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匙と準宝石  作者: 提灯屋
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六人退職事件 、二

 ガルム・ヴァクーナ副主任判事の執務室。

 エポナをこき使う先輩。


 事件時、ガルムの執務室の使用人部屋を間借りしていた。執務室は本来五人の共用が原則。その部屋をガルム独りが独占しているだけでなく、気持ち他の部屋より広めで、湯浴びもできる排水仕様の部屋は堅固な根城のような印象がある。

 紹介状なし、平民のエポナは司法院にびた銭一枚寄付しないで入学しため、馬小屋に紐を通した穀物袋の仕切りの一隅で半年間を過ごした。


 やがて、ガルムはエポナを馬小屋から呼び寄せた。子爵家の三男坊なのだから使用人を使えばいいのにと思う。司法院には各貴族から派遣された使用人メイドが多数働いている。実際ガルムは司法院内だけで男女二十人近い使用人を引き連れているのに、わざわざエポナを指名した理由が不明。


 疑問への回答。

 婦人と別居したから手伝いが必要。法知識を備え正規業務の清書もラブレターにも使えるも旧ナルド体を会得しているメイドがいない。小柄で食費や安い。エポナなら他の女性に嫉妬されないし、対象外。

 特に嫉妬されないことが、決め手らしかった。

 複雑な気分だが、隙間風と耳障りな蹄鉄を鍛えるハンマーの音、馬丁の視線と馬糞の匂う場所からの解放。ついでに馬小屋は司法院内の数少ない女子便所から遠い。エポナは折れた。

 幸いに、執務室は本来寝泊りする場所ではなく夜間は超物静かで清書などの邪魔はない。司法院の警備は重厚万全。部屋の主ガルムはほぼ毎晩女性とお楽しみ、使用人たちは夜になると仮別荘に引き返していったので危険な展開は発生していない。

 この代償としてガルムの秘書のような生活。

 正式な使用人ではないからお互いに軽口、ややタメ口を言い合う仲だが、エポナは気まぐれにガルムが放つ怪談話の餌食になったりしていた。


 そんな感じで執務室に間借りして半年以上。

 

 エポナが代書依頼で金槐を受け取ったその日の夕方、ガルムが珍しく女性との約束もなく執務室にいた。エポナ専用の小型の机で代書の準備をする。

「ポポ」

 いつからガルムがエポナを、そう呼ぶようになったか覚えていない。出会った直後は豆娘と呼んでいた。

 受験、入所当初は“ゴミ”と呼ばれていたから、悪い物言いではないはずだが、

「先輩。ちゃんとエススと呼んでください」

「副主任だ。清書をさせられているはずのポポがご機嫌なのが不可解だ」

「そうですか。まぁ、いつまでも私を使わなくても構わないのではないですか?」

 お仕事が順調なら、有償の司法院寮に移動できる。

「清書を辞めたいのか」

「そうではないです。でも、そろそろ勉強に本腰を入れても遅くないと思います」

 代書作業を見られるのはまずい。いつ部屋から出ていくのかとチラチラとガルムを眺めていた。

「立ちなさい」

 突然。

「ペンを置いて立ちなさい、エスス研修生」

「なんですかぁ、上から目線でぇ」

 また、なんか作り話でもするのかと楽観していた。

 ガルムは、巨体から発生する足音を抑えようともしないで急接近。そしてエポナと机上を交互に凝視し始めた。

「なんですか。これからいつもの先輩の清書を片付けて……」

 早く代書のお仕事を始めたい。

「その紙は私が預けたものではない」

 判るのか。

「これか」

 十五歳の女の子としては残念な現実。平民貧家出身のエポナの持ち服は少なく、講義中も普段でも法服、黒衣を直用している。

「ああぁっ!」

 胸元に手を入れられたから叫んだのではない。産毛ほどのブレもなくガルムはエポナの法服の内袋から財布を掴み獲っていた。普段はエポナの懐に発生していない皺、弛み。金貨の重みで僅かにズレた胸元をガルムは見逃さなかったらしい。

「誰だ」

「返してください、もらったんです」

「誰だ!」

「返……し……て……」

 普段女性に囲まれて人目憚らず抱擁したりキスしているガルムが、猛り怒っていた。胸元云々を言えるスキなどない。 

「呼び出されるまで部屋から出るな! 絶対だ!」


 ガルムが爆発して退出。途端に静まり返る執務室。結果としてエポナの手元から豆金の入った財布と代筆の原稿が持ち去られた。

 なぜか。

 なぜかエポナは涙を流した。


 どうして涙。


 金粒を取り上げられたから? いつも軽口のガルムに怒鳴られたから?


 わからない。

 壁に身体を預けながら、エポナは抑えられない震えを悟っていた。

 ガルムに告発される……のだろうか。

 役人の副業内職厳禁は、古来より珍しい規則ではない。だけど、遵守されていいるとは限らない。きっと誰もが“旨くやっている”はず。現実に“お礼”を貰う光景なら院内で見たことがある。なら、私がお仕事をしたって誰が責める?

 エポナの油断。

 告発されたら、どうなるのだろう。規則違反は確かに間違いない。

 なら、処分は?

(どうして? 皆やっていることじゃない)

 いや、黙認と告発では大違い。なにより証拠の品を握られた。

 違反者。なんだ、わたし。

 告発を受けカペラ教官は、どんな態度をするのだろう。

 実家が大商店を経営している郷紳のカペラ教官、大領主の子爵家子息のガルムにとっては小遣い銭程度で規則を破った愚か者?

 要領が悪かっただけ?

 軽蔑されたくない!

 軽蔑?

 仕事を頼まれたことが軽蔑の種となる?

 わけわかんない。

 だが、頬にまた涙。

 

 さっきは一筋の涙。

 規則違反を自覚した今、止めようもなく涙は生産された。


 呼び出されるまで部屋から出れない。

 エポナを幽閉する呪文を解く呼び出しは、意外に素早く翌日の夜明け。まだ司法院の正門が解放される前に訪れた。



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