第7話.地を這うソリ
やっと動き出したトナカイのソリは、初めのうちは正直歩いたほうが速いと思うぐらいの速度でした。トナカイの体が暖まってくると今度はスピードだけは出るようになりました。速いときは時速三十キロぐらいは出ていましたが……。
「あの、大丈夫ですか?」
目を真開くことが出来ないぐらいの冷たい風を受けながら、ソリの前方に座るトジにノリおじさんは大声で声をかけます。
「はーっはーっ。話かけんな。おりゃー、そこ曲がれー」
……トナカイのアルはスッと立ち止まりました。
「おりゃー、走れー」
……歩き始めます。
「おりゃー、そこ曲がれー」
……まっすぐ進みます。スピードが出始めます。
「あ、お兄ちゃん! 今の曲がったほうが『フリクの家』に近いよ」
「だー、アルに聞けー」
「ジルの帰りを待ったほうが良かったですかねぇ……」
時折スピードが出て揺れるソリの荷台の縁に捕まりながらノリおじさんの独り言です。
でも、その少し甲高い声はトジにも聞こえていたようです。
「だー!」
意地でしょう。かけ声と共に気合いが入ります。しかし、それだけでうまくコントロールできるはずも無く、相変わらず、速度は出るけど曲がらない、小休止入る、の旅になりました。
家を出てからどれくらいたったでしょうか。暗闇を疾走し、何とか孤児施設『フリクの家』に到着することは出来た様です。
「はーっはーっ。ど、どうだ!」
トジは鼻を大きく膨らませてしたり顔です。ミウは笑顔で答えながら聞こえない程度に呟きました。
「お兄ちゃん、ここが出発点だよ……」
『フリクの家』は国から多少の資金が出ているためでしょうか。ここの出身者からの援助もあるでしょう。ここの建物は結構大きく立派に見えました。表面に化粧板を使っているためかも知れません。玄関先にはろうそくが数本立てられており、ソリを出迎えているようです。
「私、呼んできます」
ノリおじさんは、そう言いながらソリの後ろから降りると小走りで『フリクの家』に入っていきました。もう明かりは玄関先だけしかついていないようです。
「歩いて一時間は掛かるところを三十分で着いたよ。偉い、アル」
ミウはソリからアルに投げキッスです。大きなトナカイに近寄るのはちょっと怖いようです。
「あー、腕がいてーなー。この後、ミウ、お前代わるかー」
「私に出来るわけないでしょ」
「お前のバカ力なら大丈夫だ」
「そのバカ力とは……このことかーっ」
ソリの前に座って後ろ姿をさらしていたトジの後ろからミウがヘッドロック!
「うぐっ。た、たいしたこと……」
ミウは背中を少し逸らしました。
「うぐぐっ、ま、まへ……」
雪も積もっているこの寒い真夜中、ソリの上での元気に兄妹ケンカです。体を動かしているほうが暖かいのは確かです。
トジがミウの片手を首から解いた時でした。
「あ、あの……」
「はっ」
声のほうを見ると、ノリおじさんと子供がその兄妹ケンカを見ていました。いつから見ていたのでしょうか。
ミウは慌てて姿勢を整えて座りなおし、出来る限りのお姉さん顔になります。
「あ、あの、あ、よ、良かったね、お母さん見つかって」
「……うん」
ぶくぶくと着込んで帽子も深くかぶって顔はよく見えませんが、その格好は男の子でしょう、その子の返事は余り嬉しそうではありませんでした。その予想外の返事にミウは困惑の表情を浮かべていました。
ノリおじさんは一歩ミウに近づき、その子に聞こえない程度の声でミウに囁きました。
「いつもならもう寝ている時間です、眠いのでしょう。それに今まで会ったことのない女の人に会うんです。母親なんていないのが普通と思って今まで生きてきたんですから、突然、母親、と言われても、どう考えればいいか分からないでしょう」
「そ、そっか……」
ノリおじさんは子供の背中に手を回し少しソリに近づけます。ミウからもその子の顔がよく見えるようになりました。とても眠そうです。
「とりあえず、大人の人がみんな『おめでとう』、『よかったね』というから、悪いこと、悲しいことじゃないことは分かるみたいですが。……な、マーキ」
ノリおじさんは自分の腰よりの低いその子、マーキの顔をのぞき込むように語りかけました。
「うん」
マーキは無表情ながら返事だけはきちんとしました。言っていることが理解出来ているでしょうか。
「そっか、この子にとっては今までの生活が無くなり、知らない生活に変わる、不安、もありますね」
「ええ。でも、やっぱり子供は親のもとにいるべきです。一秒でも多く、長く。早く二人を会わせてあげたいのです」
半分眠っているマーキの頭を抱えながらノリおじさんは優しい、静かな口調で言いました。
「私は、親子の『子供』役をやったことはないのですが、今は子供がいますから……。気持ちはわかるつもりです」
ノリおじさんの少し遠くを見る目がソリに付いているランプの明かりを反射していました。
「……」
気が付くと辺りはまったく物音しない静寂の世界に囲まれていました。わずかにあった風も無くなっています。言葉を出してはいけない、そんな風にも感じる世界です。
静寂の中、ノリおじさんとマーキを乗せ、出発準備をします。目的地はここまでの距離の2倍はあります。ノリおじさんはここまでの走りを考慮し、自分をソリに固定、マーキを両手でしっかり抱き抱える様にしました。
その静寂の世界を破ったのはソリの最前席であぐらを組んで静観していたトジでした。
「よし、いくぞ!」
「うん」
「はい、お願いします」
真っ白な静寂な世界の中を、ピシピシというトナカイならではの足音を残しながら、そのソリはマーキの母のもとに急ぎました。
しかし、相変わらず、速度は出るけど曲がらない、小休止入る、地を這う旅になってしまいました。