場所を見つける必要などなく、ただ桐達の側に居て、危険ではあっても、そこが確かに自分の場所なのだという安心感があった…。
帝羽が墓を振り返ると、声がした。
「…孤独とは、王には必ずついて参るもの。やはり主は、王であるのだな。」
帝羽は、驚いた。桐の墓から聞こえたのかと思ったからだ。
「桐…?」
帝羽が墓石を見つめていると、その後ろの林から、気を抑えた維心が歩み出て来た。
「我ぞ。」維心は困ったように微笑した。「嘉翔が来ておったゆえ、声を掛けるのもと思うての。ここで聞いておった。主が宮を出て行ったと、十六夜から聞いたのでな。主は我が眷族。放って置くわけにもいくまいが。」
帝羽は、龍王を見上げた。今は抑えていた気を少し緩めたので、その大きな気が感じ取れる。龍の宮で学んでいる間、ずっとこの気を側で感じていた。実の父より大きな、とても抗う気持ちにはならない、この自分ですら頼りたいと思わせてしまうほど、絶対的な王の気…。
帝羽は、維心に言った。
「我は、あのようなつもりではなかったのです。それなのに、王の政務を乱してしまった。」
維心は、わかっている、というように頷いた。
「しようのないことよ。蒼ですら、主のその王としての気質には頼ってしまうのであろうて。兄の箔翔でも、主を側に置いて頼りたいと思わせたほどぞ。主は龍でありながら鷹。両方の良い所を併せ持った稀有な存在であるから。蒼ならば、あの月の絶対的な力でこのようなことにはならぬかと思うたが、無理であったの。」
予想していたのか。
帝羽は思った。そうして、視線を落とした。
「我には、居場所はありませぬ。さすらっていた頃は、危険とは言うても居場所はあった。確かに豊かではなかったが、このような物思いはありませなんだ。このままでは、他の宮へ行っても同じようなことになるではと案じられる。我は…どこかで、一人で暮らすのが、世のためなのやもしれないと、思うておったのです。父から母が貰ったこの屋敷で、じっと過ごすべきかと悩んでおりました。」
維心は、じっと帝羽を見ていたが、フッと笑った。
「主ほどの力となると、入る宮にも制限がある。そういうことなのだと、このことで学んだの。」
帝羽は、これは自分の学びのためと、龍王は見ていたのかと驚いた。そうして、維心は何かを考えるように顔をしかめた。そして、言った。
「そうよな、主我と立ち合ったことがなかろう。我も直接に主の力というものを見てみたい。状況判断などはもう充分ぞ。かなり優秀であることは、主は証明してみせておる。とにかくは、向かって来るが良い。」
帝羽は、突然のことに驚いて後ずさった。自分は、こうして刀を吊り、甲冑は着けていないが軍神の身軽な着物でいる。だが、龍王は明らかに部屋で寛いでそのまま出て来たような格好の上、刀も短刀すら身に着けていない。
「それは…その、今、ここで?」
維心は、まるで庭の花でも見に行くような気軽な様子で頷いた。
「そうよ。来るが良い。気弾を使っても良いぞ。好きなように向かって来い。」
帝羽は、いくら龍王が強いとはいえ、丸腰で自分と立ち合うなど無傷では無理ではないかと思った。ためらっていると、龍王は手を横へ出した。
「早ようせよ。我は気が長い方ではない。」と、目を細めた。「ならば我から。」
「え…、」
帝羽は、必死に降って来た何かを刀を抜いて受けた。そこには、どこから手にしたのか刀があった。龍王は、ニッと笑った。
「ほう、知らぬか。我らほどの力になると、刀などどこにあっても呼び出せるわ。」と、その刀を退いた。「さて、主にはハンデを与えよう。ハンデの意味はわかるか?」
帝羽は、頷いた。月の宮では、人世の言葉を使う。なので、だいたいのことは分かる。
「はい。」
維心は、満足げに頷いた。
「よし。主は気弾を使ってもよい。どこから切り掛かっても良い。我は気弾は使わぬ。そして、ここを動かぬ。」驚く帝羽に、維心は構わず続けた。「さあ、参れ。」
そうして、帝羽はまだためらいながらも、維心に向かって太刀を振って行った。




