夏だしなあ……。覗きでもするかあ……
そういう内容の作品じゃないんだよ。
タイトル詐欺はお約束!
「夏だしなあ……。覗きでもするかあ……」
がたっ! イスを引くような、はたまた転げ落ちるような音が教室に響き、突如周囲がざわめきに支配される。
「な、なんだ?」
「よくぞ言ったぞ同志よッ!!!!」
がっしと掴まれた手のひらには、ごつごつとした汗ばんだ手が握られていた。
「うわっ……なんだよ!?」
動揺する暇もなく、たちまちワタルの周囲には黒山の人だかりが出来上がっていく。
「もう、その言葉が出るの待ちくたびれちゃったよ!! 待ちくたびれて……見ろ!! 目がこんなに充血してる!! ちょっと血が出てるんだ!!」
「それはお前……病院行けよ」
「誰か言い出すとは思ってたけどさあっ!! 誰も言わない訳よ!! 『なんで誰も言わないの!? 誰か言ってくれれば俺はすぐにでも名乗りを挙げるよ!?』 って、ここ数週間はずっと念を送り続けていたんだ……! ようやく届いたよ!!」
「何やってんだよ……。学業に励めよ……。仏教系じゃないんだよ、進学系なんだよココは」
「よくそんな恥知らずな独り言が……恥ずかしげも無く、恥もせず呟ける物だな……ッ! 俺は感動している!! 感動しているぞおっ!!!」
「いや、お前は明らかにバカにしている」
たちまちワタルの周りは物凄い熱気に包まれ、蒸し風呂状態になっていた。既に上着の一枚でも脱ぎたい気分である。
「さあ!! リーダーが名乗りでた所で!! 作戦会議といこうや!!」
「え? 俺リーダー?」
素っ頓狂な声をあげるワタルに、驚愕の眼差しを向ける一同。信じられない! 誰の目もそう語っていた。
「今更何冷めてきてんだよリーダアアアアーッ!! そりゃないだろおおお!!!」
「リーダー!! 俺たちにはリーダーしかねえんだ!!」
「あんな恥ずかしい事を公衆の面前で言えるような器はアンタしかいないんだって!!」
「ちょっと待て、やっぱさっきから一人曲者がいるんだよ。とりあえず名乗り出ろオイ」
「リーダー!!」
スッ。ざわめく群集の奥から、スラッと天へ伸びる白い素肌が覗く。むさ苦しい男共の群れがたちまち潮が引くように掃けて、彼の歩む道を作っていく。
「私です。狩田勉です……!」
『『ガリベン!!』』
野郎共が歓声とも、困惑ともつかないような声を挙げた。それもその筈だ。狩田勉、通称ガリベン。彼はクラス随一の天才であるも、同時に厳格なクラス委員長。一体我らがリーダーに何を吹っかけると言うのか……彼らはただ、固唾を呑んで見守るしかないのだ。
「覗き遂行のその任務。私に全てお任せいただきたい」
「なっ……」
『『なんだってーーーーーー!?』』
あの勉強一筋のヒョロヒョロメガネ系男子が、性欲の海で海水浴という訳だ。皆が動揺するのも無理はなかった。
「一体どういうつもりなんだ!!」
「俺たちを騙そうとしてるんじゃないだろうな!?」
「何が狙いなんだ!!」
そんな慌てふためく周囲の様子を一瞥すると、彼は鼻でふっと笑い、こう言った。
「狙い……? 愚かな方々だ……。そんなものありませんよ……。まあしかし、私をこうまで駆り立てる原動力とはなにか……それをあえて説明すると言うなら……」
くいっ。押し上げたメガネが天の日を浴びて煌いた。
「オッパイが見たくて見たくて仕方ないッ!!!!!!!!!」
「…………」
「…………」
「う……」
誰もが、その五秒間、彼の言葉の意味を理解することができなかった。
「うう……」
『『うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』』
「なんなんだよコイツら……」
やがて獣のような雄叫びが上がると、ある者は廊下を飛び出し、ある者は窓から飛び降りる。そんな阿鼻叫喚の空間で、リーダーワタルだけは事の深刻さを危惧していた。
「という訳でリーダー!! 早速覗きの手筈を整えてきますぞ!!」
「あ、ああ。頑張って」
意気揚々とどこかへ去っていくガリベンに賛辞の嵐が舞う一方、リーダーへのブーイングも強まっていた。
「なんだよリーダー! そのテンションはよ!!」
「お前が一番覗きたいんじゃないのかよ!! 興奮の余り、上着を引き裂いちまった俺が報われねえよ!!」
「お前よりガリベンの方が全然恥知らずじゃないのか!? 見損なったぜ!!」
