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第10話.少女の記憶



 それは深々と雪の降り続く夜……針葉樹林だったところはふわふわの白い丘々になっていました。その真っ白な丘にはところどころに黒い穴と小さな揺らぐ光を見ることが出来ます。


 黒い穴に見えたものは、煙突です。真っ白な背景に遠慮がちな煙を上げています。揺らぐ光は窓の明かりです。




 ある家の一つの窓からも、揺らぐ光が漏れていました。その窓は台所でした。中では忙しく動き回るポニーテールの少女が一人いました。小さいながら、大人用の台所の備品を使いこなし、器用に料理を進めています。


 その台所以外、その家には全く物音がしません。他は時間が止まっているぐらい静かでした。


「♪なっのー、はっなー、あ、げ、るー、ぼーくーのー……」


 その少女は、淋しさのせいか、料理の楽しさのせいかわかりませんが歌いながら、台と一緒に動き回っていました。台所の高さはまだ少女には高いようです。移動のたびに、台から降り、動かし、また登る、そんな繰り返しでしたが、それもまた楽しそうにしています。




 料理も進み、さて、メインを……という時、少女の手が止まりました。その少女の手の先には、白身の魚の切り身でしょう、それが五つならんでいます。少女の分と、兄の分と、妹の分と、父の分と、そして……。


「お母さんは!?」


 その次の瞬間、玄関の重い扉が開きました。玄関を開けると風が変わるので、台所にいてもすぐ分かるのです。


 その少女は慌てて台から飛び降り、玄関が見える位置まで走りました。


 その玄関には少女の期待とは違う人……少年が立っていました。少女の兄でした。しかし、ガッカリする間はありませんでした。その兄の疲れきった表情、粗い息遣い。そしてその言葉……。


「か、母さんが……」


 少女は、その言葉を耳にしたその瞬間、スーッとその場に倒れ込んでしまいました。なにかを予感していたのでしょう。それが当たった……、喜べない予感が的中してしまい、全身の力が飛んでいってしまったようです。




 兄は、そのポニーテールの少女を背中におぶり、リビングにあった毛布を上から覆いかけ、そして台所の火を消し、急いで病院に向かいました。兄はそう身長の変わらない少女をおぶって雪道を進むのは容易い事ではないでしょう。しかし、兄は優に足首まで沈む雪を一生懸命掻き分け進みました。




 少し遠くからもその病院は見ました。この辺では比較的大きな病院ですが、作りは普通の家と変わりません。違うのは入り口に二十四時間、ランプが照らされていることと、煙突の数ぐらいでしょうか。


 病院についた時も、少女はまだ気を失っていました。兄は少女をおぶって走ってきたお蔭で息が完全にあがっていました。少女は出迎えてくれた看護師に抱えられ、兄と共にある病室に急ぎました。




 薄暗い廊下の先、一箇所だけ明かりがついている部屋があります。その部屋をめがけ早足で進みます。中は、ランプが多めに灯されており、暗い廊下から覗くと大変明るく感じました。その部屋の真ん中に立ち尽くす父と、女の看護師に手を握られて立っている下の妹が見えました。


 兄は、病室にゆっくり入ると、壁際に医師と見られる白ひげの男も立っていました。目を父に移すと目の前のベッドには母が寝ています。


「母さん! 母さん! 父さん、母さんはどうなの?」


 兄はそう叫びながら病室の真ん中に立ち尽くす父にぶつかっていきました。その父の頬は、明らかに歯を食いしばっていました。目も真っ赤です。兄はその表情を見て、すぐに答えがわかりました。でも、その答えは到底納得のいく答えではありません。


「なんで、なんで!?」


 病室から物凄い大きな声がもれます。まだ声変わりしきっていない、兄の声です。


「トジ……」


 その時、ベッドに横になっていた母からわずかに小さい音が聞こえてきました。


「! か、母さん」


「ナツ。ナツ。痛いか、すまない、なにもしてあげられない」


 父も、母の手をぐっと握っていること以外、なにも出来ずにいました。父だけではありません。看護師や医師も今はもう見ているだけなのです。


 下の妹は看護師に手を握られすぐ横に立っていますが、なにがベッドの上で起きているかよく分からないようです。キョトンとした顔をしています。


 ポニーテールの少女は、母のとなりのベッドに横になっています。そしてやっと、意識が回復したようです。自分のベッドの横で行われているのは、なんだろう、ここはどこなんだろう、なにをしていたんだろう、その答えを横になったまま目を動かし一生懸命探しているようです。しかし視線に飛び込んでくるのは余り綺麗とはいえない木に白い塗料を塗った天井だけです。


「先生、ナツは……」


「あなた……、ありがとう……。うっ」


「ナ、ナツ! ……先生……」


「……話せる間に、話して下さい。……残念ながら、変わりません」


 白衣を着た白ひげの医師は、うつ向いたまま、淡々とそう言うしかありませんでした。看護師の一人は、目頭と口を押さえ病室をそっと出ていきました。


「ごめんなさい、私……」


「いや。……ナツ、ありがとう」


 父は物凄く冷静を装っていました。しかし体は小刻みに震えているのがわかります。きっと内心は相当泣いていることでしょう。思いっきり泣きたいことでしょう。


「ね、母さん、母さんはどうなっているの? 母さん、母さん!」


 兄は、大体分かっていましたが、それに納得出来ずに、父に、医師に、そして母に。なにがどうなっているかを、聞いて回ります。


「トジや。ごめんなさい。そして、お願い。立派にお父さんの後を継いでね」


「え、いやだ、いやだよ、母さんも。今まで通り母さんと父さんの手伝いがいい、手伝いが、いい。手伝うのが楽しいんだから」


 母は微笑むだけでした。そしてベッドの横にキョトンと立つ下の妹と隣のベッドに寝るポニーテールの少女に、手を延ばします、ゆっくりと。


「ミ……、……ーセ……」




 その母の手が力無く落ちた時、冷静を装っていた父の気持ちが弾けました。


「ナツー!」


 父の大きな声でベッドに寝るポニーテールの少女にもなにが起きたがわかったようです。バッと腹筋だけで状態を起こし、隣のベッドに横たわる母を見て、すぐにそのまま足を延ばしたままのその体勢で、声を出して泣き始めました。


 泣いているみんなを見て、下の妹もなんとなく分かったのでしょう。その場にしゃがみ込んで泣いていました。




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