第2話:奇跡の使い手
目が覚めた時、俺は森の中にいた。
木々が視界を埋め尽くしていた。
昼なお暗い、鬱蒼とした森だ。
その隙間を埋めるかのように、下生えや茂みが生えている。
いわゆる原生林のイメージだ。
鎮守の森という印象ではない。
いろんな鳥の声が聴こえてくる。
いかにも悠久の大自然という感じだ。
胃痛、なし。
腸痛、なし。
頭痛、なし。
神経痛、なし。
前世のあらゆる痛みから解放されていた。
足を踏ん張っても、この世界に来る前より遥かに地面を攫んで、よろけることがない。
それだけでも諸手を上げたくなった。
異世界転生、万歳。
身体を触った感じでは、死ぬ直前の痩せたアラサーの姿ではなく、学生時代の、もう少し筋肉のあった時代のようだ。
少し若返った感じか。
衣装は死ぬ前のよれたスーツではなく、葬式の死装束でなく、ファンタジックな村人風の何かだった。
少しゴワゴワした感じの、衣装の上下。
インナーは紐で結ぶトランクスタイプ。
靴は頑丈そうなブーツのようなもの。
着心地は案外悪くない。
イメージとしては中世ヨーロッパ風。
と言っても、俺は本物の中世ヨーロッパを知らないので、あくまでイメージだ。
厳密な考証は求めていない。
とにかく、これだけでも異世界に来たことが分かった。
文明がどうのこうの言ってたので、いずれは森の外へ出て、正確なそれを求めなきゃならないだろう。
さて森である。
どうしよう。
荷物、なし。
アイテム、なし。
水、なし。
食べ物、なし。
住むところ、なし。
あらゆるものがないないづくし。
いきなり詰んだ。
こんな深そうな森に放り出されて、アイテム一つ、食べ物も水もなく、生き残るすべが一つとしてない。
ただ、「上のヒト」たちは言っていた。
世界が俺を死なさない、と。
いざとなれば『奇跡』なり『巨人の力』なりがどうにかしてくれると。
しかし。
こんな森の中でどうやって奇跡を使えばいいんじゃい。
よくあるパターンとしては、ここは人里の近くで、村人や猟師が狩りや採取で頻繁に出入りしているケース。
少し歩けば村に辿り着くというもの。
だが。
あいにく森の様子を見る限りでは、人の手が入ってるようには思えない。
それほどまでに、森の中はゴツゴツとしてたし、足もとが踏み固められてるとは思えないし、地面は石や根っこでボコボコしていた。
俺は探索を開始した。
当面の目的は、人里を発見すること。
人間以外の村だと、文明がどうのこうの言うより、言葉が通じないようでイヤだ。
そう言えば、言葉の問題については何も言われなかった。
人間を見つけたとても、まずはそこから考える必要があるかもしれない。
結論から言えば、どんなに歩いても、人里は現れなかった。
どんなに歩いても、森、森、森。
文明どころか生活の痕跡すら見当たらない。
「騙されたーーーーーーーーーーッ!!!」
大声で叫んだ。
想像以上にデカい声が出て、空気が振動し、森が揺れた。
大勢の鳥がばさばさばさと飛んで、辺りがちょっとした騷ぎになった。
自分でもびっくりだ。
『奇跡』や『巨人の力』って、そういうもんなんだっけ?
ことここに至っては、選択肢は2つしかない。
1つは、文明が現れるまで、ひたすら森を歩き続ける。
もう1つは、文明らしいものをここに屹立する。
しかし、『奇跡』や『巨人の力』で文明を作れるものなのか?
ただ、この深い森の中で、どれだけ歩けば文明なり人里なりが現れるか、ということを考えると、1か所に腰を落ち着けて、『奇跡』なり『巨人の力』なりに頼って生活基盤を作った方が、まだマシなような気はする。
そうでなくても、探索するためのメシも水もまだ用意できてないのだ。
メシはともかく、水がないと呆気なく衰弱する。
こういう場所に送られたからには、水も何とかなるのかもしれないが、どういう手段で得られるのかも分からない。
川の水はあるのかもしれないが、寄生虫や雑菌が怖い。
サバイバルで生水を飲んではいけない、というのは生きるための鉄則だ。
とりあえず1か所に腰を落ち着けることを決めたのなら、開拓はしなければならない。
俺は目の前の木を蹴った。
『奇跡』なり『巨人の力』なりがあるのなら、連鎖的にものごとがここから始まる筈だ。
必殺、ヤクザキック!