「恥知らずは褒め言葉じゃねえんだよさっきから誰だホントに!? どこで攻撃していやがる、くそっ!」
「待て、リーダー!! ガリベンがアクションを起こすぞ!?」
ざわめく変態空間に一際大きく声が通る。
「いや……ちょっと待て、何か……女子の輪に向かってないか?」
振り返った彼らが捉えたガリベンの姿。彼はポケットに手を突っ込み、もう片方の手でメガネを押さえながら、確かに悠々教室を闊歩している。その歩みは確実に女子の花園へと向かい、そして到着した。
「ど、どうしたの……? 何か用、委員長?」
女子の一人が訝しむように恐る恐る声をかける。
「用があるのは貴様らではない……」
「え……」
その瞬間である。教室の全ての人間は目を疑った……。ガリベンは颯爽と……メガネを外し、跪いて見せたのだ。
「用があるのは貴様らのわがままボディだ!!!! お願いしゃっす!!!!! 次のプールの時のぞっ!!!!」
めりっ。
「あ……」
「ああ……あ……あ」
『ガリベーーーーーーーーン!!!!!!!』
◆
「いやあ、蛮族に私のロジックは通用しないようだ……。問題外、といったところでしょう」
「いや、お前バカだろ!? なんで頼みに行くんだよ!?」
「どう覗くかを考えるんじゃねーのかよ!?」
「ていうか、裸みせてもらえるならもう覗きである必要がねえだろ!!」
「顔面陥没してるけど大丈夫!?」
最初、ただただ様々な罵詈雑言を無言で受け止めていたガリベンも、やれやれと言わんばかりに、眼鏡をくいっと押し上げた。
「ふ……キミ達の頭の弱さにはほとほと呆れるね……」
「なんだと!?」
「覗かれていると分かっているのに覗かせなくちゃいけない……。その羞恥心を作ってから覗いた方が、シチュエーション的には燃えるだろうが!!!」
『うおおおおおおおお導師いいいいいいいいいい!!!!!!』
パリーン。熱気と波動は教室の窓ガラスを叩き割った。
「なんてこった!! そいつぁ最高じゃねえか!!」
「想像しただけでたまらねえ……! 余りの興奮に、思わずズボンを脱いで燃やしちまったぜ!!!」
「でも間違いなく成功しねえ!!!」
そんな熱光線の乱射する空間で、澄み渡った青空を仰ぎ見る男が一人。
ここまで一人沈黙を貫き続けていた男が、その腰をようやく上げる……。
「おいおい……茶番はそこまでにしようや……」
低い呻るような……しかし大気中を振動させるかのような一声に、一同は水を打ったように静まり返った。
自然と人混みが避けると、奥からイスにどっかと座り込む大男が姿を現す。
「なあリーダー……次は俺に任せろよ……。ガリベン野郎のふざけたやり方じゃ、覗きなんざ成功するはずぁねえよ……」
「あ……アイツ、不良の大熊!?」
「学校来ていたのか……てっきり、今日も他校に伝説を作りに行ったと思ってたぜ……」
「堀内兄弟との対決は今や神話だ……。恐ろしい男だぜ」
「何でも、百人の舎弟がいるらしいぞ……」
「母親ともしょっちゅう喧嘩するそうだ……」
「反抗期真っ盛りじゃねえか……恐ろしい」
どっこいしょ、と親父臭く呟いて立ち上がると、彼は緊張し見守る周囲の様子に嘲笑した。
「な~にが女子に頼みこむだ……。やる気あんのかよ……。いいか、俺はてめえらに導いてやるよ……エデンへと続く道をな……」
それだけ言うと、大熊はガリベンを威嚇するように睨み付け、その場を後にした。
「い、一体……どんな荒々しい方法を使って覗くっていうんだ!?」
「そもそも!! 覗きと荒々しさは両立するのか!?」
「てゆーかやっぱアイツも覗きたいの!?」
様々な憶測が飛び交う中、突如一人が声を挙げた。
「み、見ろ!! アレは!?」
指差された方向に、一斉に振り向く男達。そこには、床まで届きそうに長い、マントのような学ランを翻し、見るもの見るものにガンを飛ばしまくる大男の姿があった。彼は下駄の音を鳴り響かせながら、悠々教室を歩んでいく。
「アイツ、一体何を!?」
「教室で下駄履いてるし!」
「ちょっと待て……まさか!?」
そして、大熊は足を止めた。『彼女ら』の目の前で。
「…………な、なにか……用ですか?」
明らかに女子は怯えている。震えて縮こまる女子を見下ろしながら、大熊は一言。
「こいつは……宣戦布告だ」
「……え?」
ピッ! 勢いよく中指を突き上げて舌を出す大熊。揺れる学ランが、男の大きな背中を強調した。
