憤り
そうして、龍の宮の職人達の、創作意欲を掻き立てたレースやベルベットは、神世に広く認知され、その可能性を示して、どの宮でもあって当然な形に収まった。
もっぱら維月をマネキン代わりに、宣伝をし続けた月の宮の勝利だった。
もちろんのこと、なかなかに手に入らないこれらの素材は高級品として扱われ、贈るとどこの宮でも喜ばれたので婚礼だ葬儀だと言われても、それを持って行けば良かったのでかなり助かった。
お蔭で月の宮の財政は安定し、維心からの支援物資をあてにしなくても充分にやっていけるようになったのだった。
レース編み職人としてせっせと頑張るのは、女神が多かったが、最近では男神も加わり始めていた。大陸以外では月の宮にしかいない職人はもはや50人にもなり、皆で新しい模様などを考えて、立派にやっていたのだった。
「本当に素晴らしい手さばきだこと。」月の宮に里帰りして来た維月が言った。「私の夏の着物のレース編みなんて、それは見事だったのよ。いつもは同じ着物はと言う維心様が、何度もあれを着てみては、と言ったぐらいよ。」
十六夜が、その横で皆がせっせと編み物に没頭するのを見ながら言った。
「ま、あれは特別だ。帝羽が、まずは龍の宮の職人に認めさせなければと皆にプレッシャーかけてたからな。お蔭で何回も編み直して、やっと完成した唯一のレース編みなんだよ。あれほどのは、未だに無い。」
維月は、口を押さえた。
「まあ…そうなの?知らなかったわ。でも確かに藤久も認めていたわ。だからこそ、自分の着物に使ったのでしょうから。あれらは仕立てる着物に誇りを持っておるから、変なものは絶対に使わないのよ。」
十六夜は、苦笑しながらも頷いた。
「帝羽は、それを知っていたんだな。何にしろ、こうやって落ち着いたのもあいつのお蔭だ。蒼も臣下達も、今やあいつに頼りっきりなんでぇ。だが、あいつは、どうかな。」
維月は、含みのある言い方に十六夜を振り返った。
「え…?帝羽が、どうかしたの?」
十六夜は、困ったように首を振った。
「いや…ま、根本的な問題は、まだ解決してないってことさ。」
維月は、その作業部屋を出て行く十六夜を、慌てて追いかけた。
「まだ財政が安定しないの?」
十六夜は歩きながら、また首を振った。
「いいや。もう大丈夫だって恒だって穏やかな顔つきでいるよ。だが、忘れてねぇか。もう一つ問題があったじゃねぇか。」
維月は、首をかしげた。
「何かしら…思い出せないんだけれど。でも、宮は落ち着いているんじゃない?」
十六夜は、ため息をついた。
「まあ、いいよ。そのうちにまた、問題になるだろうから、お前も思い出すさ。」
維月はまだ何のことか分からなかったが、眉を寄せる維月に、十六夜が言った。
「そうだ、お前嘉翔に会って行くだろう。あいつも、お前が帰るのをそれは心待ちにしていたんだぞ。」
維月は、話題が変わったので驚いた顔をしたが、微笑んだ。
「ええ。元気にしている?まだ軍に入るのは、嘉韻が許さないのだと聞いているのだけど…。」
十六夜は、頷いた。
「こっちだ。コロシアムに居る。見に行こう。」
そうして、二人はコロシアムに向けて飛んで行った。
そこでは、士官学校の生徒達が太刀を振るっていた。その中で、一際目立つ神が居た…金髪の、嘉翔だった。
嘉翔は20歳を越え、維斗と近い年頃だったが、維斗より少し年上だった。しかし、緩やかに成長する維斗とは違い、嘉翔はもう青年の姿に成長していた。十六夜がいうには、恐らく陰の月の命が混ざっているため、早く大きくなりたいと望んで、こうなったのだろうとのことだった。
前世、将維もそうだった…。
維月が思って見ていると、嘉翔はもう何人目かの相手を簡単に太刀を振って倒した。
「とにかく、優秀なんでぇ。」十六夜は、言った。「真面目だしな。嘉韻の血のせいか、筋が半端なくいい。もう軍に入っていてもおかしくはないんだが、嘉韻がまだ早いと許さない。確かに神の20歳はほんのひよっ子だからな。だが、明人だって慎吾だって100歳にも満たないまま軍に入ったってのによ。」
