第6話.アルと言う名の……
この辺の家の裏はすぐ針葉樹の森が広がります。しかしミウの家の裏だけに小屋があります。
その小屋は普通の家と同じ構造で作られており、きちんと隙間なくレンガが貼られています。窓もきちんと閉めると風を凌ぐことが出来るようになっています。一見小さい家のようです。
更に暖を得るために人が通れないぐらいの小さいトンネルで家とつながっているのです。もちろんそれほど暖かくなるわけではありませんが、これがあると無いとでは大違いなのです。
ミウがその小屋の建物の扉の鍵を開け、トジが扉の上部の部分だけを開きました。ちょうどトジの腰ぐらいの高さにある窓を開けたような状態です。
「アル、元気してたか」
「ブフフフ」
真っ暗な中から鼻を鳴らす音が聞こえてきました。ミウは持っていたロウソクの火を少し掲げると、建物の中がほんのり明るくなりました。
「やあ、これが。……さすがジルさんのトナカイだ。雪の中で見ると格別、いい……」
ノリおじさんは歳に似合わぬ、輝いた目でそのトナカイを見つめています。
「ブフフフ」
トナカイのアルは首を下げ左右にゆっくり振りながら前足をバタつかせました。多少不機嫌に見えます。
「お、お兄ちゃん、ラーセ、呼んでこようか? いつもご飯あげているから言うこと聞くかも」
「な、なんだミウ、お前、ビビッてんのか?」
トナカイのアルは体高1メーターをちょっと越えるぐらいです。しかし角があるので更にとても大きく見えます。
「そうじゃないけど……」
「それにラーセにもなついている訳じゃないぞ。エサあげているだけだ、ラーセは」
「うー、男の人の言うことしか聞かないって、お父さんが言ってたよね」
二人の会話に不安げにノリおじさんが声を出します。
「あの、大丈夫なのでしょうか?」
「さーなっ!」
「お兄ちゃんっ!」
日が暮れてだいぶ経った今、非常に外気は冷えています。足元は多少雪が積もっています。寒さ対策にブクブクに厚着しています。もちろん手袋もしています。明かりは、アルの小屋の外壁にぶら下げたランプ3つだけです。そんな中、ソリとトナカイを準備するのはそう簡単なことではありません。
アルの小屋のもう一つの扉の中にソリはありました。父が先日、いつでもソリを使えるようにある程度整備してくれていたのが救いでした。
「これでいいんだよな。な、ミウ?」
アルの小屋の前の小さいスペースでソリの最終整備です。
「う、うん、確か」
「さて、問題はここからかぁ」
トジは腰に手を当て真っ黒な空を見上げ、フッと息を吐きます。自分の真っ白な息が目の前からゆっくり晴れると、ほんのわずかランプに照らされた木々で視界は覆われます。この木々に積もった雪がちょっとずつ崩れ降ってきます。それがランプの光を反射し、ゆっくりとした多くの流れ星のように見せてくれます。
トジがソリを引き、ノリおじさんが後ろを押して、表の方へ向かいます。
ミウは、明かりを持って足元を照らしています。
「ミウ、お前も来るんだろ?」
「……うん。多分、行かないと怒るでしょ?」
「ったりめー!」
「あの、夜なので、静かに行きませんか」
兄妹の大きな声に、遠慮がちにノリおじさんが言いました。
「雪が音を吸収してっから大丈夫だって!」
そういうトジにミウが言葉をかぶせます。
「あ、ごめんなさい。これが……」
「いてっ。な、何で蹴るんだよ」
「あれ、お兄ちゃんの足だった?」
「ははは……」
ノリおじさんは苦笑いするしかありませんでした。
続いてトナカイ、アルの番です。
ノリおじさんはソリのところで待ちます。ミウが先に小屋へ戻り、扉の下部の閂の横木を抜きます。その音でアルもわかるのでしょう、少し小屋から顔を出し、興奮しているようです。
「ブブブ」
トジはアルの手綱に恐る恐る手を伸ばします。
「お兄ちゃん、がんばって……」
「お、おう」
そのトジの声は明らかにおどおどしていましたが、手綱を取ると、アルはスッと落ち付ました。トジのこっそり小さくホッと一息つき、「な?」とミウにしたり顔です。
腰ぐらいの高さの閂の抜いた扉を少し開くと、後はアルが左右に押し開く様に出てきました。
ミユは明かりを持ち、少し前を歩きます。その明かりには、アルと並んでトジの姿が見えます。トジは目は真剣で、ちょっと緊張気味です。
「ふふ」
ミウは見えないように小さく笑いました。
さて、ソリとトナカイを繋がなくてはなりません。トジは小さい頃、父に練習させられたことがあります。ミウは何回も父の作業を見ているのですが……。
「ブッ……、ブブブ……」
「お兄ちゃん、アルが嫌がってるよ」
「いや、しかしここに繋ぐはずなんだけど……」
「お父さん、そこに繋いでいたかなぁ?!」
「綱の長さと、ほら、この穴の使い込んだ感じは、さ……」
答えがわかりません。
「お父さんならわかるんだけどねぇ」
なんとか、ミウとトジの意見と、綱、ソリに残る使い込んだ後から、使い方を想像して進めていきます。
「な、何とかなりそうだな」
「そう?」
適当なトジの言葉に、ミウが不安な顔をしたその時でした。ギギッと玄関の扉が少し開き、ラーセが顔を出しました。玄関内が外よりは明るいので、ラーセのシルエットしか分かりません。
「ご飯、できたよぉ」
そう、まだ、夕飯前です。
「そ、そうだよ、夕飯はどうするんだ、ミウ。とりあえず飯食って……その間に、父さんが帰ってくるさ、な」
「はい。ちょっと少ないけどぉ。ありあわせをパンで挟んだだけだけど……ノリも食べて」
ラーセは扉から出なくても届く距離にいたノリおじさんにほんのり湯気の出ている大きな包みを渡しました。
「あ、はい。これは、おべんとうですね。ありがとう、ラーセちゃん」
「さ、サンキューな……、ラーセ……」
「ナイス、ラーセ! はい、お兄ちゃん、出発ぅ!」
「だーっ」
ラーセは家の中で料理をしていたはずですが、まるで一緒にいて話を聞いていたかのように、状況を把握しているようです。
「いってらっひゃーい。気を付けてね」
ラーセは少し何か食べながら、ご挨拶です。
「ちぇっ、気楽でいいな。おーい、ラーセは来ないのか?」
トジがちょっと控えめな声でラーセに呼びかけると、ラーセのシルエットは「プルプル」と首を横に振りました。
「ラーセちゃんは私の代わりに明日、施設の方に行って貰いますので」と、ノリおじさん。
ラーセのシルエットは「うんうん」とうなずきました。ミウはトジの肩をポンポンと叩きながら、
「はい、出発。ラーセ、もし帰ってきたら、お父さんに伝えておいてねー」
ラーセのシルエットは「うん」と大きくうなずきました。
ミウとノリおじさんもソリに乗りました。後一人、子供なら十分乗れる大きさです。
「いくぜー。あー重てーっ!」
トナカイへのかけ声なのか、心の叫びなのか分からないトジの大きな声と共に、トナカイのアルは歩み始めました。
そこにミウが一言。
「おー、動いた、すごーい」
「あのな」
「ははは……」