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後編

 気が付くと俺は赤い空を見上げていた。

 身体中が痛いのは相変わらずだが、何故か頭だけは妙な感覚だった。雲に包まれているというか奇妙な安心感が頭を包み込んでいた。

(……やわらかいなぁ……)

 身体中が痛いのにその柔らかい感触に頭だけは痛みがなく、とても心地よかった。

(……結構楽だな……何だろこの頭のヤツ)

 そこでようやく俺は自分が気絶したということを思い出すことが出来た。

(って!?)

 そしてもう一つ俺は大切なことに気が付く。

 赤い空から視線を少し右にずらすと、うとうとと頭を漕いでいる衿菜が見えた。衿菜の顔は見えるのに体は上半身しか見えない。そして後頭部のやわらかな感触。

 俺は恐る恐る後頭部のやわらかな感触の物体に手を伸ばす。

 さわさわ。

(……あぁ……すっごく触り心地がいいなぁ)

 さわさわさわさわ。

 どうしてかは分からないが俺は無性に空を見回したくなった。身体中が痛くてしょうがないので首を動かすしか見回す方法はない。

 俺はグリグリと首を左右に動かした。

「ふあ……んっ……」

 艶かしい声が聞こえてきたような気がしたがどうにも俺は仰向けではなくうつ伏せになりたくなった。

(ぐっ……くっそーー、何で体が動いてくれないんだーーっ!!)

 しかし体は一切言うことを聞かずに、うんともすんともならず、一向にうつ伏せになることは出来ない。たかが寝返りすら打てない。

 どうにかしてうつ伏せになろうと色々模索していると、そこでようやく衿菜と目が合った。

「あ」

「……」

 顔を真っ赤にして俺をじーっと睨んで来る衿菜。

 その顔には心配して損したと油性マジックで書かれているように呆れきっていた。

「……えっち」

 えぇ……気づいていましたよ? 俺が何故か衿菜に膝枕されているということぐらい。それでも男として高校生男子としてこのチャンスは絶対に逃しちゃいけないって思ってしまいました。……すいません。

 俺は痛みを我慢して体を無理矢理起こす。

「あっ、駄目だよまだ起きちゃ! ほら早く横になって」

 そう言って衿菜は自分の太ももを差し出すが、俺は流石にセクハラをした後に再び甘えるのはどうかと思いそれを丁重に断った。

「大丈夫だよ、ありがとう」

 無理に立ち上がると頭がくらっと揺れる。やはりまだ起き上がるのは少し無理があるらしく、足元がおぼつかない。

 立っているのは厳しいので俺は衿菜の横に腰を下ろした。

「……ふぅ」

 俺は少し楽になって小さく息を漏らす。

 今日は色々あったせいでいつもの一〇倍くらいは疲れた。楽しかったことは楽しかったのだが、やはり発作が起こるとそんなことも忘れてしまいそうになる。

「…………」

 衿菜はそんな俺の横顔を眺めながら太ももの上のワンピースの皺を伸ばして、それでも何かを言いた気に太ももの上で何度も指を屈伸させる。

 そして、何かを決心したように指をきゅっと握る。

「っ……あの、あのね!」

「ん?」

 俺はそんな彼女の様子にようやく気が付いて、顔を衿菜に向ける。

「淳ちゃんが気を失ってからずっと考えてたことがあるの」

「考えてたこと?」

 衿菜は口元を小さく何度も開閉して、口の中の空気を何度も入れ替える。まるで一大決心した時みたいに、心の中の覚悟を呼吸で整えているみたいに。

「聞いていい?」

「ん、ああ?」

 今度ははっきりと小さく深呼吸して、

「今日、楽しかった?」

 そう聞いた。

 最初、意味が分からなかった。どうしてそんなことを聞くのだろうと思った。そんなこといちいち聞かなくても分かるものではないのだろうか。

「お前は楽しくなかったか?」

「ううん、すっごく楽しかった、よ」

 その言葉を聞いて俺は安心した。

 デートなんてものは相手を尊重している限り、そこまでつまらないものになるとは思えないのだ。経験がまったくないからそれが正しい判断なのかを見極めることは正直出来ない。

