第8話.遅い夕食
「ブフフフ」
もう少しで東の空の星が朝日で見えなくなろうかという頃、トナカイのアルの声が家の裏の小屋から漏れました。そこにはアルを小屋に誘導するトジとミウの姿もありました。
「おつかれ、アル。ありがとね」
ミウは小屋の扉を押さえています。体は少し逃げ気味です。
「『お疲れぇ~』になるのは、全部片付け終わって『ただいまぁ~』を言ってからだ。ミウ、そっちを押してくれ」
トジはアルの鼻の上を撫でながら手綱を軽く引いています。もうトジにはアルを怖がる仕草はありません。
「あ、うん」
ミウは恐る恐るアルのお尻を軽く押し、小屋の入り口に誘導します。
「やっぱ、ビビッてんのか?」
「別にっ!!」
ミウがそうちょっと大きな声を上げると、アルもちょっと驚いたのでしょう。
「ブフフフ、フ」
「ひゃ」
ミウの驚く様を見て、思わずトジも笑います。
「あははは」
「ブルル」
その声に反応し、アルは鼻を鳴らしながら首を上下させました。
ガン!
「痛っ!」
アルの角が軽くトジの脳天を直撃です。
「アル、でかした」
ミウは今度は小さい声でアルをほめつつ、小さく拍手です。
「ったく……寒い! 眠い! 腹減った! だから、はよ終わらせようぜ!」
「はーい」
ミウは満足げに笑顔でお返事です。
なんとか無事にアルを小屋に戻しました。お役目が終わったのがわかるのでしょうか、それともただ疲れたのでしょうか。アルはおとなしく、小屋の奥でしゃがみ、半目で眠り始めました。
「アル、ありがとう」
ミウは小さい声をかけて扉を閉め、閂の横木を戻し、鍵をかけました。その間にトジはソリをアルの横の物置に片付けました。
家の表に戻り、そーっと玄関の重い扉を開けると、暖かい空気と共にロウソクの光が中から漏れて来ました。中を覗くとそこにはパジャマ姿のラーセが立っていました。
「あ、ただいま」
「ふああー。おかえりなさいー」
「ラーセ、寝てたな」
家の中はとても暖かいです。夜……もう朝方ですが、玄関でもよく暖まっています。この時期、暖を切らすことはありません。
「うん」
素直に髪の毛を揺らしながら大きくうなずくラーセの姿に、トジは怒る気力も無くしてしまいました。
「今、アルの声が聞こえたから、起きてきた」
ラーセはそう目を擦りながらあくびしながら、ボーっと答えました。
「そっか。で、お父さんは?」
ミウは靴を脱ぎながら聞きます。ふと見ると、足元にラーセの書いたと思われる父への置き手紙があることに気が付きました。それを手に取り、ピラピラと振りながら軽く苦笑いしました。
ラーセは、小さく頷きました。
「うん。お父さん、まだ帰ってきてない」
「そっか、じゃ泊まりだね。雪、積もっているしね」
「じゃ、俺は寝るぞ!……いや! その前に飯食わせろ! あれだけじゃ足りん」
靴を脱いでノシノシ歩いていたトジは、途中で空腹であることに気が付いたようです。
「はーい」
まだ眠気が取れてないラーセでしたが、台所にパタパタと走って行き、準備を始めました。
そのラーセの姿を見て、微笑んでいたミウとトジは後からゆっくり台所に向かいました。
火を付け、ナベの温め直しです。『チン』なんてものはありません。
「それで、どうだった?」
ナベを軽くかき混ぜながら、後ろ向きのままラーセの好奇心は物凄く大雑把な質問を出してきました。
二人はリビングのハンガーポールに上着を引っ掛け、座面が低く大きく、全体を毛皮で覆われているがっちりとしたイスにそれぞれ座っていました。
「ど、どうって?」
トジはラーセの質問の返答に困り、視線をミウに移動しました。ミウはトジと目が合うと一度、目をぱちくりし、慌てて立ち上がり……
「そうそう! お兄ちゃんはソリを動かせた、凄い発見!」
「な、なんだそりゃ!」
ラーセはナベをかき混ぜていた手を止め、振り向き驚いたように言いました。
「え! お兄ちゃん、空、飛べたの?」
久々にラーセの感情の入った、歯切れのよい声でした。
「ふふふ。無理無理ぃ~」
ミウは笑っている口を隠すように握った右手を口の前に置きながら言いました。しかし、笑っている目は隠せません。トジはイスに深く座りふんぞり返ります。
「どうせ地面の上しか走れねえよぉ」
「なんだ」
ラーセは、そう言うとまた鍋に向かいます。
「ラーセまでそういう言いかたすっか!? あ、あれくらいの距離、飛べなくたって困んねぇよ」
「そうですね」
そう言うラーセの小さい背中は小さく笑っているようでした。
ミウもしばらく笑いを堪えていました。
「……でも」
ミウはそう言いながらイスに座り、ちょっと伏し目がちに、ちょっと羨ましそうにそっと言いました。
「でも、ちゃんと、マーキ君はお母さんに会えたんだよ。よかったねぇ」
その言葉に、トジも少し視線を落としました。鍋をかき混ぜる音も小さくなりました。
「……」
「……」
ちょっとしばらく三人の沈黙が続きました。そのちょっと重い空気を破ったのは、トジでした。
「会えるうちに会っておかないとな……」
「……そうだね」
「何だ、ミウ、珍しく賛同しやがって」
「……いいじゃない! たまには……」
ミウはプイという顔でそっぽを向きながらそう返しました。
「それより、ちったあ俺を尊敬しろよ。お前のわがまま聞いてやったんだから」
「私のため……なの?」
ミウはジッとトジの目を見ながらそう言うと、トジは慌ててふんぞり返り視線を上げました。
「……いや、違うな! マーキ君とお母さんのためだな」
「にゃろー」
その瞬間、ミウは飛びかかるように右ひじをトジの胸板にヒットさせました。
「ぐは」
ガターン!
