episode1・真弓と出会った日
七分咲きの桜が街を彩る3月下旬のある晴れた日曜日。一人の少女が金髪と鞄を揺らしながら河川敷に向かって走っている。
--はっ、はっ……--
肩にかけている鞄のベルトは胸に挟まっており、発育の良さを伺わせていた。少女は野球のユニフォームを着ており、そのまま同じユニフォームを着ている人たちのもとへ駆けて行った。
「今日でこのチームを卒業するんだ」
そんなことを思いながら……。
「こんにちは」
「お、来たか若菜ちゃん」
少女がその集まりに到着すると、同じユニフォームを着た白髪混じりの年輩の男性が、彼女を若菜と呼んで声をかけてくる。
「今日の試合なんだけど、上杉が風邪を引いたらしくてな、娘さんがキャッチャーをやると言ってここに来ているんだが……」
彼は若菜にそう告げると、ユニフォームを着た若い選手に呼ばれ、その場を去る。若菜は男性を見送っていると再び声をかけられた。今度は女性から声をかけられた。
「あの、あなたが若菜ちゃんでしょうか?」
若菜が後ろを振り返ると、そこには短いながらも艶の有りそうな黒髪が印象的な美少女がいたのだった。自分と同じくらいの年齢だと2人は察する。
「そうだけど……あなたは?」
「はじめまして、上杉真弓です。よろしくお願いします!」
若菜がそう答えると、少女は自己紹介をして、若菜に挨拶をする。少女が先ほどの娘さんであることを察した彼女は、父親の顔を思い出して、少しにやけていた。
--似てないなぁ、お母さん似なのか--
そんな若菜のにやけにも意を介さず、真弓は若菜に尋ねてくる。
「一緒に、ストレッチしませんか?」
若菜は快諾する。
「いつも一人でストレッチしてるから、こうして人とやるのは久しぶりだよ」
「そうですよね。そういえば、体柔らかいんだね……えっと」
草野球チームにいるのは自分を除けばすべて年上の男。ストレッチは常に一人だったのだ。そんな若菜を真弓のが呼ぼうとすると、若菜はまだ真弓に名乗っていないことに気づく、そして彼女も自己紹介する。
「私は若菜、氷室若菜っていうの」
「若菜か、いい名前だね。若菜って呼ぶよ。うちのことも真弓って呼んでいいから」
短く切りそろえられた黒髪が印象的な笑顔で真弓が笑顔で返して続ける。そのまま二人はウォーミングアップを続けていた。
「そういえば若菜ってすごい球投げるんでしょ?お父さんから聞いたよ」
真弓がそういうと、いつの間にかキャッチャーミットを取り出して、その様子を見た若菜が真弓から20歩ほど離れていくと、二人はキャッチボールを開始した。20球ほど投げて肩を作ると、真弓が座り、若菜に全力で投げるように促す。
若菜は、一瞬ためらうものの、大きく振りかぶり、腕を思いっきり振り抜く。
ビュッ!……ズバァァン!
真弓が心地よいミット音を出して捕球する。
「ナイスボール!」
真弓の声が聞こえる。若菜はその投球に今までにない高揚感を感じていた。
草野球の帰り道。若菜と真弓はすっかり打ち解けていた。
「へぇ~若菜って4月から高校生なんだ。うちと同い年だね」
お互いの直感は当たっていた。どこか運命的な何かを感じながら、二人の会話は弾んでいく。
「そうなんだ!同じ高校だったりしたら、なんてね」
「そんなにうまく世の中、うまく運ばないよ、じゃっ、おつかい頼まれてるから……」
そう言って真弓は、スーパーマーケットの中へ入っていった。せめて連絡先くらい聞いておけばよかったと、若菜がそのことに気づいたときはすでに彼女の家の前だった。
「ただいま~」
「若菜、オカエリ」
家から片言で男性の声がする。彼は若菜の父で氷室達也という。片言が示すように元々はれっきとした外国人で、昨年日本に帰化したそうだ。ちなみに、出生名はケント・マックイーンなので、普通なら、帰化したときの日本名は幕井健人等の類いになるはずなのだが、本人の強い希望でこの名前に落ち着いたそうだ。彼曰く、人気芸能人の略称っぽくしたかったそうな。
「若菜、聖ラムタラ学園の制服届きマーシタ。ちょっと着替えてきてクダサイ」
若菜は達也から制服を受け取ると自室で着替え再び父の待つリビングへ向かった。
「oh~ベリー似合いマス。でも、ちょっと惜しいデース。黒髪の方が似合いマース」
あまりにも率直すぎる達也の感想に苦笑いしかでない若菜。最も、若菜の金髪は達也からの遺伝である。
--アンタには言われたくない--と父親に毒づくこともできないまま、なめ回すように父は娘の制服姿をジャッジする
「あと、もう少しスカート短くても問題ありまセン、その方が萌えマス」
「……」
娘に萌えを語り、萌えを求める父親に対して、若菜は呆れるしかなかった。
こんなおかしなことをいっている父親だが、これでも元メジャーリーガーなのである。助っ人外国人として来日したのち、日本人女性と結婚し、引退後に日本料理の店「サムライ飯」を開くほどの親日家。もちろんサブカルにも難なく染まり、今はサブカル街道驀進中である。
「達也さん、店員さんが呼んでますよ」
「葵、分かりまシタ。すぐに行きマス」
葵というのは若菜の母で、こんな娘に萌えを求めるどうしようもない父親に変わり、家庭や店を仕切っている。父親が職場に戻ると、若菜は部屋に戻って7分咲きの桜を眺めていた。