第1話:まずは死んだ時の話をしよう
俺の名前は汎田一成。
珍しい名前と言われるが、一応実在の苗字だ。
ちなみに凡田ではない。
平凡の凡ではない。
汎用の汎だ。
さて、唐突に俺は死んだ。
有無を言わさずの唐突の死だった。
電車に撥ねられて呆気なく死んだ。
仕事は忙しく、ブラックだった。
俺はそこの社畜だった。
最近の会社はそういうところがずいぶん減ったと言われるが、あいにくなくなったわけではない。
どこから見つけてくるのか山のような仕事。
それを突き崩す前に次の山がやってくる。
それはさながら賽の河原。
残業残業また残業。
三六協定など当然無視した、イリーガルな仕事場だった。
そういう場所にいたらどうなるか。
まず病む。
慢性的に胃がキリキリ言うようになり、腸は下痢体質になり、常にギュリギュリ言うようになった。
トイレに籠もる日が多くなった。
そして「お前はトイレが多すぎる」とまた責められる。
椅子に座ったまま漏らせというのだろうか。
無理だ。
転職を考える日が多くなった。
神経痛や頭痛も頻繁に起きた。
知ってるか。
人が壊れる時には、「痛み」という形でやって来た時にはすでに手遅れなのだと。
胃腸を病んだので、足の踏ん張りが利かなくなった。
思えばその時に病院に頼れば良かったのかもしれない。
しかしいつも帰りが深夜になる俺にそんな余裕はなかった。
そして「その日」がやってくる。
その日は久々に日のあるうちに帰れた。
奇跡のような日だった。
嬉しさで舞い上がってたのかもしれない。
駅はホームドアの工事中だった。
そして、ドン、と押されて。
胃腸を病んでいたので足の踏ん張りが利かなくて。
そのままホームドアの隙間から落ちた。
ちょうどこと悪しく、電車がけたたましい音を立ててこちらにやってきて。
暗転。
気が付いた時には真っ暗闇の中に立っていた。
アラサーの短い人生であった。
人生の第一部、完!
――そして俺の場合、長い長い人生の第二部が幕を開けることになる。
辺りはモノ一つない。
どこまで見渡しても、真っ暗闇だった。
俺の身体だけが、ほんのり銀色に光っている。
足もとは暗くてよく分からないが、水のようなものに浸かっている。
感覚としては、川?
泥のような感じもするし、水のような感じもするし、これが三途の川というやつなのだろうか。
歩けないことはない。
ざぶざぶと音を立てながら、歩き始めた。
ここはどこなのだろうか。
地獄でも天国でもという印象ではない。
死後の世界なのは間違いないが、それにはあまりにも何もなさ過ぎる。
まさか煉獄という奴なのか。
俺にウィル・オー・ザ・ウィスプになる趣味はない。
何分経っても、何時間経っても、景色どころか、雰囲気一つ変わらない。
全く疲れないので、もしかしたら「歩いている」のは気のせいで、その場にずっと佇んでいるのかもしれない。
ただ、それを確かめるすべがない。
胃のキリキリ、腸のギュリギュリ、電気で押されたような神経痛、ガンガンと来ていた頭痛がキレイさっぱりに消えていた。
今の俺にとってはそれだけで万歳三唱したくなった。
とはいえ喜んでいる場合でもない。
「誰かー、いませんかー」
歩くのをやめて、俺は声をかけた。
もちろん、返事などは期待していない。
返事が返ってくる状況なら、ここへ来た瞬間に声をかけられていたことだろう。
ここが煉獄で正解なら、神はやって来ないし、地獄へも行けない。
声をかけても、こだまは返ってこなかった。
つまり、俺はまだ生きていて、下水道管のようなものにちょうどスッポリハマり込んでる可能性も消えた。
臭くないので、元よりそういう可能性がないことは分かっていたが。
それでも諦めきれず。
「鬼でもー! 蛇でもー! いいですからー! 俺をー! この俺をー! ここからー! 煉獄からー! 出してくださいませんかー! 悪魔でもー! 今なら取引できますー! ただー! お金で何とかしてくれるんだったらー! そっちの方がいいですー! とにかくー! 誰かー! 返事してくれませんかー!」
大声で叫んだ。
しばらく静寂が続いて。
諦めきった頃に、声が突然かかった。
「ほーい、鬼でも蛇でもないですが、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンですよー」
女性の声が響いた。
若い声だ。
いささかノリが軽い。
周りは相変わらず真っ暗だ。
人ひとり見えず、声だけが聴こえた。
呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン、というけど、飛び出てないじゃん。
「どなたなんですか?」
「こんにちは、汎田一成くん、死後の世界へようこそ」
「俺の名前?」
「そりゃそうですよ、わざわざ呼んだんですもの」
「神様なんですか?」
「とんでもねえ、あたしゃ」
「それ以上いけない」
ダンディな人の声がそれにかぶさった。
ナイス、ダンディな声の人。
それ以上言われたらツッコまざるを得なかった。