「次のプールの授業!! 貴様らを覗きにいってやるぜえッ!!!!!!!! 首を洗って待っていぼふ!!!!」
めりめりっ。
「あ……」
「ああ……あ……」
『大熊ーーーーーーーーーー!!!!!』
◆
「ったく……奴ら、下卑た連中だぜ……。不意打ちたあな……。まあ、これも俺の実力不足。未熟さが露呈したようだぜ……」
「なんでちょっとカッコイイの!?」
「つーかなんで同じ手でいったんだよ!! 覗く方法を考えようや!!」
「しかも堂々と宣戦布告しちゃったよ!! もう隠密である意味を完璧になくしちゃったよ!!!」
「首から上、胴体にめり込んでるけど大丈夫!?」
罵倒の嵐の中、きらりと煌く銀縁に囲われた瞳。
「フ……無様だ、と言いたい所ですが大熊君……。なかなかの健闘でしたよ」
パンパン。乾いた音で拍手を打ちながら、ガリベンは大熊に歩み寄った。
「ガリベン……」
「しかし、もったいないことをした……。あなたの場合、威嚇行動よりも、土下座や頼み込みをする方が効果的だった……。そう、いわゆるジャイアン効果……」
ジャイアン効果……。何人かの生徒はその言葉の意味にはっとしているようだった。
「そ、そうか……普段めっちゃ悪かったり、怖いやつが、急に下手にでてくると、油断するもんだもんな!!」
「ジャイアンはここまで変態じゃないけどね!!」
「どうなんだ……? 大熊君」
追及するようなその鋭い声にも動じないのは流石に百戦錬磨の男。大熊はにやりと口元を湾曲させた。
「フン……。だからてめえはガリベン野郎なんだ……」
「なんだと!?」
大熊は、理由はよく分からないが何故か咥えていた小さな葉っぱを摘みあげると、天を仰ぎ見るようにして呟く。
「男が『やる』って大見得切ったんだ……。守るって決めたんだよ……。頭なんかさげられっか」
「はっ! 守る!? つまらんプライドをかい!? そんなちっぽけな覚悟で君はリーダーの前に名乗り出たっていうのかい!?」
「そうじゃねえさ……。俺が守りたかったのはプライドなんかじゃない……」
ぐっ。
そういうと、大熊はおもむろにその太い親指で、ガリベンの胸を押した。
「お前らの……『信念』……だぜ」
「え……?」
指の押し当てられた位置を、そっと確かめるように撫でながら……ガリベンの口からぽろぽろと言の葉が零れ落ちた。
「信念……私達の……エロへの……探求……欲求……意地!?」
「う……」
『うおおおおおおおおおおおおお大将おおおおおおおおおお!!!!!』
◆
「という訳で!! そろそろリーダーに出陣していただきたい!!」
「いやなんでだよ!! 急だな!? 嫌だよ!!」
何とか言葉数を減らし、なあなあでリーダーを降りようと目論んでいたワタルに、思わぬ飛び火がかかる。
「嫌だって何!? リーダーが言い出したことじゃないか!!」
「俺たちのテンションはもう最高潮なんだよ!! 俺なんか興奮の余りパンツ脱いで食べちゃったんだよ!!!」
「恥晒し~~!! お願いだ~~!!! 俺たちに奇跡を見せてくれ恥晒し~~!!」
「恥晒し!?!?」
あまりに理不尽な懇願に、かなり満身創痍な状態の世紀末リーダーワタル。逃げ口上など、幾らでも見つかりはしたであろうが、彼らの瞳は……あまりにも輝きすぎていた。ギラッギラと。
やがて、ワタルは一つだけ溜息をつくと。頭をぽりぽりと掻いて言った。
「あーもう分かったよ。行くよ。行けばいいんだろ?」
「いよ!! それでこそリーダーだ!!!」
「よっ!! 言い出しっぺ!! 変態キング!!」
「うおおおお!! 興奮がMAXだが!! もう脱げる衣類すらねえぜえええええ!!!!」
彼らの賞賛なのか侮辱なのかよく分からない声援にツッコむ気力も最早無く、ワタルは早々に男達のマッスルミュージカルを後にする。
と、総大将の出陣に盛り上がる陣中で、不意に誰かが制するように声をあげた。
「待て待て待て待て!! っていうか、行くって言った……? どこに?」
ぴたり。その一言に、一気にその場は凍りついた。『まさか……』。男共に悪寒が走る。
ざっ! 一同の視線が一度に一点に集中した。そこには……。
ノコノコと女子の輪に向かう我らがリーダーの姿が……。
「り、リーダーのヤツ……ま、まさか……」
『『同じ事を繰り返すつもりだっ!!!!!!!』』
「あの人一番馬鹿なんじゃないのか!? もう散々失敗してきただろ!! なんで学習しないんだよ!!」