維月は、頷きながらも分かっていた。明人も慎吾も、まだ月の宮の軍が軍ではない時にここへ来て入隊した。二人の子も、軍へ入ったのは100歳を過ぎてからだった。だから、まだそんな苦労はさせたくないと思っているのだろう。
教官らしき軍神が叫んだ。
「やめ!」皆が、一斉に刀を下ろす。「本日は、これまで!」
がっくりと、その場に膝を付く神も多く居る。しかし嘉翔は、そのまま黙って刀を鞘に戻すと、こちら側へと歩いて来た。しかし、上空で見つめる十六夜と維月には気付いていないようだった。
「嘉翔。」
維月が、小さめの声で呼びかけた。これぐらいの歳の子は、もしかして母親が来たら学友の手前嫌かもしれない。
しかし、嘉翔はその声に弾かれたように上を見ると、維月を見て、一目散に飛んで来た。
「母上!」
維月は、その反応に驚いたが、微笑んで嘉翔を迎えた。
「よく頑張っておること。父上のように筋が良いのだと十六夜から聞いておったところよ。」
しかし、嘉翔は下を向いた。
「ですが、父上はまだ入隊を許してくれませぬ。我が、まだ若いという理由で。」
維月は、嘉翔の頬に優しく触れた。
「嘉翔、それはあなたのためを思ってのことよ。軍は、そのように甘いものではないの。若い頃から苦労をする必要はないとお考えなの。」
嘉翔は、維月を見て真剣な顔で言った。
「ですが、父上の跡を継ぐのなら、我は早よう序列を貰わねば。帝羽殿は、今は宮での責務が多くて軍を離れておられることが多いが、そのうちに父上と並ばれようほどに。我が力をつけねば、筆頭にはなれぬ。」
維月は、これが維斗と同じ歳の神が言うことかと驚いた。維斗は、龍の宮で未だ体が小さいからでもあるが、子供扱いなのだ。それが、この子はもうこうして成長し、先のことまで考えている。
維月は、十六夜と顔を見合わせてから、言った。
「嘉翔…そのように急ぐ必要などないのよ。筆頭になる時はなるし、ならない時はならない。それに、必ずしも筆頭でなければならない事はないわ。あなたは、とても優秀であるけれど、私はまだ、いろいろと遊びも覚えて、心に余裕というものも持って欲しいと思うておるのよ。軍務しか知らないような神にはなって欲しくはないわ。友を作って欲しいと思う。」
嘉翔は、維月をじっと見た。友…。
「父上の、明人殿と、慎吾殿のような?」
維月は、頷いた。
「その通りよ。友は、きっと大変な時に助けてくれるから。困った時は、話しを聞いてもらうことも出来る。もっと、神としての生を楽しめるようになさい。今は、軍よりもそういう、大人になった時の準備期間であるのよ。」
嘉翔は、考え込むような顔をした。
「準備期間…。」
維月は微笑んで、嘉翔の手を取った。
「さあ、宮へ。母が作ったタルトがあるのよ?食べてみてくれないかしら。」
嘉翔は、途端に顔を輝かせた。
「ああ、母上が作ってくださったのですか?楽しみでございます。」
前世今生合わせても、息子達は軒並み維月の手作り菓子が好きだった。維月は微笑んで、十六夜と共に宮へと飛んで行ったのだった。
その頃、帝羽は当然のように呼ばれた宮の会合に出ていた。最近では、ずっとそうだった。
しかし、帝羽ずっと放ってある軍務の方が気になった。もう、こちらは財政も安定して、我の役目は終わったはず。それなのに、なぜに未だにこうして宮の会合に出ておるのか。
「…では、いつものようにこちらには絹五本と酒をひと樽でよろしいでしょうか、帝羽様?」
翔馬に言われて、帝羽はハッとしたように顔を上げた。
「ああ…王は、いかがでございましょうか。」
蒼は、苦笑した。
「良いかと思う。他に何か足した方が良いと思うか?帝羽。」
帝羽は、首を振った。
「充分であるかと。」
蒼は、翔馬に頷き掛けた。
「では、それで。次は?」
翔馬が頷いて手元の書面に視線を落とした。
「北東でございまする。最近になって、人はここまで来れぬはずでありまするのに、そこにたくさんの金属で作られた車と申すものとか、家電のような物が多数捨てられておりまして、もしかして、不法投棄とかいうものではと。人は、ひと気のない山奥などにその様な場を設けることがあるそうで。」
