第10話:森の名前
「そう言えば、この森に詳しそうだが、塩はないのか?」
俺が尋ねると、彼女は驚いた顔をして、荷物の中からシャベルを取り出し、俺の手を引っ張って、近くの洞窟に入った。
そして、その辺の壁をシャベルでガンガンガン、と叩くと、ピンク色の岩の塊がぽろっと落ちてきた。
その塊を拾って渡す。
「はい、塩」
まさかまさかの岩塩だった。
こんな近くにあったとは。
「この辺一帯が岩塩鉱でね。あたしもここにいれば少なくとも塩には困らないかなー、とぐらいに思ってたんだけど、旦那様、知らなかったの?」
こくり、と頷くと、彼女は呆れた顔になった。
「何も知らないのねえ。塩は生きる基本よ。動物でも在処は知ってるわ。地質もちょっとは知っておかないと、いずれ詰むわよ」
その通りであります。
俺は素直に頷いた。
この世界ではエリシアの方が遥かに先輩だ。
彼女の言うことを聞いておいて損はない。
「ところで、ここは森のどの辺なんだ?」
俺は一番知りたい情報を訊いてみる。
森の外から来たというなら、詳しい場所が分かるかもしれない。
そう踏んでいたのだが。
「魔法薬で瞬間移動、遠隔移動しまくったから、分からないわ。たぶん、相当奧に来てる筈。追っ手もそうだけどモンスターも多かったから、ありったけ使って、追っ手がついてこれないようにしたの。山も見えないから、たぶん森の中でもかなり奧まった場所な筈」
山があるのか。
「うん、ここは山に囲まれた場所なの。ツヴァイ山脈がぐるっと囲んでいるわ」
ツヴァイ山脈?
俺はその名前に反応した。
「アインの森」だけなら偶然かもしれない。
ただ、「ツヴァイ山脈」と来たら、ドイツ語の可能性はかなり高い。
仮にその予測が正しいとしたら、この世界には俺の「先駆者」がいることになる。
この世界に先に降り立った、ヨーロッパの地理やファンタジーに詳しい誰かが。
「つまり、俺は2人目なのか?」
そして文明がほとんど進んでないということは、彼なり彼女なりは失敗した。
そして力のほとんどを失ったか奪われたかして、世界のどこかを彷徨っているか、あるいは力はそのままに、他の世界へ再転生した。
そう思ったのは、俺がこの世界に改めて『救世主』として転生してきたからだ。
文明を進めるのなら、同じ存在は2人以上必要ない。
いたら、どこかで価値観なり思惑なりが衝突して、トラブルが起こる。
総てを知る「上のヒト」たちが、そんなリスクを冒すとは考えられない。
その行方も気になるが、今のところ心配なのは、森の広さだ。
歩いた場所の景色の変わらなさからして、普通の森程度とは思っていない。
四国、九州、北海道。
あるいは本州ぐらいあるかもしれない。
場合によってはシベリアぐらいあることも考えておかなくてはならない。
その場合、俺は他の文明と出逢うのに、相当な苦労を強いられることになる。
「森の広さは知らないか?」
「流石にあたしたちにとっても化外の地だからね。あたしも最初は噂ぐらいしか知らなかったし、森に入って戻った人もほとんどいないし、もちろん知ってる人はそれなりに知ってるんだろうけど、途轍もなく広いことしか聞いてないわ」
ちなみに完全に文明不毛の地、というわけではないらしい。
この森には他の地方にはいない、独特の人型種族がいるという。
どのような種族かは知らないが、少なくとも人間には似てるそうだ。
彼女の森の知識も、また聞きのまた聞きではあるが、そういう者たちと交流した部族から教えてもらったとのこと。
「あと、この森には『七凶』という7つの種族がいるんだって」
「七凶?」
はっきりと文字で認識したわけではないが、彼女の語感からは確かに「凶」のイメージを感じた。
7つの種族が揃って「凶」なのだろうか。
七強、七狂の可能性も棄てきれないが、いずれにしても人間に友好的な種族だとは思えない。
そして、膨大な種類のいそうなこの森でなぜことさらに7つの種族が上げられるのか、も知りたい。
「七凶ということは、この森最強の種族ということか?」
「それは分からないわ。ただ、森を分け合って支配してるという噂。一応ツヴァイ山脈にドラゴンがいるから、最強ということはないと思う。普通にドラゴン、強いからね」
俺は頷く。
流石にドラゴンを超える強さではないか。
超えていたら、山脈からとうにドラゴンは去っていたことだろう。
どちらにしても、ドラゴンであっても『七凶』にしても人型種族にしても、敵対はしたくない。
そうでなくても、今はスライムを除く全方向が「敵」となっているのだ。
これ以上数は増やしたくない。
ついでに気になることを訊いてみる。
「アインの森、ツヴァイ山脈、ってことは、森の外にドライの森とか、フィーアの海とかあるのか?」
すると、彼女は驚いた顔になった。
「あら、森の外のことを知らないって言ってたのに知ってるじゃない。ドライの森じゃなくドライ台地、フィーアの海じゃなくフィーア平原だけどね」
やはりこの森には何かがある。ここを「第一」にしている何かが。
そこを中心に外へ「ツヴァイ(2)」「ドライ(3)」「フィーア(4)」と拡がっていった。
何かの文明の中心地がこの森にあって、そこを中心に全土がその影響下に入っていったのではないか。
実際に支配されたかは分からないが、名付けからはそうした「意思」のようなものを感じる。
可能性とすれば、俺の先駆者、つまり転生者の「先代」がここに降り立って「第一の森」と名付けた。
「アイン」だけなら偶然かもしれないが、「ツヴァイ(2)」「ドライ(3)」「フィーア(4)」と続くのはあまりにできすぎている。
もしかすると、そのさらに外に「フンフ(5)」「ゼクス(6)」と続いているのかもしれないが、俺はそこまで考えて一旦思考を止めた。
外を考えすぎるときりがない。
ドライ台地辺りに辿り着いてから改めて考えよう。
エリシアは自前のテントを持っているが、普段は俺のテントに同居している。
そして夜には俺を抱き枕代わりにして寝ている。
正直キツい。
もちろんガマンする方がだ。
エルフは長寿なので、もしかしたら俺より遥かに年上なのかもしれない。
ただ、外見的には年下と言っても充分通用するし、実際年下の可能性も棄てきれない。
年上すぎるとマナが腐るというネタもあったが、今のところそういう匂いはしない。
むしろほんのりいい香りすらしているくらいだ。
流石にこの状態は理性がヤバい。
5日経って俺は音を上げた。
「流石に今の状態はぴったりくっつきすぎじゃないか?」
「あたしは別にいいのにー」
やはり彼女は俺を狙っている。
どういうわけだか、狙っている。
不細工と自嘲するほどではないが、美形に無条件に好かれるほどのイケメンだとも思っていない。
どういう理由で俺に色仕掛けをしてくるのか。
怖いので理由は聞いてないが、もしかすると『救世主』『巨人』の性質の何かが影響しているのかもしれない。
怖いけど、いずれ訊かなければならないのかもしれない。
俺に文字通り「接触」してくる理由を。