「なんで『誰がお許しをいただけるか』みたいな競技に摩り替わってんの!? 違うよ!?」
「覗きなんだって覗き!! 最終的には泣き落としに走るハメになるそうで心配だよ俺!!!!」
みんなが落胆の表情を隠せずにいる中、彼もまた、己の不運を嘆いているのだった。
『夏だから覗き』
何故、あんなわけの分からない一言を口走ってしまったのだろう……。何故、俺は神格化されるハメになったのだろう……。そして……何故、女子にボコボコにされにいかなくてはならないのだろう……と。
リーダーワタルは走馬灯のように今までの高校生活を振り返っていた。入学……友達……進級……初恋……。それら諸々の思い出を、どうして清算するかのような真似をしなくてはならないのか。俺が何をしたというのか。そもそもこれは一体何の罰ゲームなのかと。
重い足取りで、女子の輪に近づく。先程のアタックで、警戒心を強めているのか、丸くなって話し込む彼女たちは、ワタルの接近に気づいていないようだった。
もう、さっさと終わりにしてしまおう。思う存分殴られてこよう。みんなを失望させて、さっさと普段の生活に戻ろう。そう、意味の分からない決意をして、ワタルがそろそろと女子たちに声を掛けようとした……。そのときだった。
たまたま……女子の会話の断片が耳に飛び込む。
「ねえ……さっきから男子キモくない?」
「そうそう。覗かせろとか言って、馬鹿じゃないの?」
ごもっともだ。ワタルの顔に大量の冷や汗が流れだす。ハードル上げやがって……。そんな心中穏やかでない彼の心も知らず、無情に女子の会談は続く。
「でもさあ……アイツだったら見せてもいいかなってヤツいる?」
「え!? アケミどうしたの!? そんなヤツいるの!?」
「ええー! だってそりゃ変態男子に見せるのは嫌だけど……まだマシってヤツもいるじゃん?」
「あー確かに……まだマシってくらいだけどね?」
「じゃあさ、いっせいのーせ、でみんなで言わない? 誰ならマシかって」
「あ。いいよ~」
「まあ、多分一人しかいないけどね」
「じゃあ、そうしよ! じゃ、いくよ? いっせいの~~~~~……っせ」
◆
ワタルはゆっくりと男達の巣窟に凱旋した。その顔には傷一つなかった。
そう、傷一つ無い……女ウケの良さそうな美しい表情であった。
「…………やあ。ただいま」
「…………」
ワタルを取り囲むその誰もが俯いていた。そしてその誰の拳も、グーに固められ、わなわなと震えているのがよく分かる。
やがて、輪の奥からガリベンと大熊が現れた。二人の冷たい視線がワタルを容赦なく突き刺す。
「……よくノコノコと帰って来れましたね」
「……よう、覚悟はできてるんだろうな……」
「いや……あの……ホント申し訳ないと思ってます……」
ぺこり。こめかみを掻きながら、軽く頭を下げてみせるワタル。
「いや、ほんとマジで……ふふっ……不甲斐なひ……」
俯きながらようやく言葉を搾り出すワタルは……若干ニヤけていた。
「こ……この…………」
『『恥知らずめがアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!!』』
◆
「さあ、ホームルーム始めるぞ~。……アレ、ワタルはどうしたんだ?」
「体調不良です」
生徒が床に伸びるワタルを指差して静かに答えた。
「…………そうか。体調不良なら仕方ない。じゃ。出席……アレ、大熊は今日は来ているのか、珍しいこともあるなあ……」
赤池……はい。井上……はい。上田……欠席です――――。
耳に通り抜けていくクラスの面々の名。その単調な声のトーンをどこか恨めしくも思うワタル。さっきの熱気は一体どこへ消えたというのだろう。何故、俺だけがこんなボロボロな状態で仰向けになっているんだろう……と。
小田……はい。小野寺……窓to保健室です。狩田……ガリベンです。桑田……全裸です――――。
単調なやり取りを聞いていると、次第に彼の内にも、名前の挙がる連中に恨めしさが残るとか、そういうこともなくなった……。ただただ、何もかもがどうでもいい。限りなくどうでもいい……それだけが、ワタルの中をぐるぐる渦巻いた。
どうでもよくてどうでもよくてしょうがないから、ふと気がつくと、ワタルはぼーっと呟いていた。
「あーーーー……。スカートめくりしてぇ……」
がたっ!!
私はいつでも待っていますよ。
「読んだよ」の一言。そんな感想。
「乾燥」の誤変換を繰り返しながら、いつだって……。