「お、諸悪の根源発見! あなたが不甲斐ないからあたしが出張ることになったんですよう」
「済まぬ、だが、お前が用があるのは、目の前のこいつなのではないか?」
「あら、そうでした」
目の前、と言われたが、相変わらず俺には何も見えない。
「目の前にいるんですか?」
「うん、姿は見せられないんだけどね。そのまま見せると、普通の人間だと目が潰れちゃうのよう」
やはり神様だ。
見て目が潰れる、というのは神様以外にあり得ない。
「で、俺に何の用なんですか?」
「どうしてそう思いました?」
「偉いヒトが、死後の世界にわざわざ逢いに来ました。そして声をかけました。つまり俺に何かをさせたいから、わざわざお出ましになったわけでしょう」
「うーん、聡いね。理解が迅い」
「うむ、その理解なら、異世界に転生させても巧くやってくれることだろう」
「ちょっと待ってください。俺、異世界に転生するんですか?」
「転生というか、転移というか、まあ異世界に飛んでもらうのは一緒ですね」
「転生というと、赤ちゃんからやり直すとか……」
「そうしてもいいけど、目的が達成できないから、一応記憶はそのままに、大人のままでやり直すことになりますね。魂も身体も一旦クリアするから、転生と言えば転生なんだけど」
「クリアにしてどうするんですか?」
「キミには救世主になってもらいます」
「大○屋?」
「飯屋じゃないよ。どっちかと言えば『巨人』に近いかなあ」
「読○なのか、進○なのか、どっちなんです?」
「ジ○イ○ンツじゃないよ。立○機○装置も出てきません」
「そのネタ、通用するんですね」
「そりゃキミの世界も管轄してるからね」
とんでもなく偉いヒトでありました。
「救世主で巨人なのは分かりましたが、どういうことをするんです?」
「救世主がやることと言えば決まってるじゃないですか。世を救う。ついでに文明を進めてもらいます」
「俺、そんなご大層な人間じゃありませんよ、そんな能力も知識もありませんし」
「だから付与するのよ、あなたに両方の力を」
いらんと言っても強制付与されそうな勢いだ。
俺は尋ねる。
「救世主となったら、人々を救って、奇跡を起こして、そのまま死んで、3日後に復活して天国に昇るんです?」
「彼と一緒にしちゃいけないわ。彼は一応文明の中にいたからね」
「30年やそこらで死んでもらっては困るからな。貴様にはできるだけ長い間、世を救ってもらわねばならん」
「で、次の世なんだけど、このままだと滅びます」
「滅ぶんですか」
「積極的に滅ぶわけではないけれど、穏やかに、人が全員人外になって、そのうちに文明が死に絶えて、わくわく動物園のような状態に陥ります」
「なので、貴様には強引にでも次の世にいってもらうよう、来てもらったということだ」
「俺が死んだのって、あなたたちのせいなんです?」
「いたずらに死なせるつもりはなかったが、貴様の方から飛び込んできたというのが正しいな」
「なるほど」
「ただ、キミを送り込んでも、文明は遅々として進みません。それは確定事項です」
「俺を送り込む必要あります?」
「それでも送り込まねばならんのだ」
「なので、キミには『救世主』としての力の他に、『巨人』としての力が与えられます」
「異世界ガリバーになるんです?」
「うんにゃ、人の身にて力を振るうべし、全きなる巨人なるかな、というワケで、普通の人間サイズですね」
「それ、巨人と呼ぶ必要あります?」
「呼ぶ必要があるからそう呼ぶのよ」
「なるほど」
「なので、ちょっとやそっとの苛酷な世界なら、割とその力で何とかなります」
「ちょっと待ってください。俺、苛酷な世界に送り込まれるんです?」
「苛酷と言うか、何というか、辺境というか、人間のたくさんいる場所に送り込んでもショックがでかすぎるので、まずは辺境から文化を改めてもらいます。大丈夫、キミならできる!」
「それ、ブラック企業の常套句!」
「ちなみに、次の世界はあたしたちの介入が赦されておりませんので、基本ひとりで生きてもらう必要があります。具体的には、ごはんや家は自分でどうにかしてね、ということです」
「飢えたらどうするんです?」
「その辺は『奇跡』がどうにかするかな。大丈夫、世界を救う存在なので、世界そのものがあなたを死なせません。『巨人』の力もあるからね。よほどのことがない限り、死にません。死なないじゃないかな、ま、ちょとは覚悟しておけ」
「関○宣言ならぬ巨人宣言!」
「そろそろ送るべきではないか?」
「そろそろ送るべきですね」
「分からないことばかりなんですが」
「その辺を詳しく言うのは禁則事項なので、自分で何とかしてちょうだい。大丈夫、キミならできる!」
「だから、ブラック企業の常套句!」
「汎田一成様の次世界でのご活躍、我々一同、心よりお祈り申し上げます」
「お祈り文書!」
「「「では、良き異世界ライフを!!!」」」
いきなり大勢の声が重なって。
俺の意識は遠くなった。
そして目が覚めた時には――。




