第45話:お酒
ほんのり温かみを帯びていた風は、時が進むごとにその温度を上昇させていった。
クラッヘがキュバスたちを連れてきた時には、すでに太陽が鋭い光を地面に浴びせていた。
まだ春の延長なので、気温はさほどでもないが、ここに来た時のことを思い出す。
ここに来た時も同じくらいの気温であり、太陽の傾きであり、風の匂いだった。
俺がこの世界に来て丸1年が経ったわけだ。
その間にスライムが棲み着き、エリシアが人型の住民として初めて加わり、そしてエルダーアラクネ、ハイエルフ、シャドウウルフ、大蜘蛛、ハイドワーフ、キュバスとどんどん住民が増えていった。
もちろんノルデース、クラッヘのことも忘れてはいない。
彼女らも大切な村の住人だ。
かつて小さめの広場だった村は丘をまるまる一つ占領するまでに大きくなり、屋敷を中心とした無数の建物群がそれを囲んでいる。
その建物群の向こうに広々とした畑が拡がった。
その畑に、新たな作物が加わった。
以前から作ろう作ろうと言っていた酒用ブドウや米、麦などが、ようやく大規模な形で育つようになったのだ。
酒を造るには専用の樽が必要だった筈だが、その辺はアルコールをいち早く扱っていたハイドワーフが作り方を知っていた。
さっそく村人総出で制作に取りかかる。
ブドウは皮剥き、米や麦は脱穀が必要だった。
皮剥きは必ずしもしなくても良いらしいが、雑味に繋がるので取った方がいいという話だった。
一方で皮がついたままの方が醗酵が迅くなるという説もある。
その辺は試行錯誤でいろいろ試すとしようか。
皮剥きについてはスライムが役に立った。
溶かすものと溶かさないものを識別できれば、どの色のもそれを選んで溶かせるようだ。
味噌・醤油造りに青緑色スライムが活躍し、俺がさんざん褒めた結果、他の色の連中も対抗心が湧いてきたらしい。
「単に溶かすだけではいられません!」
彼らはそう主張し、各色から選抜された個体が派遣されてきて、皮剥きにいそしんだ。
脱穀もスライムたちが大活躍した。
皮剥きもできるのだから、籾殻を取るのはそれより簡単らしい。
それはそうか。
問題は穀物酒の方だ。
麦芽を作ればいい麦酒はともかくとして、米は白米の状態からさらに削らないといけないと聞いたことがある。
いわゆる精米比率、精米歩合というやつだ。
醗酵では基本、でんぷん質だけがアルコールになるので、タンパク質や脂質などは雑味のもとだ。
そういった部分を削らなければいけない。
米の種類や方法なども考えた結果、米の酒はしばらく棚上げすることにした。
米はまず食べる方を優先させたい。
瑞穂の国の出身者なので、あの美味さをまず村人にも体験してもらいたい。
米でないと酒が造れないわけではないし。
前世の世界的には果実や麦から作る酒の方が圧倒的に多かった。
まずは果実酒やビールの製造が先決だ。
「酒って何です?」
疑問を口にしたのはエルダーアラクネのレメだ。
そうか、酒を知らない文化圏の出身か。
「まあ、酔っ払うための飲み物だな」
「酔っ払うって何ですか?」
「説明が難しいな。良い気分に浸る、というのかな。気分が軽くなって、身体がふわふわして、居心地が良くなるんだ。悪い気分じゃないぞ。飲み過ぎると気持ち悪くなるが、そこまで飲まなければ大丈夫だ」
「気分が良くなってどうするんです?」
「……そこまで説明しないと分からないか?」
レメは首を傾げた。
どうしても「酔う」「酔っ払う」という感覚が理解できないようだ。
より厳密には、「気分を良くするための特別な飲料を飲む」必要性が分かっていないというか。
俺も20歳を超えて酒を飲むまで、その美味さや心地よさが理解できなかった。
酔っ払うという感覚も、その時に初めて知った。
こればっかりは実際に経験してみないと分からない。
何事も始めが肝心だ。
レメには「細かいことはいい、結果をご覧じろ」とのみ言い含めて、真っ先に完成品を与えることを約束した。
シャドウウルフや大蜘蛛にも飲ませるつもりでいる。
せっかくの酒を人型で独占する気などはさらさらない。
もちろん、彼らが呑めたらの話だ。
呑めないものを無理矢理に与える趣味は俺にはない。
ワインの作り方は割と簡単だ。
皮を剥いて、潰して、醗酵させて、ある程度ベース液ができれば、後は樽に詰めるだけ。
もちろん細かい調整や上澄み液の抽出、濾過などの作業は必要だが、よほど美味いものを追究しない限りはだいたいこれらだけで何とかなる。
世界中で果実酒が作られたゆえんだ。
ワインの作り方はハイエルフやハイドワーフたちがおおよそ知っていたので、大まかな工程は彼らに委せることにした。
ただ、ベース液の作成には青緑色スライムに活躍してもらう。
それだけが他の村の酒との違いだ。
麦酒も、基本は大麦の実をぬるま湯に浸し、温めて麦芽を生やし、その状態で潰して温水に混ぜ、一次発酵させる。
その一次醗酵分を濾過したら麦汁ができるので、その麦汁をさらにホップと一緒に煮詰め、余計なものを分離させたら、今度は一転低温にして醗酵を待つ。