蒼は、眉を寄せた。
「結界の外であろう?」
翔馬は、頷いた。
「はい。もちろん、人に結界を破ることは出来ませぬから、そこまでしか来れぬので、無意識にそこへ捨てておるのかと思いまするが、放って置くことは出来ませぬな。風雨に晒されると、有害な物質が流れ出て月の宮の敷地内の土壌にも、それが浸透して流れ込んで来るやもしれませぬから。人世の科学物質は、侮れませぬ。」
蒼にも、それは分かっていた。しかし、処理などしたら、また捨て来る輩が居るだろう。どうしたらいいのか。
帝羽は黙っている。すると、翔馬が帝羽を見た。
「帝羽様は、どのようにお考えでしょうか?」
帝羽は、また顔を上げた。蒼が、こちらを期待に満ちた目で見ている。どうしたものかと思ったが、言った。
「天罰と、いうものを。」帝羽は、気が進まなかったが、続けた。「龍の宮では、山を荒らす輩には必ず何らかの災厄を降らせていた。それが浸透しておるので、あの山はどれだけ開発が進もうとも誰も手を付けぬのだ。」
蒼は、頷いた。
「なるほど。神であるから、天罰を降らせるのだな。捨てに来たら、病にするとか。」
帝羽は、首を振った。
「龍は、そのような生半可なことではありませぬ。神域を侵したら、それで命を落とすので、皆近付かぬのだから。」
蒼も翔馬もびっくりして目を見開いた。そうか、龍…。人の命など、なんとも思っていないのか。
「つまりは、来たら殺せと?ちょっとキツ過ぎないか?」
しかし帝羽は、険しい顔で首を振った。
「王、神域を荒らすということは、つまりは住処を荒らされることでありまする。この地を荒らされて、困るのは王ばかりではありませぬ。龍王は、臣下や自分が守る民のため、そこを荒らされぬよう、手を下すように命じるのです。それが、王に仕える臣下民達の労働に、報いることになるからです。王は常、先を見なければならないのです。」
そうは言われても、蒼にはやり過ぎなように思えた。しかも、ここが神域だなんて、誰も知らない。龍の宮のように、古くからある宮ではないので、昔から崇められて祠を建てられ、人に奉られている訳ではないからだ。
しかし、翔馬が重々しく頷いた。
「おっしゃる通りでございます。人は無知であるゆえ、我らが黙っておったらどこまでも汚染して参るのでありまする。最近では、磁場逆転の折に損傷を受け、いくらか人数も減り、文明も後退したと聞いておりまする。一昔前の、悪いところが戻って参ったとしたら、無視出来るものではありませぬ。まして月の宮は、他の二つの宮も守っておる宮。それぐらいして、然るべきでありましょう。」
他の重臣も、頷いた。
「龍の宮で行なわれておることなのだから。月の宮の規模でも行なっておってもおかしくはないこと。幸い軍神は出動機会もないのだ、こんな時に役に立たずでどうする。何もしないで置くと、この先どうなることか。」
蒼は、焦って皆に言った。
「いやしかし…殺すとなると。」
だが、翔馬が言った。
「王、いくらおやさしいとは言うても、程がありまする。帝羽様のおっしゃるように、甘いことをしておったら宮は存続出来ませぬ。あれほどに長い間宮を保った龍の宮を見習えば、こちらも長きに渡り繁栄しようというもの。」
他の臣下も頷いた。
「左様でございまする。これまで、結局は帝羽様の采配通りで間違いはありませなんだ。やはりそのような輩は、淘汰するという方向で。」
翔馬が、頷いた。
「では、皆異論はないの。」と、帝羽を見た。「では帝羽様、軍の方へ命じて、直ちに対応のほどを。」
話しがどんどんと進んで行く。蒼は、口を開こうとした。すると、先に帝羽が突然に立ち上がった。
「待たぬか!」静かな口調だが、絶対的な声音で、皆が震え上がった。しかし、帝羽は続けた。「王の、ご意思を聞こうともせずに何ということぞ。我は、臣下として一つの意見を申しただけぞ。なのに王を遮って事を進めようとするなど…そのような臣下など、どこの宮でも見たことはないわ。」
そうして、皆が呆気に取られているのに見向きもせず、帝羽は蒼に軽く頭を下げ、そこを大股に歩いて出て行った。