靴の裏で蹴ってみた。
でかくて硬そうな木であったが、撥ね返される感触はなかった。
その木がメギメギメギ、と音を立てて、根っこごと勢いよく倒れた。
地面が震動で揺れる。
びっくりした。
ただ、これではっきりした。
『巨人の力』は、確かにある。
『巨人の力』があるということは、『奇跡』もたぶんにあるのだろう。
そしてそれは受動的なものではなく、能動的なもの。
自分で行動を起こしなさい、さすれば奇跡は起こるであろう、という。
歩いていると水場が突然現れるとか、美味しそうな木の実が行く先々で生えていたとか、というのを期待するのではなく、旧来の救世主のように、積極的に奇跡を起こせ、ということなのだろう。
ともあれ、俺はここに拠点を作ることにした。
生前の鬱憤晴らしを兼ねて、俺は目につく木々を倒しまくった。
ヤクザキックで。
面白いように木々が倒れ、視界が開けてゆく。
幹だけが粉砕されるのではなく、根っこごと倒れるのは、『奇跡』の力なのだろう。
どっちにしても、根っこが残っているなら、いちいちそれを片付けなければならない。
ある程度倒したところで、木々を持つ。
てっきり自分ひとりでは持てない重さと思っていたのだが、たやすく持ち上がった。
『巨人の力』なのだろう。
あまりの軽さに、発泡スチロール製だと思ったぐらいだ。
片腕どころか、何であれば、指の力だけでも持てそうだ。
しかし、外見はあくまで普通の樹木。
叩いてみても、コンコン、といい音が出るだけで、発泡スチロールのように音が鳴らないことはない。
倒しては片付けて、倒しては片付けてを繰り返して、広場を作った。
調子に乗って倒しすぎた。
気が付いたら200×200メートルほどの範囲が拓けていた。
そこを占領していた木々は広場の隅の方で山となっている。
ただ、根っこごと倒したので、あちこちが穴ぼこだらけだ。
どうしよう。
地面を蹴り上げると、土がぶわぁ、と噴霧器のように舞い上がった。
なるほど、こっちの力が使えるか。
あちこちを蹴って穴を埋めてゆく。
なるべく平坦になるように、ひたすら土をならしてゆく。
ならした後は、踏んで固める。
不思議なことに、踏むだけでアスファルトのように固まった。
しかも踏んだ場所だけではなく、その周りも併せてだ。
『巨人の力』の影響か。
やればできるもんだ。
小一時間で、全部の敷地を整地し終えた。
ヘクタール単位の広々とした場所が、森の中にできあがった。
ここが拠点だ。
俺がこの世界に来て最初にやったことは、開墾だった。
拠点ができたのなら、次はメシか水かの調達だ。
優先順位としては、水が一で、メシが二。
メシがなくとも水さえあれば何日かは保つが、その逆は難しい。
それほどまでに、キレイな水の存在はサバイバルにおいて必須だ。
そうとなれば、池を掘る。
広場の隅に穴を掘ってゆく。
道具は相変わらず蹴り一辺倒だ。
広さ10×10メートル、深さ2メートルほどのすり鉢状の穴ができあがった。
ここからが『奇跡』と『巨人の力』の使いどころだ。
創世神話という研究分野がある。
世界はどのようにしてできたかを、宗教単位や民族単位でまとめる学問だ。
その中に「巨人伝説」がある。
世界は巨人によって作られ、その結果として今の世界が生まれたとするものだ。
何であれば、世界そのものが巨人の屍体の跡にできたとするものも多い。
神様が巨人神族出身だというケースも少なくない。
そして、えてして巨人というものは、池や湖を作る。
どこそこの巨人が穴を掘ったら、水が湧きました。
どこそこの巨人が岩をどけたら、そこに水が貯まって湖ができました。
そんな伝説が世界中にいっぱいある。
何であれば、巨人でなくとも水は湧く。
『奇跡』でも水は湧くものだ。
どこそこの偉いお坊さんがやってきて、錫杖で地面を打ったかと思えば、水が湧きましたって感じの話だ。
実際は、巨人や偉いお坊さんがひとりでどうにかしたわけではなく、そうした存在を標榜する土木集団がやって来て、大工事難工事の結果として、水路や温泉を掘り当てたのだろう。
ただ、それだと「浪漫」がない。
キャッチーでない。
巨人なりお坊さんなりがひとりでどうにかした方が、伝承に残り、民話として残りやすい。
ゆえに救世主は救世主たりうる。
何でもひとりでできた方が、話としては面白い。
俺はその「面白さ」を引き継ぐ。
錫杖はないので、森に入って適当な枝を拾ってきた。
これが俺の錫杖だ。
穴の底に入って、どん、と枝で一突きする。
シューーーーーーーーッ、と何かが抜ける音がして、予想通り水が湧いた。
呑まれないように慌てて穴から出て、その様子を眺める。
穴はたちまち水で満たされて、池がさっそく1つできあがった。
これで水は確保できた。
ただ、1つしかないと後が不便だ。
下半身を浸した水から直接水を飲む気になれるのか、とか。
トイレに行った後の手洗い場は水飲み場と共用できるのか、とか。
なので、追加で池を3つほど作る。
水飲み場、手洗い場、身体を浸す池、予備、といったところだ。
水脈など無視したデタラメな出来だ。
だが、今はそのデタラメに頼るしかない。
整合性だの理屈だのにこだわっても、今は何もいいことはない。
作ってしまえば正義だ。
そう割り切るしかない。
さっそく水飲み場から水を飲んでみる。
美味い。
『奇跡』の湧水だから寄生虫や雑菌などの心配はないだろうが、しばらく様子を見る。
このまま腹痛などが起こらなければ、普段飮みにして構わないだろう。
腹痛が起こらないことは分かっている。
『奇跡』とはそういうものだ。
ただ、整合性は大事。
さっき整合性を無視した出来、と言ったばかりだが、こっちは世界と俺とのあり方の問題だ。
『奇跡』によって俺は良くても、他人に飲ませる時にそれが起こらない可能性がある。
一応訪問者が来た時にも飲ませる予定の水なのだ。
飲ませても大丈夫だという理屈だけは確保しておきたい。
その「理屈」が「矛盾」を圧倒するのを待ちたい。
しばらく待って腹痛が起こらないことを確認してから、再びすくって飲む。
やはり美味い。
名水と言ってもいいほどだ。
前世のミネラルウォーターでもこれほど美味いものはなかったんじゃないか。
広場に最初に作ったのは池だった。
ふと思うところあって、開拓した広さを変更しました。
100×100メートル→200×200メートル