後は熟成させれば完成だ。
これもハイエルフたちがよく知っていたので、やはり彼女らに委せる。
本来は樽の材質にこだわれとか、酵母を入れるタイミングとか、麦酒であるなら麦芽を浸潤させるのに適したお湯の温度があるとか、ワインであるならば皮や種は一緒に混ぜておいた方がコクや色が出るとか、いろんな「調整」や「コツ」などがあるのであるが、その辺はまず「作り始め」なので、まずはベースになるのを作りたい。
工夫や追究をするのはその後だ。
まずは単純な構造のものを作ることが先決だ。
ちなみに、ハイエルフやハイドワーフたちの話によると、短ければ10日ほどで麦酒もワインもできるらしい。
そんな短い期間でできるのか。
麦酒はともかく、ワインは「何十年もののビンテージ」のイメージがあったので、少し意外だった。
酒用作物の育成を急いだのも、「ぐずぐずしているとワインを呑めるのがかなり先になってしまう」ということからだったのだが、そんなに短くていいなら特別急ぐ必要はなかった。
そう言えば前世にもボジョレーという早期熟成モノがあったっけ。
失念していた。
まあ、いずれ作るのは既定路線だったし、それが少し早まっただけだ。
迅いうちに呑めることを寿ぐとしようか。
材料の収穫から2週間ほどで麦酒もワインも完成品ができた。
「美味ぁああああああああ!」
試飲とお披露目を兼ねた場で、ワインも麦酒も知っている筈のハイエルフが群がった。
「お前らの村でも酒は造ってた筈では?」
「それはそうなんですが、味がダンチで違います!」
「こんな美味しい酒、飲んだことがありません」
「ワインってこんなに美味しかったんですねえ、もう1杯!」
「駄目よ、村長に『まずはみんな1杯ずつ』と言われてたじゃない」
「えー、こんな美味しいもの、1杯で我慢できる筈ないじゃないですかー」
正直、評判が良すぎて気がひけるレベルだ。
ハイドワーフも味に驚いて村に持ち帰る! と意気込んでいる。
一方でエルダーアラクネは、きょとんとした表情を浮かべている。
「……確かに美味しいですが、これで酔っ払うんですか?」
「独特の匂いはするわね」
「うーん、美味しいことは美味しいんだけど、気分が高揚するとか、足もとがふわっふわになるとか、そんな感じは少しも……」
彼女たちには「酔っ払う」という状態を味わってもらうべく、1人1杯制限を撤廃したのだが、何杯飲んでも赤くなるどころか、全く状態が変わらない。
ならば。
試しに、一足先に作っていたコーヒーを飲ませたら、今度は見事に酔っ払った。
1杯分ですでに泥酔という状態だ。
真っ赤になって、俺にしなだれかかって、服を脱いで、豊満な胸を押しつけている。
長い脚を搦ませて、俺をガッチリホールドしている。
衆目もはばからず、熱烈なキスを何度も浴びせた。
少々悪酔いしすぎだ。
「おい、助けろ」
「やですー、こんな面白い状態、見逃す筈ないじゃないですかー」
アハハハハ、と愉快そうな笑い声がお披露目会場に拡がる。
「それにしても、村長ホールドされすぎですね」
「脚が邪魔で、私たち近づけませんね」
「あ、畜生! このチャンスに村長を先に確保しとくんだった!」
「しなかったの?」
「流石に1杯では悪酔いしないので……というか、エルダーアラクネが、このコーヒーという苦い飲み物ですか? それでこんな酔っ払うのが意外だったというか、泥酔するのが予想外だったというか」
「大蜘蛛もいつの間にかコーヒー飲んでますね」
「エルダーアラクネと同様、見事に酔っ払ってますね」
「誰? 大蜘蛛にコーヒー飲ませた奴!」
「私じゃないよう、たぶん、みんな勝手に淹れて飲んでる」
「酔っ払いと酔っ払いが絡み合って、カオスな状態になってますね。もはやどこが脚でどこが蜘蛛でどこが村長やら」
もはや場は滅茶苦茶だった。
ハイエルフたちもこれ幸いと2杯目以降を飲んでいる。
量を作ったからいいが、このままでは在庫がゼロになって、また最初から作り直しになってしまう。
まあ、それはそれで別に良い。
原料もお酒も後からいくらでも作れるのだから。
結局、その日は村中が酔っ払いの坩堝と化して、皆が美酒に、美コーヒーに明け暮れた。
楽しそうで何よりだ。
明日以降に後悔しないといいがな。
俺は飲ませる前に一応警告した。
1杯制限は必ずしも守らなくてもいいが、明日に響くぞ、と。
飲み過ぎても誰も助けんぞ、と。
エルダーアラクネと大蜘蛛はノーカン。
コップ1杯で酔っ払うのは意外すぎだ。
飲ませたのは俺なのだし。
キュバスはノルデースとクラッヘが面白がって大量に飲ませたのでやはりノーカン。
自主的に飲んだエリシアとハイエルフとハイドワーフがペナルティ対象だ。
さて、明日はどんな罰を与えてやろうか。
あるいは、俺がわざわざ与えなくても、勝手に罰が降るだろうか。
降るだろうなあ。
そんな酔い方を、皆はしていた。
その日は夜中まで笑い声が絶えなかった。
普段は静かな村が、喧噪に包まれた一夜だった。