ラーセが、トジの大きな声とその大きな音に驚きリビングを見ると、トジはイスから滑り落ち、その上にミウがなぜか『あれ?』と言う顔で正座している状態になっていました。
「の、のけ……」
「あれ?」
ミウもなにがどうなってこうなったか、わかりませんでした。
「……温まったまったよ」
ラーセはちょっと驚きながらも冷静に報告です。ミウは、出来る限りかわいい声を出しながらそっとトジの上から降りました。
「あ、はーい。ありがとうぉ、ラーセ。お兄ちゃん、温まったってぇ」
トジはため息と苦笑いです。
「ふぅー……ったく……」
既に日付の変わっていますが、一応夕食です。二人とも疲れたけどなんか心地よさを感じていました。あの時のあの子、あの母の顔は、ずっとミウとトジの脳裏に残ることでしょう。
ミウとトジは食事しながら、ラーセに聞かせるように、時々いつものケンカを混ぜながら今夜の出来事を語っていました。
途中何度も道を間違えたこと、寝台汽車よりも一瞬速く走ったこと、野良猫よりも遅く歩いたこと、もちろん、マーキとお母さんの出会いのシーンなどなど。
「でも、帰りは運転に慣れたのか、ノリおじさんを送って行ったのに、行きより早く感じたよ」
「ミウ、そりゃおまえ、途中、寝ていたからな~~~~」
「嘆くな嘆くな、男の子でしょ!」
「へいへい」
ラーセも同じ席について肘をつき両手を祈る様に合わせ、その出会いのシーンを想像しているようです。もちろん、ラーセの前にはロウソクの光だけで食事はありません。
そのラーセの嬉しそうな顔は、ミウもトジも久々に見たような気がしました。ミウはそれを微笑みながら見ていました。ふと見ると、同じように微笑んで見ているトジがいました。『あ、兄らしい優しい顔……』とミウが思った時、トジは見られていることに気が付いたようです。
「おっと、片付けて、寝ますかね」
そう言いながらトジは少し腰を上げた時でした。ラーセは目をつぶったまま、呟くようにこう言いました。
「……ふーん、すごいなぁ。かなり早いクリスマスプレゼントを届けたみたい。お兄ちゃん、サンタクロースだ」
「!」
ラーセは何気なく発した明るい言葉でしたが、その言葉でトジの顔は一転しました。笑っていた顔がみるみるひきつった顔に、そしてうつ向いてしました。誰が見ても分かる変貌です。ミウももちろん、それに気がつきました。
時間が少し止まったようでした。
「そうか、……ハメやがったな……」
トジの低い声。
「え?」
バーン
トジが立ち上がりながら強く机を叩く音。
「まさか父さんがが帰ってこないのも、ノリおじさんが来たのも、全部作戦だったのか……」
「ち、ちがう、ちがうよ。そんなこと……」
ミウは引きつった笑顔で、そう答えるのがやっとでした。まさかの態度にミウは少し脅えていました。そんなつもりは無いということを言おうと思ったのですが、思ったようにあごが動かなくなっていました。
そのままトジは部屋を出て行ってしまいました。
パキ
暖炉の薪のはじける音がこんなに鮮明に聞いたのも久しぶりです。それほど部屋の空気は全く動かない、重いものになっていました。
「お姉ちゃん……あたし、なんか変なこと、言っちゃたですか?」
「ううん。ラーセのせいじゃないよ。……失敗だったね……あんなに怒るなんてね、お兄ちゃん。これで、ちょっとはお父さんのやっていること、理解してくれると思ったんだけどなぁ……怒らせちゃった、逆効果だったね」
ラーセにそう微笑みながら言うミウでしたが、明らかに落胆の色は滲み出ていました。




