第6話:奇跡の畑
畑を作った。
鍬で広場を耕す。
広さとしては広場の残り半分弱。
大きさとしては100×100メートルほどの、一人分としては大きめの畑だ。
これは『奇跡』を起こすためのものではなく、その前準備だ。
森の中から食えるものを探して、その種を蒔いて育てる。
水はあるから、畑も作って問題ないだろう。
木の実ばかりを採ってそれで済ませてもいいのだが、何となく畑を作った方が「文明」っぽい感じがしたのだ。
結構広いので何日もかけて地道に耕すつもりだったが、ひと鍬入れた途端に、鍬から衝撃波が飛んだ。
そして土をひっくり返して、見事な畝が一列できあがっていた。
目標とする100メートル先まで、一気に。
なるほど、『奇跡』はあくまで俺の先を行くつもりか。
いい根性だ。
気に入った。
流石にこれは「文明」の基準とするわけにはいかない。
畑の存在は隠しておいた方がいいだろう。
同居人がいたら開陳せざるを得ないが、「外」にはなるべく秘密にしておきたい。
この作業で数日かけるつもりが、秒でひと畝が耕されてしまうので、全部を耕すのに30分ほどしかかからなかった。
次々と衝撃波が飛んでいくさまは格闘ゲームの画面を髣髴とさせる。
それにしても、どうしよう。
予定が大きく狂ってしまった。
「まあ、余った時間は探索でもして、種となる果物なり草の実なりを手に入れるとすっかね」
流石に蒔くものは探さなければならない。
その時間ができたと思えば、畑が一瞬でできてしまったのも悪いことばかりではない。
探索ついでに木の実を探すのはやってたのだが、結果ははかばかしくなかった。
流石にそういうのが自動的に手に入るとは俺も思っていない。
探索しつつ、考える。
どんなものが生えたら嬉しいかを。
ダイコンやニンジン、リンゴやレモン、そういうのがあったらビタミン源には困らない。
ただこの森の植生は知らないので、ビタミン不足になる前にいろんな種類を手に入れておきたい。
そんな想像をしつつ、俺は木の実や草の実を探した。
しかし、いつもだったら『奇跡』の力で手に入りそうな木の実が、その時ばかりは全く手に入らなかった。
食えるかどうかも怪しい草ばかりが目に入る。
流石に毒かも分からん野草なんぞは食いたくない。
思えば、この時点で「結末」は決まっていたのかもしれない。
そして、俺は次の日、自分が『救世主』であることをイヤというほど実感させられることになる。
畑に芽が生えていたのだ、等間隔に。
「まさか!?」と思い、最初は雑草だろう、と思ったのだが、それにしては生えるのが迅すぎる。
そもそも雑草は等間隔に生えるものだったか。
畝に沿ってキレイに真っ直ぐ生えてるのを見て、俺は天を仰いだ。
「奇跡にもほどがあるだろうよ……」
そう言えば、救世主とはメシを生むものだったなあ。
俺は2匹の魚と5つのパンから5000人分もの食糧を生み出した超有名救世主の名前を思い出した。
聖書には「マナ」と呼ばれる「食べる霞」のようなものもあった筈だ。
食糧調達は「奇跡」の中でも一番手っ取り早い、入り口中の入り口なのかもしれない。
「まさか、角牙ウサギが毎日やってくるのも、『奇跡』のせいなのでは……?」
初日からあのウサギは、懲りずに広場に姿を現しては、俺に肉を提供し続けている。
ふと、日本の古典にあった「自己犠牲のウサギ」の話を思い出した。
お坊さんに自分の身を捧げるために、自ら火に飛び込んだウサギのことを。
しかし、俺はあの灼くような殺気、睨む赤い目を思い出し、考えを改めた。
たぶん、偶然だ。
その証拠に、最近ではウサギだけでなく、同じく牙の生えているネズミやタヌキ、真っ黒い水牛のようなイノシシも姿を現して、俺に肉を提供している。
ネズミやイノシシが自ら身を捧げるという話は、あいにく寡聞にして知らない。
ウサギなりイノシシなりが姿を現すのは、この森に昔に棲んでるだけであって、俺をエサだと考えてるから、と考える方がしっくりくる。
畑の方はと言えば、日に日に芽は育って、10日ほど経つ頃にはすっかり大きくなり、小さな実さえ見せるようになった。
驚くべき生長ぶりだ。
普通の野菜ではない。
普通は春に種を蒔き、夏を経て、秋に収穫される。
