第3話.ある日の夕方
「ただいま」
ほんの少し赤みの残る星空の下、玄関の大きな扉を片手で開けて入ってきたのは、父でした。日中は暖かいので、朝着て出かけた厚手のコートは脇に丸めて抱えています。
「お帰りなさい、お父さん」
真顔で出迎えたのはラーセです。台所からパタパタと小走りで出てきたラーセは、紺の制服の上から薄ピンクのエプロンをつけています。朝、出かけるのが一番遅く、帰って来るのは一番になることが多いのです。
ラーセは、父からコートを受け取るとレンガから突き出ているフックに掛かっているハンガーにかけました。ラーセの背でも届くギリギリの高さです。
そして、しわを伸ばすようになめしながら、ポケットや背中を確認しています。
「ははは、今日は汚してないぞ」
父は靴の紐を解きながら少し苦笑いです。
「そーみたい」
ラーセは真顔でチェックを終えます。そして、急いで台所に戻っていきます。
「ふう。……ラーセはもう少し笑顔が出来るようになるといいんだがなぁ……」
父は少し寂しげな笑いをしながら、脱いだ靴を玄関の隅に移動します。そこには、ラーセの小さい靴だけがありました。まだ、他の二人は帰ってきていないようです。
父はリビングに入り、そして台所に顔を出しました。
「あ、ラーセ。すまんが、アルの……」
「今、作ってまーす」
そう言うと、ちょっと大き目のボールに、細長く切って干した野菜やきのこ類と、干した肉、そして、干したコケ類を入れていきます。結構な量です。
その作業を父は小さく頷きながら見ています。
「お父さん、この時期だからこれくらいでいーい?」
「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」
「はーい」
「今日は自分で行くよ」
父はそう言うと、リビングのハンガーポールにかけてあった、少し薄手の上着を取りに行きました。そしてそれを羽織ると、再び台所に顔を出しそのボールを取り、再び玄関に向かいます。
そしてカカトの無い突っかけのような靴に足を通し、玄関の扉をあけようとした時です。
ギ~
自然に玄関の扉が開き始めました。
「おお、ミウ、お帰り」
開いた先にはミウが立っていました。不思議なことにミウは扉に手を触れていません。
「あ、お父さん。今日は早かったんだね。ただいま」
嬉しそうなミウが答えます。
「早く入れよ」
少し辛そうな声がミウの横から聞こえます。その声の主がこの重い扉を引っ張り開けていました。
「お、トジも一緒か。お帰り」
父はそう言うと、片手にボールを持ったまま、もう片方の手で扉を更に開けます。
「おう。ただいま」
全開すると父とトジがすれ違えるぐらいの幅になります。二人は身長こそ同じぐらいですが、並ぶと父のほうが体の大きさ、手の太さが倍ぐらい大きいのが良くわかります。
父は二人と入れ違いに玄関を出て、すぐに右に曲がりました。家の裏側に向かう様です。
ミウは父がどこにいくか、持っていたものですぐわかりました。
「もう寒いから、量も多いね」
「ミウ、アルの餌のことはいいから、早く上がれよ」
「ちょっと待ってよ。お兄ちゃんこそ、ちゃんとドロ、拭いた?」
そのやり取りが聞こえたのでしょう、ラーセが台所から顔を出しました。
「お姉ちゃん、お兄ちゃん、お帰りー」
「おう」
「あ、ラーセ、今日の晩は私がやるから」
ミウはそう言いながら慌ててコートを脱ぎ、父のコートに並べてかけました。そして、キッチンへ向かいます。ほぼ同時にラーセもエプロンを取りながら玄関に向かって来ました。
「はい、エプロン」
ラーセはすれ違いざまにエプロンをミウに手渡し、そのまま玄関へ向かいます。
「あれ?」
ラーセの行動に一瞬疑問を持ったミウですが、次の瞬間わかりました。
「はい、お兄ちゃんも」
ラーセはトジのコートを受け取り、それを丁寧にハンガーにかけます。そして、ミウのコートも一度外し、袖を直してからかけ直しました。
「あ、ありがとう、ラーセ……」
「ミウ、直されてやんの」
「お兄ちゃんなんか、自分でかけることさえ、させてもらえてないじゃん!」
「それはちがうぞ、ラーセの優しさだぞ。な」
その言葉を言い終わる前にラーセはミウを追い抜いて再び台所に戻っていきました。
「おーい」
夕食は、リビングで頂きます。暖炉の明かりと、小さいランプの明かりで、今日はミウの作ったスープをみんなで飲んでいます。
「ん、ちょっと濃くないか?!」
いつもちょっとしたいちゃもんを言うのはトジです。悪気があるわけじゃないようです。
「あ、やっぱり?! 新しく届いた干し肉を使ったから、加減がわかんなくて」
ミウはちょっと苦笑いです。でも、上機嫌です。父とトジはいつも通り二回おかわり。ラーセも珍しく、一回おかわりしました。
口には出しませんが、今日は父が早かったので、みんな、嬉しいのです。