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猫は月夜に恋をして  作者: 千瑞
1,もしもわたしが
9/9

08


 アルバルから鉄道に乗って、北に向かって3つ目の駅が終点なのだそうだ。降車駅がある街の名前はファハタ。街の中心が国境によって区切られている。半分は、ハールーンの父マフディーが治めている(しかし今はおそらくハールーンの兄が政権を握っている)ラシードという国で、もう半分はジャジーラの故郷の都市国家が属している、ヴェネヴァント王国という国が管理しているらしい。


「国境とは言っても、北と南は国交も密だし、仲良くやっているから、ファハタが2つに分断されて不便を被っているという訳けではないんだよ」

「貿易の中心地として栄えている方だろう。ファハタ市民権は特別で、国境を自由に行き来できる。そこで、これを用意した。ファハタ市民証だ」


 ハールーンはギシギシと軋むベッドに腰掛けたまま、サイドテーブルに何かを投げ出した。同じベッドの上にゴロンとだらしなく見を投げ出したジャジーラが、それに思い切り手を伸ばす。胸元の布がするりとずれて、一瞬だけ白い肌がのぞいた。


「貴様、やめないか!」

「えぇぇ…」


 ハールーンが一括すると、ジャジーラはたいそう不満気に声を上げて、ようやく身体を起こした。


 ここは寄合旅館という施設である。

 どういう場所かというと、一階が酒場になっていて、一日中お酒を振舞っている。そして二階は狭い部屋が幾つかあって、その中にはベッドがひとつおいてある。酒場の主人にお金を払えば、特に詮索されず、何に使っても良いことになっている。多くの場合、男女が一緒に使う。そしてそれを誰も咎めない。

 つまり、そういう場所である。


「だらしがない! 年頃の娘が見ている前で!」

「いやいや、年頃の娘って俺のこと?」

「違うだろう! 中身の話だ!」

「ややこしいなあもう」


 ジャジーラは美しい。男だと分かっていても、美しいものは美しい。私からみてもそうなのだから、きっと男性であるハールーンから見ればもっと輝いて見えるのだろう。

 ジャジーラがどのくらいの間踊り子として世を渡ってきたのかは知らないが、自分自身の美貌が武器になることをジャジーラは知っている。私にはとてもできない。


「しょうがないだろ。あんたはともかく俺達は、人に見られたら困るんだ」


 この場所を選んだのは、内側から鍵を掛けてしまえば誰も中の様子を詮索しない場所だからだ。私たちは夜でなければ行動できない。ジャジーラの金色の髪の毛と、私の真っ白な猫の毛は目立ちすぎる。そして私たちは夜の姿に成るところを、誰にも見られてはいけない。


「頼むから動揺しないでくれ、王子様。俺が男なのか女なのか、そんな事で心を動かさないでくれ。あんたは王子で、そして騎士だろ。俺にはよくわからんが、騎士が守るべきものの本質を見失ったらいけないんじゃないか?」


 ハールーンは押し黙り、そしていからせていた肩からふ、と力を抜いた。ジャジーラを見つめていた視線が、不意に私を捉える。


「守りたくても守れなかったもののことを忘れるな」


 何。私は動揺した。あんな、まっすぐな目で誰かから見られたことがなかったのだ。今まで生き的一度も、視線で射ぬかれたことなんて無かった。


「……わかった」


 何がわかったというのか。しかし、私にはわからない同意が形成されたことは確かなようで、ジャジーラがそれならいいんだ、と小さく言った。頼むよ。唇がそう動いたような気がしたが、猫にさえ聞き取れない小さな声だとしたら、それはもう吐息に近かった。


「そろそろか」


 ジャジーラが、小さな窓から外を伺う。気がつけば、空の色がだいぶ変わっていた。一日があっという間だ。夕日がだんだんと赤みを増すのを眺めながら、私はそんなことを考えた。

 あっという間に一日が過ぎていく。私はジャジーラについて、どこまで行くつもりなのだろう。私はこれからどうなるのだろう。否。流されていてはいけないはずだ。私には故郷がある。帰らなくちゃ。あの場所に。お父さんとお母さんのところへ。


(帰らなくちゃ)


 懐かしい故郷へ。その為ならなんだってする。



 ハールーンが用意してくれた洋服は、例によって私には少しぶかぶかだった。特に胸のあたりが。ジャジーラがものすごく憐れんだ目でこちらを見下ろしてくる。そういえばハールーンの顔をまじまじと見たのは初めてだ。女性だった頃と同じなのは、絹糸のような美しい髪の毛と、すっきりと通った鼻筋だ。優男風の顔立ちだけれど、筋肉はしっかりついている。羨ましい。


「どこみてるのよ」

「見るもんなんて無いだろ」

「……!!!」


 失礼な物言いに私は押し黙るしか無かった。ハールーンはといえば、少し申し訳なさそうにこちらを見ているが、それもそれで腹立たしい。


「ファハタには夜のうちに着く。あの町は夜が一番賑わうからな。ただし国境は昼間しか通れない。その時は…」

「うん。わかってる」


 機関新聞が報じている以上、三人一緒に(性格には二人と一匹で)通り抜ける訳にはいかない。


「税関は日が落ちはじめてから通ることにしよう。通り抜けたら、夜まで身を隠して、市庁舎前広場に集合だ。いいな」

「ああ。承知した」


 私はジャジーラの持つ袋の中に押し込められることになった。猫の姿なのだから、関所を通らずに市壁の外をまわることを提案したが、できるだけ離れないようにしたほうがいいとジャジーラに却下された。白い猫はめずらしいし、拾われてどこかに売られでもしたら終わりだからな。ジャジーラのその指摘が冗談だったのか私にはわからない。


「鉄道の旅は久しぶりだ。兄上が行方をくらましてからというもの、あまりバスラを離れることが出来なかった」


 寡黙なハールーンにしては珍しく、少しうれしそうにそういうので、私もなんとなく、車窓から見える景色が楽しみになった。

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