それがセオリーだ。
10日あまりで収穫される野菜など見たことも聞いたこともない。
作物を触ると、何が生えているのか頭の中に流れ込んできた。
トマト、キュウリ、カボチャ、ジャガイモ、キャベツ、レタス、白菜、ダイコン、ニンジン、ホウレンソウ、イチゴ、リンゴ、梨、レモンなど。
畑を作る前に考えていた「生えてたら嬉しいもの」がことごとく生えている。
『奇跡』は遠隔でも可能なのか。
改めて救世主のイメージ力は現実を凌駕するのだな、と感心するとともに、同時に恐怖した。
何もかもがデタラメだ。
ご都合主義すぎる。
ただ、ここに来て20日あまり経つが、その間に家ができ、トイレができ、水場に加えて畑までできて、道具まで何とかなってしまった。「上のヒト」たちの言ってた『巨人の力』『奇跡』が俺を死なさない、何とかなる、が実感として理解できた。
なるほど、ここまでデタラメなら野垂れ死ぬ方が難しいか。
さらに数日経つと、花が咲いて萎んで、実が大きくなり、いよいよ収穫できるようになった。
別々の植物が同時に実を付けるといのは本来あり得ないが、それもやはり『奇跡』のなせるわざなのだろう。
細かいツッコミはやめておいた方が良さそうだ。
農業の概念を変える植物の生長を「細かい」と言えるかどうかは別にして。
流石に収穫は手作業だった。
ハサミいらずなのは便利だったが、いちいち切ってもいで掘って収穫しないといけないので、結構大変だった。
奇跡といえどもそこまでは流石に介入しないか。
逆にちょっと安心した。
全部は収穫せずに、ある程度は残している。
当面は食えるだけ。
それ以上採ってもしょうがない。
そのまま腐らせて畑の肥料にする方が、「次」をする上でもいいだろう。
どうせ畑を耕し直せば2週間で再び生えてくるのだから。
想像してた全部が収穫できるわけではなく、樹木になるリンゴや梨、レモンはまだ細い木のレベルで、実を付けるどころか花を咲かすまでに至っていない。
ただ、本物の木の生える速度を知っており、わずか2週間程度で充分「樹木」と言えるレベルまで育ってるので、こちらもやはりデタラメというほかない。
木を触ると、あと2か月ほどで育ちきって実が収穫できそうだった。
今は初夏の季節なので、真夏の辺りにはそれらも収穫できるかもしれない。
さっそく収穫物の味を見てみる。
ほぼ野生状態なので放置上等、やったのは散水程度で、追肥も一切していない。
そんないい加減さだったので、一切期待していなかったのだが、トマトを一口齧ってみて驚いた。
「……美味い」
下手な果物よりもよっぽど甘く感じる。
それでいて濃厚だ。
見た目はどれもこれも太くて大きいが、流石に中身は滋養もないスッカスカの状態なのだろうと思っていたのだが、予想に反して、前世で味わった野菜の味だった。
いや、それを上回ってすらいる。
農家の人たちが自家生産で食べているのはこんなに美味いものなのか、と思うほどに、美味かったし、甘かったし、濃厚だったし、俺の予想を遥かに超えていた。
トマトは品種改良される前は毒扱いだった筈だ。
それを何とか食えるようにして、酸っぱいか青臭いかにまで持ってきた。
あんまりにも極端な味だったので、子供はトマト嫌いも多かったのだが、いま収穫しているこれは立派にフルーツトマトを名乗れる味だ。
そして、そういうものは通常、膨大な品種改良を経て生まれる。
つまり、俺が作ったものは、すでに品種改良された現代風の作物。
貧相な野生種、昔の不味い古い種ではない。
ただ、これをもって文明を変えようとは思わない。
これは危ない。文明を壊す味だ。
世の理に反しすぎている。
理に反するものは文明ではない。
あくまで農業も狩りも、常識の延長線上にあってこそ文明の粋が光る。
『奇跡』の塊、『巨人』の化身。
この俺を基準にしていては、世界を破滅から救うどころか、それを早めてしまうだけだろう。
俺はひとしきり農作物の味を楽しんだ後、恐怖を感じた。
「それ」のもたらすもの、あるいは壊すものの大きさに。
「流石にこれは内々で消費しとくしかないなあ」
収穫できたものを前に、俺はただただ、ため息をつくしかなかった。




