第2話.その日の通学
「おーい、行くぞー。おーい、ミウ」
「ま、まって、お兄ちゃん」
ミウはブレザーの上からさらにボワボワした上着に袖を通しながら、鞄を抱え、バタバタと玄関に向かって駆けてきました。
「……なんだウンピしていたのか」
ミウは持っていたでかい鞄でトジの後頭部を強打。
バフッ!
「いってぇ」
「べぇだ」
父の乗っていたバスに遅れること一本。それがいつも兄妹の通学に使うバスです。午前に二本、午後に三本しか運行していない木炭で動く大きなボンネットのあるバスです。
バス亭までも距離があります。時間もありません。また今日も走るしかなさそうです。
「いってらっひゃいー」
玄関を出ようとしている二人の背後から声がありました。短い髪の毛をむりやり後ろの方で二ヶ所縛っている、パジャマの女の子。目はまだ寝ていますが、手をふわふわ振っています。目を隠そうかというぐらいの長さの前髪が手の振りにあわせてゆれています。
「あ、ラーセ。あと、台所とか洗濯物、お願いね。お兄ちゃんがまたギリギリだったから……」
「ふぁーい、お姉ひゃん」
「なんだよ、俺のせいかよ。もっと早く起こせゃいいじゃないか」
トジは全身を使って玄関の扉を開けます。
「なんだとぉ」
そう言いながら二人は開いた扉の隙間から出かけて行きました。
「なかよくいってらっひゃいー」
と間の抜けたラーセの声、それが聞こえたのでしょう。扉が閉まる前にヒョコッとミウが顔を出しました。
「覚えておきなさい。仲が悪くても一緒に出かけなればならない事があることを!」
シュッとミウの顔が消えると、重い玄関の扉はズンと言う鈍い音と共に閉まりました。
人はなぜか建物から外に出るとまず空を見上げてしまいます。なぜでしょうか。その空は曇っていますが、雨、いえ、雪は……大丈夫みたいです。
「よし、走るぞ、お兄ちゃん」
「へいへい」
二人は木炭を燃やして走る機関車のように白い息を吹き出しながら駆けていきました。
「ま、間に合った……」
「ミウ、毎日同じ服で飽きないか?」
「毎朝ダッシュするほうが飽きるよ……」
「あ?」
「んや……だって、しょうがないじゃない、制服なんだから」
「そんな制服のあるスクールをよく選んだな。なんかいやじゃないか? 軍みたいでよ」
「そうかなぁ。でも、うちは女子校だから、……可愛い女の子ばっかりよ」
そう言って両手の人差し指を頬に当てて微笑みました。
「へーいへい」
気の無い返事に、ミウはその人差し指をトジの耳の直ぐ下につきたてます。
「うげぅ!」
通学のバスの中で、ミウとトジの声が響きます。道は綺麗に舗装されてなく、ほとんどが砂利道です。そのため、バスは非常にゆっくり走ります。しかしそれでも大きく揺れてしまいます。初めて乗る人が喋るときっと舌を噛むことでしょう。
初めの内、乗客は二人だけです。最後部の長椅子のど真ん中を二人で陣取っています。
「いてて……でもよ、それ、嫌じゃ無いか?」
「なんで?」
「だってよ、同じ格好で、しかも髪型にも制限あるんだろ?」
「うん。短くするか、まとめておくか。私は切るのヤだからこう後ろで団子にしているの」
「同じ格好で髪型も制限。ってことは、もろ体型と顔を比べられるじゃないか」
「えー、女の子そう見ているの? ……んー。でも、あまりそんなこと考えたこと無かったなー。だって、先生に分からないように同じ制服でも色々いじっているから、同じに見えないと思うよ」
「どこを?」
「べー、見えないとこ」
「なんだよそりゃ」
バスが止まり、後方の扉から数人客が乗ってきます。前方の扉から降りる人はこの時間ではまず居ません。汽車のステーションに近づくにつれて乗客は増え続けていきます。そして道も良くなっていきます。
人が多くなると二人の会話は少なくなり、声は小さくなります。いつも通りです。
「……ね、お兄ちゃん」
ミウは他のお客を気にしながら、小さい声で会話を再開しました。
「ん?」
「……で、どうするの?」
「ん? 卒業後のことか? 俺は三年になったばかりなんだぞ」
「もう、三年、でしょ」
ミウは頭を動かさず、横目で睨むように鋭い視線をトジに向けました。
「はぁ、あの話か? 今のところその気はない。父さんもあと五年はいいって言ってただろ。少なくともそれまであの話はしないでくれよ」
「でも……。手伝ってあげても……」
「……つまんねぇ。……あんな面倒なこと……同じ服で……よくやるぜ……」
恐い顔に遠い目をしながらそうゆっくり言ったトジに、ミウは次の言葉が出ませんでした。
トジは上を、ミウは下を見たままバスは進みます。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……今年も私は手伝うからね……」
バスのエンジンのうなり音と重なり、その言葉はトジの耳にははっきり届きませんでした。ミウも届くように喋ったわけではないようです。それは自分に言った言葉でした。
「あ、おばあちゃん、どぉぞ」
トジが聞き返そうとした振り返った時には、ミウ代わりに老婆が座っていました。
「あ……、えっと、雪が降りそうですね」
「はあ、そうですなぁ……」
道路がよくなり、噛みそうなゆれもだんだん収まる代わりに、車内は人であふれていきます。席を替わって立ったミユはバス停ごとに乗り込んでくる人に押され少しずつバスの前の方に遠ざかっていきます。
今は通勤通学の時間です。汽車のステーションでは、バスに乗っていた人が全員降ります。バスは止まると同時に「ポー」と大きな音を立てて、蒸気を抜きます。
ここはこの辺の唯一のステーションだけあって他の場所とは雰囲気が違っています。人が多く住む町です。人が多く通る町です。道路もきちんと舗装され歩道も平らな石畳で整備されています。建物も、材料こそミウ達の家と同じくレンガと針葉樹を使っていますが、大変丁寧に作られています。
レンガは単調に積むだけでなく、曲線になるように積まれていたり、薄いレンガを使用したり、形の変わったレンガでポイントを作ったり、色々変化をつけています。また、丁寧に磨いた化粧レンガが表面に多く使われています。その艶のある濃い赤が建物全体を優雅に見せてくれます。
なによりこの辺りには電気が来ています。夜になると電気による明かりが灯されます。揺らぎのないその電気の明かりは、炎とは違うまっすぐな綺麗さを持っています。化粧レンガはこの明かりを反射し、二倍、三倍もあるように演出してくれます。
ミウはこのステーションから歩いて直ぐ……、トジは汽車をふた駅使ったところにあるのスクールに通っています。バスの前方で立っていたミウは直ぐにバスを降りることが出来ます。そして、最後部に座っていたトジが降りてくるのをバスを出てすぐの横で待っていました。
「じゃ」
「ん」
トジとミウは、特に話があるわけでもなく、いつもどおり軽い挨拶で別れていきました。
ジュニアハイスクールに通うラーセが家を出たのはそれから一時間後でした。ラーセの通うスクールは生徒は少ないですが、登校時間はほんの10分ほどなのです。
いつも通りです。