 けれど、俺と衿菜は兄妹にも近い存在であり、幼なじみでありながらの恋人だ。だからそう言った楽しいか楽しくないかはなんとなく分かる。

 少なくとも――俺はそう思っている。

 それならどうして、衿菜は少し悲しげなのだろう。

「――じゃあどうしてため息なんて吐くの?」

 心に何か冷たいものが刺さる。

「えっ! いや、今のはため息じゃ!?」

 本当にため息なんかじゃない。痛みを外に逃がすために漏らした、ちょっとした深呼吸のようなものだった。

 だけど、問題はそこじゃない。

 ――衿菜には今の小さな深呼吸が、俺が漏らしたため息に見えたという方が問題なのだ。

「淳ちゃん今日、ずっと怖い顔をしてた。公園の中を歩いているときもご飯を食べようって言った時も。何かするたびにずっと怖い顔だった」

 それは違うと言いたかった。

 怖い顔だったのは発作の痛みに顔を歪めていただけだ。俺は今日のデートがとても楽しかった。その言葉に嘘偽りは一切ない。

 だが、やはり問題はそこじゃない。

 ――そう、見えた。それこそが重要であり、それこそが衿菜の悲しげな顔の原因なのだ。

「だから、ね。……だからね。ずっと考えてたんだ」

 言わせたくなかった。

 その先の言葉は絶対に聞きたくないと思った。

 けれど、体に激痛が走り、上手いこと言葉を発することが出来なかった。

 衿菜はすっと立ち上がる。まるで顔を見られたくないように背中を向ける。

「別れた方がいいと思うの」

 そして、言った。

 そして、言わせてしまった。

 そして、聞いてしまった。

「幼なじみだもん。分かっちゃうんだ。淳ちゃんが今日のデート、あんまり楽しくないってことぐらいは」

 楽しくないなんてことある訳が無い。そんなこと言わなくても分かると思っていた。

 だけど伝わっていなかった。

 もしかしたら俺は発作を恐れるあまり伝えることを避けていたのかもしれない。

「……辛そうだった」

 だから衿菜は答えを出した。

 きっと一番出したくない最悪の答えだったのだ。背中越しでも伝わるほど声は震えて、今にも泣き出しそうな背中を懸命に押し隠そうとして。

 それでも隠し切れない背中が泣いていて。

 とても辛そうに。とても寂しげに。

「ごめんね」

 まるで自分に非があるかのようにあるかのようにそう言い残して衿菜はその場を立ち去ろうとする。

 このまま行かせていいのか?

 別に関係が壊れる訳じゃない。ただ戻るだけだ。

「……て」

 ――恋人から、幼なじみへ。

「――待て」

 こいつはそういったことだけで態度をがらりと変えるような奴じゃない。多分今まで通りの態度のまま俺との関係を続けるだろう。

「待てって言ってんだよ!」

 きっと今から言う言葉は思い切り王道(ベタ)でこっ恥ずかしい言葉だ。発作も当然起きるだろう。

 だけど、今この言葉を言わなければ衿菜以上に俺が後悔する。

(あーー、……くそっ!!)

 よく聞けよ。痛みなんざ知ったことか。たかが身体中に死ぬほどの痛みが走るだけだ。そんなもんがどうしたってんだよ!

「一度しか言わないからな。俺にとってお前は大切な人なんだよ!」

「え」

 きっと俺の顔は今真っ赤になっていることだろう。夕日のせいだと誤魔化すのも限界があるほどに。

 それでも、俺は言う。――言い続ける。

「お前が誰かのモノになるって想像しただけで胸糞が悪くなるくらいにはお前が大切だ。引きたきゃ引け! これで俺とお前の関係がぶち壊れたって構わない!」

 そして、言い放つ。

「一緒にいるのが辛そうだぁ? ふざけんなよ! 今日お前と一緒にいるだけで無茶苦茶楽しかった! この楽しみを他の誰かに奪われてたまるかよ! 好きで一緒にいるんだからな!!」

 言ってやった。

 俺の想いの全てを。想いのたけを。

「え、っと……」

 もじもじしながら衿菜はちらりとこちらの様子を見てくる。

 どうやら恥ずかしいのは俺だけではなく、衿菜も同様らしい。そこまでの空気は読めるのだが、何故か衿菜は手元よりも唇の方がもじもじしているように見えた。

「まぁ……アレだ。お前が俺と一緒にいて楽しくないってんなら別に無理には引き止めないから安心しろ」

 自分の気持ちを押し殺してでも一緒にいるぐらいなら、それは止めておいたほうがいい。そう思った俺はそう言ったのだが、どうにも会話が噛み合わない。

「そ、そうじゃなくて……」

 もじもじは相変わらずだ。軽く下唇を噛んだかと思うと顔を少し下げる。

 何だ……?

 やがて衿菜は身を縮ませながら、小さく言った。

「……ち、……ちゅーしてほしい」


「たわばっ!?」


 たまらず俺は痛みで吹き飛んだ。

「マ、マジすか……?」

 痛みよりも戸惑いの方が大きく、俺は一体何を言われたのかを理解するのに多少の時間を要した。

 何かの冗談ならばよかったのだが、顔を上げた彼女の顔はすごく真顔で幼なじみ暦が長い俺でさえ軽く怯んでしまうほどだった。

「きゅ、急じゃないかな?」

 セクハラ男が何を言っているのかと言われるかもしれないが、流石にそれは流れ的にもおかしい気がした。

 それでも彼女は顔を真っ赤にしながらもすごく真顔で。

「……だって、それが好きってこと、だよね」

 すごく真っ直ぐに言う。

 気持ちは一緒だと分かってすごく嬉しい。それは間違いない。

 正直に言えば顔を背けたかった。けど、ここで顔を背けたら『好き』という言葉が嘘になってしまうような気がした。キスしない=大嫌いという構図が出来上がるような気がしたのだ。それは俺も衿菜もきっと一緒だったのだろう。

 衿菜が勇気を振り絞って言った言葉に俺も勇気を振り絞って応えるしか選択肢は無い。

 そっと近づいてきた衿菜を小さく抱きとめる。

「……ん」

「こんなことお前にしかしないからな」

 唇が触れる音が聞こえた。

 このままずっと一緒にいるのだと思うとものすごく照れくさかった。馬鹿みたいに王道(ベタ)な微笑ましさが伝わって顔は真っ赤だ。

 だから俺はゆっくりと衿菜から体を離す。

 きっとオチが待っているから。もう見慣れて、飽きられてしまうくらい王道(ベタ)な大オチ。


「おだわらーーーっ!?」


「きゃーーー!? 淳ちゃーーーん!!」

 俺は少年漫画の主人公に吹っ飛ばされた敵キャラみたいに天空を舞う。痛みで体はもうボロボロだ。吹き飛びで始まり吹き飛びで終わる。何の成長もしていない何の捻りも無い王道(ベタ)物語。

 これって本当にハッピーエンド?

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