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猫は月夜に恋をして  作者: 千瑞
1,もしもわたしが
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06

 南の空が燃え上がる炎で赤く輝いている。それは私が今まで見たことのあるどんな景色よりも神秘的で美しく、そしてだからこそどんな景色よりも恐ろしかった。私は両足をそろえてドラゴンの背に腰を掛け、ジャジーラの腰に回した右腕に力を込める。ジャジーラは何も言わずにじっと前方を見つめている。私の後ろにまたがり、目を伏せているハールーンにが沈黙を守る限り、私たちは、少なくとも私は自ら言葉を発することが出来なかった。


 ジャジーラが楽士の隊商を探すために迂回したバスラの町は、燃え上がる炎に包まれていた。明るく照らされた町の中は、逃げ惑う人々と戦う人々、殺す人々、殺される人々、さまよう人々に立ち尽くす人々で入り乱れていた。冷静な人々が消そうとする炎は、別の誰かによってあおられて巨大化し、街を飲み込むのも時間の問題のようであった。人々の叫び声を振り切るようにジャジーラはドラゴンの高度を上げ、私たちは無言のジャジーラに抗議の声を上げることは許されなかった。


「あんたを助けた。これでよかったんだよな」


 唇をかむしかできない私の心を読んだように、ジャジーラが声を上げた。ハールーンを見捨てれば別の何かが出来たのかと問われれば、ジャジーラにも回答はないだろう。ドラゴンは本来人間が一人乗るだけで精一杯の生き物だ。そこに今は3人乗っている。これ以上の人間を救助することはできなかった。


「クソ、俺はバスラに用事があったんだ。あんたたちの親子喧嘩のせいで全部台無しだ」


 ハールーンは何も言わない。何も言えないのではないだろうかと私は想像した。目の前で自分の父親を殺された。兄と呼んでいたその人に。そんな人間を責めるなんて、ジャジーラはなんて非情なんだろう。


「……君には申し訳ないことをしたと思っている。すまなかった」


 しかしハールーンは謝罪をした。私は思わず顔を挙げて、今までまっすぐ見ることのできなかったハールーンの顔を見た。絶望というより、悲しみというより、彼の人はずっと思いつめた顔をしている。変だな、と思った。


「分かってるんだろ。俺が何のためにバスラに来たのか」

「まさかドラゴン遣いがバスラにあらわれるとは」

「俺はあんたの兄貴の顔に見覚えがあるぜ」

「知っている」

「ちょっと、待ってよ。どういうこと?」


 私は自分の頭の上で行われている会話のキャッチボールについて行かれなくなった。バスラという町が燃えていることを気にしていることは私だけなのだろうか。二人は別の話をしているように聞こえる。


「なぜ俺たちの町を略奪した。ヴェネヴァントはあんたたちと少なくとも向こう5年間の和平を結んでいたはずだ」

「略奪したのは兄上だ。ラシードではない」

「お前の兄貴がラシードの姓を持っている限り、そんな理屈は通用しないぜ。もしあんたの父親がもっと早くあいつからラシードを取り上げてたら、バスラが燃える前にドラゴン遣いが非戦闘民を救出していたはずだ。俺たちは最早、先に協定を破ったあんたたちと同盟関係にはない」

「では、ロッシの町はまだ残っているのか」


 よかった、とハールーンが小さな声で言った。その声はジャジーラに届いたのだろうか。


「……兄は立花の魔女を連れていた。立花の魔女は父上に言ったのだ。もし兄からラシードの姓を取り上げれば、もはや立花はラシードの敵である、と」

「だから、あんたの兄貴はまだラシードなのか」

「私たちが私たちの秘密を守るように、立花もまた手の内を明かさない。あの魔女が本当に立花を代表する権限を持つのかすら、私たちにはわからない」

「情けない話だ。仮にも王を名乗るくせに」

「……すまない」


 ハールーンはうなだれた。ジャジーラは振り返らないが、なぜ略奪した、と問うた時のあの暗く鋭い空気は最早纏っていなかった。ハールーンを敵ではないと認識したのだろうか。それよりも、私にはこの話がどこへ向かうのか全く分からない。ラシード。ヴェネヴァント。そして立花。魔女、ドラゴン、そして秘密。わからない単語が多すぎて、彼らの話に全くついていくことが出来ない。


「ねえ、あの、よかったら、説明してほしいんだけど……」

「……そういえば、ジブリール。お前は立花の魔女と同じ姿をしているな」

「は、はあ?」

「お前たちが俺の町を略奪した理由はなんだ。バスラを燃やした理由は」

「ちょ、何を言ってるのか全く分からないんですけど!」

「確かに。兄上が連れてきた立花の魔女は、黒い髪と象牙色の肌を持っていた。小さな体をしていて、そして目の色も黒かった」


 ハールーンが私の顔を覗き込む。私の視界を、ハールーンのわずかに緑がかった美しい色の瞳が占領した。私は思わずその整った顔立ちに見惚れ、そしてハールーンの表情は見る間に疑いのそれに変わっていくのを見た。ジャジーラは何も言わない。私は背筋が凍るのを感じた。足元にははるか下方に、草木に覆われた大地が見える。


 怖い。


「ちょっと、何、やめてよ」

「言え、ジブリール。お前の目的を」

「し、知らない。わからない」

「分からないはずがないだろう。この情勢下で、まさにこの時、私たちの前にあらわれた立花の魔女」

「私、魔女なんかじゃ……」

「ジブリール!」

「わかんないの!」


 私は叫んだ。身の潔白を証明するものなど何もない。なぜなら、私は私が一体なぜいきなり疑われ、責められているのか全く理解できないからだ。


「あなたたちの言っていることは何もわからない! 魔女? ドラゴン? そんなもの知らない! こんな世界知らない! ラシードって何よ、ヴェネヴァントって! あなたたちこそ、ちゃんと説明しないなんて卑怯だわ!」


 私は頭が真っ白になって、思うがままに叫んだ。そして不意に私は、私の意識が遠のくのを感じた。体が揺れる。不安定になる。なぜ。私は遠くなる意識の中で、空が白んでいくのを見た。知らない。私はまだそれしか主張していないのに。魔女じゃなくて女子高生なんだ、って、まだ言っていないのに。


 けれど私はそれ以上言葉を続けることが出来なかった。私ははるか遠方に、白い光を見た。それは朝日が空を照らす明るい白だった。くそ。ジャジーラの声が聞こえる。その時にはもう私は、頭の芯がしびれるような、鈍いめまいを感じていた。


 ああ、まただ。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ。まだ伝えていないことがあるのに。


 私は私がどうなってしまうのかを知っていた。頭を抑えていた私の両手が一瞬感覚を失う。目の前が白くなる。しかしそれは一瞬だった。


「……」


 あの絹糸のような黒い髪がふわりと空に舞い、それは朝日に照らされてとても綺麗だった。そしてハールーンが私を見る、あまりに不自然な表情に、私はまた自分が姿を変えてしまったことを知った。


 朝日が登って、私はまた猫になった。

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